白幽子巌居之跡

 このところ,京都で授業のある日は早めに家を出て,京都を歩くことにしている.この歳になると歩くのがいちばんいい.歩いているときに思い浮かぶことごとは,書斎で机の前に坐ってるとき考えることと少し色合いが違う.それを言葉にしたいとそのときは思うのだが,なかなか難しい。
 昨日は,昔下宿していた左京区北白川のところから北の方向,比叡山とは峰続きにある瓜生山麓を歩いてきた.江戸時代中期の白隠禅師が,若い頃に病を得たとき,瓜生山の中腹の洞窟に住む仙人である白幽子から内観の法を教わり,回復したという.その白幽子がかつて住んでいたところに碑がある.そこまでいこうと思い立ったのである.
 午後二時半に,北白川仕伏町のバス停に着く.ここから東奥は比叡山への登山道の始点であるが,こちらは北の方へ山道を入ってゆく.まず,地龍大明神を祀った鳥居の前に来る.この大明神は,京都が平安京となるよりも前の時代から伝わるものである.古い碑や小さな地蔵様もある.この神社そのものは,言い伝えをもとに昭和四年にできたものである.ここまでは学生時代にもときどき散歩に来ていたところである.深い木立の山の中である
 さらにここを過ぎて山道を歩く.途中で京都北部が見渡せるところを通る.それからまた半時間ほど歩くと,白幽子の使った井戸の跡というものがあり,その近くに富岡鉄斎が一九〇六年に建てたという「白幽子巌居之跡」の碑があった.ようやくここにやってきた.汗を拭きシャツを替え,しばらくはそのあたりで休む.ここに来るのははじめてである.
 白隠は,このとき白幽子に教わったことを「夜船閑話」として書き残している.学生時代に,この「夜船閑話」と「遠羅天釜(おらてがま)」が一冊になった冊子を京都三条の仏書ばかりをおいている本屋で手に入れ,読んでいた.その冊子は今も本棚にある.「夜船閑話」に書かれていることは基本的に呼吸法である.私は,座禅の経験とあわせてこの気功を学び,少しは身につけてきた.最近はあまり実践していないが,四年前器質化肺炎になったとき,あのようにステロイド療法で炎症が治まったのも,今思えばこのおかげであるかも知れない.
 白幽子と白隠の故事は学生時代から心得ていたが,白幽子の住んでいた跡を探索するようなことはなかった.このたび白幽子の碑に参ったことは,「あなたが白隠禅師に伝えられたことを,こちらも学ばせていただき,今日まで来ました」という報告をしたようなものであった.
 それから山を降りて,昔の下宿も前を通る.古い昔の農家であるが,その家は今もあった.二階の右の部屋で三年過ごした.それから北白川天満宮の前を通り,銀閣寺前で市バスに乗って七条烏丸についたのがちょうど四時半,いい運動であった.
 三週間前は寺町通りを歩いた.二週間前の木曜日は,JRの桂川駅で降りて西大路駅まで歩いた.桂川が大きな川であることを改めて知り,西国街道を川に沿って歩き,そこから母の里になる吉祥院を通った.九条通りを少し下がって吉祥院天満宮に参りそれから西大路駅まで戻る,一時間半ほどの行程であった.先週は西野当院通りを南下して西本願寺を訪ねた.
 京都は私にとって自分の一部であるような感じである.他の町に降り立ったときとまったくその感じが異なる.今しばし歩けるうちはあちこちまわりたいと思っている.まだまだ写真もあるが,自分のための記録としての文章なので,ここに記しておく次第である.