安倍やめろ! そして

 昨夜は定例の梅田解放区の日であった.時間がとれたので参加する.歌って踊って喋っては若い人に任せて,こちらはもっぱら横断幕をもつ.しばらくすると,地元の自治会活動で知りあい,その後アスベスト問題や,最近では人民新聞山田編集長の公判などでも顔をみかけ,自宅への駅も同じである人が,通りがかった.こちらは思わずポールの維持を両横の人にたのんでポールの手を離して飛び出し,あいさつした.彼も驚いていた.彼は,昨年の6月に地元の「九条の会」でこちらが喋ったとき,司会をしていた.そのときのことは「六月五日に」に書いている.家に戻ってからその彼にメールしたら,今朝返信が来ていた.

おはようございます。昨日は、驚きと感動でした。普段は、あの場所ではつまらないイベントばかりを目にするものですから、「安倍はやめろ!」は、本当に良かったです。

 彼はしばらく一緒に声をあわせていってくれた.こうして街頭に立てば,人との出会いがあり,また知りあいどうしでも,まだ知らなかった一面を知りあい,関係が深まる.この日はまた,通りががりの若者が自分でマイクをとって「安倍やめろ」をしばらく声を出していってくれた.同じように立ち止まり,最後まで見ている人もいた.こうして,20人+α人での行動となった.このような街頭での直接行動を通した関係の深化は,いずれどこかで力になるだろう.それを思わせることであった.
数年間,毎週金曜日に関電前に通っていたときも思ったのだが,街頭は私にとっての教室である.筆と紙とそしてパソコンで考えることを中断して,街頭に立つ.すると思わぬところから新しい考えが浮かんでくる.時間のあるときには夕方犬を連れて1時間ほど歩くことにしているが,これもまた同じような働きをする.足が動いてくれるうちは街頭に出て,そして地元でも歩く.
 一昨日8日の夜は杉村さんと食事をしていろいろ話しあった.6月23〜24日,龍谷大の大宮で開かれるインターナショナル・カルチュラル・タイフーン2018のことをうかがった.詳しい内容は学会のカルチュラル・タイフーン2018の開催のお知らせにある.23日だけでも行って,それから梅田に来るつもりである.ただ,この「お知らせ」文の日本語とその背後にある思想に対し,私は次のように考えている.
 1)ここにある言葉は,根のある日本語ではない.言語帝国主義に圧倒された奴隷の言葉である.2)西洋現代思想が提起することを,非西洋の日本で受けとめる意味と意義がわかっていない.3)このようなエセ知識人の言葉を乗りこえ,現代が直面する課題に根のある言葉で向きあえ.4)その試みのみが,次の時代をひらき,また逆に西洋の知に課題を提起することになる.
 このような取り組みは,資本主義が閉塞するという状況の中で,次の段階の人と世の有り様を考えるという,大きな枠組でくくれるものであるが,西洋の知識人はどれだけ非西洋の問題を我がこととしてとらえているのだろうか.そしてその問題は,西洋自身へも提起されることであり,そうしてはじめてほんとうの新しい普遍性が生まれるのではないか.それをわれわれが考えねばならないと言うと,それはお前が書いて提起しろと言われた.確かに,問題を言うだけではいけない.こちらがその次を考え文字にしなければならない.そのための基礎作業が『神道新論』であった.その意味で自分の課題としてそれはわかっているのだが,難しい.
 そして,もう一つ話したのは,イギリス労働党のコービンやアメリカのサンダースのような,既成左派の中からそれをうち破るような人が、日本にはいないのか,である.いればいろいろ応援するのだが,という問題であった.彼も,知りあいの社民党の人にそこから脱皮して,という話しを何回もしたようだが,そうならない.既成左派にそんな人はいない,とのこと.こちらにもいない.もう一つ下の世代が出てくるまで,まだまだ地道にやることが必要なようだ.このようなことを考えた週末であった.
追伸:6月10日,今日は日曜日で,朝から公園の掃除.雨かと思っていたら曇り空.そして夕方は1日だけの授業が神戸であった.その前に本屋に立ち寄り『図書新聞』3355号と『週間金曜日』1187号を買う.『図書新聞』は特集:「動く朝鮮半島,動かぬ日本」で,1面から金時鐘さんの『背中の地図 金時鐘詩集』によせたインタビュー.金時鐘さんはかつて湊川高校の教員.1970年前後,湊川高校,尼崎工業高校,そして私のいた市立芦屋高校などが,いわゆる解放教育運動の拠点であった.金時鐘さんもそのころから知っている.本紙での語りはいろいろ考えさせられるものであった.また『週間金曜日』は「韓国・民主主義の底力」である.いずれもが,韓国の文在寅政権を生み出し,今も前に進み続けている韓国の運動を,提起するものである.
 私は8日「西洋の知識人はどれだけ非西洋の問題を我がこととしてとらえているのだろうか」といったのだが,ではわれわれは「どれだけ韓国やアジア諸国の運動を我がこととしてとらえているのか」という問いを自らに問わねばならない.この2紙はそのことを問うている.さらにまた,われわれは「どれだけ日本語の伝える智慧我がこととしてとらえているのか」という問いにいたる.時間をかけて読み込み,考えたい.そしてここに,われわれのなすべきことと課題とそしてゆくべき方向の示唆があると考えている.

暗夜の奇祭・県祭

 6月5日は、私の故郷宇治の県(あがた)祭であった.地元の新聞,洛南タイムスの記事.城南新報の記事.火曜の夜は京都駅近くで仕事なので,少し早く家を出て宇治の街を廻ってきた.県祭のことは『個人史』「故郷宇治」ー「四季と祭り」に書いているが,神社はもとより,この祭りもまことに古くからある.個人史にある写真は,もう14,5年も前のものだ.確かにあの頃行ったことがある.もうそれから15年かとも思う.法事や市役所に用事とかでときどき宇治に戻るのだが,いつも宇治の街におり立てば,時間を越えて懐かしい.ここにも書いたように,県祭は真夜中には梵天のお渡りがある.昔は,大阪からの人が,街道筋の家々に泊まって,このお渡りをむかえたものである.今回は明るいうちだけ行ってきた.
 宇治駅から露店の間を歩いて県神社に参る.それから県通りを下って平等院の門前まで行く.このあたりは幼稚園や小学校1年のときの通学路であった.そこに立っているご先祖の辻利右衛門の像にあいさつする.江戸時代末期に宇治茶を再興した人である.また近年,抹茶の甘菓子を作りだし流行らせたのも利右衛門の一族である.そこから参道を北に歩く.この通りには小学校の同級生が親の代からの茶の店をやっている.そこに立ち寄り,茶をもらう.さっきもOさん夫妻が立ち寄ってくれた,と同級生のことを聞く.6年間組替がなかったので,皆よく知っている.そして和菓子を買って,宇治橋を渡り京阪電車宇治駅で電車に乗った.
 木幡駅で降りてJRの木幡駅に行く.途中で,許波多(こはた)神社に参る.宇治は琵琶湖を出た宇治川が山間を抜けて作った小さな扇状地にある.かつては「許(こ)の国」であった.その北の端,それが許端ーこはたー木幡と今日に続く.許波多神社はその境にあり,そこを守る塞神社ではなかったかと思う.
 木幡駅で電車を待っていると同じ職場の先生が来る.広島の人だが,ここに住んでもう四半世紀,木幡は住みよいところだと言っておられた.こちらは23歳で宇治を出たのだから,この人の方が宇治は長い.
 宇治の街は,昔は関電やニチレイの社宅などもあり茶問屋と住宅街であった.いまは観光地である.右の写真の,三の間といわれる欄干が張り出したところに写っているのは,和服を着た中国人であった.こういう観光客が増えた.京都,伏見稲荷,宇治,奈良は,同じ宇治線の並びの観光地で,外国人がほんとうに多い.電車は半分くらいいろいろな国の人が乗っている.宇治は平等院だけではなく宇治上神社興聖寺三室戸寺,少し離れて黄檗山万福寺もあり,観光地として整備されてきた.その一方で,地元の子供は減っている.私の出た莵道小学校,昔は45人学級が5クラスであったが,今は1クラス確保するのがやっととのこと.まわりに小学校がいろいろ新設されたこともあるが,私もそうなのだが,古い街からみんな出て行ったのだ.
 これからどうなるのかとも思うが,しかしまた,宇治橋ができてからもう1400年である.この街はこれからもいろいろ姿と形を変えても,続いてゆくだろう.平等院の裏街道に県神社があり,さらにその南側の山麓に,親や親戚一同が眠る善法の墓地がある.ここには山本宣治の墓もある.死んだらここに還るのだが,それはそうとして,歩けるうちにもう少しいろいろ廻りたいと思った.小さいころは知らなかった路地や,はじめて通る道もある.宇治の街を歩くと,歴史時代からでも2000年,人はこうしてやってきたのだと思う.そしてまた,人がこの世に現れた意味は何だろうと,考えてしまう.
 私が,近代日本語の翻訳のために作られた言葉になじめず,またその意味が分からず,それでもういちど日本語を近代以前から見直してゆこうと考えるようになったのは,こういう宇治の風土が関係しているかもしれない.この風土を断ち切る近代ではだめなのだ。そして,言葉の段階で古よりの智恵を掘り下げておけば,たとえこのような風土そのものが一旦は失われても,近代そのものが行きづまる中で、もういちどこれを見直し,再生と再建の道を歩むものが現れるにちがいない.このように考えて,青空学園を場にして,力およばずではあるが,数学と日本語の世界で多くの文章を書いてきた.最近,阪大を中退して青空学園で勉強し,新しい学びの場を作ろうとしている若い人もいるとのことを聞いた.
 いま,この近代のなれの果てが具体的な形となってわれわれの前にある.宇治の街を歩きながらこんなことも考え,もう少しやらねばと思った次第である.

安倍やめろ!

 昨日は定例の梅田解放区.こちらは,はじまる少し前に到着できた.横断幕を2段にしたので、人が見えない.足だけ写っている.それから半時間ほどして代わってもらって,端でもちながら,道ゆく若者をながめる.彼らは今何を考えているのだろう.園君が言っていたが,これで安倍を辞めさせられないのなら,この先どうなるのだ.
 その通りである.明治維新から150年.非西洋で最初に近代化して150年.そして最初に没落してゆくのか.そうかも知れない.8時間労働の近代原則からこれほど遠く,しかも延長労働のその対価が支払われない日本.教育と医療は公的に保障するものであるという原則から,最も遠い日本.
そのことを山本太郎さんがPDFで書いている.これは良くわかる.憲法ってナニ? その2から入手できる.太郎さんが,「米国の植民地はたった1カ国です、世界でも」というのはその通りだ.
 占領が終わってから今日まで,日本国憲法の上には日米安保条約があり,日本政府の上には高級官僚と在日米軍からなる日米合同委員会がある.鳩山民主党内閣はこの合同員会によって潰された.安倍内閣はこの合同員会の指示によって戦争法などの諸法を作った.その仕上げが改憲である.すべては米軍と軍事産業のためになされている.
 日本の官僚は在日米軍を後ろ盾にしている.沖縄・辺野古に巨大な基地を作るのは,アメリカの要請ではない.米軍を日本に引き留めるためである.原発を再稼働をするのは電力のためではない.アメリカの核戦略のためである.
 最近ようやく,日本の空はすべて米軍に支配されていること,日本の国土はすべて米軍の治外法権下にあること等が暴露されはじめた.これは,暑き晩夏に「知ってはいけない」を読むにも書いた.自らが奴隷であることを自覚し,奴隷であることさえ知らない真底からの奴隷状態を,まず脱する.
 8時間労働の原則と教育費や医療の無償化,消費税の廃止,最低賃金の引き上げなどを正面から掲げる,日本のサンダースはいないのか.園君にこれを言うと,こういう梅田での行動から,それを作ってゆきたいという.それはその通りだ.山本太郎さんにももっとがんばってほしい.
 ところで,日大で有名になったが危機管理学部,その危機管理学部のあるのは,日大と千葉科学大学と倉敷芸術科学大学,後の二つは加計学園.そして危機管理学会の名誉会長が安倍晋三この危機管理学会にはどんな論文が出るのだろう.いかに嘘をついて,その場をやり過ごすかを,書くのだろうか(笑ってはいけない).これについては,あいば達也さんの分析が鋭い.フィクションでも描けない不思議 加計が親分で安倍がパシリである.ナチスがどのように権力を握ったのか.憲法をどのように変えるのか,などを研究しているのだ.そして,日大の対応と安倍の行動が共通の基盤のうえにあることが,大変わかりやすい.またこれは近代日本がここまで堕ちた証しでもある.これをどう考え,そしてどうするのか.
 危機感を共有する若い人らが,こうやって歌って語って呼びかける.若い人らを支えつつ,われわれの世代ももう少しやらねばと思う.老若男女20人ほどで声をあげて戻ってきた.
 23日は人民新聞編集長・山田洋一さんを支援する会が呼びかけた公判にもいってきた.結審であった.これはまったくの人民新聞潰しのためのものである.しかし逆に,人民新聞は読者も増え,横のつながりも広がり,独立系の新聞として飛躍する基礎を作った.当日は公安まで来ていたが(5/23のところに写真),皆に抗議され,裁判が始まると早々に引きあげた.
 日本がこのように堕ちるとは,実際のところ思いもしなかった.客観的には資本主義そのものの閉塞がもたらしたものであるが,為政者はそのことをおさえていかなければならない.自民党前尾繁三郎は,死の五日前(1981年七月十八日)の講演で「経済が低成長時代にならざるを得ない時代にどうするかの認識と対策を採るべきかを,いろんなところで提言しているのに,指導者たちにその認識ができていない」と言い残し他界した.そしてそれから,日本はこれとは遺言の心とは真逆の道を歩んできた.ほんとうにいろいろ考えさせられる.

『東北ショック・ドクトリン』

nankai2018-05-13

昨夜は第2第4土曜定例の梅田解放区であった.若い人らとわが世代が一緒にやっているので,何かの手助けもと,出かけている.こちらは土曜の午前中,午後1〜2時と2つ地元の寄りあいがあり,それから一休みして,出かけてきた.行くともう横断幕が出ている.写真を1枚撮って,それから幟をもった.およそ20人が集まり,思い思いに語りかける.若い人は歌をうたって語るのだが,それはこちらは苦手である.昨日はもっぱら横断幕をもっていた.目の前を通り過ぎるのは,土曜の夜の若い人らである.何か伝わるものがあればよい.
昨日,『東北ショック・ドクトリン』を読んだ.私は,東北大地震と核惨事をショックドクトリンとしてアベ政治が生まれ,今のような膿のかたまりの政治をやってきたと,これまでも言ってきたが,そのことを正面から書いた本があるのは知らなかった.東北の現実をこの観点から詳しく書いた本書は,たいへん優れている.そしてこの本の中頃に次の一節がある.

繰り返されるショック・ドクトリン
 カナダのジャーナリスト、ナオミ クラインは、「真の変革は危機的状況によってのみ可能となる」と唱えた市場原理主義者、ミルトン・フリードマンの考えを”ショック・ドクトリン”と呼んで批判した(『ショック・ドクトリン岩波書店)。
 この言葉が日本で紹介される前から、「奇貨の都市計画」を唱えて警告を発していた者もいる。京都府立大学元学長で都市計画を専門とする広原盛明だ。
関東大震災以降の日本の大震災はすべて、奇貨の都市計画=ショック・ドクトリンとリンクしています。関東大震災では帝都復興で後藤新平が神様のどとく言われましたが、当時の東京は急膨張期。戦前の高度経済成長期の後で、倍々ゲームで人口が増えているころです。関東大震災は、近世の骨格を残していた江戸・東京を、一気に近代都市に生まれ変わらせる絶好の機会でした。後藤ははっきりと「千載一遇」という言葉を使っている。災害を奇貨とするこの考え方は、土木建築、都市計画の分野では残念ながらどく普通の感覚なのです」

これはその通りである.まさに関東大震災の後と,そして東北大地震から今も続く核惨事において,同じことが起こっているのだ.災害を契機として「再開発」という名のもとに,大資本のために町や村をコンクリートで塗りつぶす再編成をやったのだ.関東大震災のあと,江戸の街が再建されることはなかった.それと同じである.
しかし同時に,ショックドクトリンはこのような経済面だけの問題ではない.東北という地域だけの問題ではない.私はもう一つ,関東大震災以降と東北大地震以降の共通点を見なければならないと考えている.それは,このような大災害時を契機に起こる排外主義・差別主義である.
関東大震災のあと,陸軍は,震災後の混乱に乗じて社会主義自由主義の指導者を殺害した.甘粕事件(大杉事件)では、大杉栄伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが憲兵隊に殺害され,亀戸事件では労働運動の指導者平澤計七ら13人が亀戸警察署で,近衛師団に属する習志野騎兵第13連隊に銃殺され,平澤が斬首された.しかしこれは軍のみではなかった.震災発生後,混乱に乗じて朝鮮人が暴れているという噂が流布し,民衆,警察,軍によって朝鮮人やそれと間違われた中国人,聾唖の日本人などが殺傷された.そして,関東大震災を契機として,日本は軍国主義の道をひた走る.
それと同じことが,東北地震の後も,いわゆるネトウヨの大量発生や,自衛隊や警察のなかでの差別思想の蔓延として,くりかえされている.尖閣問題の2010年のころから排外主義が表に出てきたのであるが,それが3.11以降一気に拡がった.先日の自衛官の小西議員への暴言も,甘粕事件や亀戸事件と根は同じである.このままでは,まさに軍国主義が再現されるだろう.すでにもうはじまっている.
墨田区には都立横網町公園内に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」がある.これは,殺された朝鮮人を追悼するということと共に,関東大震災のときのあのような排外主義を二度とくりかえさないという,自らへの戒めの意味もあった.ところが東京都の小池百合子知事と墨田区の山本亨区長がは,昨年9月1日の開かれた「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文の送付を取りやめた.追悼式典の実行委員長を務める日朝協会都連の宮川泰彦会長は「朝鮮人に対する虐殺の歴史からあえて目を背けているように思えてならない」と改めて批判したと報道されているが,その通りであり,そしてそれは東北地震の後に起こってきた排外主義の流れのなかでのことである.そのように考えれば小池知事の立ち位置もよくわかる.
「安倍やめろ」と声をあわせながら,アベ政治がここまで腐敗し,腐臭をさらけ出したのが,ちょうど明治維新から150年の年であることを思わずにはいられなかった.非西洋にあって,無理して無理して西洋近代の上っ面を真似してやってきたが,近代の果てに,このようなところに来てしまっている.このままでは,日本という国家の大きな破局に直面しなければならなくなる.それは世界史的に大きな意味をもつだろう.白井聡さんは『国体論』のなかで,いずれくる破局について詳しく述べている.同時に,白井さんは同書の神戸新聞の書評の中で「今では,(アメリカに従属した)現状がおかしいと気付く回路すら閉ざされてしまっています」と述べている.
まさに現実はそうなのだが,同時に,この時代が,現代のローマ帝国であるアメリカの没落,それはまた近代資本主義そのものの行きついた果てとしてのアメリカの没落であり,資本主義が一定の時間をかけて終焉してゆく時代であるということを,おさえなければならない.資本主義の終焉とは,生産関係としての資本主義が別のものに置きかわるということではない.経済が第一のあり方から,人第一のあり方にかわることである.そうしなければもはやこの世界は持続し得ない,という段階に至っている.
日本の支配層が自ら選んでいる対米従属は,まさに国体というべき水準で,奴隷であることを自覚すらできない完全な奴隷が今の日本の姿であるが,そのご主人様たるアメリカ自体が没落してゆくのである.これは避けがたい歴史の法則である.その過程で,日本の売国官僚とその政治は,すべてをアメリカに貢ぎ,そのしわ寄せが99%の日本人におよぶだろう.そしてその中で,ようやくに「現状がおかしいと気付く」ことになる.そのようなときが現実化すること自体は避けがたいが,それがどのくらいの時を要するのかはわからない.
そしてそのとき,結局はひとりひとりが自ら考えねばならない.しかし,現代日本語は考える言葉たりえていない.私はそのことを痛感し,近代以前の日本語からことわりの言葉を取り出そうとしてきた.前回も書いたが,この20年やってきたことは,そこからの日本語の再生,そのための準備であった.
途は遠いし,自分にどれだけの時間があるのかはわからない.日々着実にやってゆくしかない.昨日は一日中いろいろ体を動かし,そして日が落ちた梅田の人通りの前で横断幕をもちながらそう思った.街頭に出ることは,考えを深める.

2018憲法集会

 昨日は,戦後憲法施行の1947年5月3日から71年目の日.こちらは神戸で夜の授業がある日.それで「戦争させない、9条壊すな!兵庫憲法集会」に参加した.大阪でもいろいろ集会があったようだ.うつぼ公園集合では若い人らによる自由と尊厳の祝祭があり,また北区の扇町公園では安倍9条改憲許さない!5.3おおさか総がかり集会があった.これらにも行きたかったのだが.
 神戸集会の会場は三宮東遊園地である.この辺りは公園の緑が深く落ちついた場所である.会場に行くと,先日土曜日に梅田であったばかりの元教員の彼がビラを配っている.「よく会うねえ」「こんな時代だからねえ」と挨拶して通り過ぎる.しばらくすると,昔の高校の同僚教員だったY中さんが声をかけてくれた.彼は今は西播の方で農業しているが,毎週木曜日は神戸に戻り,三宮でビラまきなどしている.今日はビラ配りの仲間と皆でこちらに来たとのことであった.農作業で腰を痛めたので,今日は集会だけとのこと.顔を会わすのは2年ぶりくらいかも知れない.
 午後2時から集会がはじまる.高石ともやさんの歌,講談師・神田香織さんの話しと続いていた.神田さんはいわき市出身である.「あの佐川氏もいわき市の人.最近は彼の方が有名ですが」と笑わせながら話を始める.最後は,福島の津波のとき,原発事故がなければ救われた人が1000人以上いたことを,いろんな人の言葉も伝えながら語っていた.参加者は主催者発表で9000人であった.昨年も来た人の話では、今年の方がずいぶん多いという.こういう情勢だからやむにやまれぬ気持ちで来た人も多いだろうと,相づちを打つ.こちらは後で仕事でデモにはいけないので,3時からはじまったデモの出発を見送り,4時前まで東遊園地にいた.
 5月3日のこの神戸での集会は2年前の2016年にも参加している.そのときのことは「兵庫憲法集会」に書いている.あのときは戦争法反対の最中で,参加者は11000人であった.もうあれから2年経ったのだ.あのときあの集会に誘ってくれた尼崎のHさんは,もういない.仲間の尼崎は東園田の人らの幟はあった.よけいにHさんへの思いが深くなる.
 2年前,戦争法に反対の運動は大きなうねりとなっていた.しかしまだ森友学園問題も加計学園問題も表には出ていなかった.近畿財務局が小学校の開設を計画した学校法人森友学園に当該国有地を随意契約で売却したのが,2016年6月.豊中市議の木村真さんは,同年9月に近畿財務局に売却価格の情報公開法による開示請求を求めたが,近畿財務局は非開示とした.これを不服として,2017年2月8日,国に対して決定の取り消しを求め大阪地方裁判所に提訴した.それでようやく毎日新聞朝日新聞が取りあげ,アベ政治による国家の私物化が表に出てきたのである.木村議員やその先輩の一村元議員らの粘り強い取り組みがなければ,あのまま闇の中であったかも知れない.
 ところで,西日本新聞のデスク日記で5月3日「今から5年前」という記事が載った.安倍晋三政権の政府高官が番記者たちに「極端なことを言うと,われわれは選挙で『戦争したっていい』と信任されたわけだからね.安全保障の問題とか,時の政権にある程度任せてもらわないと前に進めない」と語っていたというのである.こういうことはまだまだるあるのだろう.そう考えていたら,昨日は,希望の党中山成彬が「安倍さんの下で改憲し、日本を戦争のできる国にしよう」と講演している.朝日新聞
 アベ政権とはこういう人らが権力を握った政権なのだ.根なし草の浮ついた排外主義と差別主義,そして法や世の規範を顧みない傲慢な非人間性.これらはまさに,近代日本の行きついた果てなのだ.それを隠して隠してやってきたのだが,とうとうここに来てその本質が表に出てきた.それにしても,ここまでくるかと思ってしまう.非西洋で最初に近代化をした日本が,その果てにこのような無残な事態に立ち至った.西洋近代そのもののなれの果ての帝国アメリカに,ひたすら従属することで生存を可能にしてきたこの近代日本の支配体制が生み出したこの現実.これはまさに世界史的な大きな問題である.
 しかし,この先どうなるのか.まず,間違いなく起こるのは,2007年のいわゆるリーマンショック以上の経済崩壊である.年金資金など国民の金融財産をつぎ込んで経済崩壊をくい止めてきたアベノミクスであるが,いよいよその余裕がなくなってきた.リーマンショックとは逆に,今度は日本が先に崩壊し,それからアメリカが崩れるかも知れない.それでも支配者は国民に犠牲を強いて,ここを過ごそうとするだろう.しかしそれも最早無理である.日刊ゲンダイなども「そろそろ国民は覚悟が必要 アベノミクス後の日本経済」のような記事を配信しているが,アベ政治を終わらせるということは,ごまかし糊塗してきた粉飾経済から現実に戻るということでもあり,厳しい事態を引きうけるということでなければならない.
 かつて,自民党前尾繁三郎は死の五日前(1981年7月18日)の講演で「経済が低成長時代にならざるを得ない時代にどうするかの認識と、いかなる対策を採るべきかを,いろんなところで提言しているのに,指導者たちにその認識ができていない」と言い残し他界した.その後の政治はこの遺言を守るどころか,逆に政府も経団連軍需産業で利益を出そうとしてきた.先の戦争法も,仕上げとしての改憲も,そのためである.この道はしかし,破局に通じている.
 そのとき,人々のたがいの助け合いや,生きづらさをかかえたもののつながりや,産地と使うものを結ぶ市場に依らない経済とか,自立した労働者の職場支配とか,かつてアルゼンチンでおこなわれたアサンブレアといわれる職場や地域の評議会,このような様々の取り組みが,拡がるかも知れない.そうしないとやってゆけない.
 そしてそのとき,こちらがやってきたことはこの歴史の求めに応じ得ているのか.私は,いずれこのような近代の破綻とそこからの再生のときは来るものと考え,そのとき人が立ちあがってゆくために,近代が塗り込めてしまった日本語の本来の力を取り戻すことが必要不可欠と考え,この20年そのための基礎作業として,青空学園日本語科で日本語の再定義を重ねてきた.これを理解する人は多くはない.そして一定の段階に至ったので,はじめてそれをもとに考える道筋を書物にした.それが拙著『神道新論』である.一人でできることなど小さい.いろいろな人と語りあいたいと考えている.そして,これからの激動の時代に,少しは意味のあることをし置かなければと思った.いろいろ考えさせられる集会であった.最後の写真は市役所前から東遊園地への道.

歴史は動く

先週の21日の土曜は地元の自治会総会.それも終わり,25日の水曜日は山田人民新聞編集の公判.ようやく昨夜は定例の梅田での行動の日.夕方6時から7時半まで,道ゆく人に語りかけてきた.この一週間,宮古島石垣島に行っていた人,辺野古に行っていた人がそれぞれいて,その話もしていた.大手新聞に載ることない現地の様子である.近く人民新聞には載せるだろう.
もう40年前になるが,兵庫県では解放教育運動が一定の広がりをもっていた.その時代に研究集会などで顔を知っている人が,25日に人民新聞編集長の公判の傍聴でも会ったばかりだったが,その彼もやってきた.今も伊丹や尼崎で識字学級を続けているそうだ.こちらは不登校の子の居場所づくりをやっていることなどを話した.われわれの原点は,68年の学生運動と言うよりは,その後の,解放教育運動や部落解放運動で学んだことごとであるとつくづく思う.
一昨日は,板門店で南北首脳会談が行われた.実はこの方向はもう相当前から裏では進んでいた.共産党志位和夫委員長が

南北首脳会談での「板門店宣言」をもたらした力の一つは,韓国で起こった「キャンドル革命」だと思う.昨年9月,文大統領は国連総会演説で,「韓国の新政府はキャンドル革命が作った政府」とのべ,北朝鮮に対話と平和をよびかけた.称賛すべき外交的イニシアチブの根本には民主革命の力があったのだ.

言っている.その通りである.南北の対話への動きは,昨年秋の韓国は文在寅政権発足からはじまっていたのである.
ところがアベ政権は,昨年12月19日に,地上配備型の新たな迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入を決定している.導入には2基合計で最低2000億円かかり,運用開始は今から5年以上先になる.2017年度補正予算案に,調達先である米国に支払う技術支援費を盛り込んでいる.その一方で,アベ政権は社会保障費を1000億円削減している.社会保障を削り,教育費の公的負担を削り,労働者をただ働きさせ,その金をすべてアメリカの軍需産業に貢ぐ.これがアベ政府の実態である.
南北の分断は,日本による植民地支配と戦後の冷戦期の戦争の結果である.南北朝鮮はそれを自力で乗りこえようとしている.植民地支配下での抵抗闘争,戦後は例えば光州蜂起,そしてその上に「キャンドル革命」と文政権の成立,これを経ての南北対話.これは実に大きなことであり,歴史を一歩も二歩も前に進める.トランプアメリカ大統領も,客観的には,世界の警察国としての覇権帝国主義国から,アメリカのアメリカに立ち戻そうとしている.それで,文大統領の指導性に乗った.そして独りアベ政権のみがまったくの蚊帳の外であった.
アメリカは南北対話の進展をふまえ,韓国駐留軍を削減してゆくだろう.沖縄駐留の海兵隊も引き上げる方向である.それを必死に引き留めようとして,辺野古に巨大な基地を建設しているのが,外務省や自衛隊に主導されたアメリカの悪代官達であり,それに操られたアベ政府である.
どうして日本政治はここまで劣化したのか.最低限の道理さえ失われた.これを,われわれ自身の問題として考える.今年は明治維新から150年である.この150年,日本は西洋国家の制度を見よう見まねで取り入れてきた.憲法立憲主義三権分立基本的人権,….しかしどれ一つとして,韓国の人々のように自らの闘いで勝ち取ったということはなく,上から外から与えられたままであった.足が地につかず,諸制度は根なし草のままであった.この近代のあり方に根本の問題がある.
この根なし草近代を逆手にとって,そしてまた,かの戦争から教訓を引き出すことなく,福島の核惨事から教訓を引き出すことなく,逆にそれらを逆手にとって,メディアを支配し,福島の核惨事をショックドクトリンとして民主党から政権を奪い,今日に続くのがアベ政治である.行きつくところまで行かなければならないのか.それはしかし余りに犠牲が大きい.最悪に備えつつ,最善を尽くさねばならない.
現代の普遍の問題は,資本主義がもはや拡大の余地がなく,終焉をむかえているということである.そして朝鮮半島の南北対話は,それをふまえて次の時代を開くものである.中国もロシアも,帝国アメリカの衰退を見通して動いている.ドイツもそうである.その一方で,非西洋で最初に近代資本主義の世となったこの日本は,底の浅い根なし草の近代のままに,この終焉期を最初にむかえている.そしてこの先,帝国アメリカの没落期にすべての資産を吸い取られ,没落してゆく.歴史をたどればよくあることだが,それがこの日本においてこれからの十年のうちに起こってゆく.ここで人はどうするのかである.ある意味ではほんとうに問われるのは,これからである.
私は拙著『神道新論』の最終節で,
根のある地についた変革の思想を育てよ。東電核惨事は、やはり、もういちど人が日本語で生きることができる場を耕すことを求めている。この道を行くしかない。/協働の営みのなかで、ものと言葉を大切にし、温かなつながりを生みだそう。隣人同僚、山河草木、助けあって生きよう。そのところにこそ固有の言葉は育つ。日本語のことわりに根ざした思想を鍛え、新しい生き様を育てよう。
と書いた.これは,このように一度は没落し,国破れて山河もなしというところから,長い歴史をふまえて再生してゆこうとするわれわれの生き様を見越したものであった.新しい時代は,それを担う者が育たないかぎり,現実にはならない.その人の内実を作ることに,少しではあるが寄与することを願ってこの本を書いた.前を通り過ぎる若者立ちの群れを見ながら,私の言葉は彼らに届くのだろうかと,そんなことを考えていた次第である.写真は書斎の前の道を隔てた向かいにある竹藪のその境の金網越に咲いたツルニチソウ.

夜明け前にて

 昨日は,アベ政治を終わらせようとする全国の統一行動の日であった.大阪での行動である,おおさか総がかり集会実行委員会主催の「9条改憲NO!森友疑惑徹底追及!安倍内閣は総辞職を! 4.14おおさか総がかり 緊急集会&市民パレード」の大阪うつぼ公園の集会とその後のデモに参加し,そしてそのあと梅田に戻って梅田解放区の集まりと足を運んできた.今ここで街に出て声をあげなければならないという思いで,全国で多くの行動が取り組まれた.
 午後の1時から地元の寄りあいがあり,それから大阪に移動.あわてていて降りる駅を間違え,うつぼ公園に着いたときはデモの先頭が出始めたときであった.そのデモに加わり歩きはじめる.近くの人に集会の規模のことを聞くと,約2000人参集と主催者がいっていたとのこと.それから小雨の降るなか,難波まで行進する.若い人のリズムのある声と動きに乗せられて歩く感じであった.この日の集会とデモは,年寄りから若い人までアベ政治に反対する大阪のほとんどの組織が参加していた.梅田解放区の取り組みで出会う人らにもデモで一緒になる.難波の元町中公園で流れ解散.
 豊中市議の木村さん,もと社民党衆議院議員の服部さんの顔も見える.それぞれ集会で話しておられたようだ.かつて小沢さんの問題で一緒にデモをしていた何人かにも会う.5年前に作った「安倍退陣」の大きな幟にも久しぶりに出会い,持つのを手伝い,行進の半分くらいはこれを掲げていた.ここでこの幟がこんなに今のテーマになるとは,作ったときは思ってもいなかった.
 それから梅田に戻る.戻るとさっきまで難波にいた彼らがもう梅田で声をあげている.それに加わる.こちらはトランペットを吹き続ける人がいる.それを背景に,こちらもすこし喋る.
 アベ政治は日本の隅々までむしばんでいる.今年から小学校で,来年から中学校で,教科としての道徳の授業がはじまる.再来年からは高校の「現代社会」が廃止され,代わって「公共」が必修になる.「基本的人権の保障」や「平和主義」が高校の授業からなくなる.改定のときに文科省は「いじめの防止」も理由の一つにあげた.しかし,道徳を教科とすることで,いじめや不登校など学校のかかえる問題は,よけいにひどくなる.ますます不登校は増え,陰湿ないじめがはびこる.
 歴史上いちばん反・道徳のアベ政権が道徳を教科にした.学校は社会の縮図なのだ.道徳の時間にハイハイと答え,成績もいい生徒が,休み時間に誰かをいじっている.まわりもそれをはやす.まさにアベがやってきたことだ.こういうことがより日常化する.
 近代日本の教育は,なぜそんなことが言えるのかと根拠を問うことを教えず,言われたことをそのまま受け入れる人を作ってきた.原発が安全だといわれればそのまま受け入れる.その根拠を問い自分で考えれば,それが虚偽だとわかるのに,である.道徳の教科化はこの方向をいっそうおしすすめる.嘘と欺瞞と私利私欲のアベ政治を終わらせなければ,小学校も中学校もますます荒廃する.
 こちらは,こんなことを喋ってきた.土曜の夕方である.多くの若者が前を歩いて行く.彼らはどのように聞いてくれただろうか.それでも,御堂筋をデモした2000人のなかには,若い人が多かった.新しい感性でデモをする,戦争法反対のデモのころから,声をあげ行動する若者が出てきたことはまちがいない.私は拙著『神道新論』の中頃の節で

東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は、かつての十五年戦争の敗北につぐ近代日本の第二の敗北である。二つの敗北は、明治維新に始まる日本近代の帰結であり、ここに帰趨する道程には,近代日本に内在する基本的な問題が通底している。

と書いた.その内容をもっと深めなければならないと考えてきたが,その基本的な問題の一つが日本の政治と官僚制の関係のあり方である.その負の側面がアベ政治で一気に現れた.そして終わりの節で

人を金儲けの資源としか見ず格差を拡大し、政治はうわべの官僚言葉を駆使して責任をとらず、福島の現実を覆いかくして原発を再稼働し、アメリカに従属して言われるままに貢ぎ続け、再び兵器産業で利潤を得ようとする。これがいまの世の姿である。

とも書いた.これもまたアベ政治として具体的にわれわれの前に現れている.このような形で現れるとは,まったくなんということか.そして,このアベ政治は,このような地平にまで至った日本近代を実際に動かしてきた官僚体制を,その内実において崩壊させた.アベ政治は単に安倍の特異性のゆえに現れたのではない.このことをおさえなければ,人を変えても同じことが続く.官僚機構の再生はまったくたいへんな問題でなる.また私は拙著の最後に,

 いまなお、世は夜明け前である。しかしまた、近代日本を痛恨をもってふりかえるわれわれは、新しい世の扉を開けうる位置に立っている。実にいまは、帝国アメリカが崩壊し、経済の時代から人の時代へ向かう一大転換期にある。この扉を開くための基礎作業、それが近代日本語をその根底から定義し直す再定義の試みである。/かつて人々は、神道のもとに、循環する共生の世を生きてきた。これを現代において見直し取りもどそう。こうして、閉塞した現代日本の旧体制をうち破ろう。うち破る力は、旧来の左右の分岐を乗りこえた新しい人の台頭、これである。そして、国家を超えてたがいの固有性を尊重しあう普遍の場を生み出そう。/島崎藤村『夜明け前』はいま、これらのことをひとりひとりに問いかけている。この問いかけに応えてゆこうではないか。

と書いた.確かにこの日のデモや東京での様子を見ると,少し時代の戸が開き始めている.しかしそれは同時にまた,困難な時代のはじまりでもあることを思わざるを得ない.何よりこれを一つの政治勢力にまとめてゆく核が弱すぎる.自分もできることはしたいとは思うが道は遠い.デモで御堂筋を歩きながら,拙著の自分の言葉を思い起こし点検し,こんなことを考えてきた次第である.街に出ての行動はほんとうにいろいろ考えさせられる.自分にとって街頭行動の意味は,いちばんここにあるような気もする.右の写真は裏に咲いた射干の花.昔,小学校の裏山の竹藪の日だまりに咲いていたのを今も覚えている.