春が遅い

 春分から10日であるが,今年の関西の春は遅い.昨夕は定例の梅田解放区であった.大阪梅田北の中津の豊崎西公園に集まり,集会のあと梅田までデモした.梅田もいつもより人の通りは少ないが,それでも多くの若者が歩く.車道の半分をデモで占めて歩き訴える.今回もこちらは横断幕をもつの手伝ったので,デモの写真はない.
 豊中で森友問題を追及してきた人の言葉が重く,切実であった.2017年秋の段階ですべてはわかっていた.なぜ日本では怒りが起こらないのか.韓国やフランスのように人々の怒りが動きになれば,2017年の秋に安倍は退陣させられていた.
 実際,「宵山の日の参禅」にも書いたように,韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が,ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし,大統領弾劾が成立して罷免した.安倍のしてきたことは,あのときの朴槿恵大統領よりはるかに悪質である.刑法から見ても,人としても,はるかに悪質である.「人でなし」とはまさに安倍ととりまき連中のことである.
 デモを終え,今日は雨だったので,向かいのガード下に集まる.梅田のいつものところに集まって道ゆく人らに語りかける.森友問題を追及してきた人はここでも通りがかる若者に呼びかける.およそ50人は集まっていただろうか.
 園君たちは31日は11時から18時に大阪市役所前で座り込みもする.

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 さて,先日も書いたのだが,再び言わねばならない.

 こうして今日の日本は、国際資本の収奪に国家と国民を完全にゆだね、すべてをそこに捧げる政治体制となっている。これを「アベ政治」と言う。ここまで酷いことは、歴史上はじめてである。一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる。

 今その犠牲が広がっている.この果てがどのようになるのか,まだ見えない.しかし,資本主義の終焉期に起こった一つの歴史段階であることはまちがいない.社会主義崩壊後のこの四半世紀,新自由主義が野放図に世界を支配してきた.2020年初頭にはじまる,新型コロナウイルスという疫病の世界的な流行は,新自由主義段階の資本の放埒な世界支配が限界に至っていることを教える.世界は新たな恐慌に陥ろうとしている.
 疫病の流行そのものは,今後もまた出てくる.資源開発,人口の増加,航空機の発達,経済活動の増加など動物居住地域と人との接触機会がますます高まり,新しい疫病が現れる可能性は高くなる.このコロナウイルスは,新自由主義の下に公的医療体制を破壊してきたイタリアやフランス,そしてアメリカで大きく拡大している.さらにまた,南米やインド,アフリカにも広がっている.99%の人々を誰一人取り残さない医療,これに転換してゆかなければ,ウイルスの拡散そのものを抑えることはできない.
 地球温暖化の防止,核兵器の根絶と同じく,疫病対策は極めて重要である.このいずれの課題も,資本の放埒さをそのままにして解決することはありえない.そのこと自体が,資本主義が終焉期にあることを示している.利益を貪ってきた多国籍企業の弱肉強食のやり方ではどうにもならないところに来ている.

 そのなかでも日本は実はいちばん酷いことになる.この疫病の蔓延を受けてアメリカの株が大きく落ちこんでいる.ところが日本の株は落ちこまない.それは政府が年金基金などを元手に株を買い支えているからである.日銀ETFの爆買いである.この数年,アベノミクスがうまくいっているように見せかけるため,この株の下支えがおこなわれてきた.今株が大きく下がれば,アベノミクスの損失があからさまになる.政府の株買い支えがなければ株価は1万5000円がいいところだといわれている.それをごまかすために買い支えてきた.ここで下がれば損失が露わになる.それで一時しのぎばかり続け,今も必至に買い支えている.
 しかしそれには限りがある.このまま行けば含み損は拡大し,いずれ年金の基金はなくなることが現実になる.それは必至である.いまの50代が退職するころ,日本の年金は解体している.
 あのトランプでさえ2400兆円もの経済対策を行う.アベ政治は口先だけで,ほとんど何も具体化していない.いまは,まさに,堕ちるところまで堕ちる過程であるのかも知れない.このままでは米騒動は必至である.いやそれが必要なのだ.

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 疫病の蔓延は大きな犠牲を払いながら,時代を動かしてきた.スペインかぜ(インフルエンザ)は1918~20年,第1次世界大戦のころにあったが,1億人以上が死亡した.そしてそれはロシア革命後の労働運動と革命運動の高揚をもたらした.欧州のペストの流行は,1347年~にあった.当時の世界の人口4億5000万人のうち約1億人が死亡したが,封建領主の弱体化と絶対主義王制への転換をもたらし,そこに生まれた商業主義が資本主義を準備した.東洋では,元王朝下の中国でのペストが流行し,その混乱と群雄割拠の段階を経て元が滅び明朝となった.そして日本の幕末,1858年(安政5年)のコレラである.封建制の崩壊と明治維新を準備した.平安時代の終わりころにも疫病の蔓延があり,それが武士の世を準備した.
 今回のコロナウイルスの拡大が,どのような変革とつながるのかはわからないが,人びとの命と環境を守ることを第一とする世のあり方に転換してゆかねばならないことを教えている.経済を第一とすることから,人を第一とすることへの転換である.しかしまた,そんな世は闘いなくしては生まれない.

 私は,このような時代の転換において,そこに生きる人のことわりを少しでも書きおきたいと前著をまとめた.そしていま,このような時代にあることが現実として現れてきた.拙著の次の展開のために,これまで書きためたものを再構成しているが,しかし時代の動きと思想の展開は一体である.資本主義の終焉期に,次の時代の扉をどのようにひらくのか,この問題に対する基本的な問いの枠組みを明確にすること,これが課題である.
 このような問題は,普遍性ある一般論と,現実のそれぞれの課題のあり方をふまえた固有の論が必要である.そしてその固有性が普遍の場にあることまでを明確にしなければならない.ここに書くことで,課題を見直しながらやっている.どこまでゆけるかはわからない.このような時代になった.いつも受験生にいっている言葉であるが,あせらず,あわてず,油断せず,で考えてゆきたい.

 29日からは授業である.この1ヶ月は授業はなく,仕事は書斎仕事,つまりは問題づくりで,これは今風にいえばメールワークであった.今夜から4日は授業である.桜は咲いていても五分である.写真は,野坂昭如の『火垂るの墓』に出てくるニテコ池から甲山を望む.ときどき犬を連れて歩く散歩道である.前に書いた大池から1Kmほど南で,それだけ甲山が小さく見えている.