2月の終わりに

nankai2018-02-24

今日は午後半日かけて味噌の仕込みをした.こちらは言われるとおりするだけなのだが,豆を炊いてつぶし,糀と塩に混ぜ,大きな瓶につけ込む.はいりきらず,小瓶いくつかにも入れた.豆は六升はあっただろうか.これを縁の下の物置に収めた.こうして半年寝かせると,実にうまい味噌となる.もう10年以上毎年この時期に仕込んでいる.この味噌の美味さを知れば,もう市販の味噌は食べられない.
それから,大阪梅田へ.第4土曜定例の梅田解放区である.地元の駅で知りあいに会った.「お仕事ですか」と聞かれた.「ええ少し」と答えた.これは私にとって,仕事の一環なのだと言ってから思った.梅田では20人くらいの人が,しばらくの時間を語り歌う.4月からは第2,第4土曜にやってゆくとのこと.それは園君のこのツイッターにもある.園君はこの日は東京であった.私は,かつては,毎週金曜日の関電前集会に行っていた.そこでもいろいろ考える良い機会であった.その金曜行動でかつて見かけた人にここでも会う.梅田解放区は,体力の問題と用事が重なるという問題はあるが,出来るときは行こうと思う.そして春からはこちらも喋ろうかと思う.
例年この時期は授業が少なく,その時間に青空学園の諸々を制作してきた.去年今年は2年生の授業が週1回はあり,今年の先週は,シンポジュウムなどいろいろあって時間がすぐに過ぎた.今週は比較的時間があった.『神道新論』の再校や表紙などその他のことで,出版社とやりとりしてきた.本がだんだんと形になってくるのは不思議なものである.このように一日いろいろ考えることができるのは久しぶりである.
この1年半ほどは,今回の『神道新論』にまとまってゆく寄稿文を考えたり,それらを一つにまとめはじめたりと,こちらの方にほとんど気持ちがいっていた.それはよかったし,今しかできないことをやってきたのだが,それが一区切り着いて,次の課題が形をとるまでの間『高校数学の方法』を読みなおしている.この1年半を経て青空学園数学科のものを見直すと,また少し違って見える.更新履歴を見ると,『高校数学の方法』は2009年 10.19にPDF版を7.2版にして以来手をつけていなかった.
それで久しぶりに少し書き加え,2回直したので7.4版とした.それは夏までにまとめる講究録の準備も兼ねているのであるが,今後『高校数学の方法』の一つとして,論述の力をつけるための,基礎的な考え方,実地の訓練などをつくってゆきたい.この分野は,日本の教育ではまったく手薄である.それがまた,先般のシンポジュウムの討論をふまえたこちらの仕事である.この枠組や段取りを考えはじめているところである.
青空学園をやってきて,もう18年だ.長い時間が経った.このあいだ,それぞれPDFのページ数をメモして合計したら,3300ページあった.これをすべていつでも公開している.そのなかで『高校数学の方法』は青空学園の高校生向けの著作として代表的なものであるが,2001年から2002年の頃この主な部分をつくっていた.これを50代にやっておいてよかった.今ならとても無理だろう.学校で習ったことの上に高校生が考え方を勉強する書物としては,原理的に言って『高校数学の方法』以上のものは有りえない.そして,『高校数学の方法』を増訂できたら,そこに書いたものをまとめ,もう少し高い立場からこれを深め,シンポジュウムの講究録をつくりたい.
これは先のシンポジュウムでも話したのだが,4月から全国の小学校で「道徳」が,成績が評価される「教科」となる.アベ政治が道徳を教科にした.もっとも非道徳的なアベがしたのだ.これでまた不登校生が増える.道徳の時間に手を挙げてハイハイと答える生徒が,休み時間に誰かをいじっている.まわりもそれをはやしている.社会の縮図,アベ政治の縮図だ.何をやっているのだと,意識化できればまだしも,その前に体が拒絶し,朝起きられなくなる.要因は千差万別だが,不登校は学校と世のあり方への,体をはった抗議なのだ.不登校の子は皆まじめだ.
40年ほど前に教えた子らのクラス会にゆく.「僕らは勉強は苦手だったが,不登校生はいなかった.いつからこんなになったのか」と聞かれる.長期に欠席する生徒は,戦後政治の総決算をかかげた中曽根行革の数年後,90年代から増えてゆく.いわゆる格差を拡大した小泉改革を経て,人を金儲けの資源としか見ない新自由主義が世にゆきわたったアベ政治の2015年,病気を理由とせずに30日以上欠席した小中学生は,全国で125,000人を超えた.アベ政治は,実は学校もこのように変えてきてしまったのだ.
ではこの5年のアベ政治は,アベという個別の政治家のそのゆえに起こったことなのか.そうではない.いま日本政治に起こり続いているこの政治は,決してアベという政治家個人の問題ではない.資本主義が行きづまり,終焉に向かわざるを得ないというこの土台を,経済成長を前提とする既成の枠組で何とかしようとするかぎり,アベ政治は出てくる.経済第一でゆくかぎりアベ政治は必然である.経済から人を第一とする世に転換してゆかないかぎり,次は見えてこない.
人と人がつながるさまざまの取り組みをしているものたちが,自覚的につながってゆくことが始まりだ.『神道新論』もそのためにと書いた.この時代を超える新しい人が生まれてゆかねばならない.青空学園日本語科でやってきたのは,そのための基礎作業であった.古来より今に伝わる神道には次の時代をひらくその智慧が秘められている.『神道新論』はそれを日本語の基層から取り出すものである.経済第一の世に代わる世を様々のところで準備し,それがつながらなければならないところにきている.2月の終わりの時期に,それをつくづくと思う.