金曜行動と地域活動

 昨夜は定例の関電前金曜行動の日.この1年以上,一つの原発が動くこともなくやってきた.それでも国は川内原発を動かそうとする.日本列島弧は再びの火山活動期に入っている.すべての原発廃炉にし,慎ましやかに生きてゆく.その決断をすべき時が来ている.それまで,この関電前行動は続ける.そういう気持ちのこもった抗議行動であった.大阪湾から吹く風は秋である.2年半,ずっと続けられてきた.しかし,まだなにも変わっていない.主催者が言っていたが,再稼働を止めさせるなら,この安倍内閣を倒さなければならない.まったくその通りである.12月からは秘密法も施行される.安倍を表に立てて旧体制は戦争への準備を進めている.
 平安時代末期,そして江戸時代末期,日本列島弧は地震の活動期にあり,富士山も爆発している.この地震活動期を経て,平安貴族社会から鎌倉封建時代への世代わりがあった.江戸時代から明治への世代わりがあった.その過程では実に多くの犠牲があり,困難な道であったが,それは成し遂げられた.いま再びそのような転換期を迎えつつある.
 日本列島の歴史の固有の問題が,資本主義の終焉という世界史大の問題の中に流れ込む.歴史の課題はつねに具体的であり,固有性をもっている.同時に人類史の中での共通の問題,古代から封建へ,封建から資本主義へ,それが平安の世代わり,江戸の世代わりの意味であった.それがそれぞれの条件の下で固有の問題をとおして具体化する.
現在,このような観点からこれまでいろいろ書いて来たものをまとめることをはじめている.そうすると間を埋めるために,また考えなければならない.今年,秋から冬のこちらの課題である.そして,考えてゆくとつまるところ,この転換をになう人間が育つか,という課題に出会う.いずれにせよ,この歳になると,書き置くという気持ちが強い.考えてきたことをもう少し深めて書いておきたい.
 続いて今日は地元の社会福祉協議会社協)が開いた秋のフェスティバルにいってきた.いくつかの町内にまたがる社協が主催した.私はそのなかで,500世帯はある地元の町内会の副会長をしている.ほんとうは今年,会長を引き受けるつもりであったが,昨秋の病気でもう一年待ってもらったので,来年は会長を引き受けなければならない.
 私の地元は,戦後すぐまでは竹藪と畑の丘陵地帯.大阪にも神戸にも近く緑も多いということで,いつの間にか住宅地である.いまも集合住宅や戸建て住宅の建設が進む.500世帯が700世帯なるのももう一,二年のうちである.
 住人はそれぞれ別のところから移って来ので,隣近所のつきあいはあっても地域の一体感は少ない.お地蔵様も一つあるだけである.しかし,この高齢化社会である.年寄りを地域のものが見守り,小さい子どもも見守るような,地域のつきあいを広げ,深めたい.そういう地域の自治会である.
 そういうこともあって,今日の小学校での行事にも行ってきた.地元の子供会やコーラスグループの出演の後,特別参加の琉球国祭太鼓である.これを楽しみにしていった.その兵庫支部から来てくれていた.この太鼓の迫力はさすがであった.先だって西表島に行ったばかりなので,この琉球のリズムを体が覚えている.しばしそれに浸っていた.
 地縁,血縁とはよく言ったもので,血縁の前に地縁を置くのは古人の智慧である.血縁はもとより大切で切っても切れないのであるが,いまのように自然災害も厳しくなり,独居老人も増えてくると,隣近所で助けあい声をかけあうような間柄が必要で,それは日頃から準備しなければならない.西宮に住んでもう40年である.世話になった土地なので,これからそういう地元での地域活動もやっていきたい.関電前にいって「再稼働反対」と叫ぶのと,地域の自治会の役員として地縁を深めるために何かするのと,私にとっては同じことである.