四年目の3.11に

今日は3.11関電前行動の日.もうあれから4年なのだ.こちらは高校生に数学を教える仕事をしている.あのとき合格した子が,もうこの春は大学院に行くと連絡をもらったこともあり,大学生が学生生活を送っただけの時間が過ぎたのだと,いささかの感慨もあって,出かけた.昨年の3.11は「国破れて山河もなし−3・11に」にも書いたが,こちらが病み上がりで久々に街頭に出た日であった.あれからもう1年という個人的な感慨もあった.先週ゴローが死んでから,運動不足を補うために心がけて歩いている.それで,今日は阪急梅田から堂島まで歩いた.速歩で25分というところであった.少し春めいてきたが,それでも海に近い大阪堂島は寒い.多くの人が集まってくる.午後7時に150人くらいで始まった集会も,人が増え続け,300人にはなっただろうか.定例の行動とはまた違う熱気があった.
前日の10日には,福島原発告訴団関西支部に「2015年告訴」の申し込みをした.その前の告訴から参加してきたが,原発事故の因果関係は明確であるにもかかわらず,検察庁は1月22日,勝俣恒久元東電社長ら幹部の不起訴を決めた.新たな裁判闘争がいくつか準備され,その告訴・告発人が募集されている.福島原発告訴団に詳しい.多くの人の参加を願う.締め切りは3月31日である.こちらは名を連ねカンパするくらいしかできないのだが,これは続ける.
考えてみれば,人々がこうして集まってくるのは必然である.この4年間は,まさにショック・ドクトリンそのままの歴史であった.−「惨事便乗型資本主義」(「惨事活用資本主義」、「災害資本主義」、「火事場泥棒資本主義」)はこれにつけこんで、人々がショック状態や茫然自失状態から自分を取り戻し社会・生活を復興させる前に、過激なまでの市場原理主義を導入し、経済改革や利益追求に猛進してきた−ネット辞典にはこうあるが,安倍政治はまさに東電核惨事につけ込んで,国際産軍複合体と国際金融同盟の路線をおおっぴらに日本に導入するものであった.
この安倍政治は,その一方で,こんなことを許してはならないとこれに反対する人々もまた,確実に増やした.それがこのような行動の持続を生みだしている.先の辞典では−「ショック・ドクトリン」の最初の応用例は、1973年の軍事クーデターによるアウグスト・ピノチェト政権下のチリであるとする。−とあるが,チリの人々は結局はこのピノチェト政権を倒した.同じ過程が日本でも動いていることを実感する.梅田の駅前で,若者が数人,いわゆるラップで歌を歌っていた.その内容は,「いつの間にか戦争,ものも言えない今,何が再稼働」と安倍政治を批判するものだった.それをやっている.少しずつ若い人が動いている.多くの人はそれを聞こえないふりをして通り過ぎるが,立ち止まる若者もいる.こちらはしばし聞いていて,それからまた歩いた.
実際,安倍式の政治は各所で破綻を見せている.権力の内部にいるものの人間性の崩壊,倫理的破綻は,いよいよ実例を増やしている.経済的にも,日銀のQE,市場原理さえ無視して紙幣を印刷する,が破綻し始めている.黒田日銀総裁,彼は最低限のところ銀行マンなので,やっていることの危険性は見えてくる.それで彼が今の経済政策への危険性について発言した.しかし,安倍政府とそれに追従するマスコミは,「オフレコ扱いにされた黒田日銀総裁の「日本国債」深刻発言」にもあるように,これを無視し報道しなかった.しかしいかに隠しても,実体経済の要求と切り離されたところで紙幣の印刷を続ければ,これは必ず破綻する.
そして福島はもとより,東京の核汚染も深まっているのではないか.<首都圏の放射能汚染>東京ドーム1.34μSv/h、ディズニーランド0.42μSv/h、渋谷ハチ公前、フジテレビ、成田、羽田… 除染基準0.23μSv/h超の場所 3/20号フライデーよりなどを読むと,「オリンピックなんて悪い冗談です」という小出さんの警告が,いよいよ現実のものとなってきている.関西に住むものが安易にはいえないのだが,一様ではないがしかし汚染部分がやはり点在する.オリンピック東京開催など夢のまた夢という段階になりつつある.
こうして,歴史はだんだんと煮詰まりつつあることを感じる.現実の歴史の煮詰まりは,しかしその変革を担う人々が登場しないかぎり,その人々が新しい時代の政治の形を見つけてゆかないかぎり,より一層の反動を生みだすのも事実である.これは歴史の教訓である.二度愚かなことをやらねば,歴史の教訓として根づかない.これも歴史の教訓である.核惨事は第二の敗戦であった.福島を覆い隠して風化させ,終わったことにしようとする安倍政治は,人々がこの二度目の愚かなことから学んで,原発政治,原子力村と旧体制をやめさせ廃絶しようとすることを恐れているのだ.それでも,私は希望をもつ.その芽を現実に確認する.どれだけ紆余曲折を経ようとも,歴史他到達すべき段階に必ず到達するのだ.