新しい時代の予感

今日の午後は大阪まで行ってきた.こちらは20日〆の問題づくりの原稿仕事があったのだが,昨日集中して校正し,明日朝もういちど精読して送信するところまでできた.それで3時半に大阪に出向く.台風が一つ過ぎた大阪は暑い.靱(うつぼ)公園を出発する,SADL(民主主義と生活を守る有志:Small Axe for Democracy and LifeSEALDs KANSAI(自由と民主主義のための学生緊急行動:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)の共催する「戦争法案」に反対する関西デモに参加する.
SADLとは大阪で,都構想に反対する運動をやってきた若い人たちの集団である.こんな若い人らが橋下市長の都構想に反対する運動をしてきたのは先週の扇町での集会まで知らなかった.都構想は,老人の世代の反対でつぶれたという人らがいるが,このように若い人らも反対してきたのだ.若者の運動とそれこそ老人の智慧があわさって都構想,大阪市解体構想は否定されたのだ.新自由主義の合理化をはね返したのである.
午後四時過ぎのうつぼ公園は,まだまだ暑く,湿気がすごい.多くの人が木陰にいるが,それでももう公園の中まで人であふれている.子供連れの一家で来たという人らも結構多い.われわれの世代と,まったく若い10代20代のもの,そしてそれぞれに子供を連れた世代.
こんな世の中は変えねばならないという思いは同じである.われわれからいえば,次の世代にこんな世を残してはならない,戦争の時代にしてはならないということであり,若者からいえば,自分らが人間としてまっとうに生きてゆける未来を自分らで切りひらくということである.それが一つになっている.
昨日の扇町公園の集会は,仕事と重なり行けなかったが,参加者は1万1000人とのことであった.昨日のは組織的な参加も多かったようだが,今日のデモはほとんど個人参加である.5時前にデモの先頭が公園を出始めた.それから半時間ほど経ってようやくわれわれが動きはじめ,それでもまだ半ば.おそらく参加者はここでも1万人近かっただろう.その後主催者発表8200人.Yahooニュースに動画あり
もう五年も前からいっしょに大阪駅前等で街宣をやってきた大阪宣言の会の人らも7〜8人きている.2010年の秋にはじめこてうつぼ公園からデモをした.あのときは小沢氏への不当な政治弾圧に反対するものであった.そして安倍が政権についてすぐ,「安倍退陣」「戦争反対」の幟などを作り,それを立てて,いつもそれこそ7〜8人で街宣をやってきた.山本太郎の行動を支持など参照.私も時間のとれるときは参加してきた.大阪駅前では,叫べども叫べども反応はもう一つというのがいつもであった.
その幟が,今日は本当に生き生きとしていた.このように多くの人の中にこれを持ち込めるとは,思ってもいなかったというのが,偽りのない気持ちである.2010年の秋から,アメリカに追随する政府のあり方に反対し,福島の核惨事以降は脱原発も訴えて,老人中心にみなでいっしょにやってきたのだが,ようやくに時代の新しい段階に出会ったという思いである.実際,われわれが街宣で言ってきたことを,それと同じことを若い人らが叫んでいる.安倍の戦争法案は結局アメリカのお先棒をやらされることなのだ.そうだ.
若い人らがわれわれの世代の運動をのりこえていった,そういうことだ.私は,昔の党派活動などの反省から,理論として,自分の言葉からの運動でなければならないと言ってきたが,こちらができていたわけではない.彼らがそれを生みだしはじめている.
御堂筋を南下する.多くの人が関心をもって見つめる.手を振る人もいるし,そのまま子供を自転車に乗せて加わる人もいる.ようやく難波の西にある公園について,そこで流れ解散.公園で,いつも関電前で一緒になる彼や,また関電前集会で顔なじみになった人,そして関電前行動を主催している人らにも出会う.大阪で,これまでの労働組合やその他の長い歴史のある組織からの動員ではなく,ひとりひとりの意志で集まる人々の運動が,出会いまとまりつつあるのを確認する.
主催者にカンパを渡し,そこから難波駅に向かって戻りはじめると,ようやくにSEALDs KANSAIの車とそれに続くデモがやってくる.トラックに乗った数人が音頭をとり,主張を叫ぶ.このリズムは新しい.このデモは確かにわれわれの時代のものとは違う.しかしいっていることは至極まっとうで,彼らに「九条を守れ!」といわれると,本当にわれわれは何をしてきたのかと思う.同時に,一方で新たなファシズムに向かう勢力があるなかで,今改めて九条の積極的で能動的な意味が若い人らにつかまれているのだという感慨もある.
それから難波駅前でもう一集団やってくる.最後の集団である.この集団の中にわれわれの「安倍退陣」の大きな幟がある.デモ行進のしんがりを勤めてきたのだ.最後までこれを担いできたいつもの彼,ご苦労さん.こういう形でこの幟に出会うとは思いもよらなかった.
時代は,新しい段階を迎えていることを実感する.「九条をまもれ」「戦争反対」「人間として生きる権利」などの主張は,90年代00年代,必ずしも多数とはいえなかった.基盤をもっていることは確信してきたが,それが表に形となって出てくることは少なかった.今も書店に行けば,排外主義的な雑誌や書物があふれている.
ファシズムはゆきづまった資本主義の最後のあがき,最後の段階である.ナチズムや日本軍国主義は後発の資本主義としてイギリスやアメリカに囲まれその枠内でゆきづまって現れた.今回の安倍ファシズムは資本主義そのものの終焉期に,3.11のショックドクトリンとして現れてきた.
ようやくこれに対抗する行動が広がり,ファシズムに反対する主張が現実の目に見える基盤をもちつつある.それでもまだまだ権力は向こうが握っている.経済から人間への大きな転換期のなかで,その転換を現実化してゆく営み,闘いは,すべてこれからである.人間とは,こうしてその時代の課題に向きあい,そこから逃げることなく,自分の目の前の問題に取り組む,そういう存在なのだ.そういう営みそれ自体の中に人間の輝きがある.