晩秋の梅田解放区

 昨夜は定例の梅田解放区の日であった.阪急をおりて東梅田に行くと,同じ場所で4時半からあったGowestComewestの人らの街宣が続いていた.こちらも声をあわせる.福島県から大阪に避難してもう長い人の訴えをきく.日本政府がいかに無策で酷いか.それでもこういう連帯を繋いできた人らの努力に頭を垂れる.立って聞いているのは結構寒い.晩秋であることを思う.

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 それから定例の時間がきて梅田解放区をはじめる.第2と第4土曜は東京や広島や,その他のところで,それぞれの時間帯で一斉に「安倍スガ自民にとどめを」と街頭に立つ.ここ梅田では20数人が参加し,街に向かって思いを語る.

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 若い人らが,慰安婦問題,ベルリンでの少女像をめぐる問題での日本政府の愚かさ,外国人実習生の人権蹂躙労働問題,格差と非正規労働の問題,そして生活困窮者に対する維新政治の責任放棄,等を語る.
 こちらはもっぱらビラ配布を手伝う.私がこの集会に参加するようになって間もなく三年である.主催している園さんやその頃からやってきた人と,この間のいろいろな問題,とりわけコロナ禍の問題から参加してきた人と,多彩である.はじめて参加したときのことは『「沖縄今こそ立ちあがろう」の歌』にある.そしてこの三年,世の有り様は何も変わらないどころか,よりいっそう酷くなっている.
 前にも書いたが,韓国KBSが日本の運動を報道したものの写しがyoutubeの viUZw1ka32s で見られる.ここに出てくる人らは昨日も参加していた.その人らと,あのように日本の現実が韓国に報道されたことはほんとうにいいことだった,今の日本公共放送ではあり得ない放映内容であった,などなど語りあう.
 今の日本の政治状況は,一部のものに私物化され食い尽くされる政治そのものであり,日本の現実はまったく酷いことになっている.社会の現実,世のあり様は東アジアや東南アジアでいちばん酷いものである.

 大阪では,大阪市廃止は否決された.松井市長は,大阪市廃止,つまりは市長もなくなるという提案をした当事者である.そしてそれが市民によって否定された.自らの提案が否決された当事者として,いますぐ辞任しなければならない.
 ところが逆に,維新の会は大阪市の多くの事務権限と財源を府に一元化する条例案を通そうとしている.直接投票で否定された内容をそのまま条例化して,維新と公明で過半数の議会に委ねようとしている.それは大阪市を潰し,大資本に売りわたそうとすることだ.
 沖縄では,辺野古への基地移設問題で,住民投票でも反対が賛成を大きく上回り,知事選や国政選挙で何度も反対の意思を示してきた.だがこの沖縄県民の意思は,国によって無視され続けている.
 大阪も沖縄も,いずれもそこに暮らすものの意思を無視し,大企業の利権を優先する政治である.そして私は,これが日本近代の帰結であり,その成れの果てであることを言ってきた.
 日本はかぎりなく没落する.没落しつくさなければ再生は有り得ない.しかしそれは犠牲が大きすぎる.私はこれらのことを言い続けてきた.いままさにその没落の歴史がすすんでいる.
 それでも没落させようとするものと闘い,その闘いの中から次の時代を準備せよ,いま問われる歴史の課題である.準備するとはどういうことか.それは闘いのなかでしかあり得ない.街頭に立ち,そこで考えたことをもとに,おのれの場で少しでも前に進む.この歳になると,これまでに一体何ができたのだろうかという思いもまた強くなる.

歴史と向きあう

 住民投票によって,大阪維新の会(代表・松井一郎大阪市長)の吉村知事,松井市長による大阪市解体は阻止された.これまで,大阪市の解体に反対して闘ってきた多くの人に感謝する.私もまたできるところでそのために行動もしてきたので,ようやくに日本でも人民の意思と力で現実を動かせたことに,よかったという気持ちである.
 資本主義がもはや拡大できないという条件の下,日本の政治経済はそれを越える新しい枠組を何一つ作ることができない.その結果,日本が大きく没落してゆく.このなかで,少ない利益をほんの一部に集中させようとするのが,維新やスガが狙った大阪市の解体である.
 百三十年の歴史をもつ大阪市を解体し,権限も財源も「都(府)」に吸い上げ,「一人の指揮官(知事)」のやりたい放題の体制をつくろうとするの維新の会の野望を市民の良識が打ち砕いた.それは,新自由主義段階の資本の放埒な動きの一つを市民が止めたということだ.
 松井市長は大阪市長でありながら大阪市の解体をすすめ,そして市民に拒否されたのである.であるならば,即刻辞めねばならない.松井は今すぐ辞めろと,吉村知事や松井市長,それとつながるスガ首相らの責任を今後とも厳しく追及してゆかねばならない.
 同時に,なぜ維新のような政治を許してきたのか,これについてもっと深く掘り下げて考えねばならない.

 日本では,歴史と向きあい同じ過ちを繰り返さないという思想や運動,それ以前に一人一人が歴史と向きあうこと,これが非常に弱い.

 最近読んだ『時効なき日本軍「慰安婦」問題を問う 』<2020/7,社会評論社,纐纈厚 (著, 編集), 朴容九 (著, 編集), 申琪榮 (著), 李芝英 (著), 韓惠仁 (著), 李相薰 (著), 李哲源 (著), 楊孟哲 (著),松野明久 (著)>において,纐纈さんがこの問題を掘り下げている.
 この書については,いつも梅田解放区で出会うだいさんが彼のブログ「 加害者の孫を生きる ~日本軍「慰安婦」問題のこと、その他のこと」のなかの読書録「纐纈厚・朴容九(編)『時効なき日本軍「慰安婦」問題を問う』」に詳しく書いてくれている.
 この2015年の赤旗の記事にもあるように、1991年、日本の国会では政府が「慰安婦」制度は軍(国)が関わっていたのではなく,民間業者がやったことだと発言した.それに対して,金学順さんが名乗り出て告発した.
 日本は,国家として内から「慰安婦」問題と向きあったのではなかった.問題の無時効性と,そして戦争責任の問題は一貫して回避され続けた.「慰安婦」問題は,普遍的な問題であり,また無時効性をもつ問題である.帝国の侵略における被侵略地の女性に対する人権侵害であり,それはその当事者が亡くなっても,問題を抉り出し責任を追及することにおいて時効ないということである.その追究と歴史の研究交流には、国境を越えて未来を共有する可能性を提案する役割がある.

 そのうえで,もっとも基本的な固有の問題は,近代の日本は,歴史と向きあい教訓を引き出すことをしない世であったということである.ここに,日本近代という固有性に根ざした問題がある.戦後,この「慰安婦」問題と向きあうことなく,形だけを繕い実際には放置したままの日本国家,そして,それを許している人民の問題である.
 それでも,こうして日本近代の歴史を事実から目を背けることなく向きあわせるいろいろな営みがようやくに出てきている.学ぶべきこと,考えるべきことはほんとうに多い.同時に,資本主義を越える新しい人の繋がりを目的意識をもって生みだしてゆく試みもいろいろと出てきた.

 私はこれまでやってきた日本語の掘り下げの基礎作業を,新しい動きに繋いで次の時代を準備してゆくために,何ができるかを考え,なしうることをしてゆきたい.
 そのために『根のある変革への試論』に手を入れてはじめている.これは東電核惨事をうけて「核炉崩壊以降」として書きはじめたのだが,もっと深くあの日本軍国主義と向きあうところまでいかねばならないと考えるようになった.スガ政権の批判はそれをふまえるものでなければならない.
 大きな方向ははっきりしているのだが,書いてゆくのは難しい.力およばずとなるかも知れないが,これはやらねばならないと考えている.その骨子をかいてゆく.

 日本近代は根なし草であった.
 それは一人一人の個の枠組が根をもたないことでり,
 それは,人と人の間においても,その集積としての世のあり方においても,それを規定する枠組が根をもたないことと,一体である.
 

大阪市解体を許さない!

 昨日は定例の梅田解放区であった.夕方5時半に梅田北にある中津の豊崎西公園に集合し,まずそこで集会をおこなう.季節は秋で,日没も早く,あたりは暗かった.幾人かが喋る.
 大阪市解体反対! スガは辞めろ! アベ逮捕!
 ずいぶん気温が下がっていて,立っていると寒いくらいであった.よく見ると松井市長も雨合羽を着て人形で参加している.

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 それから,デモに出る.いつものように少しデモして歩くと阪急の高架にくる.その横を,東梅田のHEP5前まで歩く.北梅田の界隈はほんとうに人が多い.若い人らで混みあっている.
 11月1日の大阪の住民投票は,「都構想の賛否を問う」といわれているが,これは維新によるごまかしである.都とするかどうかの投票ではない.大阪市を解体するかどうかの投票である.「都になるならいいのでは」と思っている人らに,それが投票の中味ではなく,あくまで大阪市解体の賛否を問うのだということを訴える.
 HEP5前での集会に移る.23日にはここで17歳の人が転落死し,その巻き添えで入院し意識のなかった19歳の学生が24日になくなった.それで集会の最初に黙祷を行う.
 菅政権が国会を開かずに独裁政治を進め,大阪維新に属する吉村知事,松井市長が大阪市を解体しようとしている.資本主義がもはや拡大できず,日本が没落してゆく中で,利益をほんの一部に集中させようとするのが,国と大阪のやっていることである.
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 これに対抗する.そのために街頭に出てそこから呼びかける.皆その気持ちを一つに,歩きそして語る.自由に発言し、訴えてゆく.こうした街頭行動,ここからしか始まらない.
 この日は歌手の川口真由美さんも来てくれた.彼女の歌はいつ聞いても引き込まれる.デモをしながら彼女の歌を聞くのははじめてだったが,よかった.彼女の歌はもうどれくらい聞いたのだろうか.それにしてもこのライブ配信は心動かされる.
 この日は,連帯労組の人が,大きな音の器材をリヤカーに乗せ,一緒に歩いてくれた.大きな音楽のあるデモと集会となった.

 私は、こうして皆がやってるのを,参加することで手伝おうと,もう3年近くここで行われるときに通っている.参加者の中ではいちばん年寄りだと思うが,街頭に立つことはこちらが考える場でもあり,私にとっても意味深い.そして,これがいつか御堂筋を埋めつくすデモの再現にまでつながることを願っている.

 ここまで昨日のことを書いて,犬の散歩で1時間半歩く.写真の満池谷墓地南口から南東の方向へ,前に「安倍=菅やめろ(続)」に書いたところを歩いて,愛宕山の上までいってきた.f:id:nankai:20201025214001j:plain
 それにしても日本の現実は酷い.この没落の意味を日本にいるものとしてとらえねばならない.日本近代は,近代日本と向きあわず,目を背け続けてきた.歴史と向きあわないところは,必ず没落する.日本はいくところまでいかねば,再生することはない.それを確認して,そして徹底して没落したところからの再生について,為しうる準備を重ねてゆきたい.

 地球の有限性によって,拡大しなければ存続しえない資本主義は,終焉する.
 縮小する利潤を,ほんの一部に集中させようとするのが,新自由主義である.
 没落しつつある日本において,それは露骨である.スガ政権の本質である.
 互いを人として尊重しあい,ものを分けあう関係を作れ,これが歴史の求めである.
 生産者と人を直接に結ぶ活動を基礎にその輪は広がっている.
 わが家では,あしの会と西宮の北の方の無農薬野菜農家から食材が毎週届く.
 梅田解放区もまた,そんな人と人の関係を基礎にしている.
 これを土台に,新しい政治を現実にしてゆかねばならない.
 資本主義を越えるというのは,日々の取り組みそのものである.
 そして,歴史が求めることは,実現可能である.

 私は,そのための基礎作業をしてきたつもりであるが,しかし力およばずである.それでも,何をしなければならないのかについて,これからも書き置きたい.

集会:変えよう! 日本と世界

 まず最初に,先日,韓国KBSが日本の運動を報道した.それが youtu.be/viUZw1ka32s  で見られる.コロナ以降仕事が激減したマッサージ師,非正規の看護師,夜の仕事の従事者,路上生活者にも10万円給付金を求めた交渉やセンター団結小屋前の寄り合あいと共同炊事の様子,そして東京から避難してきた原発避難者とていねいな取材である.梅田解放区で出会う人たらが幾人か登場する.
 放映後大きな反響があった.YouTubeでは,ハングルは読めないので意味は分からないが,多くのコメントが寄せられている.
 事実と向きあいそれを伝えている.このような放送が公共放送でなされる韓国は実際のところ日本の先を行っており,日本はそのはるか後方に取り残されている.それが実感できる.これは日本の今の公共放送では考えられない.
 これは単に放送のあり方ということではなく,この放送内容自体が,日本そのものが大きく没落していること、それを事実として伝えている.
 そして,このなかで園さんも言っているが,韓国には日本軍国主義との長い闘いの歴史があり,民主化闘争もまた長い歴史がある.それが今の韓国の土台である.日本にはそのような歴史はない.それが今,闘うかさもなくば国家に殺されるかという時代に入りつつある.日本没落とそこからの闘い,これが現実の歴史になりつつある.

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 さて,18日は時間がとれたので,午後京都へ向かう.少し早めに出て,1時に河原町に着く.四条大橋を渡り,一筋北の祇園白川を通り東山通りに出て,祇園石段下から円山野外音楽堂まで行く.祇園白川に出会ったときのことは「S1会と祇園白川,吉田神社」に書いたが,ほんとうに京都の街は懐かしい.
 そして午後2時からの 第14回 反戦・反貧困・反差別共同行動 京都 変えよう! 日本と世界 に参加してきた.主催は「反戦・反貧困・反差別共同行動京都 実行委員会」であった.
 いつも梅田解放区で出会う人ら4,5人とも出あった.会釈し言葉を交わしながら会場に入る.しばし音楽の後,集会が始まる.

f:id:nankai:20201019073025j:plain 沖縄県選出の参議院議員伊波洋一さんの講演,浪速の唄う巨人・趙博さんの演奏,そして連帯ユニオンの西山さん,社民党服部良一さん,大椿ゆうこさんのアピールと続き,白井聡さんの講演であった.夕方にこちらで用事があったので,白井さんの講演の途中で退席,デモには出ず戻ってきた.
 伊波さんは講演で,今日の日本の主権を放棄しアメリカに隷属した有り様がいかに異常で酷いものであるかを分かりやすく話された.ここまで国家の主権を失ったままの国は他にはない.日本ほど,歴史に向きあわず,自らを省みないところはない.
 集会は,「変えよう! 日本と世界」と銘打っているが,実行委員会の今の世界に対する認識は深くはなかった.伊波さんの提起した日米関係を掘り下げる議論や問題提起もなかった.毎年の行事としてやや停滞しているとも思った.

 京都は久しぶりであった.この円山野外音楽堂での集会は国際反戦の日に近い日曜日に毎年やっている.今年で14回目ということであった.こちらもこの集会は2,3年前に参加したように思ったが,調べると2011年の秋だった.「生きるとは行動すること」に書いている.時間の経つのはほんとうに早い.

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 野外音楽堂から歩いて河原町に戻ったが,途中,円山公園は天気もよく,少しまわってきた.

アベ・スガ政治を終わらせよう!

 昨夜は定例の梅田解放区であった.梅田解放区にもあるように,この日は東京や京都でも行動があった.あまりにも酷いスガ政治への危機感に若い人らが声をあげる.いま声をあげ続けることはほんとうに大切だ.
 こちらは,彼らががんばっているので,できることはしようと,一緒に梅田の街頭に立ち,ビラ配布を手伝う.

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 私は先日あるところに「そのアベ政治を菅は引き継ぐと言う。引き継ぐだけではない。さらに国民監視を強め、権力を公然と私物化して操る。菅政治の方向は現代のファシズムに至る」と書いたばかりであるが,すぐに「至」った.書いてすぐにスガは日本に新たな段階のファシズムそのものを現実化した.それが,日本学術会議への人事介入である.スガがこんなに早くその本性を現すとは思っていなかったが,それだけ向こうに余裕がないのかも知れない.
 しかしそれにしてもなぜ日本の研究者や日本学術会議につながる者は立ちあがらないのか.日本の大学はそんなものだと見切りをつけて研究者の世界から身を引いて45年の私であるが,それでもこれだけのことになれば人として立ちあがらねばならない.それもできないのか,という思いであった.
 そのなかで,私の読んだ『日本会議の研究』の著者である菅野さんはこのような今の知識人の現状にくさびを打ち込むべくハンストを続けている.その輪も広がっている.田中龍作さんが詳しく伝えてくれている.日本の社会運動も,ようやくに新しい段階を拓きつつある.こちらもできることを続けてゆきたい.

 この二週間,多くの本を読むことができた.読書録として書いておく.
 まず,『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 』(原田 伊織著,講談社文庫,2017)と『明治維新という過ち・完結編 虚像の西郷隆盛 虚構の明治150年 』(原田 伊織著,講談社文庫,2018)である.この二書は「明治維新とは、日本を近代に導いた正義なのか?」と問い,維新の本質を総括する.そして,この近代が人民の生活とかけはなれた政争の連続であったかを暴く.日本近代は根なし草近代であった,という当方の主張を立証するのものであった.
 そして,『慰安婦たちの太平洋戦争―秘められた女たちの戦記 』(山田盟子著,光人社NF文庫,1995)と『続・慰安婦たちの太平洋戦争―正史になき女たちの戦記』(山田盟子著,光人社NF文庫,1995)である.「その数二十万,陸軍は慰安婦,海軍では特要員と呼ばれ,その存在も,生死さえも闇の中に閉ざされた“軍機の女たち”―南方の地でからゆきの墓群を眺めて以来、その足跡を追いつづけてきた著者が現地取材を重ねた」と本書の紹介にあるように,これもまた近代日本の教科書では語られない闇を照らす書であった.
 さらに,『つぶやきの政治思想―求められるまなざし・かなしみへの、そして秘められたものへの 』(李静和著,岩波現代文庫,初出1998)である.これは読み切れないすごい書である.そして,この李さんへの応答も載せた同書の崎山多美の一文に惹かれた.
 それで,書棚にあった崎山多美の小説も入っている『現代沖縄文学作品集』を読みかえし,それから『月や,あらん』(崎山多美著,インパクト出版会,2020)を取り寄せ読んだ.14日『クジャ幻視行』(崎山多美著,花書院,2017)も届いた.
 これらは朝鮮,そして沖縄からの,戦後日本への問いかけである.圧倒されるものばかりであった.戦後の日本社会はこのような歴史に向きあうことを拒否してきた.アベ政治もまた慰安婦問題から逃げとおした.
 『人新世の「資本論』 (斎藤 幸平著,集英社新書,2020)も読んだ.現代は,地質学的には,人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代である.これを止めるためには資本主義の拡大と利潤追求を止めなければならない.危機の解決策を,晩期マルクスの思想の中に探るものである.

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 これらを読み,自分が青空学園日本語科でやってきた言葉の基層を掘り下げる基礎作業は,このような問題提起に対応できるのかと自問しなければならなかった.このような問い自体が,これまでの作業の上にはじめてうちからの問として出てきたものであり,そのことを踏まえたうえで,しかし,この問は重い.これは今まさに考えている途上であり,考えられたことをここにも書き足してゆきたい
 近代といわれるこの百五十年を経て,日本においてこのような問題が現実の歴史課題となってきたことは確認できる.現実の歴史過程も,思想的にも,転換が現実化する歴史の段階になってきたことを実感する.この歴史の要求に自らできるかぎり応えねばならない.
 アベ・スガ政治を終わらせるとは,この,歴史と向きあわずそこから逃げる政治を終わらせることでもある.梅田解放区のように,歴史に向きあい行動する若者は大切だ.これからもできるかぎり参加してゆこうと改めて思った次第である.

安倍を処罰!

 昨日は定例の梅田解放区があり,参加してきた.コロナ生活補償を求める大阪行動にも記事があるように,昨日の解放区は,現役の議員から学生までがいろいろ語る集会とデモ,そして梅田での街宣だった.
 まず大阪北にある大淀コミュニティセンターで「安倍を処罰!」を掲げて集会をした.50人ほど集まっていただろうか.2時に始まり,「アベ政治を終わられるために」と題して,森友学園問題を考える会/豊中市議会議員の木村真さんが語る.そして「私たちが変われば政治は変えられる」と題して,社民党全国連合の大椿ゆうこさんが語る.

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 それからSwing MASAさんたちのトランペットやギターなどの楽器の演奏である.人と人の結びつきが昔とは違ってきていることを思う.そして,辺野古の問題から,コロナ禍の下での生活保障の闘い,大阪都構想の問題まで多くの人が発言する.最後に「安倍,菅の労働者殺しや組合弾圧を許さない」と題して,連帯ユニオン関西生コン支部の西山直洋さんが報告して、集会を終えた.
 会場を片付けて東梅田のいつものところをめざしてデモにうつる.集会場が豊崎西公園より北東にあるので,倍近く歩いた.東梅田でもういちど道ゆく人に呼びかける.木村議員も大椿さんもさすがに喋るのがうまい.
 この日は東京でも広島でも,街頭の行動があった.田中龍作さんが 官邸前で「安倍スガ自民党にとどめを」と叫ぶ と伝える.これからも第2と第4土曜日にそれぞれの街で街頭に立とうと,広く呼びかけてゆく.
 私はこのなかでは最年長ではないかと思う.だれかにいくつですかと聞かれて答えると,親と3つ違うだけですね言われたりもした.いつものようにデモを一緒に歩いて着いてからは街宣を手伝う.若い人らが多くなってきたのはいいことだ.その中に年寄りが混じっているのもまた悪くないと参加している.この行動のときは日常から少し距離をおいて考えることができる.それもあって,若い人らがやっているところに出かけている.私にとっては,街頭に立つのはいろいろ考える場になるからだ.
 菅政権が発足した.アベ政治はコロナ禍に結局は何もできず,安倍は政権を投げ出した.同時にこれは,「戦争法」強行採決以降のこの五年間,新しい形で現れてきた市民の怒りを恐れた結果でもある.スガに代わっても近代国家の枠組の破壊はそのままであり,収賄公文書偽造の犯罪者・安倍晋三は逃げおおせている.それを裏で差配してきたのが菅である.
 日本のテレビや新聞はみなこの事実を隠し,菅の人柄をでっちあげて美談に仕立てて報道する.前にも書いたように,日本の大手のテレビや新聞は報道機関ではなく,洗脳機関である.

 なぜこんなことになったのか.資本主義の終焉期に,これまでのように民主主義を立て前とする余裕が資本の側になくなっている.ここに,トランプやマクロンや安倍ー菅が現れる一般的な土台がある.そのうえで,固有性の問題で言えば,それぞれの歴史をふまえた背景がある.
 そのなかでも日本の現実はとりわけ酷い.なぜこのようになったのか.日本についていえば,この現代日本の惨酷なあり様は,近代日本の成れの果てであり,近代日本の世が根なし草の世であったからである.

日本近代は人のうちの力で生まれたものではなく根なし草であった。
近代日本語は翻訳造語にはじまり言葉のしくみには根をもたない。
世界はいま拡大を旨とする資本主義から脱成長の協働主義への転換過程にある。
このなかで日本はかぎりなく没落してゆく。
根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない。
日本語に深く立ちかえりそこに伝えられた智慧に学び資本主義近代を越える礎としよう。

  これはいま,青空学園日本語科の扉に掲げている一文である.私はこのように考え,この二十一年,青空学園日本語科で,日本語そのもに立ちかえり,そこに伝えられた智慧をくみとるための基礎作業を続けてきた.
 どのようなときに,言葉に根があるかどうかを考えるのだろう.私の場合は,高校生の頃に何か日本語に違和感をもっていたのを,後に思い出し,言葉の根ということを考えた.そのことは『学園の初心』に書き、そして『再定義の試み』の旧版の中にある「再定義とは」に書いている.

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        28日撮影.近くの駐車場の端から甲山を望む

 このような基礎作業は,いずれ日本が没落し果てて,そこからもういちど世の中を立て直してゆくときに意味をもつ.それまでは,できるだけの作業を積み重ねておく.私にとっては,再生のために必要なこととして,目的意識をもって見るべきことが今の日本の没落である.
 当面する課題は,次の全国選挙で自公維新を倒し,野党統一政府のもとに指揮権を発動して安倍を逮捕することである.これは日本に民主主義を回復する第一歩である.
 いろいろ考えさせられた.このように集まる人々の中にいて,希望も見いだせる半日であった.

安倍=菅やめろ(続)

 昨夜は定例の梅田解放区であった.先週は安倍が辞めたので臨時であった.梅田に行って,未来を担うべき若者と一緒に声をあげる.
 それにしても安倍から菅と続くこの時代の国政の酷さ.それを暴かないどころか、まさにヨイショする大手報道機関の退廃.日本の大手新聞やテレビは報道機関ではない.洗脳機関である.テレビや新聞から世界に接していると,多くの人々は現状を追認する.ましてや,立ちあがることはない.
 それでもその現実をふまえて,なしうることはしなければならない.そう考えこちらも参加してきた.終わってからの反省会も出てきたので,遅くに戻ってきた.
 昨夜の行動はは東京でもあった.これからも官邸前で第2第4土曜に続けるそうだ.これが全国に拡がればいい.それぞれの地で,第2第4土曜日,街頭に立とう!

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 先日,鹿砦社の松岡さんから「NONUKES」voice 25号が送られてきた.いつもありがとうございます.読み応えのある記事が多そうだ.
 さて,アベノミクス継承で日本経済は沈没…12カ月連続の景気悪化と『日刊ゲンダイ』が言うように,経済も没落を続けている.この8年で株価は上がったというが,それは年金基金などを使って株を買い支えしてきただけである.公的年金は遠からず破綻する.アベ政治とは,新自由主義段階の資本主義の時代に,政治では完全にアメリカに隷属し,経済ではうわべだけを取り繕うものであった.
 赤旗は「新自由主義の暴走か、転換か――日本の政治の対決軸に 川崎で志位委員長が訴え」と報道しているが,まったくその通りである.
 そして,この対決軸は,思想の問題として掘り下げねばならない.

 私は日本の近代は根なし草であると言い続けてきた.これはなにも大きな政治や世の中全体のあり方での問題だけではない.日々の人と人のつながり方や,毎日の生活の場の中で根なし草であることを感じとる.
 実際のところ,日本の近代は根なし草であった.人民の内からの行動が生みだしたものではなかった.西洋帝国主義の支配を避けんとして,商人階級が主体となって封建幕府を倒した.日本の近代は,帝国主義の段階に至っていた西洋近代の移入として行われた.
 人びとにとって近代は勝ち取ったものではなく与えられたものであった.したがってまた,その近代がこのように一部の政治勢力に私物化されても,それを倒そうとするうねりも現れない.
 逆に言えば,われわれは今はじめて人民が行動して変えてゆかねばどうにもならない段階に至っているのだ.それ以外に,この没落をおしとどめることはできない.今のまま,人民の大きな抵抗もなく菅政権が続くなら,日本はかぎりなく没落してゆく.
 ここまではこれまでも書いてきた.そして,さらに,二つのことを思う.

 しかしこれは,非西洋にあって近代化する過程として一般的であるのではないか.そしてそれは逆に近代の西洋のあり方をも映し出す.根なし草近代という問題は,実は資本主義が世界に行きわたるこの時代の普遍的な問題なのではないかと考える.
 もう一つは,没落とは所詮は資本主義の価値観での没落である.人民へのしわ寄せが酷くなるが,それでも没落せざるを得ないのならとことん没落するしかない.そうしなければ,新しい価値観のもとでの再生もまた有り得ないということである.
 そういう歴史段階にあるのだ.

 今日は朝から入試問題三題の解答をつくり青空学園数学科にあげ,それから「青空学園だより」を上のところまで書いた.
 そして夕方は犬を連れて2時間ばかり,自宅から東の方へ散歩した.地蔵堂や小さな祠がいくつかある.愛宕山の上には小さな墓地がありそこにも地蔵様がおられる.順にまわってゆく.このあたりは江戸時代に拓かれたところである.
 いろいろ考えながら歩く.街頭に立つことと,この犬を連れての散歩が,書斎ではなかなか気づかないことを気づかせてくれる場となる. 数学であったり,こういう一文であったり,出てくるのはそのときそのときでいろいろなのだが,歩くことは大切だ.
 愛宕山から東に見える山は生駒山だろうか.下の写真では写っていないが、晴れているときにもう少しまわると,大阪平野の向こうの南東の方には金剛山も見える.

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  この愛宕神社は京都の愛宕山から勧請したものである.その横の坂を少し上がると上の写真のように愛宕山の頂に墓地がある.またすこし歩くと真言宗の寺もあり,ここが拓かれた江戸時代を経ての歴史を感じることができる.
 さて,今年は5年毎の国勢調査の年で,明日からは自分の担当しているところを一軒一軒歩かねばならない.
 一応下見はしているが,思わぬところに集合住宅があったりする.集合住宅まわるのはもなかなか面倒である.今の時代に国勢調査など必要なのかとも思うが,それはそれとして,きっちりやらねばならない.