根なし草近代を越えて

 7月4日で73歳になった.団塊の世代である.小学生のころはアメリカ独立記念日と同じ日であるのが少し自慢であった.そのアメリカが崩壊と変革に向かうような歴史の段階に出会うとは,思いもよらなかった.
 実際,帝国アメリカは,何より国家の分裂という問題を内包し,経済的にも政治的にも没落をはじめている.そのなかで,多人種が連帯し幅広い裾野をもつ一連のデモが続いている.これは没落と崩壊のなかから新しいアメリアに向う変革の第一歩となる.
 アメリカがそのようになればなるほど,アベ政治アメリカ隷属は酷くなる.そして,これに対する人民の動きも,そして新たな芽もいろんな所に出てきているとはいえ,日本においてはまだまったく弱いものである.それを痛感する.
 このままでは後世の歴史に,資本主義の終焉期に,日本という国がアメリカと心中し,ともに没落したと書かれるかも知れない.昨日の東京都知事選挙の結果を見て,その思いを強くする.あのように自らの理念も何もないものを知事に再選する世である.今の日本の新聞やテレビは情報機関ではない.洗脳機関である.小池のかかえる問題は一切報道せず,持ち上げばかりする.この洗脳が効果を出した結果である.
 この方法で,アベ政治のような人でなし政治が,人を替えて,これからも続くであろうと考えられる.行きつくところまで行かないと,これに気づく者が多数とはならない.前回紹介した宮崎学さんの言葉「このままでは国が滅ぶだろう。いっそ滅びればいい。鬼が出るか蛇が出るかは知らないが、その先に何かあるだろう。この国に希望があるとすれば、その先にしかない」は,知事選をふまえて一層その意味が重くなった.
 また今回のコロナ問題で浮かび上がったのは,いかに日本の支配層が無策で,すなわち危機において政策に理念も一貫性力もなく,その結果,この国を没落させつつあるというその現実である.
 世界的にもこれまで支配的であった政治体制が没落してゆく.それぞれの国で,そのようになる根底にある歴史的要因は違うだろう.日本においては,近代百五十年が根なし草の近代であったことが根底にあり,それが資本主義の終焉という普遍的要因と結びついて,根なし草近代の成れの果てとしてアベ政治に至っているのである.

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  近代日本の世の変革の運動の多くは,この根なし草近代の枠組の中でなされてきた.それを近代主義的左派と言うことにすると,この近代主義的な左派による世の変革運動は,人民を深く動かすことができない力のないものであった.
 ここに,東京都知事選挙でいわゆる野党がまったく無力であった根底の理由がある.しかしこれは私自身の問題でもあった.私自身が,かつての活動に破れたとき,そのことを考えた.『神道新論』では「序章」次のようにはじめている.

 かつて、私は高校教員として地域の教育運動に取り組み、その一環として教員組合運動を担った。地域の底辺校であったその公立高校は、いわゆる行革の流れのなかで、その後廃校になった。教員を辞してからは政治組織の専従もしたが、それにもまた破れた。およそ四半世紀前のことである。
 このような闘いは、いずれにせよ敗北の連続で、破れたこと自体は一般的なことであるが、そのとき私は、組合や党派の機関紙などに書いてきた自分の言葉が、人の心にまでは届いていなかったのではないかということを、深く考えざるを得なかった。

 それから二十五年,ここで出会った課題にできる範囲でそれなりに向きあってきた.
 電脳空間に青空学園をおいて,まず日本語科で近代日本語を再定義することからはじめた.現在,A4版PDFファイルで,593頁である.
 それから,数学科では学問としての高校数学を実践することを心がけてきた.今の日本で数学と言えば,高校では受験数学であり,大学などでは技術の方法でしかない.文明の基礎にある学問としての数学は,近代日本では根づかず,現代日本の数学はまさに根なし草である.それで,自分で考えた数学を,数学対話などにまとめてきた. 
 入試問題も良い問題を紹介するため解いてきた.同時に論証の言葉を高校生に身につけてもらいたいと,論述を簡明でしかし論理を飛び越えないように書いてきた.現在,A4版PDFファイルで,入試問題が1411頁,それ以外が2218頁ある.あわせて3629頁である.頁数は記録として残しておく.
 私なりに,根なし草近代を越えて,次の時代を根のあるところから拓き耕そうとしてきたのだ.これは孤独な作業だった.私は今も,高校生に数学を教えたり数学の問題を作ったりと仕事をし,地元自治会の役もし,若者と一緒に声をあげることもしている.だが,自分にとってもっとも肝心なこの仕事はまったくの一人仕事であった.
 それでも,電脳空間においておくと,それぞれのサイトは,1日あたり日本語科で5~6,数学科では150前後,カウンターが上がる.それだけの人が訪れてくれている.掲示板での対話もある.生身の人が実際に出会うのではない,電脳空間での匿名の出会いであるが,中味は共有される.情報技術が可能にしたことではあるが,ありがたいことである.
 この間からは掲示板で入試問題の一般化の問題提起があり,これを考えている.これまでやってきたことをふまえての次の段階であるが,難しい.というか,かつてのようには頭が動かない.それでもこれからもできるところまで続けたい.

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 こんなことを考えながら,昨日も1時間ばかり満池谷墓地を歩いた.ここにある墓標のなかには江戸時代の宝暦とか天保とかが刻まれているものがある.この墓地は江戸時代から連続している.それもあってか,心落ちつく.墓地のなかにいくつかある地蔵に参る.上の六地蔵は南の出口にあるいちばん大きいもので,真ん中に立っているのは阿弥陀如来大日如来か.
 歩いていると,昔担任をしたY君にときどき会う.13年市芦で働いて,そのうち9年,3回担任をした.市芦で働きはじめて6年目に担任した人である.生協の配達員をしていて,こちらの地域が担当なので,うちの前も車で通る.4,5月とこちらも出歩きを減らしていたからだろうか,6月中頃ばったり出会ったら,「先生元気か.しばらく出会わなかったので,どこか悪いのかと心配してたんや」といってくれた.
 彼は「市芦はよかった.もうあんな高校はない」と言ってくれる.芦屋で働き西宮に住んできた.Y君を担任してもう40年になる.市芦でのことは,Y君の学年の3年上のS君のことからはじめて,私の市芦で取り組んだことは「市芦における障害者解放教育」に書いた.こういう教育運動がかつてあったことは後に伝えたい.その市芦の教え子にこうして地元で会えて言葉を交わせるのはうれしいことだ.
 いささか来し方を省みた次第である.

声をあげねば変わらない

 昨日は第4土曜,定例の梅田解放区の日であった.夕方5時半に大阪北の中津の豊崎西公園に集合し,集会をおこないそれからデモに出る.阪急線沿いに梅田の茶屋町を通って,JRのガードをくぐり,ヘップファイブ前まで歩いて,そこでいつものように声をあげる.

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  マイクをもった若い人が「声をあげねば変わらない」と語っていたが,その通りである.そのように考えてここに来る若者がいることは嬉しいことだ.
 しかしまた,東梅田でやっているわれわれの目の前を,多くの若者が何ごともなく楽しそうに語らいながら,通ってゆく.現代日本アベ政治の状況が悲惨ともいうべき酷いことになっているのに,どうして若者は声をあげないのだ.
 高野悦子「二十歳の原点」案内六・一五御堂筋デモにもあるが,かつては御堂筋を埋めつくす若者のデモがあった.日本の状況はあの時代よりもはるかに酷い.民主主義の原則そのものが崩壊している.雑誌『月刊日本』六月号で宮崎学さんが「突破者の遺言」を次のように締めておられる.

 この国が変わることはない。少なくとも内在的な要因で変わることは絶対にない。計算外の外在的な原因で変わることはあるが、それは権力者の顔が変わるだけで、民衆が変わることはない。彼ら、常民は永遠のうやむやの中に生きている。
 しかしそれももう限界に達している。もはや米国も含めて日本は喰い物にしか見られていない。コロナで唯一の国力である経済力もガタ落ちする。このままでは国が滅ぶだろう。いっそ滅びればいい。鬼が出るか蛇が出るかは知らないが、その先に何かあるだろう。この国に希望があるとすれば、その先にしかない。

  まったく同感である.六月下旬,少し時間をとっていろいろ考えた.それを『転換期の論考』のなかの「根のある変革」とまとめ,そのなかで

 日本という世は、いずれ行きつくところまで没落することは避けられない。既存の価値観、つまりは資本主義的価値観において徹底して没落する。そのところにおいて、異なる価値観のもとにしか再生はありえない。それは、資本主義の終焉から次の段階を拓くという課題の、日本におけるあり方そのものである。

と書いた.このもとになっている『根のある変革への試論』はまだまだ世に受け容れられてはいない.そのこともわかっている.没落しきったそのところで,こちらが何を言ってきたか気づく人がいるかも知れない.それもしかたなく,それでもよいと思う.私は,先の「根のある変革」を

私は自らの力においてなしうることはした。青空学園がいつまで存在しうるのかは不確定であるが、次の世代で引きつぐものが現れることを願っている。

と〆めたが,これは正直な気持ちである.と同時に,することはしたと言えるのかとも自省する.日本近代をとらえ直し,そこにある問題を掘り下げ,次の時代を準備する.実際,できることはしたとも思うし,まだまだだとも思う.根幹のところは考えた,しかしそれにとまらず,できるかぎりこれを具体的なことにあわせて展開していかねばならない,と考える.
 青空学園を残したいとは思う.こんなことを考えていた人がいたのだ,と思ってくれる人が現れるまで,残したい.しかしそれもわからない.280人の人が青空学園のすべてをDVDRに焼いたものを入手してくれた.それが将来に伝わってくれればうれしい.

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 こんなことを考えながら,時間のあるときは犬を連れて満池谷の墓地を歩く.1時間は歩くようにしている.120,486m² で  9200区画という実に広大な墓地である.古い墓石には江戸時代の年号が刻まれている.江戸時代,ここは原生林の大きな林であったのだろう.ここに墓地が作られていったのだ.ここは私にとって,歩きながら考えるところになっている.

梅雨入りの日に

追伸(6.15):今日,六月十五日は,樺美智子が亡くなった日である.60年の安保闘争全学連主流派が衆議院南通用門から国会に突入し,機動隊と衝突したなかでのことであった.合掌.
 あれからもう60年である.今の世のあり様は,あの60年前の時よりもはるかに酷い.なぜ若者は怒らないのか,手をあわせ,そのことを考える.

 今日は定例の梅田解放区の日.午後の1時~3時に行うとあったので,昼を食べてすぐに出かけた.行くともう始まっていた.関西も梅雨入りし,今日も雨であったので,向かいの高架線路の下でやる.2人がトランペットをかなで,それぞれが声をあげる.道ゆく人は若い人ばかりで,私のような年寄りはあまり街頭に出てこなくなっているようだ.用心はして自粛はしない,がこちらの方針で,それで梅田まで行って来た次第である。

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 3日前,鹿砦社から6月11日発売の「NONUKES voice24号」が届いた.季刊で出されるこの雑誌『NO NUKES voice』は『紙の爆弾』の増刊として出されているが,いつも献本として送って下さる.ほんとうにありがたい.
  今号は,「原発コロナ禍 日本の転機」を主題にしている.コロナ蔓延のために取材ができず,原稿依頼で雑誌を作ったとのこと.結果的に書き下し論考ばかりで,何とも読むところの多い雑誌となった.
 いずれの論考も,それぞれの分野で,日本の現状に対する考察をおこなって,その上で今後の方向を述べる.希望を言う人と,絶望を言う人と,さまざまである.

 私は,政治的にも経済的にも世のあり方そのものにおいても,さらに人と人の関係においても,日本は没落してゆくと考える.そしてそれは,安倍個人を取りかえれば済むような話ではなく,近代日本のあり方の成れの果てである.
  今回明らかになった電通の政府をとおした金の横取りは、かつては発展途上国に見られることであった.同じことが日本に起こっている.これは没落途上国のこととして歴史の記憶に刻まれるだろう.われわれは今そういうところにいるのである.
 であるならば,われわあれは徹底して没落したところから,新たな世の扉を開いてゆかねばならない.そのときに,日本近代のあり方を教訓に,今度こそは根のある変革であらねばならない.そのために考えるべきこと,考えておくべきことは多く,実践過程は困難であり,途は遠い.自分にできることはしておこうと『根のある変革への試論』を書き続けている.これはまだまだ深めねばならず,それこそ途は遠い.

 さて,青空学園もやりはじめて20年を超えたが,『数学対話』「デカルトの円定理と一般化」の4節「ヘロンの公式の一般化」について,次のようなメールをいただいた.

 私、S県S市のSと申します。職業は建設会社の現場監督をしております。S県土木施工管理技士会に工事論文を投稿したいのですが、「ヘロンの公式の一般化」を掲載したいです。
 土木工事で発生する残土というものがあります。残土量を計算するのに、今までは「台形の体積」を用いるのが一般的です。ところが、重機で厳密に台形を形作ることは不可能に近く、作られた台形から計算しても実量と乖離します。
 測量機で各頂点の座標値を得、「ヘロンの公式の一般化」にて計算することにより、より精度の高い土量の算出が可能となりました。体積が算出されますと、運んだダンプ車数との計算により、工事の正確な進捗がわか
るようになりました。
 投稿論文には<144V2=a2α2(-a2-....>の部分を掲載したいです。測量機を眺めながら、おそらく出来るはずと推測してからの勉学。次男に聞いたり、塾の先生に聞いたり試行錯誤しましたが、無事算出できて嬉しかったです。 

  青空学園数学科の記述が,土木工事の現場で役立つとは思っていなかった.確かに,残土を四面体に分けその辺長を測定することができれば,体積は正確に求まる.こちらが教えられた.
 このようなメールをいただくと考えるのは,この青空学園数学科のサイトをいつまでおいておけるのかということである.前にも書いたが,このように検索して見つける人がいるのだから,ウエブ上においてあれば,意味はある.
 しかし人の命は有限だ.これをどうしてゆくのか,なかなか方法が見いだせない.しかし,このような問題もまた,これまでの積み重ねの上に出てきたものだし,いろいろ工夫する意味はあると思っている. 

#0606抗議

 追伸:今日7日は大阪で,米の黒人死亡事件抗議の集会とデモがあった.このNHKWEBの記事は1000人と警察発表のまま書いているが,3000人は集まったようだ.こちらは朝から公園の掃除もあり,行けなかったが,心は一つである。

 昨夕も#0606抗議で梅田へ行って来た.ななさんが呼びかけた市民の行動であった.このような動きが少しでも広がることを願っている.こちらは,こんなことを喋ってきた.

 日本の没落が止まらない.1人当たりGDPの世界順位では,90年代は常に一桁で2000年には2位だったのが,安倍政権になって、民主党政権時代の10位台から一気に下降,2018年は26位.アジア・中東では7位.1位マカオは日本の2倍,3位シンガポールは1.6倍である.さらに,いわゆる先進国の中で日本の教育予算は最低であり,日本の女性医師の割合も最下位であり,実質賃金はこの10年,日本だけマイナスである.これがアベ政治の結果である.これをそのままにするのか.できるところから行動しよう.

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 実際,日本は没落途上国となった.経済での没落とともに,それ以上に,政治的没落が激しい.国内政治の劣化は,ようやく人々の怒りをかうまでになってきた.しかし,ここまでの劣化を許したのはわれわれ自身である.また,いわゆる野党の責任である.

 日本の野党の為体にくらべて,イタリアの国会議員のサラ・クーニアルさんが5月におこなった,ビル・ゲイツを糾弾する演説は厳しくも立派である.その翻訳が髙橋清隆さんのところにある.高橋清隆の文書館 : ビル・ゲイツを糾弾したイタリア女性議員の演説全文である.その冒頭の髙橋さんの一文である.

 イタリア議会で影の政府に操られた政権と腐敗メディアを糾弾し、世界中の子供たちにワクチン接種をしたがっているビル・ゲイツを「犯罪者」呼ばわりした国会議員、サラ・クーニアル女史のうわさの演説を全文和訳で紹介する。

 これを読むと,いま世界で何が進んでいるのかを考えさせる.この発言の内容について,もっと裏付けをとるように調べたいと思う.
 そしてこの春,日本政府はこのビル・ゲイツ旭日大綬章を授与している.朝日新聞のこの記事をさきのサラ・クーニアルさんの演説とあわせて読むと,日本政府がどのような位置にいるのかよくわかる.まさに影の政府に完全に操られている.それはまた,サラ・クーニアルさんの演説がその通りであることを傍証する.そして,新聞が政府と一体に物事の本質を覆い隠しでいるのもわかる.

 世界はいま大きな岐路にある.私は昨年「分水嶺にある近代日本」を書いたが,分水嶺にあるのは日本を含むこの世界である.資本主義の終焉期に,より深いところで分岐が起こっているのだ.ここはこれからもっと深めたい.

#0529抗議

 昨夜は,東京と大阪,その他いくつかの街で,6時半からアベ政治に対する街頭抗議行動があった.時間がとれたので参加し,呼びかけた人やいつもの梅田解放区の人らと声をあげてきた.

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 この間,アベ政治に反対するいくつかの動きもあった.余りにひどいと,これまでなら意志を表さなかった人らもあらたに動きはじめた.しかし,これが,世を底から変えてゆくということにつながってゆくのか,それはまだ見えてこない.
 できるところから声をあげよう.30人ほど集まり2時間半ほど訴えてきた.街頭に立って,いろいろ考えるところはあるのだが,少しずつ書き足してゆこう.

 4月5月は,これまでとは違う時間が過ぎた.私自身の仕事の方は,1週間前に書いたところからあまり進んではいない.ようやく,『根のある変革への試論』の構成を深め,章の枠組を作り変えることができた.6月はこれをもとに中味を書き進めたい.また数学の仕事の方では,6月の末までに,ある模試の一式を作らなければならない.

青空学園をどうするか
 今考えている問題は青空学園のサイトを将来どうするか,である.これを開設したのは1999年の夏であるから,もうすぐ21年になる.青空学園のすべての制作物,そこにあるPDFファイル等と,その元になるTeXのテキストファイルを,DVDRに焼いて希望者に実費で配布している.昨日,申し込みをしていただいた先生は申し込みメールに次のように書いてくださった.

こんにちは。当方、51歳の数学教師です。
Felix Klein の Elementarmathematik vom Hoeherem Standpunkte aus を検索していて、先生の記事からここに辿り着いて大変喜んでおります。
これまで日々の業務に追われて勉強時間があまり取れず、数学の力量不足を痛感しており、これからは時間を工面してもっともっと勉強しようと思っております。よろしくお願いします。 

 こうしてサイトを開いていると,このように検索でここに来る人もいて,少しは役に立つ.しかし人の命は有限である.このサイトをいつまでできるのか.そんなことは考えずにできるところまでやってゆけばよいのだとも言えるのだが,考えてしまう.

 青空学園数学科は,今高校数学と言えば受験数学でしかない現状を憂い,学問としての高校数学を,その内容において次代に伝えたいと考えはじめた.それはまた,実際に数学をやらねば出来ないことである.
 青空学園日本語科は,明治時代に翻訳のために作られた漢字造語が塗り隠してしまった日本語の基層を掘り起こそう,そうしなければ日本語の未来はないという問題意識からやってきた.
 この青空学園を,だれか後を継いで維持してくれないか.いつまで時間があるかは分からないが,できる準備はしておきたいと考えている.

安倍を逮捕しろ!

 今日は定例の梅田解放区であった.ここには今日のデモの様子も出ているのでみてほしい.午後1時前に阪急中津で降りて,豊崎西公園,通称タコ公園まで歩く.道を間違えたくさん歩いた.汗ばむ陽気であった.いくともう集会ははじまっていて,多くの人が語っていた.地元西宮の甲陽園で顔見知りのKさんにも出会う.彼は月曜日の大阪市庁前での座り込みや市との交渉にも参加している.

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 そこから梅田までデモする.50人くらいのデモであった.かつて韓国のキャンドル革命では多くの人々が街頭に出てデモをし,大きく政治を動かした.アベ政治はそのときよりもはるかに酷いのに,なんで日本ではデモも起こらないのか.それでこのような機会に時間がとれればデモに参加し道ゆく人々に訴えるのを手伝う.
 昔は,京都ベ平連でデモを呼びかけてやっていた.それから半世紀弱,今は,青空学園というサイトを主宰している一人の市民という立場で参加する.こちらがデモを呼びかけることはしていない.半時間ほど歩いて,そして東梅田のいつもの所に着く.また道ゆく人らに語りかける.

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 ここには,2012年の6月から関電本社前の毎週金曜の行動で顔見知りになったTさんもいつものパネルをもって来ておられた.私より年上のはずだが,お元気であった.一緒の写真が上の所に出ている.ここで音楽をやっていた人らと一緒になって,思いをそれぞれに語り,またサックスを鳴らしドラムを叩く.若い人らのいうことを聞いているといろいろ勉強になる.「もう日本は法治国家ではなく,放置国家だ.安倍の犯罪はすべて放置される」「安倍を逮捕しろ!」.まったくその通りである.3時半頃までやって,Kさんと戻ってきた.

 この7年半のアベ政治の下で,日本は大きく凋落した.一人当たりGDPの世界順位では,90年代は常に1桁で2000年には2位だったのが,民主党政権時代の10位台から一気に下降し,2018年は26位.アジア・中東では7位.1位マカオは日本の2倍,3位シンガポールは1.6倍である.
 しかし,この指標はつまるところ資本主義の価値そのものではないか.徹底して没落したところから,資本主義の指標に変わる別の価値基準,それは,すべての人を,人であることにおいて,等しく尊厳しあい認めあうことであるが,この異なる基準でこの世を作り直さなければならない.新しい生き方を生みだしてゆかねばならないのだ.
 まだその政治勢力は現実化していない.今しばし時間が要る.しかし,アベ政治を終わらせることは歴史の要求であり,歴史が求めることは,多少の時間がかかっても現実化する.そのためにできることはしたいものだ.

 この間,4月5月はほとんど外には出なかった.自治会の総会があり,週1回は仕事で神戸に行く.そして,夕方1時間は犬の散歩で歩くようにしてきたが,その他はもっぱら書斎でいろいろ考えてきた.『解析基礎』は考えていたところまでまとめられた.『ガロア理論』は勉強しただけである.それでも,手をつけはじめたままになっていたものをまとめられた.とりあえず昨日,『根のある変革への試論』の2.1版をまとめることもできた.
 「根のある変革」とは,明治維新がつまるところ根なし草の外発的な変革であり,その成れの果てがアベ政治であることをおさえて,ここからの変革はどうあらねばならないのかを考えたうえでの言葉である.そのための試論を,今できる範囲でまとめた.
 こうしてウエブサイトにおいてみると,客観的に読めて,いろいろ深めるべきところが見えてくる.ここからいろいろ深めてゆきたい.

 仕事や地元の事々など,6月からはじまってゆくが,前とは同じには見えない.日常の風景の見え方が少し違っている.コロナ以降は,もう元に戻るのではなく,新たな別の歴史の段階なのかも知れない.一方で,世界の戦争屋はこれを機にこれまでのやり方をいっそう進めようとしている.本当の闘いもまたここに始まる.

端午の節句も過ぎ

 前にも書いたが,私には肺炎の既往歴があり,四月一杯は人の多いところに出かけるのを控えていた.昨日は久しぶりに梅田解放区に参加してきた.定例第2土曜,5月は午後1時からやるとのことで,1時過ぎにゆくともうはじまっていた.いつものようにこちらは喋らず,一緒に街頭に立つ.この時期,語る人は多く,3時半過ぎまでやってきた.3人が,一人は医者に配られる防護服,一人が看護師に配られた雨合羽,一人がゴミ袋で作ったのをきて,何でこうも違うのかと、訴えていた.
 彼らは11日は大阪市役所前で訴え,市庁舎に入り,市長の記者会見にも出くわす.こちらは地元で用がありいけなかったが,若い人らのがんばりには期待したいし,またこちらも勇気づけられる.
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 大阪の吉村知事がよくテレビなどに出ている.安倍の後にと一部ではもてはやされている.しかし彼は,住吉市民病院をなくすなど大阪の保健所を半減してきた人であり,慰安婦像のことでサンフランシスコと友好都市を解消した人であり,何より武富士のもと弁護士である.維新が自民に取り込まれて大阪が全国化する.これを許すな,みなそのことを語る.

  アベ政治の下で,日本はかつてない没落をしている.その現実は次のようなものだ.以下は2020年4月の『日刊ゲンダイ』による.
 1人当たりGDPの世界順位でも,90年代は常に1桁で2000年には2位だったのが,安倍政権になってからは,民主党政権時代の10位台から一気に下降し,18年は26位.アジア・中東では7位.1位マカオは日本の2倍,3位のシンガポールでも1・6倍もある.
 日本の大学はアジアだけで見ても(タイムズ・ハイヤー・エデュケーション・ランキング),10位に入るのは8位の東大のみ.20位でも,中国6校,韓国5校,香港5校と比べて日本は2校である.経営大学院(MBA)の世界ランキングでも,100位までに日本はない.
 最近の調査(科学技術振興財団)では,先端151分野の有力論文数の各分野1位は全て米国と中国だった.日本は2位に入る分野さえなく,5位以内に入れたのもわずか19分野.最重要分野といわれるAIでは,世界10位と大きく遅れている.
 世界で競争できない理由の一つに英語力の欠如があるが,こちらも,調査対象100カ国中,日本は53位(EFEPI英語能力指数).アジア25カ国中でも11位.韓国6位,ベトナム7位,中国9位より下である.
 情報通信技術(ICT)を利用した教育を頻繁に行う中学教師の割合は,1位デンマークの90%に対して,日本は18%.経済協力開発機構OECD)加盟国等47カ国中46位である.
 先日LINEとYahoo!の統合でGAFAを追撃という話があったが,2社の研究費合わせて年間0・1兆円に対し,アマゾン2・5兆円,グーグル1・8兆円,アップル1・3兆円であり,日本トップのトヨタでも1・1兆円でアマゾンの半分以下である.

 この記事があげている指標において,間違いなく日本は没落し続ける.しかし,これらの指標はつまるところ資本主義の価値そのものである.徹底して没落したところから,資本主義の指標に変わる別の価値基準,それはつまるところすべての人を,人であることにおいて,等しく尊厳しあい認めあうことができるかであるが,異なる基準でこの世を作り直さなければならないのだ.

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 この間,仕事で神戸に行き,配信する授業の映像を作成した以外は,地元にいていろいろ考え文章も作ってきた.数学の他では,『根のある変革への試論』である.
 ここでは,近代日本を,世界大の資本主義化という普遍的な枠組の中で,その日本における固有の問題をとらえている.これは,非西洋における問題の一つであり,この固有の問題を掘り下げることで,資本主義というものを具体的にまた経済関係を越える問題としてとらえることができる.これからいろいろと意見も聞いて掘り下げてゆきたい.
 この一文を書くことで,散歩をしていても,目の前の光景に前とは違う何かが深まっていることに気づく.この感覚を大切にし,それにも導かれてもう少し深めることができればと思う.

 数学の方ではガロア理論を勉強している.『数学対話』に書くのはまだまだである.実際やってみると,これまで曖昧なままにしてきたことの多いことに気づく.お前は数学を,整数論を専攻したのではなかったのかと、自問する.当分勉強である.
 2枚目の写真は手振り地蔵の後ろから.11日撮る.