3.11から八年

 もう東北の地震と東電の事故から八年である.近代日本は,二度の愚かなことをした.第一はあの十五年戦争と広島・長崎の原爆,そして敗戦である.しかし,原爆と敗戦を総括することなく、そのまま戦後政治に移行し、東電の事故にいたる.これが,今日まで,そしてこれからも代を越えて続く核惨事である.これは近代日本の第二の敗北である.
 二度愚かなことをすれば,それはようやくに教訓として定着するというのが歴史である.しかしこの日本は,この二度の愚かな経験を経ても,それまでのやり方を変えられなかった.いまなお原子力災害非常事態宣言中であるにもかかわらず、為政者はそれを隠して復興を言う.大阪で年間1ミリシーベルト相当の放射能を他人に振りかければ犯罪である.福島では年間20ミリシーベルト相等をはるかに超える核汚染を引き起こした東電は裁かれないままである.
 そしてこの地震列島で再稼働をすすめている.少なくともドイツは,第一次大戦とそして第二次大戦と二度の愚かなことを経て,われわれはいかに愚かなことをするものなのかという教訓から,福島の事故を契機に原発はすべて廃炉にすることを決めた.なぜこの日本では,その逆をゆくのか.昨年も「3.11の日に」に書いたが,為政者は東電の核惨事を教訓とするどころか,逆にいわゆるショックドクトリンとしてもちい,当時の民主党政権を追放してアベが権力をにぎり,もういちど戦争への道を歩み今に至っている.

 土曜の9日は定例の梅田解放区であった.東京から一家で関西に避難している人が語っていた.東京では娘の調子が悪くなる.初めはそれが放射能が原因とは気づかなかった.関西に来れば元気になる.東京に戻るとまた悪くなる.とうとう4年前一家で神戸に来たと語っていた.
 また,この日に梅田解放区に参加していた若者のうち,東京から関西に避難している人が二人,岩手県出身で地震の日は福島にいたという人が一人,それぞれに自分の経験を語っていた.彼らは,「逃げよ 生きよ」と,さまざまに活動している.

 それにしてもアベ政治である.アベ政治の意味とそこからの転換の途という問題を,近代日本の問題として少し掘り下げて考えた一文が,近日中に出る雑誌『日本主義』の第四十五号に,「分水嶺にある近代日本」と題して載ることになっている.この一文は編集部からの依頼をうけて,題名をこのようなものにして書いたのであるが,おかげでこちらも考えてゆくべき課題をまとめることができた.書き置かねばならないことごともつかめてきた.依頼者に感謝する.
 そこにも書いたが,いまやこの日本は「悲惨国家」である.アベとそれを後ろであやつるものが,国家の総体を私物化している.そしてそのすべてを,滅びゆく帝国アメリカのしばしの延命に捧げている.
 彼らが国家を私物化した以上,われわれはこの国家の外に立つ.それを自分の考え方と生き方の基礎におく.そして,この国家の外に立つものは互いに手をつなぎ助けあい支えあい,繋がって新しい世を,その土台を作ってゆく.分水嶺にあるということは,国家のあり方であると同時にわれわれの生き方の問題でもある.
 梅田で横断幕をもち,若者の語りを聴きながら,そして何ごともないかのように道をゆく多くの若者を見つめながら,そんなことを考えた次第である.

 今日3.11は大阪でも神戸でも集会がある.どれかに行きたかったのだが,午前中は,いまの高校に行けなくなり別の高校の編入試験を目指している生徒の勉強の手伝い,夕方は今度の市議会選挙に出る人が訪ねてくる.市行政があまりに酷いと自らの経験で判断し,それなら自分でも改革してゆこうと市議選に出る.五十代の主婦である.無党派で議会に出ようとする人は応援する.ということで,出かける時間はとれなかった.昨日10日も地元自治会の会が午後と夜と2つあった.いろいろ準備もしてようやくそれも終えたのだが,またいろいろなすべきことも出てきた.

 少しゆっくりと考えるときを持たねばと思う.