春の日に人に会う

 四月に入った.今日は皆既月食であるが,西宮は花曇り.月食は見えなかった.四月に入りこちらもいろいろと仕事が動き始め,ようやくに新学期である.授業や原稿の校正.新作問題の作成等など結構忙しい.それと,地域の自治会の世話.この地は,昔からの地の人と,この10〜30年に越してきたわれわれのようなものと,そして昨今の畑地の開発や屋敷跡の解体と新築などで,そこに新たに越してきた人々と,さまざまの人が暮らしている.大阪にも神戸にも近く,自然も残っていて人気の住宅地であるが,地域の結びつきが深いとはいえない.そんなところで,400世帯以上をかかえる自治会である.そこの世話をしている.四月下旬には総会を開いて新体制も作る.その準備もあり,これはまったくのボランティア活動であるが,なかなか忙しい.
 そんな中,昨日は40年来の親友と私と3人,梅田の沖縄料理店で泡盛のお湯割りをいただきながら,語り合った.これまで「2011-02-17 人と会う(続)」,「2013-02-19 友あり遠方より来たる」に書いたように会ってきた.ここに書いておくのは,このように自分の記録にもなる.そして2013年の秋の入院中にはこの2人も見舞ってくれた.かつて,それこそ四半世紀前,Tさんが争議組合の委員長として忙しかった頃,疲れで急性の腎炎になり入院した.当時私は団体専従であったが,港区の病院に見舞ったことがある.それを彼は懐かしそうにいう.そのとき彼が飲んでいた薬もステロイドで,それで治ったのだということを,一昨年見舞いに来てくれたときに初めて知った.皆,68年のころに人生の試行錯誤をはじめたものばかりである.京都のベ平連や『月刊たいまつ』の大阪での読者会等でたがいに知りあい,私が京都の下宿から尼崎に引っ越すときのトラックの運転は,Uさんであった.
 いろいろとあったし,これからもあるだろう.Uさんには「いちばん変化が大きかったのがお前だ」と言われた.結構おもしろかった,と言いたいところだが,多くの人に迷惑もかけた.ただ自分の方から言えば,そのときそのとき,こうしようということでやってきただけである.ずっと大阪府の職員で農業指導員だったUさんから見ればそういうことになるのかも知れない.おなじ68年の頃を通過してと言っても,それぞれのたどってきた道は大きく異なる.その上で,それも踏まえて,こうして二年に一度くらいは顔をあわせ,飲み,語りあう.これが友人というものだろう.月曜日は人民新聞の編集長らと飲む.飲むというより,意見を聞かせてほしいということで,もっとこうしてほしいということなどを,話しあうつもりである.それでも結局は,飲む.酒というのは不思議のものであり,人間が発見したすごい道具だ.酒に酔うのか,人生に酔うのか.写真は夙川上流歩道の桜と,そして花海棠とハクモクレンの新芽.