もう四月下旬である.桜の花も散り,藤の花の時節である.地元の神園公園の藤棚がきれいだ.
次の写真は広大な満池谷墓地の中にある手振り地蔵.青銅製でかつてはもう少し北にあったが、阪神大地震の時に一度倒れ,ここに移された.よく犬を連れて横を通る.いわれはよく知らないが,味わい深い.
向こうに見えるのは甲山である.その次の写真は30日追加のカラーと,2週間前に撮った裏の隅に咲く射干(しゃが)の花.今もまだ花は咲いている.
さて,原子力緊急事態宣言は今も続く.そして,コロナウイルスの緊急事態宣言が重なる.まさに二つの緊急事態が日本列島を覆っている.
アベ政治は,原子力緊急事態宣言によって,福島では20ミリシーベルト以下であれば帰還するように促してきた.これがなければ1ミリシーベルト以下である.そして原子力緊急事態宣言下で「復興五輪」をやろうとしてきた.コロナウイルスの蔓延による延期は,「アベ政治は何を考えているのだ」という天の怒りの声でもある.
コロナウイルスの蔓延はいつまで続くのか.まだそれは見通せない.このウイルスの蔓延が,人類に新しい問題をつきつけたことはまちがいない.
「人新世」という地質学上の概念がある.地質学の時代区分で,人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与えるようになった段階を意味し,それは一九四五年のアメリカの核実験を起点としている。今回のコロナウイルスの蔓延は、まさにこの人新世に起こったのだ.地球温暖化問題や核兵器根絶問題を放置してきたことに対する生態系の側からの揺り戻しそのものである.資源開発、人口増加,航空機の発達,経済活動の増加など動物居住地域と人との接触が増え,これからも新しい疫病が現れ,それは瞬く間に拡散する.
日本のアベ政治は,感染症医療分野の利権がらみで必要な検査さえしない.その結果手遅れとなって,救える命も救われない.生活と事業への補償もまったく手薄で遅い.何のための政府だ,ということである.そして彼らの本音はここでもまた自己責任だ.このままではまだまだ犠牲が広がる.
今回の疫病の蔓延は,こんな政治を一日も早く終わらせ,すべての人の尊厳と命と,そして環境を守ることを第一とする世に転換してゆかねばならないと言っている.それは歴史の要求なのだ.そして,歴史が求めることは,実現可能なのである.
4月11日に,この間にやってきたいこととして,三つあげた.そのうち『解析基礎』の「複素解析へ」をまとめることができた.高校範囲としてはここまででよい.
また,これまで書きためたものを整理したいと考えていた.それは『根のある変革への試論』としてまとめることができた.ここに置いて,読みかえしながら手を入れてゆくつもりだ.根なし草の日本近代を,世界史の中においてみることによって,問題に普遍性があることがわかり,これを書いて少し代の見え方が動いたようにも思う.
次は「ガロア理論」である.これは少し勉強したい.『数学対話』のなかにガロア理論を入れることが,一つの目標なのだが,そこまでいけるかどうか.着手するところまでゆけばよいと考えている.(5月1日追記)実際に書いてゆこうとして,フォルダを開いたら,2017年の4月に書きはじめていた.忘れていた.ラグランジュの方法について書きはじめていた.アーベルの証明の手前で止まっている.構成を含めて,もういちど考えたいが,これは生かしたい.(5月2日追記)読みかえして論理の甘いところがあった.これをふくめて明日から考える.
四月,いくつか本を読んだ.まず,宮良作さんの『忘れな石』である.戦争末期,八重山諸島の波照間島の島民が日本軍によって西表島に追いやられ,500人以上がマラリアで亡くなった.そのことを伝えるものである.2014年に西表島に連れってもらった.忘れな石の碑の近くまでいっていたのだが,戦争末期にこのようなことがあったことは全く知らなかった.
この戦争マラリアのことを,若いジャーナリストの大矢英代さんが,波照間島に住み込み,年寄りの信頼を得て,あのとき何があったのかを書き記したものが『沖縄 戦争マラリア』である.一気に読んだ.
忘れないようにもう一冊書いておかねばならない.アメリカ占領下の沖縄と奄美の関係を論じた『国境27度線』である.
そしてもう一冊が,適菜収さんの『国賊論』である.アベ政治の本質を鋭くえぐりだす.先の『根のある変革への試論』の序章でも引用させてもらった.
そのうえで私の課題は,次の段階をどう開いてゆくのかということである.それを,まさに試論としてまとめてみたのが先の試論である.まとめるのは推敲の始まりである.ここからもっと深めていきたい.仕事の方は少しずつだ.五月半ばまでに問題もあわせて4題作らないといけない.