季節の変わり,世の変わり

 いつの間にか春の兆しである.わが家のハクモクレンも満開である.春の花ではハクモクレンがいちばんに花を開く.それから花海棠,そして桜へと順に花が咲いてゆく.
 こちらの出かけ仕事も学校の閉鎖にあわせて休みである.それで地元自治会の仕事の他は,もっぱら自宅で問題を作り解答解説を書いたり,また今年の入試問題を解いて青空学園に出したり,そして書きかけの原稿に手を入れたりと,もっぱら書斎での原稿仕事である.

 季節の変わり目にあわせるかのように,アベ政治が行きつくところまできた.一年前、ある雑誌に寄稿した「分水嶺にある近代日本」で,アベ政治について「ここまで酷いことは、歴史上はじめてである。一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる」と書いた.それから一年経ち,いままさに,上から下まで堕落した支配政治の下で,犠牲が広がっている.
 コロナウイルスに対してアベ政治は一月にはすべきであった水際作戦を放棄した.そしてこのように深刻になるまでPCR検査を民間にさせなかった.それは,穏便にという中国政府からの圧力と,なによりオリンピックを開催するためであった.
 オリンピックは「1%による1%のための大会」にも書いたように,西洋世界から見てもすでに歴史的な役割を終えている.コロナウイルスの蔓延は,オリンピックがもう意味ないのもであることを教える天の声である.日本の歴史では,こういう大きな転換のときに,それを教えるような天変地異や疫病の蔓延がくりかえされてきた.
 このコロナウイルスによる疫病は,アベ政治によっていっそう悪質になった.台湾の様にやっていれば封じ込めることもできたのに,もう行くところまで行くしかない段階になっている.「アベノウイルス」とも言われているようだが,まったくその通りである.
 全国一律にする必要などない学校閉鎖を,政権のやってる感の演出に打ち出し,大きな混乱を引き起こしている.教育はそれぞれの地方の教育員会の管轄下にある.これを全国統制しようとした.それどころか,この疫病を逆手にとって、緊急事態宣言というファシズム政治と,そして改憲まで狙っている.福島の地震と核惨事を逆手にとったショックドクトリンとおなじことを,コロナウイルス蔓延を逆手にとってもういちどここでやろうとしている.これがアベ政治である.

 それはやめさせねばならないし,アベ政治は今こそ終わらせなければ,犠牲が広がるばかりである.いまこそこの世のあり方を変えねばならない.その意思表示と政権打倒へ一歩前進ということで,昨日8日午後,緊急の梅田解放区があった.急な呼びかけであったが,40人近い人が集まり,それぞれに喋って歌ってとやってきた.はじめて見る人もいればいつも顔をあわす人もいる.アベ政治のあまりの酷さが人々を動かしている.

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 私はいつも横断幕のをもつのに徹することにしている.そして若者が喋るのを聴く.このように東梅田の多くの人の通る中で語ることは,今の日本ではとりわけ重要だ.私にとっては,ここに立って思い考えることが,新しい糸口を見つけたり書いている文章の改訂ヵ所に気づくなど,得るところが多いのだ.この日も表題の改訂がはっきりした.

 アベ政治は、安倍個人の問題ではない.近代日本の成れの果てが,新自由主義の時代にこのように具体的に現れてきたのだ.だから,アベを換えればよいのではない.
 社会主義陣営の崩壊以降,資本の論理そのままに動いてきたいわゆる新自由主義も,この疫病を契機に大きく落ちこむ.資本の側は労働者へのしわ寄せでそれを超えようとする.それでますます売れなくなる.新自由主義の落ち込みと停滞は歴史の必然でありる.経済第一でゆくことが最早できない段階に至っているのだ.
 アベ政治は,今必死に年金資金を用いて株を買い支えている.これまでも,アベノミクスのみかけを作るためにどれだけの年金資金を使ったのか.このまま株が下がり続ければ,年金破綻は現実である.
 このようなときこそ,われわれはこれを契機にして,新自由主義の政治と経済を変革し、こうして思いを同じくするものが街頭で出会い,生活の場では生産者と消費者が直接につながり,それぞれのところで,人として互いに敬い尊厳を認めあってゆく.それを土台にする新しい世を生みだしてゆかねばならない.みなの喋るの聴きながらそう思った.

 今週は11日の関電本社前集会や14日の定例の梅田解放区も参加できそうだ.