闘いは続く,小出英訳もできた

 まず最初に,前に言っていた人民新聞による小出さんへのインタビュー11本の英訳ができた.
 Can Such a Thing Be, As a “Safe Nuclear Power Plant”?  The True Stories of “Fukushima”である.
 Wさんが中心になって訳された.本当にご苦労様です.2011年から14年にかけてのインタービューである.持続的に小出さんから聞き出してきた山田編集長に敬意を表したい.信頼関係がなければできないことであった.
 これを英訳したいというのは,一読者として私が言いはじめたのだが,こちらは英語はだめ.編集部が英語のできるボランティアを募ってやってくれた.それをもとにHTMLファイルを作った.このファイルも,細部はいろいろ修正がいると思うが,とにかく基本ができた.小出さんの語るのは,まさに「福島の本当の話」である.
 これを何とかトルコなどで日本の原発に反対して闘っている人に読んでもらいたい.ベトナムをはじめ日本が原発を輸出しようとしているところに届けたい.つてとネットのつながりをいろいろ試みているが,知りあいなどおられれば教えて欲しい.HTMLファイルで形を見直し,整ってきたらPDFファイルも作り,必要なら現地で印刷できるようにするつもりである.
 さて今日は,SEALDsが夕方6時半から大阪駅北の梅田で定例の強行採決に反対する梅田緊急街宣アピール,そして定例の関電前講義行動が7時からあった.
 それで,まず梅田のSEALDsの集会に参加,途中抜けて関電前に,そしてまた梅田に戻ることにした.時間が来て梅田ではじまる.ぎっしり人がいる.最初に話したのは立命大学の女子学生.いや,よかった.政治の問題としてではなく,人間の問題として語る.その立場から,だまし討ちをして可決するような政治を拒絶する.そのことを自分の将来の夢とあわせて語る.準備はしただろうが,うまい.もうしばらく聞いてから,地下鉄一駅で肥後橋で降り関電前にゆく.
 関電前は,いつもより少なく,40人くらいというところか.それでも元気に声をあわせる.これを主催している人らも,この間は戦争法に反対するいろんな行動に忙しかった.しかしまた,ここ関電前で行動することが,梅田や,国会前や,全国各地での行動と繋がっているし,実際このような反原発の行動の持続が新しい段階をきり拓いてきた.みなそのことを承知しているので,ここに集まれる数は少なくとも,何か自信をもってやっている.
 8時前に梅田に戻る.SEALDsの街宣の前を,それを応援するように,連帯ユニオン関西生コン支部コンクリートミキサー車などが,横断幕を掲げて通る.連帯ユニオン関西生コン支部は11日,戦争法案に反対してストライキをした.
 10台近い大型車がここを通る.関生は,労働組合としてほんとうに原則的にやってきた.今も組合機関紙「くさり」を毎月送ってくれるが,読むのが楽しみな数少ない機関紙である.そのようにやってきた関生労組こそ,若い人らが立ちあがったことを,心から歓迎しているのだ.連帯とはこういうことをいうのだということだ.
集会は,最後に,皆で大きく声をあわせて終わった.こういう怒りは体が覚えている.
 確かに,この日本の社会で,その基盤のところで,大きな変化が生まれている.人間原理が現実化するとはこういうことをいうのだ.いかに紆余曲折を経ても,歴史は到るべきところに至る.それともう一つ,今回の行動でいわゆる新左翼が完全に歴史の藻屑となったことである.私は,若い頃,共産党でもなく新左翼でもない途を模索してきた一人であるが,それでベ平連もやっていたし,徳田球一にもいろいろ学んだのだが,その途がこのように現実化するのをみると,まことに感慨深い.