2014年を送る

昨日まで授業.ようやく今日大掃除.捨てるものは捨てるということで,大分片づけた.書斎の引き出しも整理.それからハードディスクの中も片付ける.いろいろやっているうちに,大晦日までかかりそうであるが,ためておけばよいというものではないので整理する.実践,断捨離!
それから午後,年末の買い物に,まず芦屋駅前広場に行く.四年前の暮れに再会したS君のところでしめ縄を買うためである.卒業してもう30年以上になるはずだ.今年も元気しめ縄売りを家族でやっていた.彼に改まってきかれた.「A高校はどうしてなくなったん」.あの時代の行革の流れや当時の地域の情勢を簡単に話した.「いい高校だったのに」.彼は日頃は阪急バスの運転手をしている.A高校が廃校になる過程は,日本の格差拡大の過程そのものであった.合理化やいわゆる行革についても,わかってくれた.彼は言う「元気なら来年もやっているから」.こちらも言う「動ければまた来るよ」.こうして年に一度だけ会う教え子,私にとってその存在はほんとうに貴重である.別れてから,いろいろ買い物をしてきた.
2年前の2012年の末は安倍政権ができたときであった.今年もまた同じことになった.「自民大勝」という文字が躍る中での年越しとなった.2年前「行く年来る年」に書いたことを読み返し,今年何か付け加えるべきことはあるのだろうか,と考える.
第一に日本で客観的な存在としての二つの立場があることはかわらない.つまり次の二つの立場である.立場一.生活を第一とし,富の再配分を行い,格差の是正と地方の再建をめざす.生存権,労働権の保障.対米自立.脱原発廃炉の実現.人間原理確立.消費税の増税停止.TPP不参加.立場二.経済原理優先.富の偏在増大.アメリカへ従属しその利益を優先する.原発維持.消費税増税.インフレを起こし貨幣価値を下落させることで,賃金と年金を実質的に切り下げる.
そして第二に,99%の国民は,事実において立場一と利害が一致するが,立場一の人々が連合し政治勢力として闘って歴史をきり拓くには,まだその主体の形成が十分ではない.このことも2年前とかわらない.99%の量がなぜ選挙で負けるのか.一つは小選挙区制であり,そして宣伝機関を1%が握っていること,権力を握るものが金を支配し,その力で票を集めること.等など,そういうことはあっても,しかし沖縄では自民・公明党を打ち負かした.やれば出来る.共通の敵に対して団結する,このわれわれの側の力がまだ弱いのだ.敵を明確にすることが弱いのだ.
この二年間,何か前に進んだことはあるのだろうか.量的な変化の他に質的な変化はあるのだろうか.沖縄における突破口,これは事実であり,そしてこれはわれわれの希望である.沖縄での今後の闘いは予断を許さないし,沖縄の問題を日本国家とそこに住むもの全体の問題としてとらえることもまだまだ弱い.ナチスの選挙戦術をそのまま行使した安倍自民党が,選挙で多数を占めることを止めることはできなかった.これもまた歴史の貴重な教訓である.次に生かすしかない.
情勢は必ず煮詰まってゆく.人民新聞編集部の来年の展望の結びの次の見通しは,おそらくこれ以外にはありえないと思われる.

 安倍政権の露骨な大企業奉仕、富裕層優遇が加速されれば、「アベノミクス」の恩恵に浴せない中・下層が増え、政権への怒りは強まり、安倍政権打倒の陣形は広がる。そして、「アベノミクス」の虚飾が剥がれた時に、自民党は大きな挑戦を受けることになるだろう。
 経済不況による不満をナショナリズムに回収し、変化への願望を「強い指導力」に収斂させる政治手法は、「かつてきた道」を想起させるに十分だが、そうした時代には、さまざまな個別課題相互の問題意識を重ね合い、違いを認め合いながら共通の敵を見定めて「政治化」していく力量が問われる。
 そうした直接民主主義の実践のうえに、香港で学生・青年たちが、街頭を占拠して政権に迫っていったような大衆的街頭闘争が次代を開く。

第三に,私は希望を失わない.このこともまた信念としてかわらない.質的な目に見える変化はまだまだであるとはいえ,量的な変化の蓄積が進んでいること,これがどこかで質的な変化をもたらすこと,これは疑い得ない.どうか希望を失わず,来たる年を,できることをやりそれぞれの場で闘い生きぬこう.
最後になりましたが,今年「青空学園だより」や青空学園各サイトに足を運んでいただいた方々に心から感謝します.皆さん,よいお年をお迎えください.