六月の金曜行動

梅雨の時節となった.この湿気のなかのアジサイが好きである.小さいころの六月の雨の日の畳の冷たさの感触もよく覚えている.自分の小さな書斎も琉球風の正方形の畳をしいて,坐って仕事をする.昨今は誰でも畳を使わない部屋にいることが多いのであるが,やはり六月の畳は懐かしい.
さて,十二日の定例の金曜行動に参加してきた.この日は朝から自治会の役員会,戻ってその整理をして,それから問題づくりの仕事も少しして,これはアイデアが思い浮かんだときに入力しておかないと忘れるので,そういうときは必ず時間を割く.そして夕方になって出かけた.はじめ参加者はやや少なく,それでもようやくに50人くらいが集まってきていた.
終わりがけに,いつもの彼と話していたのだが,昨今の日本政治をとりまく状況は,いろんな人の努力と,こんな政治は放置できないという人々の思いが合わさって,ようやくに少しずつ動きはじめている.ここはがんばりどころなのだ.
ところで,金曜行動のことを,今日,日曜の昼に書いているのは,このところ土曜日に同窓会が続いていたり,いろいろすることが多く,気持ちがまとまらず,時間もとれなかったからである.
六月六日は京大数学教室の同窓会設立総会であった.行こうかどうしようかと思っていたのだが,Kさんが誘ってくれたこともあり,「生きているうちに行っといたら」とも言われたので出席した.F,Y,M,N,Tの各氏とそれこそ45年ぶりに再会した.理学部の中でもいちばん群れないのが数学科.それが他の学科ではなく数学科で同窓会ができたのは,やはり中心になってまとめる人がいたからである.言葉を交わした人らに青空学園数学科の名刺を渡してきた.数学が根づいた文化となるようにとやってきた.そのことは,やはり大事なことだと思う.昨年の二月に数理研に行ったとき以来の京大の北部構内であった.
そして昨日十三日は中学校の同窓会総会があった.この日は朝の10時から午後1時過ぎまで家の近くの知りあいのやっている塾で個別指導.12時に終わるつもりが熱中して時計を見たら1時を過ぎていた.それから戻って昼飯を食べて出かけた.
阪急四条河原町で下りて同窓会会場のある河原町丸太町まで歩こうと寺町通りを北に向かっていると,東の方からデモの声がする.河原町通りに出てみると,大きな長いデモの隊列に出会った.政府の進める「戦争立法」に反対する人々のデモである.デモも北に向かっていたので,同じ方向に歩道を歩きながら,同窓会の始まる4時まで少し時間があったので,横で応援してきた.市役所前が解散のデモであったが,先頭が来て,最後尾が来るまで三十分以上はかかっていた.われわれの世代が多いが,それでも若い人らも加わっている.京都の街で,観光客や若者で賑わう河原町をゆくデモを,通りがかった人も立ち止まってみている.
それから市役所の東向かいのホテルの会場に行き,総会とそして同期のものの集まる二次会に出てきた.三次会もあったのだが,こちらは今朝,地元の自治会のことで人が会いに来る約束があり,それには出ないで戻ってきた.前は2013年の二月に同期会があったのだが,そのとき来ていた中で,この二年半のうちに二人の人が亡くなっていた.合掌.
ちょうど私が器質化肺炎で入院していたころのことだろう.それを思うといろいろな感慨が駆けめぐった.大きな転換期のなかの,小さな一人一人の人生であるが,一人一人がまた歴史を作ってゆくことも確かなのだ.忙しくも,少し人生と歴史の深みを見た六月の上旬,入梅のころである.
追伸:今日日曜は渋谷で若者の「若者憲法集会&デモ」によるデモがあった.確かに時代は動いている.希望は失わない.