奄美大島まで

 この時期は夏真っ盛りのときであるが,今年の夏はどうか.関西では夏空は見えず,曇りか雨の日が多かった.ようやく今日あたり,夏空がでそうである。それでもやはり気候が変わってきている.
 先週は23日火曜日から26日金曜日まで奄美大島三泊四日の旅をしてきた.日常に戻っても,亜熱帯の島の感覚は残り,日々が少し違う感じになっている.島では,トカゲかカナヘビか分からないが,こちらにはいないものも見た.わかる方いれば教えてほしい.
 奄美大島は次男一家が連れて行ってくれた.孫とあわせて六人の小旅行であった.伊丹から奄美空港まで一時間半でゆけるのだ.そこから車で二十分ほどの奄美大島北の方の龍郷町芦徳にある宿舎に泊まって,車であちこちまわった.
 五年前には西表島に連れて行ってもらった.それ以来である.もう五年経ったのだとも思うが,そのうちの三年,彼らはドイツにいたのだし,こちらが四回ドイツを訪ねたのだ.ちょうどその時期,こちらは雑誌への寄稿とそれをまとめた自著の出版もした.また孫もふえた.その前の年,2013年の秋には器質化肺炎で五週間入院した.死ぬ気はしなかったが,それでも大病であった.そのような五、六年をふり返ることにもなった.
 奄美大島は亜熱帯の気候であるが,沖縄とも違い,また鹿児島とも違う風土である.そして、部外者の私にその意味は言えることではないが、いろんなところで琉球と日本に挟まれた複雑な歴史の跡を見た.日頃とは異なる時間の中に身をおいて,いろいろなことを思い考える時間がもてた.二五日には南端の古仁屋の港までいって,船で海中の魚や珊瑚を見るのもした.大島紬の老眼鏡入れを買った.これはたいそう気に入っている.

 途中,名瀬の町で昼を食べたが,山本太郎の選挙ポスターがあちこちにあった.ガイドの本で見つけて行った泥染めの店にも,山本太郎の写真の入ったパンフが置いてあった.
 山本太郎の選挙ポスターはわが家の塀の壁にも貼っていたのだが,その山本太郎となかまたち,今回の参院選で大きな勝利であった.二人の障害者が代議士となった.
 昔の市芦教員時代の同僚で奄美大島出身の人に,奄美にいってきたことをメールしたら,返信で奄美の故郷のことを書いた後に,「今回の選挙は面白かった。車いすの国会議員が二人選ばれたのでここから出発です。みんなで新しい政治を作っていけるかもしれません。」とあった.一緒に障害者解放教育に取り組んだ仲なので,彼が山本太郎に期待する気持ちはよくわかる.

 左派を自認する人々のなかでは、いわゆるポピュリズムへの違和感、「れいわ」という党名への反発などがあって、賛同よりも警戒感が表明されている.左派の源流ともいうべきロシア革命の前から続く左翼は,資本主義にまだ拡大の余地があった時代にどのような方向で経済を拡大するのかをめぐり,資本家階級とは異なる立場と方向を体現するものであった.
 しかし、もはや資本主義そのものに拡大の余地がなくなったいま,もういちど立ちかえるべきは「人」なのである.人はいること自体に尊厳がある.このことをかつての同僚ともいっしょに活動した,解放教育運動のなかで学んだ.

 奄美から戻ってきた翌日の昨夜の第四土曜日は定例の梅田解放区の日であった.いつもより一つ後の電車になったが,何とかはじまるころに行くことができた.もう横断幕はでていた.そして,端の人と交代していつものように横断幕をもってきた.
 この日は,京都から,米軍xバンドレーダー基地反対・京都連絡会の運動をやっている人も来て,ギターで歌いながら,京都にただ一つある米軍基地のことを訴えた.毎週,辺野古基地に反対する街宣を梅田でやっている人も,そちらが終わってからこちらに来て,みなをリードして声をあげていてくれた.誰でもここに来て話そうという呼びかけは,少しずつ輪が広がっている.

  経済から人の時代への転換の歴史がはじまり,それを体現する政治勢力の出現は歴史の要求である.「左右ではなく上下」というのも,経済ではなく人,ということである.山本太郎となかまたちの活動は、人が人として存在することの意味を問うた.ここに共感が広がった土台がある.それは確認する.そのうえで,これがどのように動いてゆくかは,すべてこれからの問題である.
 資本主義の終焉の中で次の時代をどのようにひらいてゆくのかという普遍的問題と,非西洋で最初に近代化した日本のその近代のなれの果てとしてのアベ政治をどう乗りこえるのかという固有の問題と,それが合わさり重なり動いてゆく.街頭にも立ち,それを見とどけ,せめてこの時代を書き記してはおきたい.
 奄美から帰って昨日の昼は仕事の整理もした.問題づくりの原稿の改訂などの締め切りの一覧も作った.それをこなしながら,日々の営みに戻ってゆこう.ときどきあの風土の感覚がふっとよみがえる.奄美での時間の中で,自分はほんとうに小さなものだと思った.いろいろなことをしなければならないとやってきたつもりではあるが、あの自然風土の中に身をおいて思えば、それは小さなことであった.それがつくづくわかって,よかった.これからの自分のふりかえりのために,この間の思いを書いておいた次第である.