歴史は動く

先週の21日の土曜は地元の自治会総会.それも終わり,25日の水曜日は山田人民新聞編集の公判.ようやく昨夜は定例の梅田での行動の日.夕方6時から7時半まで,道ゆく人に語りかけてきた.この一週間,宮古島石垣島に行っていた人,辺野古に行っていた人がそれぞれいて,その話もしていた.大手新聞に載ることない現地の様子である.近く人民新聞には載せるだろう.
もう40年前になるが,兵庫県では解放教育運動が一定の広がりをもっていた.その時代に研究集会などで顔を知っている人が,25日に人民新聞編集長の公判の傍聴でも会ったばかりだったが,その彼もやってきた.今も伊丹や尼崎で識字学級を続けているそうだ.こちらは不登校の子の居場所づくりをやっていることなどを話した.われわれの原点は,68年の学生運動と言うよりは,その後の,解放教育運動や部落解放運動で学んだことごとであるとつくづく思う.
一昨日は,板門店で南北首脳会談が行われた.実はこの方向はもう相当前から裏では進んでいた.共産党志位和夫委員長が

南北首脳会談での「板門店宣言」をもたらした力の一つは,韓国で起こった「キャンドル革命」だと思う.昨年9月,文大統領は国連総会演説で,「韓国の新政府はキャンドル革命が作った政府」とのべ,北朝鮮に対話と平和をよびかけた.称賛すべき外交的イニシアチブの根本には民主革命の力があったのだ.

言っている.その通りである.南北の対話への動きは,昨年秋の韓国は文在寅政権発足からはじまっていたのである.
ところがアベ政権は,昨年12月19日に,地上配備型の新たな迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入を決定している.導入には2基合計で最低2000億円かかり,運用開始は今から5年以上先になる.2017年度補正予算案に,調達先である米国に支払う技術支援費を盛り込んでいる.その一方で,アベ政権は社会保障費を1000億円削減している.社会保障を削り,教育費の公的負担を削り,労働者をただ働きさせ,その金をすべてアメリカの軍需産業に貢ぐ.これがアベ政府の実態である.
南北の分断は,日本による植民地支配と戦後の冷戦期の戦争の結果である.南北朝鮮はそれを自力で乗りこえようとしている.植民地支配下での抵抗闘争,戦後は例えば光州蜂起,そしてその上に「キャンドル革命」と文政権の成立,これを経ての南北対話.これは実に大きなことであり,歴史を一歩も二歩も前に進める.トランプアメリカ大統領も,客観的には,世界の警察国としての覇権帝国主義国から,アメリカのアメリカに立ち戻そうとしている.それで,文大統領の指導性に乗った.そして独りアベ政権のみがまったくの蚊帳の外であった.
アメリカは南北対話の進展をふまえ,韓国駐留軍を削減してゆくだろう.沖縄駐留の海兵隊も引き上げる方向である.それを必死に引き留めようとして,辺野古に巨大な基地を建設しているのが,外務省や自衛隊に主導されたアメリカの悪代官達であり,それに操られたアベ政府である.
どうして日本政治はここまで劣化したのか.最低限の道理さえ失われた.これを,われわれ自身の問題として考える.今年は明治維新から150年である.この150年,日本は西洋国家の制度を見よう見まねで取り入れてきた.憲法立憲主義三権分立基本的人権,….しかしどれ一つとして,韓国の人々のように自らの闘いで勝ち取ったということはなく,上から外から与えられたままであった.足が地につかず,諸制度は根なし草のままであった.この近代のあり方に根本の問題がある.
この根なし草近代を逆手にとって,そしてまた,かの戦争から教訓を引き出すことなく,福島の核惨事から教訓を引き出すことなく,逆にそれらを逆手にとって,メディアを支配し,福島の核惨事をショックドクトリンとして民主党から政権を奪い,今日に続くのがアベ政治である.行きつくところまで行かなければならないのか.それはしかし余りに犠牲が大きい.最悪に備えつつ,最善を尽くさねばならない.
現代の普遍の問題は,資本主義がもはや拡大の余地がなく,終焉をむかえているということである.そして朝鮮半島の南北対話は,それをふまえて次の時代を開くものである.中国もロシアも,帝国アメリカの衰退を見通して動いている.ドイツもそうである.その一方で,非西洋で最初に近代資本主義の世となったこの日本は,底の浅い根なし草の近代のままに,この終焉期を最初にむかえている.そしてこの先,帝国アメリカの没落期にすべての資産を吸い取られ,没落してゆく.歴史をたどればよくあることだが,それがこの日本においてこれからの十年のうちに起こってゆく.ここで人はどうするのかである.ある意味ではほんとうに問われるのは,これからである.
私は拙著『神道新論』の最終節で,
根のある地についた変革の思想を育てよ。東電核惨事は、やはり、もういちど人が日本語で生きることができる場を耕すことを求めている。この道を行くしかない。/協働の営みのなかで、ものと言葉を大切にし、温かなつながりを生みだそう。隣人同僚、山河草木、助けあって生きよう。そのところにこそ固有の言葉は育つ。日本語のことわりに根ざした思想を鍛え、新しい生き様を育てよう。
と書いた.これは,このように一度は没落し,国破れて山河もなしというところから,長い歴史をふまえて再生してゆこうとするわれわれの生き様を見越したものであった.新しい時代は,それを担う者が育たないかぎり,現実にはならない.その人の内実を作ることに,少しではあるが寄与することを願ってこの本を書いた.前を通り過ぎる若者立ちの群れを見ながら,私の言葉は彼らに届くのだろうかと,そんなことを考えていた次第である.写真は書斎の前の道を隔てた向かいにある竹藪のその境の金網越に咲いたツルニチソウ.