歴史の分岐点

 昨夜は定例の梅田解放区であった.20人近くの人が参加し,声をあわせる.
 思えば,ここに参加するのは,「沖縄今こそ立ちあがろう」の歌に書いたときが最初なので,この12月でもう丸5年,毎月2回ここに立ってきたことになる.地元の用事と重なったとき以外は欠かさずに参加してきた.
 村上薫 さん,カジノ反対運動の Akihiko Manabe さんも参加し,声をあげてくれた.

 この5年,「戦争するな,戦争やめろ!」を掲げて道ゆく人に呼びかけてきた.だが今年の2月,ロシアによるウクライナ侵略が始まり,それは今も続いている.梅田解放区で呼びかけてきたことと真逆の方向に世界は動いている.
 だからこそ,声をあげ続けることが大切だ.
 ウクライナ侵略をとらえる基本的な枠組みは何なのか.近代の歴史においては,階級矛楯がすべての問題の底にある.現代世界において,資本家階級の頂点にあるのは,国際的な武器商人,いわゆるネオコンである.
 これがアメリカのバイデン政権を操り,ウクライナを通してロシアを挑発し,この戦争は始まった.武器商人が利益を追求する戦争,これは資本主義そのものである.資本家階級とはつまるところ,戦争によって儲ける階級なのだ.そしてそれは,兵士を搾取し,命を奪うことそのものだ.

 昨日,雑誌『季節』の冬号と来年のカレンダーが贈られてきた.松岡さん,いつもありがとうございます.その雑誌の冒頭の「刊行にあたって」に次の言葉がある.

 日本はいま、歴史的な分岐点に立っています。大軍拡と統一教会問題はその象徴です。
 国家権力・自民党は、メディアを操って必死で議論の土俵をずらそうとしています。それに惑わされることなく、2つの問題の核心にメスを入れることが、いま、死活的に重要です。

 まさにそうである.政府が年末に改定する「安保3文書」は,「敵基地攻撃能力」の保有や軍事費の倍増をうたっている.それは,これまでの「専守防衛」を180度転換し,「先制攻撃」できる国に変えることを意味する.文字通り,平和主義の日本国憲法の完全破壊である.そんな重要なことが,国会にもかけられず「閣議決定」で決められる.
 そしてこの敵基地攻撃が,日本がアメリカに隷属し,米軍の指揮下で行われることも鮮明になった.

 4年前,雑誌『日本主義』編集部から,「ポスト平成日本の選択」をテーマに一文を求められたときに,「分水嶺にある近代日本」で,

二〇一九年にはじまる日本の分岐は、もはや何を選択するかという選択の内容や方向をめぐる分岐ではない。人民の内部について言えば,能動的に選択するのか、それとも無自覚に流されてゆくのかの分岐である。

と書いた.いままさにわれわれは,無自覚に流され戦争加担の道をゆくのか,かつての戦争と敗戦の経験をもとに現代における平和の道を推し進めるのか,その分岐にある.