同窓会等々

追伸18日:17日には旧友の前田さんと神戸三宮で会い,会食した.彼が灘高を中退し,釜ヶ崎で活動していた頃,雑誌『月刊たいまつ』の読者会で知りあい,その後一時期,政治活動を一緒にした人だ.
 関東に住んでいるが,神戸芸術工科大学でも教えていて,月に何回かは神戸に来る.
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 6月の11日と12日は後に思い出しても印象深く思うであろう2日となった.同窓会のことなど書いておくと,あとで読みかえして,「ああ,あのとき参加した.あれからもうこんなに時間が経ったのか」と(生きていれば)思いおこす一助になる.そこで今回のことも自分の記録として書いておく.

 昨日11日の昼は,かつての理学部教養課程のクラスS1の同窓会(S1会)であった.数年ぶりに開かれた.京大理学部は第二外国語でクラス分けしていた.S1(理学部1組)はフランス語のクラスだった.
 その同窓会を祇園の老舗の料理店 ちもと に15人集まっておこなった.50人ほどのクラスで,それから半世紀以上経って15人集まるのだからよく集まった.
 それぞれの今を語り,京料理を味わってきた.これからは毎年集ろうやということになった.ずっと世話をしてくれていたTさんが3年ほど前に亡くなり,それはさみしいが,あとを継いで世話してくれる人がいてよかった.
 帰り道は,高校から京大へと一緒だったYさんといろいろ話しながら途中まで一緒した.彼は大学に入って間もなく探検部にはいり,南米パタゴニアに探検に行った.帰りの船のなかで京大闘争のさまざまの報道に接し,日本に戻ってからは院試粉砕闘争,それからは関西空港建設反対闘争に没頭,そのまま退学し,その後 日本労働党 に入党して,今も京都府委員会の長である.
 またゆっくり話をしようということにして,この日は阪急電車の最寄り駅で別れた.

 それから定例の梅田解放区に参加するため大阪に向かった.小雨なので,JR鉄橋の下に集まる.こちらはいつものように横断幕をもって,順に話すのを聴く.梅田解放区にも
 戦争反対、カジノ反対のみならず、選挙に行こう、自公を倒そう、差別反対、組合つくろう…なんでもOKだよ!
と書いているが,その通りである.それぞれが思いの丈を話す.こういう場があることは本当に大切なことだ.こういう場を作ってきた若い人らに感謝する.

 そして今日12日の日曜日,朝の7時半から地域にある神園公園の掃除に参加した.30人以上の地域の人らが公園の清掃に集まってくる.私にとってはいい運動でもあり,地域の人らとの交流でもあり,ありがたいことだと思っている.
 家に戻って一休みして,それからJRの京都駅にむけて出かける.私の母校の中学の同窓会,京都教育大附属桃山中学の同総会に参加してきた.全部で140人くらい集まり,同学年の人は9人だった.総会の後の懇親会では,美味しい白ワインをいただきながら,懐かしい人らとしばしの語らいをしてきた.
 このように,思い出とともにある集まりはほんとうに貴重である.

 さて,ロシアがウクライナを侵略して三ヶ月になろうとしている.ここにまで至る歴史は長く,そしてまた入り組んでいる.その上で,ロシアによるウクライナへの侵略そのものは,やはり現代のファシズムではないだろうか.この戦争によってイスラエルアメリカの軍需産業の株価は大きく値上がりしている.双方が闘わざるを得ないようにしむけたのは,国際的な軍需産業ではないか.
 戦争の長期化で国際的に食料危機が顕在化している.特に深刻なのは,中東や北アフリカである.そしてその中東のイエメンでは,暫定政府とフーシ派の戦闘が今も続いている.強欲な資本主義がこれらの戦争を引き起こし裏から操っている.
 日本では,自民党改憲策動も新たな動きが出てきている.日本の軍備を増大させるのは,軍需産業の仕業そのものである.日本の政府はその上で踊っている.野党も報道機関もそのことを公に指摘することはない.すべてが組み込まれているのだ.
 ウクライナ侵略もコロナ渦も,地球を覆いつくした現代の新自由主義資本主義がもたらしたものである.有限な地球の上で限りない経済成長を追求するかぎり,もはや戦争しか大きな儲けは生み出せない.したがってこれからも戦争は起こる.そしてまた疫病の蔓延も起こる.

 このまま資本主義の果てにファシズムが世界をおおうのか,資本主義を転換し緑の社会主義に向かうのか.いまわれわれはその分岐を生きている.日銀の黒田総裁が「家計が値上げを受けて入れている」と発言し大きな批判を受けている.彼はまさに戦争で大儲けをする側にいる.

 追伸:今日13日,鹿砦社から『季節』(2022夏号)が献本として贈られてきた.松岡さんありがとうございます.じっくりと読ませていただきます.

 懐かしい人らとの再会の同窓会と,ロシアによるウクライナ侵略,いまこのとき,これが同時にあるのだということを、帰り道で思わざるをえなかった.
 国家の枠組みを乗り越える智慧は人間にあるのだろうか.この問いの意味自体を深く掘り下げなければならない.

 私は,近代日本を根なし草近代ととらえ,日本語と数学の分野でその意味を考えてきた.そして,それをふまえて,根のあるものを生みだしてゆくためになしうることをしようと,青空学園の場での営みを続けてきた.
 そのうえに,ひとつは『神道新論』として書物にまとめることが出来た.数学分野ではこの夏に出る雑誌『数学文化』の38号に依頼を受けて一文を寄稿した.
 これらをふまえ,そのうえで,この二著をさらに統合し,近代日本の経験を人類の歴史的な教訓に深め,つぎの段階を拓かねばならない.私はそれを緑の社会主義といってきたが,中味は総てこれからである.
 この話を,前田さんともした.

 地域での日々の町内活動も,また生業としての高校生に数学を教える仕事も大切にしながら,同時に,今を生きるものとして,世界の今を切実につかみ,その意味を考え,なしうる行動をとることを,まさに命あるかぎり続けたい.