今年最後の金曜行動

今日は今年最後の関電前金曜行動の日であった.午後は雨模様であったが,夕方にはあがり,風邪をひかないように厚着をして出かける.少し遅れていったのだが,多くの人が集まってきていた.川内原発が再稼働し,高浜原発については,12月24日,福井地裁が差し止めを命じた仮処分決定を取り消した.この半年,ここでこうして行動を積み重ねながら,同時に原発問題が安倍に代表されるファシズム政治を倒さないかぎり,同じことが繰り返されることもまたはっきりとしてきた.アベ政治を許さないというあの大きな行動を経て,それでもファシズム原発を再稼働し,トルコやインドに輸出しようともしている.これまでのこちらの行動をさらに大きく飛躍させなければ,これを止めることはできない.
実は,今日の行動は今年の最後であるとともに,TwitNoNukes大阪が呼びかける最後の定例行動でもある.主催者の考えは関電本店前抗議呼びかけを終了しますにある.そこに「原発をめぐる現在の情勢から、関電前で定例抗議を行うのは最優先の事項ではなくなった」とある.この関電前の行動を主催していた人たちのなかから,あの若者の運動の中心になる人も出てきた.反ファシズムの行動を始めた人も出た.彼らは,それぞれ仕事もしながらやってきた.力をもっと今の政治に対する行動に集中してふり向けたいということだろう.
はっきりしていることは,日本の社会の土台から,今の政治を変える力をさらに深く生みださないかぎり,原発は止まらない.上に言ったように,アベ政治は,あれだけ多くの人々の行動があったこの夏から秋をへて,再稼働をおこないまた福井地裁の判決を出したのだ.そしてトルコやインドなど同じような右派政権の国に原発を輸出しようとしている.さらに20ミリシーベルトのままに人々を帰還させようとしている.福島の20ミリシーベルト以上の避難地域に10万人を帰還させると何が起こるかの結びに「隠された静かな放射線ジェノサイドというほかない。」とあるように,ファシズムはかつても皆殺し政策をおこない,今また行おうとしているのかも知れない.
原発問題は一つの切り口であったが,この夏をへて,より大きく深い問題が表に出てきた.ファシズムに対する問題とともに,それと闘うわれわれ内部の問題もまた表に出てきた.「民主主義って何だ.これだ」という若者の叫びは,さらにわれわれ内部の民主主義とは何か,考えや行動形態の異なるものがどのように手をつなぐのか,という問題にまで至らなければならない.私は行動の統一・批判の自由をいっているのだが,これが今後の大きな課題である.これまでのスタイルをもちこまないことで新しい運動を作ろうということと,行動で統一できるものまでスタイルで排除すべきではないと言うことと,これをどのように現実に解決してゆくのか.見守りまた可能なところでは発言してゆきたい.
私は,2012年の7月からこの金曜行動に参加してきた.いろいろ考える場でもあった.皆と声をあげながら,数学の問題を考えていたことなど懐かしい.また人と出会う場でもあった.途中で半年の入院と療養があったのでよけいに感慨深い.肺炎の方は2年間再発することなく来ている.ここで元気をもらったと言えば言いすぎであるが,その面がないとはいえない.これからも,高校数学を教え,教育数学を勉強し研究し,青空学園に公表している一人間として,可能なかぎり街頭にも出,集会にも出,また必要なら裏方も手伝ってゆくつもりである.このような場を作ってきてくれたTwitNoNukes大阪の皆さんに心から感謝する.ゆっくり話したいと思いながらできなかった2,3の人に名刺を渡し戻ってきた次第である.