人が使う組織を

 そして今日は昼に大阪宣言の会の大阪駅前街宣に加わってきた.いつもは土曜日に仕事を入れているので行けないが,夏は別の時間割.少し大阪に出る用事もあり,出かけた次第.順にマイクを持ってそれぞれの見解を語る.学生が喋るのとはまた違うが,とにかく自分で調べたことをもとに,語る.昨今,市民の反応が違ってきた.前はあえて知らん顔をしてゆくのだが,今は聞いてゆく.大阪市民の皆さん,安倍政治を終わらせるために,一人一人が声をあげよう.この呼びかけが受け入れられる.大阪市解体構想をつぶしたことも大きい.
 この街宣は,もともと勝手連的な生活の党の応援行動としてやってきた.2010年秋に,司法・検察の小沢氏への恣意的な弾圧を暴露する,ここからはじまった.生活の党の旗も掲げている.選挙を応援してきた人もいる.この会のそもそものはじまりは,小沢氏への検察の不当な攻撃に市民として声をあげるというところにあった.今もそれは変わらない.それから福島の核惨事が起こり,それをショックドクトリンとしてファシズムが現われてきた.安倍政権がファシズムに傾いてゆくことがはっきりしたあたりから,語っている内容は,安倍政治の暴露であり,アメリカとの関係であり,原発問題であり,辺野古の闘い,全沖縄の闘いのことである.それを踏まえての生活の党の応援である.あくまで,市民が権力の不当に対して声をあげるという出発点を大切にして,できるところから,やってゆきたい.
 さて,全国で広がるこのような運動を,これからどのように一つの力としてまとめてゆくのか.組織化するとかいうが,組織のあり方もまたこれから変わってゆかねばならない.私は,経済は人間にとって手段であり方法であり,人間が第一でなければならない,ということを言ってきた.同じことが組織についてもいえる.組織は人間にとって手段であり方法であり,人間が第一でなければならない.現実に存在する政党や宗教の組織は,組織が第一となっている.現実の利害に絡め取られそのようになる.先の東京都知事選でもそうであったが,組織を第一とするとき,まとまるべき人々が分断される.
 では組織はなくてよいのか.そうではない.組織をもってまとまることができなければ,今度はファシズムの側からの懐柔と弾圧で,こちらがバラバラにされてしまう.それぞれがまず立ちあがり行動する.こころざしを同じくするものが手をとりあう.そこに組織が生まれる.組織とは,人間が力をあわせて自然からの恵みを受けとろうとしてきたとき以来,つまりは協働して生活するようになって以来の,人間にとってもっとも基本的な方法の一つである.人間は言葉をもって協働の組織を生みだし,生活してきたのだ.
 人が使いこなす,方法としての,手段としての組織.これが生まれてくるのか,このことは,私自身の課題でもある.新しい言葉とともに,新しい組織が現れてくるか.それぞれの既成の組織が,組織を第一にするのではなく,人の未来を第一にして,新しく現われてきた運動,その人々とまとまることができるか.これから様々の困難があるだろうが,いかに紆余曲折を経るとしても,光なきにしもあらず,そう確信することができる.
 時節はいつの間にか盛夏である.玄関前のハクモクレンにやってきたニイニイゼミと夙川上流のクマゼミ