小学校の同窓会(三)

 今年は高校を出て50年ということもあってか同窓会が続いている.
 5月21日は中学の同窓会だった.この日は地元で抜けられない会議があり,昨年の同窓会総会で同期の人にもたくさん会っていたので欠席した.
 9月4日は高校の同窓会だった.これは出席した.10年ぶりの同期会で,最高裁長官の彼も来てくれていた.
 そして9月25日は小学校の同窓会だった.今年はさらに,11月19日に京大数学教室の同窓会だがこれは出られない.12月3日に理学部1組の同窓会がある.これには出るつもりだ.
 小学校ではクラス替えのない6年間で,同窓会といってもクラス会である.このクラス会は3年前にも,8年前にもあった.それぞれ,小学校の同窓会(二)小学校の同窓会に書いている.詳しいことは前回の記録に書いている.
 いろいろな同窓会だが,しかし小学校の同窓会がいちばん懐かしく,再会するとあっという間に卒業してから56年の月日を超えてしまう.5年,6年と担任してくれた先生が今年も来てくださった.先生は今年卒寿を迎えられた.その祝いを兼ねての同窓会であった.この間の雨で宇治川は増水し,中之島には渡れなかったが,その河沿いの店で皆で昼食をとった.前の同窓会があった年の秋に、こちらは肺炎で入院した.それがあるだけに,再会出来たことは感慨があった.
 会食の後,宇治川べりで喫茶店をしていて仕事でクラス会には来られない人の店にゆき,もういちど飲み直した.それにしても雨の後の宇治川はとりわけ美しい.しかし川もだいぶ変わってきた.昔,昭和27,8年の頃宇治川べりの家に住んでいた.洪水が出て家が水につかりそれもあって,その後引っ越したのだが,今でも川面のあの独特のにおいをよく覚えている.しかし川のにおいは最近は減ったという.岸が工事されて河原がなくなり,河原に続く水際の藻類が減ったのではないか.昔は,ゲンゴロウやその他の多くの虫が飛んできたいた.それはどうなのだろう.あの頃,川で釣りをするとギギという白身の魚がよくとれた.あれを塩焼きにしたいといつも思うのだが,その機会はまだない.ギギも減ってきたようだ.
 その小学校,莵道小学校,昔は1学年に45人学級が5クラスあった.それが今は35人に満たないクラスが2つ.全校生も400人に満たない.宇治は戦後周辺と合併して市になったが,旧の宇治町がこの小学校の校区.ここは今は老人が中心の街になっている.平等院の表参道の土産物屋なんかもよく知っているが,われわれの世代がやっている.観光客は増えた.伏見稲荷神社の稲荷駅宇治駅も同じJR奈良線なので,日本人より外から来た人の方が多いくらいである.本町通りも昔の地元のものが生活する街から観光客の街に変わっていている.これからどうなってゆくのだろう.等々話しながらひとときを過ごし,そして戻ってきた.