人間と土地,そして螢

 月曜日は京都で夜に授業がある.この時節,天気がよければ運動をかねて少し早めに家を出て,京都の街を歩くことにしている.先々週と先週,そして昨日の月曜日,京都駅の一つ手前のJR西大路駅で降り,小一時間歩いた.先々週は線路の北側,かつての母の実家のあたりを歩いた.その家は近郊農家のつくりそのものであったが,今はもうなく,昔からあった湯浅電気や日本新薬の工場が拡張されている.一帯は吉祥院新田とよばれ,京都近郊の農業地域であったが,もう田畑はほとんど残っていない.
 少し北に歩くと昔の鳥居と拝殿だけのの小さな神社がある.幼い頃このあたりを歩いたような記憶もある.2年前,吉祥院天満宮にも前にも書いたが,西大路駅から降りて線路沿いに西に向かって歩くと,父母に連れられて,母の実家に歩いた遠い日々の記憶がどこかにあって浮かんでくる.そこからガードを北に抜け,大きくまわって,それを反芻しながら西大路七条に出て,平清盛創建の若一神社に参り,歩くということは大事なことだ,心のあり方もかわる,などと思いながらさらに京都駅まで歩いた.
 そして先週と昨日は吉祥院天満宮に参った.写真上3枚は天満宮鳥居と道真生誕の地の石塔と,そして吉祥天女の堂.天満宮は,東海道線の南,西大路十条の西側にある.一昨年の六月,八月とここに来た.八月は吉祥院六齊を見るためだった.そしてあの年は秋になって入院した.それ以来の久しぶりの天満宮であった.ここに参って,境内に坐っていると,人間と土の結びつきを心の奥に感じ落ちつく.吉祥天女の堂もなにか懐かしい.
 人間と土地の関わりに関して,最近私の地元でも問題が起こっている.なんどもここに書いてきたが,夙川の西向こうに越木岩神社がある.地震の前に住んでいた所のとなりの町である.今年もどんど焼きに書いた.ここに載せている写真の巨岩がこの神社のご神体である.このような岩が,この六甲山系の麓にはたくさんあり,それらは古くから地の人らに拝まれてきた.この巨岩の向こう側に,ある女子短大の建物があった.大学は地元の人から土地を引き継いだとき,そこにもあった巨岩の言われも聞き,校舎を建てるのに,岩に配慮を払い,そこをよけて建ててきた.私も入ったことがあるが,校舎を歩くと,所々に大きな岩がそのまま目につく.そういう大学があった.
 ところが2008年のいわゆるリーマンショックのとき,この大学と中学高校を経営する学校法人が巨額の損失を出した.銀行が学校法人の土地を担保に資産の何倍ものカネを貸し,そしてそれが紙くずになった.その結果,この校舎も売りに出され,集合住宅が建つことになった.問題は土地の巨岩をどうするかである.建設する側はこれを動かしたり砕いたりしようとする.これに対し岩の保存運動がおこなわれている.それはいわくら学会越木岩神社の隣地に残る磐座の保存運動に詳しい.
先日この問題がテレビでも報道された.越木岩神社ブログにそのことが載っている.またいくつかのブログでもとりあげておられる.破壊されようとしている磐座 : 火(ホ)と「ニワ」と鍋釜越木岩神社の磐座群が破壊されようとしています。|jetのつぶやきなど.ネット署名もおこなわれている.その現在のまとめ.ネット署名はいくつかあるようだ.
 金融資本が,世間をあまり知らない経営者に金を貸し投企させ,失敗しても担保を取ってあるので銀行は損はせず,不動産会社などに土地を売る.そして宅地に開発し,戸建てや集合住宅にする.和裁学校のときから百三十年この地にあった学校が,消える.現代金融資本が何をしているかの典型的な事例が地元にある.この学校の中学・高校の校舎は今すんでいる地元にある.緑の多く残った校舎や学校敷地が遠からず住宅地に変わる.私の自治会はこの問題もかかえている.
 人間にとって土地の記憶は大切なものだ.このあたりは弥生時代から人間が暮らしてきた.巨岩を敬い生活してきた.その伝統の中に学校もあった.それを金融資本が根こそぎ奪い,岩を崩して集合住宅を建てる.その問題に直面して,何を大切にしなければならないのか,気づく.気づいたものが運動をはじめる.先日は若い人も夙川駅で保存を求める署名活動をしていた.
 土と人生,土地の記憶の大切さ,これを実感しそこに落ちつき生きる.ここに原発に反対する根拠もあるように思う.万物共生・原発廃炉は経済第一から人間第一への一大転換期を生きるわれわれの理念である.
 これを書いて夜夙川へ行った.ほんの50m程歩いたうちに,20匹以上の螢を見た.川岸に蛍の光が揺れるのは,やはり風情がある.多くの人が川をきれいにするために活動している.その成果である.このあたりに越してきた三〇年ほど前,夙川にはタイコウチがいた.ミズスマシもいた.シマゲンゴロウもいた.小さいころ宇治川にいた生き物である.小学校に上がる前後,宇治川縁の家に住んでいた.夜はこんな虫たちが飛んでくる.夙川でそれを見つけて嬉しかったが,上流に集合住宅ができたころ,水が濁りこれらの水生昆虫はいなくなった.それがまた少しずつ戻ってきている.ミズスマシが戻るまでには世代を継いだ取り組みが必要だ.それでも,失ったものを取り戻す取り組みは大切だ.現代とは,そういう時代,資本主義の中で失ったものを,一つ一つ取り戻してゆく時代なのだ.