敗戦の日に

 8月15日は,日本軍国主義が連合国に敗北した日である.しかし戦後75年,この日を「敗戦の日」とは言わず「終戦の日」と言ってきた.それはなぜか.私は『神道新論』の中で次のように書いた.ここにその理由がある.

 戦後政治は国家神道を根底から見直すことがないままにはじまった。それに対応して、戦争責任もまた内部から問われることなく、明治維新ののちに成立した官僚制などの基礎組織はそのまま残った。
 そして、あれだけ「鬼畜米英を撃て」と国民を動員しておきながら、戦後は一転、対米隷属の政治となる。対米従属のもと、アメリカの核戦略の一環として地震列島に原発をいくつも作り、ついに福島原発の核惨事に至るのである。これは、非西洋にあって最初に近代化をとげた日本の、その近代の一つの帰結であった。

 つまり,「敗戦」と言わず「終戦」と言うのは,戦前と戦後が連続していること暗に主張するためであり,あの戦争を遂行したものたちが戦争責任からのがれるためである.「戦争に負けたのではない,終わったのだ.誰が終わらせたのだ.昭和天皇だ」と戦後に続く論理である.東京裁判でも,ごく一部のものにだけ責任をとらせ,多くのものは対米従属の手先としてのこされた.その末裔の一人が安倍であり,天皇もまたそうである.
 言葉による曖昧化で言えば,「戦没者」もそうである.「戦死者」でなければならない.徴兵されそして戦場で死んだのである.「死」をとおして戦争の事実と向きあうことを避けさせるために戦没と言うのだ.
 この戦後処理の無責任に強い怒りをもっていたのが小田実であった.私はそのことを『震災以降』のなかの「昭和天皇」に書いている.戦後75年の今年,このような怒りの声は新聞やテレビではまったく聞かれない.

 そのなかで,今日,朝から大阪京橋で街頭宣伝していた園君たちは次のように呼びかけている.

最大の戦争犯罪者、天皇による12時の黙祷反対!
真の反省とは、アジア、沖縄、アイヌへの植民地支配、侵略戦争への謝罪と賠償、全責任者の処罰です!
天皇による追悼式典と全国一斉黙祷、靖国神社での黙祷などは全て欺瞞です。人の死の政治利用です。

  私はその通りであると考える.若い世代からこのような声があがることを嬉しく思う.それに対する今日の日本の現実の悲惨は,明治以来の根なし草近代のそのゆえである.そのことをおさえ,この根なし草近代を越えてゆかねばならないと考えている.
 日本はこれからも没落を続ける.アジアのなかでも,世界のなかでも,もっとも悲惨な国となってゆく.これを越えてゆく道はまことに困難であり,現代世界が直面する困難の日本における困難そのものである. 

 さて,この数日、仕事をしながらいろいろ考える.私がこれまでいろいろなことをやってきたなかで,どれが自分の一番の仕事かを考えるときがあった.そして青空学園数学科こそがそれであることに納得した.自分としては日本語科こそが一番の仕事だとしてきたが,事実はやはり数学科での蓄積である.
 それでこの数日,今年の問題の解答解説を作ったり,その他いろいろ手を入れるのに時間をとった.
 それでも,今日の敗戦の日の様々なことをみると,私が日本語科でやってきたこともまたそれなりの意味があることを確認する.この意味をつかむ人がまだ少ないことは事実である.しかし根なし草近代を越えてゆくために,このような基礎作業は不可欠である.
 自分の仕事の意味をいろいろ考えさせられる敗戦の日であった.

盛夏に「安倍やめろ!」

 昨日は定例の梅田解放区の日.梅田解放区ユースもあり,こちらは若い人らが作ったグループである.私はこの定例の活動に参加することにしている.阪急の梅田駅を降りて歩いて行く.何かこれまでと感覚が違うように思った.4月5月6月7月と今年はいつもとは違う日常であった.その結果であるかも知れないし,いろいろ考えることがあったからかも知れない.
 今日の参加者は多かった.40人近かったように思う.連帯ユニオン・ゼネラル支部・十三市民病院分会の当事者も,彼女が参加した連帯ユニオンの人も来ていた.京都からも何人か来ていた.若い人や十三市民病院の人が順に喋る.
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 日本の戦争責任の問題,原爆を落とされながらアメリカに従属してきた戦後の歴史.自ら参加している辺野古の今とそこでの闘い.関西にあるただ1つの米軍基地,バンドレーダーのある京丹後のことを語る人.福島の今と関東から関西に避難してきている人の思い.若い人らがしっかり考え自分の言葉でしっかり話す.ここには希望がある.
 道の向かいにも人が立つ.われわれの世代のものはもっぱら横断幕をもったり,ただ一緒に立っていたりして,この活動を手伝う.トランペットを吹く人が二人,太鼓を叩く人,ギターを弾く人もいて,マイクの声と音楽が一体になって梅田に響く.

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 むかし京都にいたころ,ベ平連の定例デモに参加して河原町をデモしていたのを思い出す.こういう行動の雰囲気もすこしずつ変わってくるが,しかしこの50年,日本は何も変わっていない.あの頃自分がこう考えていたということを,今若者の語りを聞いて思い起こす.

 今日は長崎に原爆が投下されて75年である.アメリカが最初に核実験を行って75年,広島と長崎に原爆が投下されて以来二千回以上の核爆発が繰り返されてきた.その行きついた果てが福島の惨事である.
 新型コロナウイルスの流行で福島原発事故が過去のものにされてゆく.しかいこの二つは根が同じである.新自由主義資本主義が世界を大きく変えてきた.地震原発を破壊したのは地球の側からの,そしてコロナの蔓延は生態系の側からの,人の営みに対する揺り戻しである.
 原発とこのコロナ蔓延を教訓に,新自由主義に対抗する原理的な理論,新しい人の理論ともいうべきことであるが,それを模索することは歴史の要求であると思う.青空学園で重ねてきた思索を一歩前に進めたいと思いながら,その途がなかなか難しい.これについては,いろいろな人と対話を重ねたいものだと思っている.

 今回の新型コロナウイルスの蔓延によって明らかになったのが,日本の没落である.アジアのなかでも,もう日本は,いわゆる先進国ではないどころか,様々の分野で中国,韓国,台湾に大きく遅れをとり,かぎりなく没落しつつある.
 前から,ゆきつくところまで没落しなければ再生はないと考えてきた.非西洋にあって最初に近代化した日本は,このような道をたどるしかないし,そこにまた普遍的な問題があると考えている.これもまたもっと深めねばならない.

7月の末に

 ようやくに日差しが出てきた.先日「ようやくに梅雨明けか」と書いたが,それからも雨は続いた.7月も末になって,ようやくに夏の日差しである.アブラゼミクマゼミも夏が待ちきれないように鳴く.ところがこの日の夕方,猛烈な夕立になった.梅雨明けの雨かもしれない.
 庭隅のガジュマルも夏を待っている.ガジュマルは,2008年に沖縄に連れて行ってもらって,戻ってきて小さな鉢植えを買った.それが大きくなって3つに鉢分けした.そのうちの1つは霜に当たって枯れてしまった.ガジュマルが寒さに弱いことはよくわかり,寒そうなときは袋をかぶせたり部屋に入れたりしてきた.だからこちらでは沖縄や奄美にあるような大木にはならない.
 沖縄で手に入れたキジムナーの焼きものも,鉢に置いている.ガジュマルの木々に棲む妖怪で,ガジュマルの精霊である.奄美諸島ではケンムンといわれる妖怪伝説があり,これらはいずれも河童ともつながりあるかもしれない.
 ちなみに,私の河童の絵は,宇治川の河童として中学生のころ描いた自画像である.

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 来週から盆のころまではまた授業や地元の会議などが続くが,今週は,夕方1時間犬を連れて歩く以外はあまり出歩かない.

 前回に「歴史の求める課題は,外からこの世を見るのではなく,内から語ることであると思い至った」と書いたが,その課題を考えると,これは1年どころかもっと長い時間が必要と思うようになった.枠組は少しずつ考えはじめたが,これまで書いたものをもとにするのではなく,始めから書く.そうしないとできない.
 『神道新論』の後書きに「原稿を出版社に送ったとき、この一冊を書くのに二十年かかった、と思った」と書いたが,時代の求めることに応えようとすれば,次はもっと時間がかかることだ.
 まず,今という時代が求めるところを取り出す.このあたりからからはじめる.何をなすべきか,それ自体があきらかにされず,共有もされていない.ここに書いて,自分で推敲して,という営みを重ねてゆきたい.
 昔は手書きのノートであった.20年ほど前,それらをPCに打ち込むところからはじめた.それが『神道新論』になってゆく.今回はこの場を使おうと思う.時代とともに道具は変わってゆく.だが,考える軸は変わらない.

 それにしても,今はどのような時代なのか.資本主義の終焉期にあることはまちがいない.しかし,それがどのような道筋をたどるのか,そして次の段階はどのように開かれてゆくのか,それを,現実の分析から導かねばならないが,できていない.
 現象的には,アメリカ国内は分裂し,世界覇権が中国とその同盟国に移り,北欧州は小さくまとまり,そして日本は没落する、とすすむかも知れない.そうであるとしても,その意味は何なのか.これは深く考えなければならない.
 このような一般的な問いかけのなかで,日本の近代は根なし草であったことを問い,それを越える道を,この普遍性のなかで、具体的に述べねばならない.それが私の仕事だ.これは本当に遠い道かも知れない.

追伸8月2日:根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない.今日この言葉に至った.この四半世紀,私を動かしてきた思いである.

ようやくに梅雨明けか

 今日も午後まで雨であった.いつまで梅雨が続くのか.気候が大きく変動してきているのは間違いない.それでも夕方雨は上がり,定例の梅田解放区に出かける.阪急中津で降りると急な雨.仕方なく駅向かいのコンビニで傘を買う.もってくるべきだった.豊崎西公園についても降っていたが集会が始まるころに上がる.ようやくに梅雨明けなのか.

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 この日の動画などは主催者のさんのところにある.中津の豊崎西公園に集合して集会.始めは少人数であったが,それから増え始める.何と警官の多いこと,彼らは人としてはどのように考えているのだろう.その後デモに出て,茶屋町繁華街の阪急に沿った道を梅田HEP5前まで歩く.そこでも小一時間みなが喋る.
 ピカピカの新入組合員さんの闘争報告,京都から来た人,辺野古に基地を作らせないと沖縄と大阪を行き来している人,車椅子の人らが喋る.若い人らもいろいろな課題に取り組みやっていて,そのことを前を通る人々に訴える.こちらはただの一市民としての参加であり,できる手伝いをする.そして,街頭に立って,道ゆく人を見ながら考える.これは,自分にとって原点のような気がする.というのも,もうおよそ五〇年前,京都ベ平連の定例デモで,毎週京都の街をデモしていた.あれは自分にとって大事な時間であった.
 ピカピカの新入組合員さんも書いているが,この日も韓国テレビ局のKBSが取材に来ていた.大阪府・市は市民団体の訴えを無視して,野宿者への十万円給付金を出し渋っていた.六月下旬に韓国のKBSが釜ヶ崎と10万円給付金大阪市交渉に密着して取材し放映したら大きな反響があったとのこと.それで,この日も取材を続けていた.安倍政治の酷さが韓国で知られるのはいいことだ.

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 いま日本というところは国家としての体をなしていない.政治の方向が何の議論もなく一部の者によって勝手に決められ,なされてゆく.本当に酷いところになった.底なしの没落過程にあるように思われる.若者の語ることを聞いていてもそう思う.
 その上で私は,徹底して没落しなければ,再生もまた有り得ないと考えている.非西洋にあって,外圧のもとに,根なし草の近代化をした日本の,その成れの果てである.若者が語っていたなかにある,戦争責任を果たさない日本,アジア蔑視の日本は,この根なし草近代の成れの果てなのだ.
 そして今.事実としてアジアにおいても没落している.

 没落して所からの再生のための基礎作業,そんな思いをもって,青空学園日本語科に載せている『根のある変革への試論』は,第二稿になってからも何回も加筆してきている.しかしそのうえで,これをもういちどはじめから考え,書き改めることにした.
 これまでのものは,福島核惨事の始まりを受けて書いた『震災以降』がもとになっている.東電核惨事は,人類に,これまでのあり方を根本から変えることを求めた.今,疫病の世界的な蔓延は,再び同じことを求めている.しかし今はまだそれはなされていない.
 私の『根のある変革への試論』もまた,読みかえせば旧来の考え方の枠のなかで書いている.その意味ではこの試論もまた,核惨事以降の歴史の要求に向きあったとは言えなかった.

  いまそう考える.この間,書斎でいろいろ考えてきたが,四月末のころは,青空学園数学科と青空学園日本語科で,自分が歴史に対して言うべきことは言いつくしたと考えてきた.しかし,この間の世上のあり様も見つめながら,それはやはりこれまでの枠組の中でのことであったとわかってきた.
 考え方そのものを大きく転換してゆかねばならないと考える.この転換は自分のなかでも未だできていない.しかし,歴史の求める課題は,外からこの世を見るのではなく,内から語ることであると思い至った.
 資本主義の側はこの疫病の蔓延を契機に,悪辣な本質を隠した見栄えのよい資本主義にし,同時に情報技術を駆使して人民の統制を進めようとしている.それは言いかえれば新たなファシズムである.
 これに対抗し,人民の側はどうするのか.疫病の蔓延以降における根のある変革とは何か.いま言えることは,旧来の左派の枠組を根本から転換しなければならないということである.
 近代の枠組を転換するということは,これまでも言われてはきた.「近代の超克」もあった.しかしその歴史的現実は,ファシズムへ道をひらくものであった.
 そうでない枠組の転換は可能か.せめてその端緒とそしてひらかれた課題を提起するところまでいければと思う.四月~七月をかけてようやくこのあたりの考えがまとまってきた.

 わが家の入り口にアブラゼミが羽を休めていた.昔は,まずニイニイゼミが現れて,真夏になればアブラゼミだったが,この四半世紀,クマゼミの方が増えてきたと思う.六月下旬から七月のニイニイゼミもあまり見かけない.温暖化の影響なのかは分からない.

梅雨の合間に

 今年の梅雨は長いし雨も多い.九州の豪雨には言葉もない.昭和28年の台風で宇治川が氾濫し,高台の橋寺に避難したのを今も覚えている.台風が過ぎて,道の掃除が大変だったのも覚えている.
 昨日11日は定例の 梅田解放区 の日.朝から雨であったが,夕方いっとき雨がやんだ合間に犬の散歩をする.これで1時間歩くのを日課にしている.それから汗を流して梅田に向かう.この集会は雨のときは向かい鉄橋の下でやるので雨は関係ない.5時半前に行くと,もう幾人かが鉄橋下で準備をしていた.

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 梅田は小雨が降っていたが,この日は40人ほども集まっただろうか.若い人らが増えたのが嬉しい.7時過ぎまで,喋りたいものが喋る.この雑踏に立っていると,いろいろ考える.前を通り過ぎる若者たちは,今何を考えているのだろう.彼らが教育を受けてきたときは,いわゆる新自由主義教育が行きわたっているときで,社会に向けて疑問をもつことなどはまったく気づくこともなかったのかも知れない.
 それだけに,ここにこうして集まってくる若者は,私などの感覚では貴重だ.それぞれどこかでこの社会はおかしいと思うときがあったのだ.
 イギリスに30年以上いて日本に戻り,今話題の十三市民病院で非正規で働いている ピカピカの新入組合員 さんも,その経験をふまえて,職場に問題があれば組合に入って闘おうと語る.

連帯ユニオン・ゼネラル支部・十三市民病院分会を結成しました! 組合活動や病院を正していく活動を配信します。病院で働く人や、コロナを理由に職場でパワハラを受けた人。「おかしいな」と思ったら、労働組合に相談しよう。あなたは一人じゃない。仲間がいるよ!

 また,京都の大学生が,やはり今の政治はこのままではだめだと思ってここに来たと語るのも中味があった.新しい動きが出てきていることを実感する.もとより先は長いが希望もある.昨夜は,同じガード下の道の向かいでも横断幕を掲げる.

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 ソウルの市長が自死した.これは,韓国社会には,公の立場で言ったことと,したことに矛盾があれば,その責任を取らねばならないという規範があることを意味している.ひるがえってこの日本はどうか.ソウル市長が死なねばならないのだとしたら,この日本の政治家で死なねばならないものがどれだけいるか.しかも彼らはそれを無視して居直っている.
 この問題は深い.ここでは韓国での様々の議論に立ち入ることはできない.ただ,そのような議論のなされる韓国に対して,この日本の現実がいかに遅れたものであるかを指摘したい.韓国社会は,これまでの歴史が作ってきた世の規範が生きているのだ.それに対して,この日本の政治家世界には,それがない.
 歴史の現在でいえば韓国は日本のはるかに先をいっている.というか,この日本がはるかに後ろをいっているのだ.韓国のこの件は,逆に日本の政治の酷さをうきぼりにする.街頭に立ちながら,こんなことも考えた.

 今朝は朝から時間があった.それで1週間ほどかけて書いてきた「縮閉線」をまとめ,PDFファイルとHTMLファイルを作った.青空学園に多くのことを書いてきた.もう「数学対話」に書くべきことは書き尽くしたか,と思っていたが,そうではなかった.掲示板の書込に教えられて,いろいろ計算して,高校生が読める範囲でまとめた.積み重ねてゆくべきことはまだまだあるのだろう.

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  ここまで書いて,3時半,日課の犬の散歩に出る.犬が歩くより自分の運動が意味あるかも知れないが,とにかく毎日歩く.神園町から北名次町を下って,満池谷の墓地に南から入り北に抜け,甲山を遠くに見る大池の端も歩く.今日は少したくさん,1時間半ほど歩いてきた.

 青空学園をはじめてこの8月末で21年になる.青空学園の各ウエブサイトは,いわば私の居場所,書斎であり庭のようなものである.後半生はここが自分の仕事場であり,ここでの制作が仕事そのものであった.
 今も問題づくりの仕事をしているのは,数学科を見て向こうから連絡してきてくれたからだ.これは2012年の頃だと思う.また,日本語科を見て智勝会の人がOB会の連絡をくれた.これは2011年の秋のことだ.いずれもこれをやっていたからこそ,である.
 昨日も教員の方から DVDR の申し込みがあり,作成して送った.青空学園をいつまで続けられるのかはわからないが,できるところまで,日々少しずつ続けてゆきたい.

根なし草近代を越えて

 7月4日で73歳になった.団塊の世代である.小学生のころはアメリカ独立記念日と同じ日であるのが少し自慢であった.そのアメリカが崩壊と変革に向かうような歴史の段階に出会うとは,思いもよらなかった.
 実際,帝国アメリカは,何より国家の分裂という問題を内包し,経済的にも政治的にも没落をはじめている.そのなかで,多人種が連帯し幅広い裾野をもつ一連のデモが続いている.これは没落と崩壊のなかから新しいアメリアに向う変革の第一歩となる.
 アメリカがそのようになればなるほど,アベ政治アメリカ隷属は酷くなる.そして,これに対する人民の動きも,そして新たな芽もいろんな所に出てきているとはいえ,日本においてはまだまったく弱いものである.それを痛感する.
 このままでは後世の歴史に,資本主義の終焉期に,日本という国がアメリカと心中し,ともに没落したと書かれるかも知れない.昨日の東京都知事選挙の結果を見て,その思いを強くする.あのように自らの理念も何もないものを知事に再選する世である.今の日本の新聞やテレビは情報機関ではない.洗脳機関である.小池のかかえる問題は一切報道せず,持ち上げばかりする.この洗脳が効果を出した結果である.
 この方法で,アベ政治のような人でなし政治が,人を替えて,これからも続くであろうと考えられる.行きつくところまで行かないと,これに気づく者が多数とはならない.前回紹介した宮崎学さんの言葉「このままでは国が滅ぶだろう。いっそ滅びればいい。鬼が出るか蛇が出るかは知らないが、その先に何かあるだろう。この国に希望があるとすれば、その先にしかない」は,知事選をふまえて一層その意味が重くなった.
 また今回のコロナ問題で浮かび上がったのは,いかに日本の支配層が無策で,すなわち危機において政策に理念も一貫性力もなく,その結果,この国を没落させつつあるというその現実である.
 世界的にもこれまで支配的であった政治体制が没落してゆく.それぞれの国で,そのようになる根底にある歴史的要因は違うだろう.日本においては,近代百五十年が根なし草の近代であったことが根底にあり,それが資本主義の終焉という普遍的要因と結びついて,根なし草近代の成れの果てとしてアベ政治に至っているのである.

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  近代日本の世の変革の運動の多くは,この根なし草近代の枠組の中でなされてきた.それを近代主義的左派と言うことにすると,この近代主義的な左派による世の変革運動は,人民を深く動かすことができない力のないものであった.
 ここに,東京都知事選挙でいわゆる野党がまったく無力であった根底の理由がある.しかしこれは私自身の問題でもあった.私自身が,かつての活動に破れたとき,そのことを考えた.『神道新論』では「序章」次のようにはじめている.

 かつて、私は高校教員として地域の教育運動に取り組み、その一環として教員組合運動を担った。地域の底辺校であったその公立高校は、いわゆる行革の流れのなかで、その後廃校になった。教員を辞してからは政治組織の専従もしたが、それにもまた破れた。およそ四半世紀前のことである。
 このような闘いは、いずれにせよ敗北の連続で、破れたこと自体は一般的なことであるが、そのとき私は、組合や党派の機関紙などに書いてきた自分の言葉が、人の心にまでは届いていなかったのではないかということを、深く考えざるを得なかった。

 それから二十五年,ここで出会った課題にできる範囲でそれなりに向きあってきた.
 電脳空間に青空学園をおいて,まず日本語科で近代日本語を再定義することからはじめた.現在,A4版PDFファイルで,593頁である.
 それから,数学科では学問としての高校数学を実践することを心がけてきた.今の日本で数学と言えば,高校では受験数学であり,大学などでは技術の方法でしかない.文明の基礎にある学問としての数学は,近代日本では根づかず,現代日本の数学はまさに根なし草である.それで,自分で考えた数学を,数学対話などにまとめてきた. 
 入試問題も良い問題を紹介するため解いてきた.同時に論証の言葉を高校生に身につけてもらいたいと,論述を簡明でしかし論理を飛び越えないように書いてきた.現在,A4版PDFファイルで,入試問題が1411頁,それ以外が2218頁ある.あわせて3629頁である.頁数は記録として残しておく.
 私なりに,根なし草近代を越えて,次の時代を根のあるところから拓き耕そうとしてきたのだ.これは孤独な作業だった.私は今も,高校生に数学を教えたり数学の問題を作ったりと仕事をし,地元自治会の役もし,若者と一緒に声をあげることもしている.だが,自分にとってもっとも肝心なこの仕事はまったくの一人仕事であった.
 それでも,電脳空間においておくと,それぞれのサイトは,1日あたり日本語科で5~6,数学科では150前後,カウンターが上がる.それだけの人が訪れてくれている.掲示板での対話もある.生身の人が実際に出会うのではない,電脳空間での匿名の出会いであるが,中味は共有される.情報技術が可能にしたことではあるが,ありがたいことである.
 この間からは掲示板で入試問題の一般化の問題提起があり,これを考えている.これまでやってきたことをふまえての次の段階であるが,難しい.というか,かつてのようには頭が動かない.それでもこれからもできるところまで続けたい.

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 こんなことを考えながら,昨日も1時間ばかり満池谷墓地を歩いた.ここにある墓標のなかには江戸時代の宝暦とか天保とかが刻まれているものがある.この墓地は江戸時代から連続している.それもあってか,心落ちつく.墓地のなかにいくつかある地蔵に参る.上の六地蔵は南の出口にあるいちばん大きいもので,真ん中に立っているのは阿弥陀如来大日如来か.
 歩いていると,昔担任をしたY君にときどき会う.13年市芦で働いて,そのうち9年,3回担任をした.市芦で働きはじめて6年目に担任した人である.生協の配達員をしていて,こちらの地域が担当なので,うちの前も車で通る.4,5月とこちらも出歩きを減らしていたからだろうか,6月中頃ばったり出会ったら,「先生元気か.しばらく出会わなかったので,どこか悪いのかと心配してたんや」といってくれた.
 彼は「市芦はよかった.もうあんな高校はない」と言ってくれる.芦屋で働き西宮に住んできた.Y君を担任してもう40年になる.市芦でのことは,Y君の学年の3年上のS君のことからはじめて,私の市芦で取り組んだことは「市芦における障害者解放教育」に書いた.こういう教育運動がかつてあったことは後に伝えたい.その市芦の教え子にこうして地元で会えて言葉を交わせるのはうれしいことだ.
 いささか来し方を省みた次第である.

声をあげねば変わらない

 昨日は第4土曜,定例の梅田解放区の日であった.夕方5時半に大阪北の中津の豊崎西公園に集合し,集会をおこないそれからデモに出る.阪急線沿いに梅田の茶屋町を通って,JRのガードをくぐり,ヘップファイブ前まで歩いて,そこでいつものように声をあげる.

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  マイクをもった若い人が「声をあげねば変わらない」と語っていたが,その通りである.そのように考えてここに来る若者がいることは嬉しいことだ.
 しかしまた,東梅田でやっているわれわれの目の前を,多くの若者が何ごともなく楽しそうに語らいながら,通ってゆく.現代日本アベ政治の状況が悲惨ともいうべき酷いことになっているのに,どうして若者は声をあげないのだ.
 高野悦子「二十歳の原点」案内六・一五御堂筋デモにもあるが,かつては御堂筋を埋めつくす若者のデモがあった.日本の状況はあの時代よりもはるかに酷い.民主主義の原則そのものが崩壊している.雑誌『月刊日本』六月号で宮崎学さんが「突破者の遺言」を次のように締めておられる.

 この国が変わることはない。少なくとも内在的な要因で変わることは絶対にない。計算外の外在的な原因で変わることはあるが、それは権力者の顔が変わるだけで、民衆が変わることはない。彼ら、常民は永遠のうやむやの中に生きている。
 しかしそれももう限界に達している。もはや米国も含めて日本は喰い物にしか見られていない。コロナで唯一の国力である経済力もガタ落ちする。このままでは国が滅ぶだろう。いっそ滅びればいい。鬼が出るか蛇が出るかは知らないが、その先に何かあるだろう。この国に希望があるとすれば、その先にしかない。

  まったく同感である.六月下旬,少し時間をとっていろいろ考えた.それを『転換期の論考』のなかの「根のある変革」とまとめ,そのなかで

 日本という世は、いずれ行きつくところまで没落することは避けられない。既存の価値観、つまりは資本主義的価値観において徹底して没落する。そのところにおいて、異なる価値観のもとにしか再生はありえない。それは、資本主義の終焉から次の段階を拓くという課題の、日本におけるあり方そのものである。

と書いた.このもとになっている『根のある変革への試論』はまだまだ世に受け容れられてはいない.そのこともわかっている.没落しきったそのところで,こちらが何を言ってきたか気づく人がいるかも知れない.それもしかたなく,それでもよいと思う.私は,先の「根のある変革」を

私は自らの力においてなしうることはした。青空学園がいつまで存在しうるのかは不確定であるが、次の世代で引きつぐものが現れることを願っている。

と〆めたが,これは正直な気持ちである.と同時に,することはしたと言えるのかとも自省する.日本近代をとらえ直し,そこにある問題を掘り下げ,次の時代を準備する.実際,できることはしたとも思うし,まだまだだとも思う.根幹のところは考えた,しかしそれにとまらず,できるかぎりこれを具体的なことにあわせて展開していかねばならない,と考える.
 青空学園を残したいとは思う.こんなことを考えていた人がいたのだ,と思ってくれる人が現れるまで,残したい.しかしそれもわからない.280人の人が青空学園のすべてをDVDRに焼いたものを入手してくれた.それが将来に伝わってくれればうれしい.

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 こんなことを考えながら,時間のあるときは犬を連れて満池谷の墓地を歩く.1時間は歩くようにしている.120,486m² で  9200区画という実に広大な墓地である.古い墓石には江戸時代の年号が刻まれている.江戸時代,ここは原生林の大きな林であったのだろう.ここに墓地が作られていったのだ.ここは私にとって,歩きながら考えるところになっている.