『「鼻血問題」に答える』を読む

福島の核惨事が起こって四年.今日,二つの文書に出会った.
一つは,「美味しんぼ」の著者,雁屋哲さんの本『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』(遊幻社)である.郵便で来て,一気に読んだ.目次などは遊幻社のサイトにある.この本のなかにも書かれているが,福島を愛し,事故後なんどもなんども福島に足を運び,政府や東電のいうことに対して,その根拠を問い,自ら取材した事実をもとに,あの「美味しんぼ」を書いた.それへの「批判」に,まさに「鼻血問題」に,真っ向から答えた本である.これはわれわれにとってほんとうに重たい,これからの少なくとも二百年の日本列島弧の人間の生き様に関わる本である.

何度でも言おう。「今の福島の環境なら、鼻血が出る人はいる」 これは"風評"ではない。"事実"である。

これは,写真にもあるように,この本の帯の言葉である.どれだけたたかれようとも,事実から目をそらさず「鼻血問題」に向きあい,批判に正面から答え,それを本にされた.現在の日本,とりわけ安倍政治の狂乱のなかで,まことに勇気のいることであった.本書の内容そのものはここでは略したい.ぜひ,一読を.ただ,後書きの冒頭のみここで紹介したい(改行追い込み).

「鼻血問題」を通して見えたことは、電力会社、大企業、学者、マスコミ、政治家という、原子力産業の利権に群がる人間の、本性でした。世間ではこの人たちを「原子力村」と呼んでいます。「村」という、日本人にとっては懐かしい言葉を、自分たちに属さない人間は排除し、そうではない人間を攻撃する集団を表すものとして使うことは「村」を汚す行為です。
「村」という良い言葉を彼らのために使うのはいやなので、仕方がないから私は彼らを「ゲ集団」と呼ぶことにしました。「ゲ集団」の「ゲ」は「原子力産業利権集団」の「ゲ」です。
今回鼻血問題で思い知らされたのは、「ゲ集団」の網は日本の社会全体を覆っているということです。恐ろしいのは、日本の知を支えるべき学者たちが、すでに「ゲ集団」の一員になっているのか、「ゲ集団」の圧力に怯えているのか、放射線の人体に対する被害をきちんと研究しないことです。

「村」という大切な言葉を,こんな奴らに使うな.言われてみればまさにその通りだ.言葉は,大切な日本語は,国破れて山河もないところから,もういちど立ちあがるうえでの拠り所である.雁屋さんはほんとうに言葉を大事にされている.これには教えられた.というか自分のいい加減さを思い知らされた.こちらはこれまでいろいろと「原子力村」を使ってきた.確かに雁屋さんの言われるとおりだ.こちらで書いてきたものを見直してゆこうと思う.
もう一つは,『戦後70年原発事故の戦後史的意味とは? 4年経っても「緊急事態宣言」を解除できない現状を自覚すべき』と題する小出さんへのインタビュー記事である.人民新聞1543号所収.小出さんはこの三月で京大原子炉実験所を退官される.したっがってこれは在職最後のインタビューである.これについては,四丁目でCAN蛙さんが詳しく紹介されている.

私は、「東電の幹部は犯罪者であり刑務所に入れるべきだ」と言い続けています。誰も責任を取らないし、被害者の損害賠償にしても、加害者である東電が損害の査定をするというおかしな仕組みになっています。その結果、東電は2015年3月期決算の経常利益が2270億円の黒字になるというのです。被害者への責任を取らないで黒字を確保するという、とんでもない会社です。こんな仕組みは根本的に間違っているし、犯罪者である東電がやろうとすることは全て禁止すべきです。
本来なら国家が東電に責任を取らせて、国家管理の下で事故処理をしなければなりませんが、政府も原子力マフィアの一員です。政府・東電という犯罪者集団が、お互いにかばい合って、ぬくぬくと生き延び、やりたい放題やっているのが現実です。このような状態で、正確な情報が開示されるわけがありません。

雁屋さんも小出さんも,それぞれ専門の分野で優れた方であり,同時に人間としての良心を失わなかった人である.小出さんのインタビューを集めた冊子も出るようなので,これもぜひ読んでほしい.小出さん,長い間ご苦労様でした.これからは自由な立場で,さらにより深い事実を,提示してください.
しばらく仕事に没頭していた.原稿書きや,今年の入試問題の解答作成である.今年難問と評価される問題はほぼ解いた.日本語でこのような論述の文章ができるのだということを示したいということもあって,解答を作る.また模試問題の原稿も送信し,一段落して,ふと外を見ると,世はもう早春というべき時節である.ゴローが亡くなって夙川まで歩く機会が減った.これではいけないと,手を振って歩いてみた.犬がいないといささか気恥ずかしい.それで撮した身近な花々.ハクモクレン,ヒメツルニチソウ,水仙水仙には小さな小さな虫が写っている.いのちの営み.三年前は四月五日に「春先の花」を書いている.今年は少し春が早いのか.