春の盛りに

 今日は定例の梅田解放区の日であるが,今回は参加は見合わせる.私は2013年の晩秋,肺炎で5週間入院した.肺炎そのものは完治しているが,肺には傷が残っている.健康診断でレントゲンを撮ると再検査となり,過去の治癒したとき前後のレントゲン写真と比べて,やっとその傷痕であることが判明する.
 傷があるので,いまここでコロナウイルスの肺炎となると,それはまずい.ということで,4月からは人混みの中に出るのをできるだけ控えている.4月中は仕事の方も,電車で出かける日数を減らすようにしてもらった.
 写真は3月31日の「コロナ被害の生活・医療補償と、地球規模の解決求める大阪市役所行動」での大阪市役所前の座り込み.この日は大阪市との交渉も行い,コロナ対策本部と政策企画室の担当者に3時間に渡って要請した.1~2週での文書回答も確約させた.4月からも月曜日には座り込みをするとのことだ.ただこちらは3月末のこの日以降,4月は電車で梅田に出るのは控える.

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 さて,私は毎日夕方,あまり人のいないところを選んで,犬を連れての散歩を1時間はしている.歩くことが大切だ.おかげで,江戸時代に開発された上ヶ原新田のあちこちや,野坂昭如の『火垂るの墓』に出てくるニテコ池,広大な満池谷墓地など,六甲山系の東南の山すそをいろいろ歩ける.桜はもう満開は過ぎ花は半ばは散っている.満池谷墓地の東にある雑木林のなかの道をおりたところにある廣田神社の,その周辺のコバノミツバツツジの群落はいまがきれいだ.歩くといろいろな想いがうかび,考えていることへの示唆が得られる.

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 ところで,コロナウイルスに関する日本政府の無策が意図的になされているようである.去年の1月に書いた『分水嶺にある近代日本』では「悲惨国家の現実」を最初の見出しにしたが,いまはその悲惨さがいちだんと深くなった.疫病の蔓延をショックドクトリンに,改憲を目指すものが,あえて無策を続けている.(13日追伸)そのなかで,安倍晋三の振る舞いが多くの人々の怒りをかっている.これはもう,いま立ちあがり革命で倒さねばならない段階である.
 しんぶん赤旗日曜版
の4月12日付にホリプロの社長の掘義貴さんの会見記事が載っている.

 私のような自民党に近い人間に赤旗からオファーとは。でも文化・芸能の営みを絶対絶やしてはいけないと思って引き受けた。感染防止で国に協力したのに補償どころか労いの言葉さえない。収束したら支援?それまでにみんな倒れてしまう。

と始まり,そのなかで,

 諸外国との文化度の差を感じます。
 新型コロナの問題で、ドイツでは文化大臣がすぐにアーティストに向けて「今、生命維持に必要不可欠な存在」「皆さんを見殺しにはしない」とメッセージを出し、文化分野での緊急支援措置を決めました。ドイツ在住のミュージシャンには、日本人にも即入金があったそうです。
 そもそも中国や台湾、シンガポールなどの新興国は、国の支援が手厚く、芸術・文化の予算をつけ、教育の一環でやっています。世界中からすばらしい人を集めようとしています。
 それに比べて日本は、国による支援が非常に貧しい。

と語っておられる.まさにその通りでこれは,しかしこれは文化・芸能分野だけの問題ではなく,すべてにおいて,政府は,要請はするが補償はしないということをまかり通らせている.これでは何のための政府かということになる.
 一方,あえてそうすることで,逆に強力な政府を求める世論を生みだし,いまの憲法ではできないと改憲へと誘導する力も働いている.これを見なければならない.

 ここには,このようなときに一人一人の人としての尊厳といのちを守る政治なのか,逆にそれを利用する政治なのかという,根本の問題がある.いまの憲法の下で,すべての人に今すぐ支援金を配ることはできる.やるかやらないか.政治の問題である.
 私はこれまで,アベ政治は安倍個人の問題ではなく,根なし草近代の成れの果てであるということを言ってきた.今回の疫病の問題であからさまになったアベ政治がふりまく悲惨なあり様と,それを利用して改憲を意図するもののおこなう政治は,近代日本の根源的な問題が現実化したものである.
 同時に,ここには,われわれがいまもってこのアベ政治を許しているという問題があり,その根底には近代日本の人と人のつながりのあり方,さらにその前に近代的な人の成立はあるのか,という問題が横たわっている.ここを考えなければならない.
 アベ個人の問題ではない.同時に,現実の革命はアベ打倒である.一人一人が立ち上がるしかない.資本主義の終焉期に,いずれの方向に向かうのか,一人一人が決断しなければならない.
 一方において,これを機会に世界の戦争勢力による新たな支配体制の構築が狙われているように思う.これをうち破り,これに対する人々の国際的な連帯はこれからの課題である.

 私のところでは,週に一度,地元の山の方で無農薬で野菜を作っている人が,その野菜を届けてくれる.また玄米,豚肉,魚などを生産者から直接届けてくれる共同購入の会とも三〇年来のつきあいだ.こちらも週に一度届けてくれる.その中には無漂白のトイレット用紙もある.生産者とそれをいただくものとの直接のつながり,その大切さは今回いっそうよくわかった.思いのほか大切なことなのかも知れない.
 こういうつながりをもっと拡げて,新自由主義の政治と経済を変革し,生産者と消費者が直接につながり共生し,人として互いに敬い尊厳を認めあう世を生みだしてゆかねばならないとつくづく思う.次の写真は廣田神社.古い神社である.

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 ということで4月は,地元の地域の活動の他は書斎での仕事がほとんどである.この機会に,時間をとってじっくり考えようと,これまでやらねばと思いつつできていなかったことを少しでも進めたい.

1つは,『解析基礎』の「複素解析」が,1年ほどそのままである.ここを,次につながるところまで構成し,一つにまとめたい.
2つめが,9年ほど前に「ガロア理論」に書いて,そのままになっていることに着手したい.
3つめが,『神道新論』の次への展開である.ここにも書いたように,この書は,自分にとっては「根のある変革思想への試論~資本主義がおしつける偽りの普遍性に抗う~」であった.「抗う」から次の段階としての,固有性に根ざした新しい世への変革を「うみだす」こと,そのための礎を築くこと.このためのもっとも勘所となることをつかみたい.これが難しい.

 今回の疫病の蔓延は,逆にこのようなことを深めよという,時代の問題提起でもある.あせらず,あわてず,油断せずでゆきたい.