天皇のパラオ訪問と辺野古

nankai2015-04-16

追記4/17:前からやろやろうと言ってきたことが動き始めた.小出裕章インタビュー集 英語版作成である.人民新聞社が系統的にインタビューを行い,冊子にまとめた.それを英訳して,世界に広めようという企画である.その翻訳ボランティアを募集している.協力してみようという方,連絡をとってください.私は人民新聞の単なる協力者に過ぎないが,昔いろいろ世話になったので,できる協力はしてる.
このところ春の雨である.月曜日は京都で授業.四条から京都駅の方へ歩いていたらものすごいにわか雨.仕方なくタクシーに.運転手さんが言っていた.タクシー人生で春の桜のときにこんなに雨が降るのは初めてだと.そうかも知れない.そして今日も雨.もう桜は散り,花海棠も散り,それぞれの木々に新緑の木の芽が.野バラ,モッコウバラのつぼみもふくらんできた.紫の小花も麗しい.いのちの営みである.この営みを味わいながら,生業にいそしんできた.それがこの日本列島の人々の営みである.それを原発は根底から破壊する.
さて,先日,平成天皇パラオ島を訪れた.私自身は,天皇家の祖先がこの日本列島に渡ってくる以前からこの地で形成されたいた人間としての土台にあることごとを,いまこそ掘りかえしこれからに生かさなければならないという立場である.天皇に奪われた里のことわりを人々の手に取り戻せ,ということである.したがって,現天皇の行為もまた冷静かつ客観的に見ているのであるが,次の二つのブログには大いに教えられ,また大いに考えさせられた.
一つは,『アリの一言(「私の沖縄日記」改め)』さんの記事,『天皇皇后のパラオ訪問ー「戦争責任・謝罪」なき「追悼」』である.彼が言うように,

日本軍はパラオ住民の「安全に配慮」したが「犠牲者」が出たのは「痛ましい」と、まるで他人事のようです。しかし、パラオ住民が犠牲になったのは、戦争に巻き込まれたからにほかなりません。その戦争の最高責任者は誰だったのか。言うまでもなく、現天皇の父である昭和天皇です。…
天皇制による「皇民化」政策は、パラオの現地住民を「三等国民」とする露骨な差別支配を行なっていたのです。「沖縄・朝鮮人」が「二等国民」とされていたことも忘れることはできません。
今回の訪問で天皇・皇后はパラオの住民と「懇談」しました。しかし、現地住民の女性(83)は、「『私たちは一番下だから会えないんでしょう』と寂しそうにつぶやいた」(琉球新報、同)といいます。…
天皇・皇后のパラオ訪問が、まるで他人事のようになった根源は、実は出発前に天皇が行ったスピーチ(羽田空港)に表れていました。天皇はこう述べました。「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ人となった人たちが深く偲ばれます」耳を疑う発言です。

その通りである.まず昭和天皇の果たした役割を客観的に言わねばならない.戦死した人々は「祖国を守るべく戦地に赴いた」のではない.戦争にかり出されて死んだのである.日本軍国主義に殺されたのである.昭和天皇はどちらにいたのか.それは明白である.そのことぬきの慰霊などあり得ない.このブログでも言及されているが,パラオで犠牲になった日本人の多くは,沖縄出身の人々であった.そのことを伝える『海鳴りの島から』にある「パラオ諸島にある沖縄の塔」の記事である.

2010年の9月28日から10月2日にかけて、「パラオ現地慰霊祭」に参加する遺族の皆さんに同行させてもらい、パラオ諸島コロール島アンガウル島ペリリュー島で開かれた慰霊祭に参加した。上の4枚はペリリュー島で行われた慰霊祭の様子である。沖縄の塔に焼香し、沖縄から持ってきた泡盛やお菓子をうさぎて、遺族の皆さんがサンシンを奏で「かじゃでぃ風」と「恩納節」を歌った。…
島には日本軍の戦車や米軍の水陸両用装甲車、日本軍の司令部など戦争の跡があちこちに残っている。ぜひペリリュー島アンガウル島の戦闘を記録した戦記を読んでほしい。日米両軍の兵士たちがどのように死んでいったか、その実態を知れば、今さら天皇が島を訪れて述べた「お言葉」の虚しさが分かる。

この記事にもほんとうに心を動かされた.辺野古で闘っている人々には,平成天皇の行為が何とも偽善に映っただろう.その気持ちに共感する.さて,それに関してもう一人の保守の愛郷主義の人,小沢一郎氏が『ザ・ディプロマット』に寄稿した記事の全文が,日本一新の会メールマガジンで流れてきた.これは沖縄タイムスなどで一部が紹介されていた.「生活・小沢氏が米誌に辺野古新基地不要論」である.が全文の訳はこれが最初ではないかと思う.それで先日の翁長知事の発言とあわせて紹介する.ここまで言うのなら,小沢さんや旧生活の党の人たちは,山本太郎さんのようにもっと街頭に出てきて皆に直接語りかけなさいよ,といいたいところである.が.それはさておき,愛郷主義保守の人の発言として,至極まっとうである.
愛郷主義保守の人,翁長沖縄県知事,小沢「生活の党と山本太郎となかまたち」代表.他にもおられる.その人たちには,もっと明確にこうするべきだ,という意見も多い.私にもそれはある.『アリの一言(「私の沖縄日記」改め)』さんも,翁長知事が埋め立て取り消しをしないことを批判しておられる.「菅氏との会談から10日、翁長知事は何をしたのか」である.ただ,彼らは基本的に保守の人である.彼らを動かすこちらの力が弱ければ,いうだけになる.我が方の力が試されているととらえなければならない.それを踏まえて,小沢さんの寄稿文を紹介する.
小沢一郎『ザ・ディプロマット』に寄稿記事全文
安倍政権は米海兵隊普天間航空基地を沖縄県内の名護市辺野古に移設する動きの一環として、海底掘削調査を再開するのに、強引な手法に頼っている。海上保安庁は、地元住民の排除に行き過ぎた手荒な戦術を用いており、キャンプ・シュワブで働く警備員らが、移設に抗議する市民らを拘束する事例もあった。
安倍政権はこの重要な政治問題に対して、高圧的な政治戦術を繰り返し用いており、これは極めて危険である。人びとの意志を尊重し、民意にもとづく政治をすることが、民主主義の基本原則である。もちろん、世論が国民と国のために正しいことを示す最善の指標では必ずしもなく、政治家は時には国民と国のために多数意見に逆らって行動しなければならないかもしれない。これが議会制民主主義に付きものなのである。
したがって、政治家は常に多数派の支持する特定の行動をすべきであるとは断定できない。そうはいっても、安倍と彼の政権がこの件で用いる高圧的な手法が日本国民の利益にかなっているとはとてもいえない。施設を普天間から辺野古に無理矢理に移設しても、沖縄県民にも、国民全体にも利益にならない。だが、そうすることが日本と国民の評判に大きな汚点を残すだろう。
日本政府は、普天間から辺野古への施設の移転に問題があれば、日米関係に悪影響がおよぶだろうと主張している。私は、これは間違っていると信じている。もちろん、中国の軍事的拡張に関して米国が感じている留保は、日本と近隣諸国で共有されている。だからといって、この理由で、米軍の沖縄駐留が必要であるわけではない。
しかし、米国は目下、アジアだけでなく、ヨーロッパからも前線部隊を撤収させている。これは、米国が軍事戦略を、常時部隊駐留から有事に緊急即応部隊を動員する手法に転換したからである。沖縄に駐留していた海兵隊のグアムとその他への再配置は、この戦略の一環であり、日本、あるいは沖縄に配慮して無邪気に実行されているわけではない。
私は米国の軍事戦略の転換を考えると、辺野古普天間の代替施設を造ったり、滑走路を建設したりする必要があるとは信じない。だが、滑走路がほんとうに必要なら、沖縄でも本州でも代わりになるのに適した土地がある。したがって、安倍のふるまいがどんな形であれ、私は土地埋め立てと辺野古での工事の準備を強行することに賛同できない。
私はまた、在日米軍基地の74%を抱えている沖縄の住民の反対を踏みつぶして、辺野古の滑走路建設を強行して、米国の利益になるとも信じない。滑走路が軍事的に正当化されても、美しいサンゴが栄え、マナティと類縁の希少な海棲哺乳類ジュゴンの北限の自然生息地である澄み切った海を埋め立てる結果になるのに他ならない。われわれは力を尽くして、沖縄の貴重な自然環境を守るべきである。
それでも安倍政権が辺野古移設を実現すると意を決しているなら、まず地元の行政当局と万全な協議を尽くすべきである。沖縄県民によって正当に選出された県知事は首相との面会を要請している。単に見解が異なっているという理由で、安倍が面会を拒んでいるのは、常軌を逸して子どもじみている。道理をわきまえた議論ができるはずだとは考えにくくしているのは、総理大臣にふさわしくない言動であり、幼稚なふるまいなのだ。
仲井眞弘和・前知事が埋め立てを認可したかもしれないが、沖縄県民はその後の県知事選挙の結果をもって、この上なく明確な、「No」を計画に突きつけたのである。翁長雄志・現知事は、日本政府との議論を再開しようとしており、沖縄県民の意志にそって行動している。安倍が翁長とのかかわりを拒んでいるのは、民主的な政治手続きを否定している。
日本政府がいましなければならない義務は、まず沖縄の民意を聴きとることであり、そのうえで、問題解決のための議論を米国とはじめることである。こうした議論の結果、米軍が沖縄から撤退することになれば、日本自体が自国防衛の責任を担い、隙間を埋める方法を決めなければならない。安倍政権はこのような論争を避けたいと思い、単純に米国の要求にそうことを好んでいる。これもまた、政治手続きの放棄である。沖縄は戦略と地政学の両面で極めて重要である。米軍が撤退するのであれば、日本が負担を肩代わりする方法について、日本国民のすべてが真剣に考えるべきである。日本国民は、米国がやるべきことをやると当てにするのではなく、負担をわかちあい、責任を担うべきである。
私は、沖縄の駐留米軍を可能なかぎりの最小限に削減すべきであると信じている。日本が責任分担に取り組む強い決意を示せば、米国は議論に応じると私は信じている。私は、辺野古移設が計画どおりに実現しなければ、ただちに日米同盟に重大な影響がおよぶという意見にくみしない。それどころか、普天間基地の移設に関して、日本政府が高圧的な戦術をつづければ、反感と不信を招くだけであり、反対派を硬化させる。昔ながらの格言「急がばまわれ」は、この場合でも間違っていない。時間がかかるにしても、安倍は徹底的な議論を尽くすべきだ。無分別に突き進めば、失敗に終わるだけであり、日米関係におよぼす影響をさらに悪化させるだけである。首相と内閣はもっと誠実な手法を採るべきであり、もっと広範な視野に立って考えるべきである。