暑い夏の金曜行動

定例の金曜行動の日.大阪は暑い.さくら夙川駅JR東西線に乗り,新福島でおりて,いつもと道を変え,堂島の方へ歩いた.あみだ池筋なにわ筋を間違え,少し遠回りしたが,大阪キタの下町をとおっていった.現地に行くともうはじまっている.この暑い中,100人は集まっている.川内原発再稼働に反対する現地の取り組みにも心を寄せながら,声を合わせる.今日は,首都圏で金曜行動を主催している反原発連合からも人が来ていて,昔風に言えば連帯のあいさつをしてくれた.そして,声を合わせる先頭にも立ってくれた.「原発よりも福島守れ」「原発よりも被災者守れ」.これはこれまでの関西では聞いていなかったように思う.
関西からは,やはり福島は日頃の意識から遠い.いろいろこちらに避難してきている人と出会っている.それでも,関西で被災者は点在である.東京では,彼自身がホットスポットもある東京近郊の街に住んでいると言っていたように,足もとの問題である.スクールカウンセラーをしている妻が,2012年の2月から4月,支援で,福島市の小学校に週に1回1泊で通勤していたことがある.5,6回は通っていただろうか.こちらの学校にある問題と同じ問題が,福島の小学校でもある.しかし,やはり原発の問題がそれに重なり,問題が複雑になり,大きくなる.人々も表面は何もないよう生活しながら,しかし核の汚染は逃げようなく覆いかかる.その話しをいろいろ聞かされたのを思い起こしながら,東京から来た人の話を聞いていた.
それを,日本政府はないもないように押さえつけ,福島を済んだことにしてオリンピックをやろうとする.しかし,福島県は今も放射線管理区域に相当する線量のところに多くの人が住んでいる.東京の彼はそのことも話していた.放射線管理区域に相当する線量の放射能をばらまいたら犯罪である.しかし東電の経営者を起訴するだけでももう4年のも時間がかかった.このような今の日本政府の非人間性,それが原子力村の非人間性である.そしてそれが,安保村と重なる.かつての小沢氏の言葉を借りれば旧体制である.その旧体制が,アメリカの凋落にあわせて,ファシズムになってきた.日本政府は,凋落するアメリカを支えるために,戦争法をとおし,若者を経済的に兵隊に入るよりないように追い込む.ISとの戦争? ISはもともとアメリカが作ったものだ.冷戦が終わり平和がくると人々は期待した.が,平和となって困るのは戦争産業.そして今や優位性のある産業は兵器生産しかないアメリカという国家.そこで,イスラム原理主義をでっち上げ,9.11を,少なくとも知っていて防がず,原理主義との戦争状態を維持してきた.それがいまに至っている.それでも戦争をを続ける国は必ず衰退する.そこで最後に日本を巻き込もうとしてきたのだ.
安倍は先の訪米でそれを請け負った.なんとしても請け負ったことを果たそうとする.それを旧体制の官僚が一体となって遂行する.これがいまの日本だ.これらのことを見ぬいた若者がこの半年,一気に立ちあがった.今日も,SADL(民主主義と生活を守る有志:Small Axe for Democracy and Lifeは大阪で,SEALDs KANSAI(自由と民主主義のための学生緊急行動:Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)は神戸で,それぞれ街頭に出ている.そして,老人が多数のわれらが関電前行動.その他にもいろいろな駅前などで宣伝が行われている.今日も,途中のJRの駅で乗ってきた人が,熱心にチラシを読んでいる.「九条の会」と見えた.
これは日本歴史のなかで新しい段階である.しかしほんとうの困難はこれからである.ファシズムは追いつめられた資本主義の法則であり,これ以外に彼らに道はない.したがって,必ず戦争法を通し,未来志向と言いながら未来に戦争を隠して見すえる70年談話も出すだろう.この安倍政府を倒す.声をあげ立ちあがる.それが燎原の火のように広がる.安倍を倒し,それに変わった政府に,集団的自衛権閣議決定を取り消させ,戦争法を廃案にさせる.それはまたアメリカの産軍複合体と言うべき勢力からの抵抗と圧力との闘いにもなる.いずれにしても,議会の数の問題ではない.人間の譲れない原理を守るのかどうか,一人一人の生き方の問題である.立ちあがった若者も,自分の人生を見直すだろう.われわれもまた,来し方をふりかえり,歴史がいま何を考え,行動するように求めているのかを考える.それが世を動かす土台である.その土台のうえに,人間が使う組織のあり方を見いだしてゆかねばならない.いろいろ考える金曜だった.