人に会う

 この数日,いろいろ人に会った.以下はそのうちの二件である.

 17日は昔の理学部1組の同窓会であった.世話してくれる人がいて,もうずいぶん前からやっているのだが,私が参加したのは2016年だった.「S1会」のその経過を書いている.そして次は昨年の節分の日で「S1会と祇園白川,吉田神社」に書いた.みなそれぞれに働いてきて,今は時間の余裕のある人らなのだが,どこか面影があり懐かしい.
 会場が山ばな平八という,安土桃山の時代から続く日本料理の店だった.写真の後ろの門も,その頃からのものだそうである.この店はサバ街道ともいわれる若狭街道に面していて,街道をとおる人らのためのお茶屋としてはじまったのだそうだ.白川通のもう一つ西側で松ヶ崎というところ,もうすぐ岩倉という京都盆地の北の山麓という地である.このあたりまで来るのははじめてであった.
 終わってから皆で,大黒天まで歩いた.この裏山が,五山送り火のうち,「松ヶ崎妙法」の「法」の山である.天気も良く,しばし散策して戻ってきた.

 16日には,40年ぶりぐらいになるか,昔の教え子に会った.一度どこかで出会って声をかけられたことがあるようだが,こちらは覚えていない.もうながく夙川でイタリア料理店をやっていて,昨年の「還暦同窓会」のときも,店があるからと来なかった人である.この日こちらは,子供の居場所づくりをやってるいくつかのNPOの集まりが近くであり,私も参加したのでその帰りに2人で行ったのだ.
 高校時代のことをいろいろ聞かせてくれた.私は当時「フランケン」というあだ名で生徒から呼ばれていたのだが,彼女も「フランケンの授業は云々」と,こちらのやる授業やクラスの運営などをいろいろ裏で支えてくれていた話も聞かされた.修学旅行のときのことなど,はじめて聞いた話も多かった.自分がこの名で呼ばれていたのも忘れていたが,ごく自然に彼女の口から出て思い出した.親の方針に反抗して市芦に来て,また反抗してある短大の家政科を出,その後イタリア料理店を始めた.もう孫もいる.
 このクラスは,私がはじめて担任したクラスで,3年間組替もなかったので,互いによく知っている.私にとっては,高校生に数学を教えるという仕事を経験し,それは以後の礎となった.このときの経験が「量と数」の土台となり,青空学園数学科もある意味では,ここにはじまったのだ.
 一度この店にゆきたいと思いながらこれまで機会なく,ようやくに実現した次第であった.うまいイタリア料理であった.肉もいいし,パスタも良かった.白ワインによくあった.あの頃はこちらが26歳で彼らが15歳であったが,ここまで来ればあまり変わらない.また来るよということで店を出た.

 人との出会いと,自分のなかでそのことから学ぶことと,それが人生である.今週は,杉村さんと自著についての対談も予定している.仕事も日程に追われて忙しいし,地元の用事もいろいろある.一つ一つやってゆきたい.