維新政治からアベ政治へ

昨夜も,梅田解放区は行われていたが,こちらは用事で行けなかった.来週も京都で座禅の会があり,行けない.
一昨夜は七夕であった.降り続いた雨はようやくに少し小ぶりとなり,どうなることかと思っていたが,なんとしても開催するということで,森友学園問題を考える会(FBtwitt)主催の,「民集会 森友学園問題から大阪維新の会のヤミを暴く!!」に参加してきた.大雨が上がったばかりで,阪急の運行さえどうなるかと思ったが,それにしては多くの人が参加していた.いつも梅田で会い顔見知りにあった人や,昔からの知りあいのTさんにも会う.彼はいちど飲みに行こうやといっているのだが,いつも車.「来るとわかっていたら車置いてきたのに」といわれてしまった.
阪急宝塚線「曽根」から徒歩5分のところにあるアクア文化ホールで夜の7時からであった.片岡伸行(『週刊金曜日』)さん,横田一(ジャーナリスト)さん,木村真豊中市議(森友学園問題を考える会)の三人による討論と,大阪府議会での森友問題追及についてということで,共産党大阪府議の石川たえさんと,元豊中市議の山本いっとく(森友学園問題を考える会)さんのやりとりとが,おこなわれた.そして,大川弁護士の報告があり,IWJにも録画がある.
森友学園問題については,森友学園問題の真相は何か 初めから今までを見直す→真相はどこにあるのかに詳しい.こちらはもらった片岡伸行さんの資料と横田一さんの資料を読みながら,それを結びつけることで,ああそうかという,私自身にとっての発見があった.私は前から,
2018-05-13 『東北ショック・ドクトリン』,2018-04-29 歴史は動く,2018-03-12 3.11の日に,2018-01-17 阪神淡路大地震から23年,2017-01-07 七草粥,2015-08-21 歴史を教訓に!などで,今日のアベ政治は,福島の核惨事を「ショック・ドクトリン」とする「惨事便乗型資本主義」として生まれたものであると書いてきたが,東北大地震と東電核惨事をショックドクトリンとしてアベ政治を生み出す上で,実際に動いてきたのが大阪維新の会であるということを再確認した.
2012年2月26日,民主党政権の時代に,大阪で八木秀次が主催した教育に関するシンポジュウムで,安倍晋三大阪府知事松井一郎大阪府知事と,その教育観と教育行政,政治による教育支配をめぐって大いに共鳴,意気投合した2人は,居酒屋へ場を移して教育談義に盛り上がった.大阪府では,2011年に国旗国歌条例が成立して,教職員に「日の丸・君が代」の強制が始まった.大阪維新の会日本会議を背景とする安倍晋三の二人三脚がはじまる.
第一次安倍政権下で教育基本法を改正し,「愛国心」を教育の根幹に据えようと提唱してきた安倍晋三にとって,「教育勅語」を毎日暗唱させる森友学園の教育方針は素晴らしいものと映ったに違いない.その1ヵ月半後、大阪府森友学園の要請を受けて学校設置基準を緩和した.また,大阪府はさらに2012年には職員基本条例を作り,「君が代」不起立を三回すると免職にするとされている.アベが森友学園やこの基本条例を全国に広げたいと考え,これらを行政主導でおしすすめる松井府政を見て,当時の安倍晋三は力を得たのだろう.これが出発点といえる。
2012年4月9日,野田佳彦首相と原発関係3閣僚は,大飯原発の安全対策の実施計画などに対し,安全性に関する判断基準に「おおむね適合している」ことを確認した.このとき,当時の橋本徹大阪市長は「大飯原発再稼働をする政権打倒」と叫び,東電核惨事発生の1年後の時点で,人々に期待をもたせ,そしてこれは再稼働を容認する民主党政権への反感を煽った.当の橋本自身は2012年5月31日、関西電力大飯原子力発電所の運転再開を「事実上容認する」,「反対し続けなかったことに責任を感じている。正直、負けたと思われてもしかたない」などと発言,あえて混乱を引き起こす.
そのなかで,2012年秋,野田内閣は崩壊,11月16日に衆議院が解散,12月16日に実施された第46回衆議院議員総選挙民主党が大敗,12月26日に野田内閣は総辞職し、アベ政権が生まれるのである.東北大地震と東電核惨事からそれをてこにアベ政治を生み出すうえで,橋下徹大阪維新の会が中心的な役割を果たしたのだ.そして,森友問題は,全国的にはそのようには見られていないかも知れないが,実は松井大阪府政と大阪維新の会がいちばん中心にあり,これは実際のところ,アベ政治に先駆ける大阪維新の会の大阪での政治が引き起こしたものである.アベ政治大阪維新政治の全国版である.
日本における、東北地震と福島核惨事からアベ政治への道は,ナオミクラインの『ショックドクトリン』が出た以降の,最大の歴史事件である.そういうものとしてさらに分析し記録しなければならない.そのことを確認した.集会は,大阪の地元から,この維新政治への闘いを広げてゆこうということを呼びかけて終わった.

無限搾取法

またの名を過労死法案という高プロ法が6月29日成立した.1986年に施行された労働者派遣法が,はじめは今回と同じく一定の技術を要する13業種のみであったが,その後改訂に改訂を重ね対象の制限を取り払い,いまやあらゆる分野で,低賃金と劣悪労働環境の業態として定着している.小泉政権規制緩和からそれが加速し,社会に大きな格差を生み出してきた.それと同じく,今回の高プロ法はもっと短期に,まさに過労死法,無限搾取法=死ぬまで搾り取ることを国家が認める法としての本来の姿を現すだろう.いや,むしろ現実を追認するというのが実態かも知れない.森ゆうこ議員のところの資料サイトに詳しい資料がある。
しかし,これでは大多数の人々の購買力は低下するばかりである.一方,企業というものは最終的にはものが売れなければ儲からない.生産の場における無限搾取は,消費の場を枯してゆく.資本は目先の利益を上げるために賃金などを下げる.それによって購買力が低下し,結果結局は購買力が下がり,ものが売れなくなる.これはまさに『資本論』の言う,資本主義の根本矛盾そのものである.アベ政府は,物価水準を2%上げデフレから脱却することをかかげたが,ついにそれはできなかった.購買力を奪い続けたなら,売るために物価は下がる.それを,札を増刷ばかりして市場に流しても,それで物価水準が上がるわけではない.
日本の企業家には,内部留保を減らしてもカネを大きく世の中に流通させることで,利潤もまたそこから生み出されるという思想がない.あるいはその余裕がない.かつての近江商人はそれがあったが,いまやそのような企業はほとんどない.過労死法は,企業家集団=経団連が目前のカネに目がくらんだ結果できた法である.しかしその結果としてますますデフレとなり,日本の資本主義経済を根底から破壊する.そしてそれはそう遠くない.その過程で,無限搾取,まさに命を奪うところまで搾取してゆくが,しかしどこかで立ちゆかなくなる.
前にも書いたが,自民党前尾繁三郎は、死の5日前(1981年7月18日)の講演で「経済が低成長時代にならざるを得ない時代にどうするかの認識と対策を採るべきかを,いろんなところで提言しているのに,指導者たちにその認識ができていない」と言い残し他界した.政治が,目先の利益に走る企業を導かねばならないのに,その後の政治はこの遺言を守るどころか,政府も経団連軍需産業と無限搾取で利益を出そうとしている.いやそうするしかないところまできている.
かつて,社会主義陣営が存在して時代には,その圧力の下,資本主義陣営においても資本の放縦な動きを規制する様々の仕組みがあった.それが結果として日本ではいわゆる中流を生み出していた.世界的にも,社会主義が崩壊して以降,その規制はほとんど取り除かれた.そのなかでアベ政治は「規制の岩盤を砕く」とか言って,一つ一つ取り除いてきた.そしてついに今回の無限搾取法に至った.
このような中で,司法や警察は,この資本の放縦に抵抗するあらゆる活動を,それこそまさに法の枠組を無視して,弾圧する.その一つの例が,人民新聞編集長逮捕であった.これは,権力になびかない独立した報道に対する弾圧であり,ほんとうのことを書くとこうなるぞと言う見せしめでもあった.
これにたいして人民新聞は逆に支援者や読者も増え,支える輪も大きく拡がった.この間の経過と今後の方向を話しあうために,人民新聞編集長・山田洋一さんを支援する会が主催して『山田編集長は無罪だ! 判決前大集会』が6月30日尼崎であった.これに参加してきた.このサイトの告知にあるように,山田さんの決意表明に続いて,この間,関西で様々の弾圧を受けそれと闘ってきた人らの討議と,そして関生などからの連帯あいさつであった.どこも、このアベ政治の下での弾圧である.向こうはこれだけどこでも弾圧してきたのだ.
そのうえで,山田編集長が決意表明の中で「十数年前人民新聞の編集長になたとき,金持ちの世界とは違う別の世界を報道してゆこうと考えた.そしていま,資本主義が終焉のとき,その次のあり方を紙面に出してゆきたい」というようなことを言われたのが印象に残った.
実際,その次の世のあり方をどこから作ってゆくのか.もういちど規制をもっと強力に総体的に体系的に行わなければならない.そのうえで教育と医療の無償化を実際に行う.それはしかし,この腐敗した大域資本主義に隷属するアベ政権の下ではありえない.それを政策とする力は人々の闘い以外に生み出されることはない.そして人民の権力を背景とする政府をうち立て,それによって,資本の放縦な動きを規制せよ,これが当面する歴史の要求である.
人民の権力の下,体系的に資本を規制し,そうすることでかつての総中流ではないが,とびきりの金持ちも,格差に沈む層もない世を生みだしてゆく.これを政策として具体化し,その下に様々の勢力を結集してゆくような政治,これを生み出してゆかねばならない.
そのための種まきとして,7月1日梅田解放区の集まりに参加してきた.7月の土曜はいろいろ集会などある.それで7月は毎日曜日にやることになった.それで今日も行ってきた.喋って歌っては若い人に任せて、こちらは横断幕をもつのを手伝っているのだが,今日は私と同じ世代の女性が,喋ってそして歌って語りかけておられたのには驚いた.喋りもうまい.もう一人その前に喋って元保育士という女性の語りもうまかった.道ゆく人のまなざしもずいぶん共感的になって,敵意を表してとおりすぎる人はほんの数人であった.それだけ,若い人らの現実が厳しくなっているのだ.
今のままではだめだと考える一人一人に,歴史が求めることは少なくない.それに応えることは,これまでのような根なし草の近代主義では,できない.根のある言葉で理念と思想,そして新たな政策を語れ.その政策を語る試みの一つが,「日本神道(二)」で提示し,その後,拙著『神道新論』のなかで改訂していったものだ.道は遠いが,しかしいつかは現実の問題になる.そんなことも考えた.
若者よ.近代の漢字造語をいったん疑え.官僚言葉,東大話法から自由になれ.そして自分自身の言葉を見直せ.これが言いたいことである.そんなことを考える私にとって,路上は教室である.いろいろ教えられ,考えて戻ってきた.

京都から梅田:安倍やめろ!

昨日はまず京都の龍谷大学大宮学舎で開かれたインターナショナル・カルチュラル・タイフーン2018の「情動化する社会の政治・経済・文化−グローバル資本主義に未来はあるか」と題する報告と討議を聞きに行った。概要は学会のカルチュラル・タイフーン2018の開催のお知らせにある.当日受け取った冊子にはもう少し詳しく載っていた.会場に着くと,案内をくれた杉村さんがいて声をかけ,受付を済ませて半時間あったので表に出て昼食.1時からはじまった.写真は後部の一番前でのものなので三分の一くらいが写っているが,龍大の学生はじめ多くが集まっていた.
この「お知らせ」にあるように,「現在の変化が政治・経済・社会だけでなく、それらを支えている文化と個人精神を飲み込む運動であることも、それが合理的な説得や制度的な変革がもはや通用しない強力な情動に支えられていることも確かです。」との認識はその通りである.そして,カナダの女性政治学者が発言していたように,「グローバル資本主義に未来はない」ことも確かである.基本はその通りであるとして,しかし,昨日の基調報告と討論では次のことはまだ明らかではなかった.
1)大域資本主義が終焉するのはいかなる形においてであるのか.そしてそれは,自然に終焉にするのか,あるいは人々の闘いによってであるのか.
これに関するこちらの考えは,資本主義生産関係そのものを変えるかどうかの問題ではなく,資本に人が使われるのか,人が資本主義的生産関係を使いこなすのかの問題である.こうして経済の時代から人の時代へ大きく転換してゆく.かつて,社会主義陣営が存在して時代には,その圧力の下,資本主義陣営においても資本の放縦な動きを規制する様々の仕組みがあった.社会主義が崩壊して以降その規制はほとんど取り除かれたが,もういちど規制をもっと強力に総体的に行わなければならない.それは人々の闘い以外に生み出されることはない.
2)大域資本主義は、普遍の名の下にの固有性を奪う.
カナダやアメリカの西洋の学者のはこの観点が弱い.資本主義の押しつける偽りの普遍性に対抗し,これを越えて,固有性の共存する真の普遍の場を創り出し,そこにおいてこそ生産関係としての資本主義を使いこなす新たな人を生み出すのでなければならない.私は,青空学園を,この偽りの普遍性にに抵抗する根拠地であり,闘いの場としてやってきた.その一つのまとめが『神道新論』であった.自分がやってきたことの意味を再確認できたのはよかったが,これをもっと広めねばとも思った.
やはり問題は,分析ではなく抵抗であり,その実践である.いわゆる学問の知のありかたの問題を含めいろいろ考えさせられた.
それから,七条通りを大宮から堀川まで歩く.昼には降っていた雨もこのときは止んでいた.そして北に曲がって,西本願寺に参る.親鸞の寺である.広い境内をまわる.それから入り口を東に出てしばらく歩き,新町通を南にまがって,京都駅まで裏通りを歩いた.京の街は裏通りを歩く.
裏通りを歩いていつも思うのは電柱の多さであり,それが景観を壊していることである.日本は明治以来電気を引くのに多くの電柱を立てた.近年,大通りの電柱は撤去され,江戸時代までの通りの景観が戻りつつあるが,肝心の裏通りの電柱はほとんどそのままである.かつてはこんな電柱はない街並みであった.裏通りほど電線などを地下化するのは大変であるが,次代のために,少しでもこれをすすめてもらいたい.
フランスやドイツの街を歩いていいなと思うのは,電柱がないことである.これがかつての景観であった.故郷の宇治の街も,新町通といわれる表道りの電柱は地下化され,宇治橋からの景観もよくなっていた.しかし縣通りはまだ電柱が立ったままである.
私は,電柱をどんどん立てたことは,近代日本の失敗の象徴だと思う.そして植民地時代に韓国や台湾の街々にも電柱を立ててしまった.これはいずれどこかで始末しなければならない.
それから大阪駅まで電車で移動し,梅田解放区の安倍やめろ行動に参加してきた.これだけ現前の政治が腐敗しているのに,なぜこれを打破する直接の行動が広がらないのだ.アベのやったことは収賄とその見返りの便宜供応であり,これは本来なら犯罪として裁かれねばならないことである.ところがこれが,司法検察一体となって逆にアベを守っている.
二年前,韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が,ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし,ついに大統領弾劾が成立して罷免した.その力が文在寅大統領を生み出した.今日の南北対話,米朝対話は、この「ろうそく革命」の結果である.朴槿恵収賄に比べればアベのやったことははるかに額が大きく悪質である.それでも罷免できないままである.
韓国には,かつての民主化闘争があり,さかのぼれば日本の植民地支配への抵抗闘争の歴史がある.対して日本は,非西洋にあって最初に近代資本主義に入り,帝国主義侵略と支配を続け,敗戦後はそれを総括することなく一転して対米従属の下に経済拡大を続けてきた.アベ政治はそのなれの果てである.
これに対抗する力はあまりにも弱い.われわれは韓国の人々の歴史の現在からはるかに遅れた所にいる.しかしそれでもこれは歴史の産物である.歴史の産物は,必ずかえることができる.絶望することなく,言うべきことを言い,街頭に出よう.一人一人の行動こそが歴史を創る.ということでこの日も横断幕をもつの手伝ってきた.

安倍やめろ! そして

 昨夜は定例の梅田解放区の日であった.時間がとれたので参加する.歌って踊って喋っては若い人に任せて,こちらはもっぱら横断幕をもつ.しばらくすると,地元の自治会活動で知りあい,その後アスベスト問題や,最近では人民新聞山田編集長の公判などでも顔をみかけ,自宅への駅も同じである人が,通りがかった.こちらは思わずポールの維持を両横の人にたのんでポールの手を離して飛び出し,あいさつした.彼も驚いていた.彼は,昨年の6月に地元の「九条の会」でこちらが喋ったとき,司会をしていた.そのときのことは「六月五日に」に書いている.家に戻ってからその彼にメールしたら,今朝返信が来ていた.

おはようございます。昨日は、驚きと感動でした。普段は、あの場所ではつまらないイベントばかりを目にするものですから、「安倍はやめろ!」は、本当に良かったです。

 彼はしばらく一緒に声をあわせていってくれた.こうして街頭に立てば,人との出会いがあり,また知りあいどうしでも,まだ知らなかった一面を知りあい,関係が深まる.この日はまた,通りががりの若者が自分でマイクをとって「安倍やめろ」をしばらく声を出していってくれた.同じように立ち止まり,最後まで見ている人もいた.こうして,20人+α人での行動となった.このような街頭での直接行動を通した関係の深化は,いずれどこかで力になるだろう.それを思わせることであった.
数年間,毎週金曜日に関電前に通っていたときも思ったのだが,街頭は私にとっての教室である.筆と紙とそしてパソコンで考えることを中断して,街頭に立つ.すると思わぬところから新しい考えが浮かんでくる.時間のあるときには夕方犬を連れて1時間ほど歩くことにしているが,これもまた同じような働きをする.足が動いてくれるうちは街頭に出て,そして地元でも歩く.
 一昨日8日の夜は杉村さんと食事をしていろいろ話しあった.6月23〜24日,龍谷大の大宮で開かれるインターナショナル・カルチュラル・タイフーン2018のことをうかがった.詳しい内容は学会のカルチュラル・タイフーン2018の開催のお知らせにある.23日だけでも行って,それから梅田に来るつもりである.ただ,この「お知らせ」文の日本語とその背後にある思想に対し,私は次のように考えている.
 1)ここにある言葉は,根のある日本語ではない.言語帝国主義に圧倒された奴隷の言葉である.2)西洋現代思想が提起することを,非西洋の日本で受けとめる意味と意義がわかっていない.3)このようなエセ知識人の言葉を乗りこえ,現代が直面する課題に根のある言葉で向きあえ.4)その試みのみが,次の時代をひらき,また逆に西洋の知に課題を提起することになる.
 このような取り組みは,資本主義が閉塞するという状況の中で,次の段階の人と世の有り様を考えるという,大きな枠組でくくれるものであるが,西洋の知識人はどれだけ非西洋の問題を我がこととしてとらえているのだろうか.そしてその問題は,西洋自身へも提起されることであり,そうしてはじめてほんとうの新しい普遍性が生まれるのではないか.それをわれわれが考えねばならないと言うと,それはお前が書いて提起しろと言われた.確かに,問題を言うだけではいけない.こちらがその次を考え文字にしなければならない.そのための基礎作業が『神道新論』であった.その意味で自分の課題としてそれはわかっているのだが,難しい.
 そして,もう一つ話したのは,イギリス労働党のコービンやアメリカのサンダースのような,既成左派の中からそれをうち破るような人が、日本にはいないのか,である.いればいろいろ応援するのだが,という問題であった.彼も,知りあいの社民党の人にそこから脱皮して,という話しを何回もしたようだが,そうならない.既成左派にそんな人はいない,とのこと.こちらにもいない.もう一つ下の世代が出てくるまで,まだまだ地道にやることが必要なようだ.このようなことを考えた週末であった.
追伸:6月10日,今日は日曜日で,朝から公園の掃除.雨かと思っていたら曇り空.そして夕方は1日だけの授業が神戸であった.その前に本屋に立ち寄り『図書新聞』3355号と『週間金曜日』1187号を買う.『図書新聞』は特集:「動く朝鮮半島,動かぬ日本」で,1面から金時鐘さんの『背中の地図 金時鐘詩集』によせたインタビュー.金時鐘さんはかつて湊川高校の教員.1970年前後,湊川高校,尼崎工業高校,そして私のいた市立芦屋高校などが,いわゆる解放教育運動の拠点であった.金時鐘さんもそのころから知っている.本紙での語りはいろいろ考えさせられるものであった.また『週間金曜日』は「韓国・民主主義の底力」である.いずれもが,韓国の文在寅政権を生み出し,今も前に進み続けている韓国の運動を,提起するものである.
 私は8日「西洋の知識人はどれだけ非西洋の問題を我がこととしてとらえているのだろうか」といったのだが,ではわれわれは「どれだけ韓国やアジア諸国の運動を我がこととしてとらえているのか」という問いを自らに問わねばならない.この2紙はそのことを問うている.さらにまた,われわれは「どれだけ日本語の伝える智慧我がこととしてとらえているのか」という問いにいたる.時間をかけて読み込み,考えたい.そしてここに,われわれのなすべきことと課題とそしてゆくべき方向の示唆があると考えている.

暗夜の奇祭・県祭

 6月5日は、私の故郷宇治の県(あがた)祭であった.地元の新聞,洛南タイムスの記事.城南新報の記事.火曜の夜は京都駅近くで仕事なので,少し早く家を出て宇治の街を廻ってきた.県祭のことは『個人史』「故郷宇治」ー「四季と祭り」に書いているが,神社はもとより,この祭りもまことに古くからある.個人史にある写真は,もう14,5年も前のものだ.確かにあの頃行ったことがある.もうそれから15年かとも思う.法事や市役所に用事とかでときどき宇治に戻るのだが,いつも宇治の街におり立てば,時間を越えて懐かしい.ここにも書いたように,県祭は真夜中には梵天のお渡りがある.昔は,大阪からの人が,街道筋の家々に泊まって,このお渡りをむかえたものである.今回は明るいうちだけ行ってきた.
 宇治駅から露店の間を歩いて県神社に参る.それから県通りを下って平等院の門前まで行く.このあたりは幼稚園や小学校1年のときの通学路であった.そこに立っているご先祖の辻利右衛門の像にあいさつする.江戸時代末期に宇治茶を再興した人である.また近年,抹茶の甘菓子を作りだし流行らせたのも利右衛門の一族である.そこから参道を北に歩く.この通りには小学校の同級生が親の代からの茶の店をやっている.そこに立ち寄り,茶をもらう.さっきもOさん夫妻が立ち寄ってくれた,と同級生のことを聞く.6年間組替がなかったので,皆よく知っている.そして和菓子を買って,宇治橋を渡り京阪電車宇治駅で電車に乗った.
 木幡駅で降りてJRの木幡駅に行く.途中で,許波多(こはた)神社に参る.宇治は琵琶湖を出た宇治川が山間を抜けて作った小さな扇状地にある.かつては「許(こ)の国」であった.その北の端,それが許端ーこはたー木幡と今日に続く.許波多神社はその境にあり,そこを守る塞神社ではなかったかと思う.
 木幡駅で電車を待っていると同じ職場の先生が来る.広島の人だが,ここに住んでもう四半世紀,木幡は住みよいところだと言っておられた.こちらは23歳で宇治を出たのだから,この人の方が宇治は長い.
 宇治の街は,昔は関電やニチレイの社宅などもあり茶問屋と住宅街であった.いまは観光地である.右の写真の,三の間といわれる欄干が張り出したところに写っているのは,和服を着た中国人であった.こういう観光客が増えた.京都,伏見稲荷,宇治,奈良は,同じ宇治線の並びの観光地で,外国人がほんとうに多い.電車は半分くらいいろいろな国の人が乗っている.宇治は平等院だけではなく宇治上神社興聖寺三室戸寺,少し離れて黄檗山万福寺もあり,観光地として整備されてきた.その一方で,地元の子供は減っている.私の出た莵道小学校,昔は45人学級が5クラスであったが,今は1クラス確保するのがやっととのこと.まわりに小学校がいろいろ新設されたこともあるが,私もそうなのだが,古い街からみんな出て行ったのだ.
 これからどうなるのかとも思うが,しかしまた,宇治橋ができてからもう1400年である.この街はこれからもいろいろ姿と形を変えても,続いてゆくだろう.平等院の裏街道に県神社があり,さらにその南側の山麓に,親や親戚一同が眠る善法の墓地がある.ここには山本宣治の墓もある.死んだらここに還るのだが,それはそうとして,歩けるうちにもう少しいろいろ廻りたいと思った.小さいころは知らなかった路地や,はじめて通る道もある.宇治の街を歩くと,歴史時代からでも2000年,人はこうしてやってきたのだと思う.そしてまた,人がこの世に現れた意味は何だろうと,考えてしまう.
 私が,近代日本語の翻訳のために作られた言葉になじめず,またその意味が分からず,それでもういちど日本語を近代以前から見直してゆこうと考えるようになったのは,こういう宇治の風土が関係しているかもしれない.この風土を断ち切る近代ではだめなのだ。そして,言葉の段階で古よりの智恵を掘り下げておけば,たとえこのような風土そのものが一旦は失われても,近代そのものが行きづまる中で、もういちどこれを見直し,再生と再建の道を歩むものが現れるにちがいない.このように考えて,青空学園を場にして,力およばずではあるが,数学と日本語の世界で多くの文章を書いてきた.最近,阪大を中退して青空学園で勉強し,新しい学びの場を作ろうとしている若い人もいるとのことを聞いた.
 いま,この近代のなれの果てが具体的な形となってわれわれの前にある.宇治の街を歩きながらこんなことも考え,もう少しやらねばと思った次第である.

安倍やめろ!

 昨日は定例の梅田解放区.こちらは,はじまる少し前に到着できた.横断幕を2段にしたので、人が見えない.足だけ写っている.それから半時間ほどして代わってもらって,端でもちながら,道ゆく若者をながめる.彼らは今何を考えているのだろう.園君が言っていたが,これで安倍を辞めさせられないのなら,この先どうなるのだ.
 その通りである.明治維新から150年.非西洋で最初に近代化して150年.そして最初に没落してゆくのか.そうかも知れない.8時間労働の近代原則からこれほど遠く,しかも延長労働のその対価が支払われない日本.教育と医療は公的に保障するものであるという原則から,最も遠い日本.
そのことを山本太郎さんがPDFで書いている.これは良くわかる.憲法ってナニ? その2から入手できる.太郎さんが,「米国の植民地はたった1カ国です、世界でも」というのはその通りだ.
 占領が終わってから今日まで,日本国憲法の上には日米安保条約があり,日本政府の上には高級官僚と在日米軍からなる日米合同委員会がある.鳩山民主党内閣はこの合同員会によって潰された.安倍内閣はこの合同員会の指示によって戦争法などの諸法を作った.その仕上げが改憲である.すべては米軍と軍事産業のためになされている.
 日本の官僚は在日米軍を後ろ盾にしている.沖縄・辺野古に巨大な基地を作るのは,アメリカの要請ではない.米軍を日本に引き留めるためである.原発を再稼働をするのは電力のためではない.アメリカの核戦略のためである.
 最近ようやく,日本の空はすべて米軍に支配されていること,日本の国土はすべて米軍の治外法権下にあること等が暴露されはじめた.これは,暑き晩夏に「知ってはいけない」を読むにも書いた.自らが奴隷であることを自覚し,奴隷であることさえ知らない真底からの奴隷状態を,まず脱する.
 8時間労働の原則と教育費や医療の無償化,消費税の廃止,最低賃金の引き上げなどを正面から掲げる,日本のサンダースはいないのか.園君にこれを言うと,こういう梅田での行動から,それを作ってゆきたいという.それはその通りだ.山本太郎さんにももっとがんばってほしい.
 ところで,日大で有名になったが危機管理学部,その危機管理学部のあるのは,日大と千葉科学大学と倉敷芸術科学大学,後の二つは加計学園.そして危機管理学会の名誉会長が安倍晋三この危機管理学会にはどんな論文が出るのだろう.いかに嘘をついて,その場をやり過ごすかを,書くのだろうか(笑ってはいけない).これについては,あいば達也さんの分析が鋭い.フィクションでも描けない不思議 加計が親分で安倍がパシリである.ナチスがどのように権力を握ったのか.憲法をどのように変えるのか,などを研究しているのだ.そして,日大の対応と安倍の行動が共通の基盤のうえにあることが,大変わかりやすい.またこれは近代日本がここまで堕ちた証しでもある.これをどう考え,そしてどうするのか.
 危機感を共有する若い人らが,こうやって歌って語って呼びかける.若い人らを支えつつ,われわれの世代ももう少しやらねばと思う.老若男女20人ほどで声をあげて戻ってきた.
 23日は人民新聞編集長・山田洋一さんを支援する会が呼びかけた公判にもいってきた.結審であった.これはまったくの人民新聞潰しのためのものである.しかし逆に,人民新聞は読者も増え,横のつながりも広がり,独立系の新聞として飛躍する基礎を作った.当日は公安まで来ていたが(5/23のところに写真),皆に抗議され,裁判が始まると早々に引きあげた.
 日本がこのように堕ちるとは,実際のところ思いもしなかった.客観的には資本主義そのものの閉塞がもたらしたものであるが,為政者はそのことをおさえていかなければならない.自民党前尾繁三郎は,死の五日前(1981年七月十八日)の講演で「経済が低成長時代にならざるを得ない時代にどうするかの認識と対策を採るべきかを,いろんなところで提言しているのに,指導者たちにその認識ができていない」と言い残し他界した.そしてそれから,日本はこれとは遺言の心とは真逆の道を歩んできた.ほんとうにいろいろ考えさせられる.

『東北ショック・ドクトリン』

nankai2018-05-13

昨夜は第2第4土曜定例の梅田解放区であった.若い人らとわが世代が一緒にやっているので,何かの手助けもと,出かけている.こちらは土曜の午前中,午後1〜2時と2つ地元の寄りあいがあり,それから一休みして,出かけてきた.行くともう横断幕が出ている.写真を1枚撮って,それから幟をもった.およそ20人が集まり,思い思いに語りかける.若い人は歌をうたって語るのだが,それはこちらは苦手である.昨日はもっぱら横断幕をもっていた.目の前を通り過ぎるのは,土曜の夜の若い人らである.何か伝わるものがあればよい.
昨日,『東北ショック・ドクトリン』を読んだ.私は,東北大地震と核惨事をショックドクトリンとしてアベ政治が生まれ,今のような膿のかたまりの政治をやってきたと,これまでも言ってきたが,そのことを正面から書いた本があるのは知らなかった.東北の現実をこの観点から詳しく書いた本書は,たいへん優れている.そしてこの本の中頃に次の一節がある.

繰り返されるショック・ドクトリン
 カナダのジャーナリスト、ナオミ クラインは、「真の変革は危機的状況によってのみ可能となる」と唱えた市場原理主義者、ミルトン・フリードマンの考えを”ショック・ドクトリン”と呼んで批判した(『ショック・ドクトリン岩波書店)。
 この言葉が日本で紹介される前から、「奇貨の都市計画」を唱えて警告を発していた者もいる。京都府立大学元学長で都市計画を専門とする広原盛明だ。
関東大震災以降の日本の大震災はすべて、奇貨の都市計画=ショック・ドクトリンとリンクしています。関東大震災では帝都復興で後藤新平が神様のどとく言われましたが、当時の東京は急膨張期。戦前の高度経済成長期の後で、倍々ゲームで人口が増えているころです。関東大震災は、近世の骨格を残していた江戸・東京を、一気に近代都市に生まれ変わらせる絶好の機会でした。後藤ははっきりと「千載一遇」という言葉を使っている。災害を奇貨とするこの考え方は、土木建築、都市計画の分野では残念ながらどく普通の感覚なのです」

これはその通りである.まさに関東大震災の後と,そして東北大地震から今も続く核惨事において,同じことが起こっているのだ.災害を契機として「再開発」という名のもとに,大資本のために町や村をコンクリートで塗りつぶす再編成をやったのだ.関東大震災のあと,江戸の街が再建されることはなかった.それと同じである.
しかし同時に,ショックドクトリンはこのような経済面だけの問題ではない.東北という地域だけの問題ではない.私はもう一つ,関東大震災以降と東北大地震以降の共通点を見なければならないと考えている.それは,このような大災害時を契機に起こる排外主義・差別主義である.
関東大震災のあと,陸軍は,震災後の混乱に乗じて社会主義自由主義の指導者を殺害した.甘粕事件(大杉事件)では、大杉栄伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが憲兵隊に殺害され,亀戸事件では労働運動の指導者平澤計七ら13人が亀戸警察署で,近衛師団に属する習志野騎兵第13連隊に銃殺され,平澤が斬首された.しかしこれは軍のみではなかった.震災発生後,混乱に乗じて朝鮮人が暴れているという噂が流布し,民衆,警察,軍によって朝鮮人やそれと間違われた中国人,聾唖の日本人などが殺傷された.そして,関東大震災を契機として,日本は軍国主義の道をひた走る.
それと同じことが,東北地震の後も,いわゆるネトウヨの大量発生や,自衛隊や警察のなかでの差別思想の蔓延として,くりかえされている.尖閣問題の2010年のころから排外主義が表に出てきたのであるが,それが3.11以降一気に拡がった.先日の自衛官の小西議員への暴言も,甘粕事件や亀戸事件と根は同じである.このままでは,まさに軍国主義が再現されるだろう.すでにもうはじまっている.
墨田区には都立横網町公園内に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」がある.これは,殺された朝鮮人を追悼するということと共に,関東大震災のときのあのような排外主義を二度とくりかえさないという,自らへの戒めの意味もあった.ところが東京都の小池百合子知事と墨田区の山本亨区長がは,昨年9月1日の開かれた「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文の送付を取りやめた.追悼式典の実行委員長を務める日朝協会都連の宮川泰彦会長は「朝鮮人に対する虐殺の歴史からあえて目を背けているように思えてならない」と改めて批判したと報道されているが,その通りであり,そしてそれは東北地震の後に起こってきた排外主義の流れのなかでのことである.そのように考えれば小池知事の立ち位置もよくわかる.
「安倍やめろ」と声をあわせながら,アベ政治がここまで腐敗し,腐臭をさらけ出したのが,ちょうど明治維新から150年の年であることを思わずにはいられなかった.非西洋にあって,無理して無理して西洋近代の上っ面を真似してやってきたが,近代の果てに,このようなところに来てしまっている.このままでは,日本という国家の大きな破局に直面しなければならなくなる.それは世界史的に大きな意味をもつだろう.白井聡さんは『国体論』のなかで,いずれくる破局について詳しく述べている.同時に,白井さんは同書の神戸新聞の書評の中で「今では,(アメリカに従属した)現状がおかしいと気付く回路すら閉ざされてしまっています」と述べている.
まさに現実はそうなのだが,同時に,この時代が,現代のローマ帝国であるアメリカの没落,それはまた近代資本主義そのものの行きついた果てとしてのアメリカの没落であり,資本主義が一定の時間をかけて終焉してゆく時代であるということを,おさえなければならない.資本主義の終焉とは,生産関係としての資本主義が別のものに置きかわるということではない.経済が第一のあり方から,人第一のあり方にかわることである.そうしなければもはやこの世界は持続し得ない,という段階に至っている.
日本の支配層が自ら選んでいる対米従属は,まさに国体というべき水準で,奴隷であることを自覚すらできない完全な奴隷が今の日本の姿であるが,そのご主人様たるアメリカ自体が没落してゆくのである.これは避けがたい歴史の法則である.その過程で,日本の売国官僚とその政治は,すべてをアメリカに貢ぎ,そのしわ寄せが99%の日本人におよぶだろう.そしてその中で,ようやくに「現状がおかしいと気付く」ことになる.そのようなときが現実化すること自体は避けがたいが,それがどのくらいの時を要するのかはわからない.
そしてそのとき,結局はひとりひとりが自ら考えねばならない.しかし,現代日本語は考える言葉たりえていない.私はそのことを痛感し,近代以前の日本語からことわりの言葉を取り出そうとしてきた.前回も書いたが,この20年やってきたことは,そこからの日本語の再生,そのための準備であった.
途は遠いし,自分にどれだけの時間があるのかはわからない.日々着実にやってゆくしかない.昨日は一日中いろいろ体を動かし,そして日が落ちた梅田の人通りの前で横断幕をもちながらそう思った.街頭に出ることは,考えを深める.