秋深まる

nankai2017-10-25

 こちらも台風の風が強かった.となりの町内との境にあり通学路にもなっている石段の横に生い茂っている木々の数本が倒れた.昨日今日と伐採の作業が行われているが,もう2,3日はかかりそうだ.そこが通行禁止なったので,駅まで歩く高校生達が家の前を通る.またこれもわが町内の学院跡地の整備が行われているところでも,何本かの木が倒れていた.ところで写真は台風の来る少し前に見つけたヤモリの子.今年生まれたのだろう.台風を予感してねぐらを探していたのかも知れない.
 選挙が終わった.こちらの選挙区でも,市民の集会などにも来ていた人が,一番に希望に移った.早々と小池と写ったポスターも貼りだしていた.小池の本性などはじめから分かっているのに,そんなに選挙に通りたいのかと,幾人かの呆れた声を聞いた.候補者が自民党の他に維新と希望と共産党に分散し,結局自民党が通った.日本会議系の品性の悪い人間が通る.こうして自民党が改選前と変わらぬ多数となった.希望に移った彼は政治人生を棒に振った.まだ若いのにもう誰も信用しないだろう.やりなおすならもういちど雑巾がけからはじめなければならない.
 しかし,数は力ではない.理念に裏づけられた確信と信念をもつものの行動の力が,結局はすべてを決める.世界中にあふれている,排外主義と極右民族主義は,この日本でも当分の間数を維持するだろう.オーストリアでもそういう潮流が第一党になった.ドイツでも国会が始まったが,さっそくせめぎ合いが続いている.このような状態を突破するのは,選挙ではない.行動である.こちらも体の続くかぎり,出て行くつもりだ.
 ようやく原稿ができた.8月25日に「ようやくできた」と書いたその原稿は,やはりまだ書き足りてなかった.世話になっている人がある出版社に渡してくれたが,1ヶ月半して不可の返事が来た.やはりあれでは分かりにくかったのだ.8月25日には<島崎藤村『夜明け前』の読解をさらに深め,藤村が幕末の志士の願いとして心を込めて描いた「古代の人に見るようなあの直ぐな心」「あのすなおな心」を,日本語の再読みこみを基礎に,現代において取り出し,これからの時代のいしずえとする.この日本近代が何であったのかを考える基礎的な作業である.>と書いているが,構成が分かりにくく,いくつかのところで書き切れていなかった.
 それがこの数日,いろいろひらめき,また整理することができた.この間のことを教訓にすると,まだまだ手を入れるだろうが,ようやく自分でも納得できるものがまとまってきた.11月にはある雑誌に8000字の短編評論が載るので,それができたころ,もういちど出版してくれるところを探すつもりである.