金曜行動と希望

今日は少し忙しかった.午前中と午後,二人の市会議員と会った.地域にある三つの問題を資料とともに伝え,これからのことなどについて,意見を交換した.その内容はここでは省くが,結局は市行政がどのような立場ですすめられてゆくのかという問題である.地域あっての市政ではないかというこちらの考えについては,二人ともその通りだという人らであった.選挙も終わったので,これからの四年間,腰を据えてそれぞれの地域の問題に取り組んでほしい.
市議会のある建物で会ったのだが,それは市庁舎に隣接し,さらのその横に県立西宮病院がある.二年前の一〇月,ここで診断を受け,肺が真っ白ということで呼吸器内科のある市立病院を紹介され,そして結局入院となったのだった.県西病院に診察に来たとき,歩くのもゆっくしかできず,昼に食べたうどんも具しか食べられず,麺はすべて残した.そのことを思い出しながら同じ店に入る.今日は,とにかくうどんが全部食べられた.何とも不思議な感覚である.
それから家に戻り,いくつかの仕事を片付け,大阪に出向いた.軽く食事をして集会に加わった.日が長くなり,はじまったときはまだ本当に明るかった.川内原発の再稼働問題が現実化し,それへの怒りもこめて人々が集まる.いつもの友人の彼も地域の人と来ていた.また新しい人も来ていた.沖口之永良部島の火山が噴火して,それでも川内原発を再稼働するのか.日本列島弧はあきらかに火山の活動期に入っている.原発が動いていなくても何も困らなかったではないか.ここで廃炉を決めるのが人間の智慧である.
みなと声をあわせながら,この間の沖縄での動き,大阪で橋下をとおした向こうの策動を押しとどめた動き,いろんなところでの若い人らの新しい動き.それらを反芻しながら,日本列島弧のわれわれもようやくに新しい段階を開きつつあるのかとも思う.大阪の件では,老害だということを言う人もいるが,逆に私は老人の智慧が働いて,浪速の大阪市が残ったのだと思う.それにしても人間の原理が現実のものとなる道のなんと遠いことか.それでも人間はこうやって,そのときどきの課題に向きあい,代を重ねて成長してゆくのだ.等々考えながらの金曜であった.