七草粥

 今日は七草粥の日であった.このあたりは,自然が比較的残っているとはいえ,もう七草は自生していない.それで詰め合わせを店で買う.そして,わが家は米は玄米しか食べないので,土鍋で玄米粥を作り,七草と餅と,こちらの好みで卵を落とし,紅ショウガを入れてポン酢で食べた.なかなかよろしいが,夜は授業もありこれだけ食べた(酒ぬきということである).
 こうして2017年もはじまってゆく.2016は32で割り切れたが,2017は素数である.素数表はここ.この前の素数は2011.地震の年であった.今年は人間世界のことでも,トランプの就任,フランス大統領選,そして日本政治である.世界で最初に資本主義の行きづまりに到った日本が,あの地震をショックドクトリン式に逆手に使われ,安倍政治を生みだしてきた.いつまでもこれを許しておくことはできない.今年世界は大きく動くだろう.いや,われわれが動かさなければならない.そして,天変地異はまったくわからない.いずれ南海トラフが動くことはまちがいない.
 こういう時代であるからこそ,一人一人は,一つ一つ着実にやってゆきたい.昨年は五月〜八月と雑誌に寄稿する原稿づくりに力を使った.数学に割く時間が余りとれなかった.3月にドイツのギーセンにある数学博物館で実験設備を見てこれはやらねばと思いながら,「最速降下曲線」ができたのは,ようやく11月末であった.それでもあの寄稿はやっておいてよかった.雑誌に書いたことで客観的に見なおせた.さらにあれを深めるのには少し時間がいる.もうすこしいろいろやってみてそして考えないと次が書けない.
 今年はまず,数学についてやり残していることをやってゆきたい.まだまだ書き残しておきたいことがいくつもある.2012年の「年のはじめに」で「ガロア理論入門は必ず着手する」と書きながら,5年経ってまだできていない.2011年の夏の「ガロア理論」に書いたようにポストニコフの『ガロアの理論』の後半は残された宿題のままだ.これを読み込み,まとめたい.教育数学についても,こちらの考えをもっと明確にして,青空学園に残せるようにしなければならない.三年前「言葉と数学は人間の条件」に書いた研究会の講究録はようやく今年出るようだ.賀状で彼は「次の集会があるようならまたしゃべってもらいたい」というが,喋るにはその中味がいる.実践先行でなければならない.
 難しくもいろいろ考えさせられる時代である.いや,これはいつの時代もそうで,人間とはそもそもそういうことであるのかも知れない.そして,地縁血縁と地縁を先に言って,土地での人間関係を大切にしなさいというのは先人の智慧であるが,実際,自分が今生活している地元の人間関係を大切にして,新しい時代の新しい地域のあり方を試行錯誤しながら,今年をやってゆきたい.これだけ書いて読みかえすと,そこからいろいろ考えることが出てくる.毎年こうして念頭の決意を書くのだが,そのままになることが多い.しかし残された時間は有限である.いつも受験前の生徒には「あせらず,あわてず,油断せず」を言うのだが,これを自分にも言わねばならない.