2018憲法集会

 昨日は,戦後憲法施行の1947年5月3日から71年目の日.こちらは神戸で夜の授業がある日.それで「戦争させない、9条壊すな!兵庫憲法集会」に参加した.大阪でもいろいろ集会があったようだ.うつぼ公園集合では若い人らによる自由と尊厳の祝祭があり,また北区の扇町公園では安倍9条改憲許さない!5.3おおさか総がかり集会があった.これらにも行きたかったのだが.
 神戸集会の会場は三宮東遊園地である.この辺りは公園の緑が深く落ちついた場所である.会場に行くと,先日土曜日に梅田であったばかりの元教員の彼がビラを配っている.「よく会うねえ」「こんな時代だからねえ」と挨拶して通り過ぎる.しばらくすると,昔の高校の同僚教員だったY中さんが声をかけてくれた.彼は今は西播の方で農業しているが,毎週木曜日は神戸に戻り,三宮でビラまきなどしている.今日はビラ配りの仲間と皆でこちらに来たとのことであった.農作業で腰を痛めたので,今日は集会だけとのこと.顔を会わすのは2年ぶりくらいかも知れない.
 午後2時から集会がはじまる.高石ともやさんの歌,講談師・神田香織さんの話しと続いていた.神田さんはいわき市出身である.「あの佐川氏もいわき市の人.最近は彼の方が有名ですが」と笑わせながら話を始める.最後は,福島の津波のとき,原発事故がなければ救われた人が1000人以上いたことを,いろんな人の言葉も伝えながら語っていた.参加者は主催者発表で9000人であった.昨年も来た人の話では、今年の方がずいぶん多いという.こういう情勢だからやむにやまれぬ気持ちで来た人も多いだろうと,相づちを打つ.こちらは後で仕事でデモにはいけないので,3時からはじまったデモの出発を見送り,4時前まで東遊園地にいた.
 5月3日のこの神戸での集会は2年前の2016年にも参加している.そのときのことは「兵庫憲法集会」に書いている.あのときは戦争法反対の最中で,参加者は11000人であった.もうあれから2年経ったのだ.あのときあの集会に誘ってくれた尼崎のHさんは,もういない.仲間の尼崎は東園田の人らの幟はあった.よけいにHさんへの思いが深くなる.
 2年前,戦争法に反対の運動は大きなうねりとなっていた.しかしまだ森友学園問題も加計学園問題も表には出ていなかった.近畿財務局が小学校の開設を計画した学校法人森友学園に当該国有地を随意契約で売却したのが,2016年6月.豊中市議の木村真さんは,同年9月に近畿財務局に売却価格の情報公開法による開示請求を求めたが,近畿財務局は非開示とした.これを不服として,2017年2月8日,国に対して決定の取り消しを求め大阪地方裁判所に提訴した.それでようやく毎日新聞朝日新聞が取りあげ,アベ政治による国家の私物化が表に出てきたのである.木村議員やその先輩の一村元議員らの粘り強い取り組みがなければ,あのまま闇の中であったかも知れない.
 ところで,西日本新聞のデスク日記で5月3日「今から5年前」という記事が載った.安倍晋三政権の政府高官が番記者たちに「極端なことを言うと,われわれは選挙で『戦争したっていい』と信任されたわけだからね.安全保障の問題とか,時の政権にある程度任せてもらわないと前に進めない」と語っていたというのである.こういうことはまだまだるあるのだろう.そう考えていたら,昨日は,希望の党中山成彬が「安倍さんの下で改憲し、日本を戦争のできる国にしよう」と講演している.朝日新聞
 アベ政権とはこういう人らが権力を握った政権なのだ.根なし草の浮ついた排外主義と差別主義,そして法や世の規範を顧みない傲慢な非人間性.これらはまさに,近代日本の行きついた果てなのだ.それを隠して隠してやってきたのだが,とうとうここに来てその本質が表に出てきた.それにしても,ここまでくるかと思ってしまう.非西洋で最初に近代化をした日本が,その果てにこのような無残な事態に立ち至った.西洋近代そのもののなれの果ての帝国アメリカに,ひたすら従属することで生存を可能にしてきたこの近代日本の支配体制が生み出したこの現実.これはまさに世界史的な大きな問題である.
 しかし,この先どうなるのか.まず,間違いなく起こるのは,2007年のいわゆるリーマンショック以上の経済崩壊である.年金資金など国民の金融財産をつぎ込んで経済崩壊をくい止めてきたアベノミクスであるが,いよいよその余裕がなくなってきた.リーマンショックとは逆に,今度は日本が先に崩壊し,それからアメリカが崩れるかも知れない.それでも支配者は国民に犠牲を強いて,ここを過ごそうとするだろう.しかしそれも最早無理である.日刊ゲンダイなども「そろそろ国民は覚悟が必要 アベノミクス後の日本経済」のような記事を配信しているが,アベ政治を終わらせるということは,ごまかし糊塗してきた粉飾経済から現実に戻るということでもあり,厳しい事態を引きうけるということでなければならない.
 かつて,自民党前尾繁三郎は死の五日前(1981年7月18日)の講演で「経済が低成長時代にならざるを得ない時代にどうするかの認識と、いかなる対策を採るべきかを,いろんなところで提言しているのに,指導者たちにその認識ができていない」と言い残し他界した.その後の政治はこの遺言を守るどころか,逆に政府も経団連軍需産業で利益を出そうとしてきた.先の戦争法も,仕上げとしての改憲も,そのためである.この道はしかし,破局に通じている.
 そのとき,人々のたがいの助け合いや,生きづらさをかかえたもののつながりや,産地と使うものを結ぶ市場に依らない経済とか,自立した労働者の職場支配とか,かつてアルゼンチンでおこなわれたアサンブレアといわれる職場や地域の評議会,このような様々の取り組みが,拡がるかも知れない.そうしないとやってゆけない.
 そしてそのとき,こちらがやってきたことはこの歴史の求めに応じ得ているのか.私は,いずれこのような近代の破綻とそこからの再生のときは来るものと考え,そのとき人が立ちあがってゆくために,近代が塗り込めてしまった日本語の本来の力を取り戻すことが必要不可欠と考え,この20年そのための基礎作業として,青空学園日本語科で日本語の再定義を重ねてきた.これを理解する人は多くはない.そして一定の段階に至ったので,はじめてそれをもとに考える道筋を書物にした.それが拙著『神道新論』である.一人でできることなど小さい.いろいろな人と語りあいたいと考えている.そして,これからの激動の時代に,少しは意味のあることをし置かなければと思った.いろいろ考えさせられる集会であった.最後の写真は市役所前から東遊園地への道.