戦争法案に反対する関西大行動

 戦争法案に反対する関西大行動に行ってきた.若い人らのいくつもの団体が共同でこれを主催した.7月19日のうつぼ公園での集会よりもさらに輪が広がっている.参加者も,前に集まったときよりずっと多く,主催者発表で2万人である.そしてこれらの人が,組織動員ではなくそれぞれ小さなグループや個人で参加してくる.これは大きなことである.写真のような先導車が8台でデモをした.台上では若者が音頭をとって,みながそれに声をあわせる.先頭から最後尾まで1時間以上かかるという,大がかりなデモであり,若い人の声が大阪の街に響く.
 知りあいたちが準備した「安倍退陣」の幟や「戦争反対」の幟は,前回の集会では,新しい時代の予感にあるように,会場内で掲げ,そのままデモに参加したのだが,今回は主催者から,持ち込みを断られたとのこと.7月はよかったのに今回はなぜだめなのか,議論しなかったの? しなかった.われわれには若い人らががんばっているのだから,と言う気持ちが先に立つのだ.今は闘いの一つの山場.それを受け入れたその判断は正しかったと思う.
 それでわれわれはデモには加わらず,先回りして御堂筋に陣取って,この幟を掲げてデモ行進を応援するということにした.この「安倍退陣」の幟を二つと「戦争反対」の幟を掲げ,デモする人に声をかける.なかなかいいですね,とかえしてくれる人も多い.写真を撮っていいですかと聞いてから前に並んで撮す人,デモのなかからレンズを向ける人も多く,応援としてよかった.またこうしてデモの先頭から最後尾まで応援して,大阪で互いに知っている幾人もの人と出会った.関電前行動の彼も地元の人らと来ていた.大きなデモでは,こういう参加の仕方もあるのだと学んだ次第である.
 それをふまえて,今後の課題として言えば,やはり集会やデモのなかでこれらの幟を掲げることは,できなければならない.それは次の原則が大切だと考えるからだ.
 大衆的な集会や様々の行動での組織的運営の原則:
 1) 行動の統一を守る.
 2) 思想・信条にもとづく活動の自由を認めあう.
 敵に対して,あるいは大衆行動において,行動の統一は絶対に守るべき原則である.行動の統一を乱す者は,退いてもらう.そのうえで,行動の統一が守られるかぎり,自己の思想・信条にもとづいてそれを表現することは自由であり,組合の旗も党派の旗もそのかぎりで自由である.そして内部における相互の批判もまた自由でなければならない.この原則は若い頃,職場の教員組合の委員長をして,学んだというか,身につけたことであるが,いまこそこれがわれわれの民主主義である,と思う.
 新しい運動は始まったばかりである.先は長いし困難な時代を迎えることもまちがいない.山形市長選挙は,ファシズムのもとでの選挙がどのようになるかを教えている.自民党の選挙のプロが三〇人以上活動し,なかから下から締め付けてゆく.戦争法反対のビラを貼った商店主には,客が来なくなるぞと脅しをかける.もっといろいろあったにちがいない.従来の利益誘導型選挙から,脅しをともなう選挙へ,変化したのではないか.ファシズムのもとでの選挙はすでに前回の衆院選で安倍たちがやったことだ.それはヒトラー選挙戦略?に書いた.衆院選に勝ったから安倍ファシズム,なのではなく,あの選挙自体がすでにファシズム選挙だった.そして今回,その地方版をやったのだ.
 俺たちがいうことを聞かせる番なのだ.その通りである.しかしその方法は試行錯誤である.内部の運動のあり方においても,敵に対峙する方法においても,それが言える.数そのものは力ではない.数を導いた質,その質における組織,これが力である.一つ一つの山場を闘い抜いて,そして経験を積みあげ,新しい組織のあり方を作ってゆく.その意味でも,やはり街頭行動は歴史の現場である.そんなことを痛感させられる日曜日であった.