京都相国寺

昨日は年に一度,京都は相国寺の僧堂で,智勝会OBとして現役の智勝会員や雲水とともに座禅をする座禅会の日.午前中は地元で夏祭りの実行委員会があり,そこを少し早めに退席させてもらい,いそいで阪急に乗り,途中乗り換えて京都線烏丸駅まで行く.一度そこで地上に出る.祇園祭が近づいているが,鉾の組み立ては十日からということで,まだ提灯がでているだけであった.四条烏丸の辺りで,それを一通り見て,地下鉄に乗る.
それにしても京都の街は懐かしい.一つ一つの通りや建物に小さい頃からの思い出の歴史がつまっているからだろうか.歩いていても他の街とは皮膚感覚がまったく違う.自分の体の一部のような感じである.それから地下鉄今出川駅で降りて軽く昼食.御所の北側,同志社大学の間を通り,相国寺に行く.二時集合であった.
この座禅会のことはこれまでも書いてきた.2012年7月14日:相国寺僧堂2013年7月13日:夏の京都の一日2014年7月13日:京都の夏2015年7月11日:夏のはじめの金曜行動
と言うことで,もう5回目の座禅会であった.20人ほどが集まる.九十歳の上田閑照先生もお元気であった.まず読経と焼香,それから僧堂で坐を二柱.柱というのは線香のこと,これが一本燃える時間がおよそ三〇分である.これを二柱.それから僧堂の老師の提唱をうける.僧堂を出て一休み.皆で精進料理をいただき,老師が書かれた色紙をいただき,記念撮影のあと夜の七時に解散してきた.今年もらった色紙の言葉は「十方通貫 三界自在」であった.この言葉の境涯にはほど遠いが,いい言葉である.
見送ってくれた雲水さんにあいさつして僧堂を出ると,ちょうど鐘楼で鐘とともに四弘誓願文の読経がはじまっていた.しばし聞き入る.それから境内を抜け,四条烏丸から戻ってきた.
2012年に44年ぶりに僧堂に入ったとき,「お前はこの44年間どこを放浪していたのだ.僧堂は常にここにあったのだ」と言われているような気がした,と書いたが,それだけに毎年一度は,時間を作ってでも僧堂に行かなければと思う.このような在家のものの座禅会は,古くから京都や鎌倉の臨済宗の寺で行われてきたし,故郷の宇治にある曹洞宗興聖寺でも日曜日の座禅会が行われていた.父親は晩年,興聖寺の座禅会にかよっていたようだ.
座禅会はそれぞれにほんとうに長い歴史がある.日本列島に仏教が伝わり,その後,黄檗,曹洞,臨済禅宗が伝わり,その時代その時代にあわせながらそれ以来続いている.日常とは異なる長い歴史のなかの時間に身をおくことは,ほんとうに大切である.坐って最初は,こちらの数学の問題の解答の不備な点が浮かんだり,自治会の仕事の段取りが浮かんだり,また,今改訂している原稿の骨子が浮かんだりと,いろいろ浮かぶが,一通り出つくすと,少しは何もない時間が過ごせた.などなどいろいろ考えた次第である.合掌.