三十三回忌

 昨日3日は,朝の7時半から,定例の地元の神園公園の掃除に参加した.来週は西宮市が年に2回やっている市内一斉の清掃の日である.町内のものが集まって掃除をするのは大切なことだ.

 掃除を終えて9時前に戻り,一休みしてから宇治に出かけた.父の三十三回忌の法要である.父は1916年に生まれ,1991年に亡くなった.
 宇治のことは「故郷宇治」に書いている.父母のことはその中の「父母の言葉」に書いている.
 宇治の実家に住む上の妹と滋賀県大津市に住む下の妹と京阪電車黄檗駅で落ちあい,3人で菩提寺の 西方寺 に向かう.そして,まず墓に参る.
 それから,堂に入り,住職の声に導かれて読経し,焼香する.堂内で少し暗いので焦点が合っていない.
  
 西方寺を訪れるのは初めてである.行ってほんとうによかった.菩提寺黄檗にあることは聞いたことがあるが,西方寺とその西側にある 二子塚古墳 のことなどなにも知らなかった.亡き父に導かれて行ったことになる.

 お参りを終えて京阪黄檗に戻り,下の妹は大津に帰る.上の妹と電車で宇治にゆく.平等院から奈良に続く旧街道の本町通りにある三軒長屋の端の実家に戻って,妹といろいろ話をしてきた.
 ここは私が小学校2年の時に宇治川べりの借家から移り住んだところだ.そして,ここに大学院修士1年のときまでいて,それから京都北白川の下宿に移った.それを見送った母が,「もうここには戻らないだろうなと思った」と話すのを聞いたことがある.
 大津に住む妹からは鮒寿司を土産にいただいた.鮒寿司のことは,ここでも何回か書いている.2017年12月16日「ABC予想査読通過の報に接して」では鮒寿司の写真も載せている.このときは父の二十七回忌で,そのとき妹がもってきてくれたのだ.
 家に戻って鮒寿司をいただく.ほんとうに美味い.
 小学校に上がる前後の数年間を,宇治川べりの借家で過ごした.あの頃の川風の匂いをいまも覚えている.鮒寿司は,その川風の匂いを,米と糀に包んでくれているように思える.
 一族の本家は,茶問屋の 辻利 である.萬延元年創業である.父も定年退職した後は、経理などを手伝っていた.いまは宇治の駅前などで,喫茶店もしている.どこも多くの人が入っていた.

 昨日は「とめよう原発依存社会への暴走」《12・3とめよう!原発依存社会への暴走 1万人集会》がうつぼ公園であった.主催は「老朽原発うごかすな!実行委員会」である.朝日新聞 も報じている.ところがこのとき,しんぶん赤旗 が報じているように,国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)に合わせ、「2050年までに世界の原子力の発電容量を3倍にする」との宣言に日本など21カ国が賛同した.
 これは大きな欺瞞である.原発それ自体は確かに二酸化炭素はそんなに出さない.しかし,天然の原料からウランを取り出し精製する過程で,二酸化炭素を大量に出す.そして言うまでもなく,地震列島で原発を稼働することは極めて危険である.
 裏で,国際的な原子力産業が動いていることは確かであり,これはまた,ウクライナやアラブで戦争を誘発している兵器産業とも一体である.
 このままいけば,今回の原発三倍化宣言は,大地震と結びついて原発の崩壊につながる.

 ということで,今回の集会は参加できなかったが,多くの人とさらに手を繋ぎ,このような世界のあり方と闘ってゆく.できることはしたい.