還暦同窓会

 昨日は,還暦同窓会があった.還暦と言っても私のことではない.彼らのことである.思い起こすと,1974年4月,その前の秋から仮免許で教えてはいたが,4月に教員免許も取れて市立芦屋高校の正規教員となり,はじめて担任したクラスが,彼らである.そのとき私が26歳.彼らが15歳.それから45年の時が過ぎ,彼らが還暦,こちらは古希を1年越えたところということでの同窓会であった.総勢13人が集まった.35人ほどの少人数のクラスだったが,そのなかでよく集まった.
 このクラスに,昨日の会場になった阪神西宮の近くにある和食の店をやっている人がいて,彼が世話をして,みなに呼びかけてくれた.私には,古希祝いのケーキと花束まで準備してくれていて,ありがたかった.20年ほど前にいちど同じクラスでイタリア料理店をしている人のところに集まったことがあったそうだが,こちらはそれにはいっていないので,2005年に二,三人の人とこの店で会った以外の,ほとんどの人とは卒業以来42年ぶりであった.
 しかし,そんな時間も,会えば吹っ飛ぶ.これはほんとうに貴重な経験である.昔のあの子が今,目の前にいる,という感じである.また,私のところより歳うえの孫のいる人もいて,ここまで来れば歳の差はあんまりないのも実感できる.このときから,時間の感覚が少しかわったような気分である.
 数学教育という点からも,いやそもそも教育理念という点からも,多くのことを学んだ.私の原点ともいうべきクラスである.あの時代は,地域の教育運動が盛んなときで,教員にとってはやりがいはあったが厳しい時代でもあった.それでも,今のように格差が大きくなる前で,卒業生にはそれなりに仕事はあった.国鉄に就職して働き続け,間もなく定年という人も来ていた.彼は最後まで国労でとおした.それぞれの卒業以来の人生を聞くと,やはりいろいろある.そして,私自身がここからはじまる自分の人生を思い返さずにはいられなかった.このとき学んだことが今も自分の基礎にある.
 15日の土曜日は梅田で声をあげてきた.この45年を振り返ると,いわゆる安定成長期を経て,それがゆきづまった頃から行革が言われはじめ,この市立高校も廃校の方向になった.それがはっきりした1987年3月,市高組合の委員長であった私はここを辞めたのだった.それからバブル経済となり,そして1991年,ついにそのバブルが崩壊した.その頃私がやっていた会社も倒産し,この高校のかつての同僚の尽力で塾などで高校生に数学を教える仕事に戻ったのだった.
 日本は,世界的にも一番最初にバブルの崩壊と資本主義の行きづまりに直面し,そして1995年の阪神淡路の大震災から,2011年の東北大地震と東電核惨事を経て,アベ政治に行きついてきた.これは前にも言ってきたが,アベ政治は,日本の近代の行きついた果ててであり,同時に資本主義の行きづまりが世界大になったという時代条件のもとで,東北地震をショックドクトリンとして現れてきたものである.日本の個別問題と世界大の情勢は深く関係している.
 これからどのように進むのか.日本近代の教育は,人に根拠を問うことを教えず,言われたことをそのまま受け入れるようにしむけてきた.そして,この近代そのものの行きづまりの中で,これに対して,自らの現実をふまえて世を問いなおす運動が,いま拡がっている.大企業のためのアベ政治か,多くの国民のための立憲主義政治か,これが今日の主要矛盾である.これは,一人一人に即せば,言われたことをそのまま受け入れるのか,根拠を問い続け能動的に立ち向かうのかということに対応している.いずれが大勢となるのか,今はその分岐点にある.
 アベ政治を倒す道は,一人一人がなし得ることをすることによってしか,拓かれない.アベ政治を終わらせたなら,対米関係をどうするのかが,次の主要な矛盾となるのではないか.そこまでを見すえて,まずアベ政治打倒である.そう考えて,この日も梅田に立っていた.
 もう一度彼らに会えるかどうかはわからないが,同じこの日本で生きているのだ.そう考えて,彼らに学んだことをいまに生かしてゆきたい.写真は夙川べりの彼岸花,21日撮影.

続く天変地異

昨夜は梅田解放区の日であった.いろんな世代が十数人集まって,「アベやめろ」でいろいろしゃべり,道ゆく人に呼びかけた.土曜の夕方のこのあたりは,ほんとうに人が多い.カンパする若者がいた.写真を撮ってゆく人,あえて無視する人.さまざまである.
この間,日本全土で洪水,台風,地震と続く.こちらも四日の台風の後,しばし停電.自宅近隣はすぐ電気が来たが,両隣の街々は翌日昼まで停電していた.集合住宅ではその間断水も続いた.
経済を優先して,なすべきことをしてこなかった.その意味で,七月の岡山真備町の洪水は人災である.そのことを「ニューズウイーク日本版」(2018.07.17)が「岡山・真備町襲った洪水 堤防決壊の危険は住民に長年の懸念だった」と伝える.日本の新聞などは一切このことは報じない.北海道の地震による停電も人災だ.これは日本の「ビジネスジャーナル」(2018.09.07)が「北海道地震、全域停電は北電による「人災」か…危うい電力供給体制を放置、対策怠る」と伝える.
そして「リテラ」(2018.09.07)は「関西空港の惨状は経営効率優先の運営会社による「人災」か? 民営化を「自分の手柄」と吹聴していた橋下徹は」と,伝える.そこにもあるように,もともと,関空は国と地方自治体,そして民間が共同出資する政府指定特殊会社関西国際空港株式会社」が運営していた.しかし企業としては赤字で,民営にした.赤字がなくなるわけではなく,効率優先でなすべき事がなされていなかった.もともと関西空港の危うさは指摘されていた.2003年12月の人民新聞の記事「最終段階に入った関西国際空港二期工事  水没する運命の関空は撤去以外にない!」である.この指摘が今回実証された.
経営効率,つまりは資本の儲けを第一とするかぎり,このようなすべき事がなされない.それは福島の核惨事で明らかになったいたはずだ.前回書いたが「地震列島に核力発電所を作ることの危険性は従来からも指摘されてきた。にもかかわらず、東京電力は経済を優先し、万一の場合のためのできうる対策さえしていなかった。」今回もまた同じことがくりかえされた.
アベ政治はこのような効率第一の民営化を進めてきた.そして今度は水道の民営化である.赤字,赤字というが,社会基盤整備に金が要るのは当然だ.今日,企業の内部留保は大きく膨れ上がっている.社会基盤整備の金を税としてとればよいのだが,アベ政府はそれとは真逆のことをやっている.大企業の儲け優先の政治を,法を無視してまでもやっている.
新自由主義の企業の金儲け第一の世を変え,みな節約して慎ましやかに生きる世に変えてゆかないと,これからの天変地異に対応できない.逆にうち続く天変地異は,こんな世を変えよという,天の声なのだ.皆これらのことを,喋っていた.こうして街頭に立って声をあげるのは,ほんとうにいいことだ.もっともっと若人が増えることを願っている.
ところでまさにその「法を無視」について,「総裁選告示日に,安倍首相が内乱予備罪で刑事告発される」である.『メルマガ・日本一新』臨時号に載った「内乱予備罪告発状」の要旨は次の通りである.

告発の趣旨 安倍氏は、平成24年12月に第二次安倍内閣を成立させてから今日にいたるまで、日本国の統治機構を破壊し、憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として、国民を、組織を使って、誤導し惑わせ脅迫して、内乱の準備をしている者であり、刑法第78条の内乱予備を行ったものと思料されるので、厳重に処罰されたく告発する。
告発の事実要点 破憲閣議決定事件 平成26年7月1日に、閣議で「集団的自衛権の行使を認容する閣議決定」を主導した。これを「破憲閣議決定」とし、歴代内閣が守り続けてきた海外での武力行使禁止や集団的自衛権の行使禁止を恣意的に取り消し、憲法規範を破壊した。安倍氏は破憲閣議決定を政府組織によって、国民に認めるよう「誘導し」、「強要し」、国民が反対する場合、これを違法として処罰することなどを強化し国民を威圧した。
国会召集拒否及び国会冒頭解散事件 平成29年6月22日に野党からの憲法53条に基づく「臨時国会召集要求」に対し、安倍氏は内閣を代表して国会召集の義務を果たさず、内閣を主導して約3ヵ月間も拒否した。ようやく同年9月28日に第194回臨時国会を召集したが、召集日正午に開かれた衆議院本会議で、直ちに解散をなさしめた。これで野党の要求する「森友・加計問題の真相究明」は行えず、憲法53条に違反するものである。
公文書改竄事件 安倍首相が政府を主導してなした財務省の公文書改竄事件は、国の統治機構を破壊し、憲法の定める統治の基本秩序を混乱させ壊乱する準備行為であった。
安倍首相の内乱予備行為の経緯(要点) 第二次安倍政権成立以降の安倍首相の憲法の基本統治秩序を壊乱して、内乱予備行為を行った情況を30項目にわたって概説した。
告発の必要性(要点) ナチスの手口と、安倍首相の破憲行為の類似性を説明し、告発の必要性を論じた。
犯行の重大性(要点) 安倍首相の「権力の私物化」と「国会に対する欺瞞行為」に対して、大島衆議院議長が「政権不祥事は民主主義の根幹を揺るがすもの」と異例の所感にあるように安倍首相の暴走は国家の危機である。などなどである。検察庁憲法の原理に沿った取り扱いを要望する。

統治機構を破壊し、憲法の定める統治の基本秩序を壊乱」しているのはまさにその通りで,アベ政治とは惨事便乗型新自由主義である.そしてもとより、検察や司法もアベ政治の内にあり,彼らは「憲法の原理に沿った取り扱い」はしないだろう.しかしアベ政治の問題をこのように提起したことは,たいへん重要なことである.これを広げてゆくことは大切だ.これからを見守り,なし得ることはやってゆきたい.そのなかで,自分の課題を少しずつでも前に進めたいものだと思う.

秋は未だ来ぬ

 八月も終わりはや九月である.夏の終わりに秋を感じるのがこの時期なのだが,まだ風の音に秋を感じることはできない.あいかわらず残暑である.
 二日の今日は,朝から公園の掃除.午前中は原稿仕事をこなし,午後は,大阪市中央会館で開かれた「Go West, Come West!!! 3.11東北・関東 放射能汚染からの避難者と仲間たち集会」vol.6 に参加してきた.ツイッター.東北や関東から西に避難してきた人らと関西人の協働の場で,これまでもいろいろ取り組まれた来たが,こちらの参加ははじめてであった.八月六日,広島原爆の日に,神戸に母子避難してきた人で今日報告してくれた人が,原爆ドームの近くで訴えると,その後になって,広島県警の上からの指示による参加者Aさんの逮捕,10間の拘留という,まったくのアベ政治による弾圧があった.それをはねのけ,その報告が中心の集会であった.
 アベ政治は,広島・長崎の原爆惨禍と,福島核惨事が,人々の中で結びつくことを恐れている.だから関東からの避難者の彼女が広島で英語で訴えたことを弾圧してきた.私は自著で,

 地震列島に核力発電所を作ることの危険性は従来からも指摘されてきた。にもかかわらず、東京電力は経済を優先し、万一の場合のためのできうる対策さえしていなかった。福島第一発電所の事故はそのうえで起こったことであり、自然災害を引き金にしたとはいえ、それはまさに人災であり、予測されたことに対する対策さえ怠ったという意味において、犯罪である。
 しかし、さらにそれが惨事であるのは、日本政府や東京電力が核汚染の現実を公にすることなく隠し、本来なら放射線管理区域として厳格な管理のもとにおかれねばならない汚染地域に、人をそのまま住わせていることである。また、避難のために移住する権利さえも保障されていない。このような情報隠し、情報操作によって、避けうる被曝が逆に拡大する。これがまさにいま広がっている。この意味でこれは三重の人災、二重の犯罪である。

と書いたが,アベ政治は二重の犯罪のうえにさらにいま権力犯罪を犯している.実際に避難の当事者から話しを聞くと,私の書いたことはまさにその通りであるが,この現実の困難をわたしの一文はどれだけ捉えられているのかと自問せざるを得ない.そして,ほんとうにこの日本はどうなってゆくのかと思う.再稼働反対は,私の立場からしてもとより当然であり,数年間,関電前金曜行動にも参加してきたが,関東や東北の核惨事の現実にどのように向きあってゆくのかということはなかなか見えていなかったことを痛感する.私の係わっている不登校の子の居場所づくりの場にも,福島から避難してきて学校に行けない,行かない子がいる.ほんとうに今の日本は学校そのものがそんな子を受け入れることができないし,魅力もない.
 このような世のあり方もまた,アベ政治のこの五年間,それに先立つ規制緩和と格差拡大の小泉政権以来つくられてきたものであるが,これに反対する側はほんとうにバラバラである.沖縄では知事選挙の統一候補に玉城 デニーさんが決まった.沖縄はこうしてアベ政治に対抗する人々が一つになって闘う体制ができた.だが日本の地方政治も含めた全体としていえば,共産党と組むのかどうか,日米安保に対してどういう立場に立つのか,などを分岐点にして,バラバラである.地方政治では立憲民主党自民党と組み共産党候補と争うなどということが,あちこちで起こっている.
 このときいつも思い起こすのは毛沢東の『矛盾論』である.毛沢東は一九三七年八月延安でこれを講演した.何が主要な矛盾であり,何が副次的な矛盾であるのかを見極め闘わねばならない.主要な矛盾は,歴史の発展段階において転換してゆく.これを説いた.当時,第一次国共合作の破綻後,共産党は国民党とまさに死闘を繰り広げていた.そこに,日本軍国主義の侵略が拡り,盧溝橋事件が起こる.共産党は,中国人民と日本軍国主義との矛盾が主要な矛盾であるとの立場に立ち,再びの国共合作を呼びかけ,紆余曲折を経て成立.ついに日本にうち勝つ.そしてその後は再び国共内戦に入ってゆく.
 今の日本では,立憲主義法治主義の政治か,アベ政治か,この矛盾が主要矛盾である.一部の旧民主党系勢力と共産党の矛盾は副次的である.アベ政治に反対し立憲主義を求めるものは,副次矛盾をひとまず横に置いて,分断をのりこえ団結しなければならない.地方政治においても,この方向で統一されねばならない.
ところで,『出版ニュース』二〇一八年8月11日号に『神道新論』の紹介記事が載った.作品社の編集者が知らせてくれた.

 江戸から明冶への新しい時代のために闘った人々を描いた島崎藤村『夜明け前』に登場する青山半蔵は、平田派国学の門人として王政復古によって「古代の素直な心」を新しい世に取り戻そうとしたが、維新はこの夢を裏切り、国家神道という虚構を作りあげ、半蔵は座敷牢で生涯を終える。「素直な心」とは、日本の基層にある真の神道で、これは日本語に備わった、日本語に結実した智慧となるもので、生きる道を指し示していると著者は主張。その教えの第一は、人は互いに尊敬しあうというもので、人を金儲けの資源とすることは神道に背くと説き、「言葉を慈しめ」等の神道の教えを今に蘇らせる。

 短文であるが,的確に紹介してくれている.ただ一点「日本の基層」とあるが,私は「日本」を使っていない.「日本語」や「日本列島」など明確に特定しうる固有名詞の中でのみ用いている.「日本の基層」は「日本語が定める世のその基層」とでも言うべきだ.ここは紹介者の読み込み不足としておこう.
 最近,見田宗介さんの近著『現代社会はどこへ向かうのか―高原の見晴らしを切り開くこと』を読んだ.見田さんの著作はもう四十年前から読んでいる.彼は社会学者である.彼が「高原の見晴らしを切り開」いてくれたうえにたって,現実を動かしてゆくためには,次の時代を作る人の中味を準備してゆかねばならない.近代日本語が覆いかくした「日本語に結実した智慧」をもう一度取り出してゆくことは,その作業の一つである.これが私自身による自著の位置づけである.この秋,このあたりをもう少し深められればと思う.

残暑の候に

もう二十日である.この二,三日少しだけ気温が下がる.夕方はツクツクホウシの声が聞こえるようになった.夏の終わりの鳴き声である.それでも残暑はきびしい.この数日のことを自分のために記しておく.
十六日は大文字の送り火の日.京都には行けなかったが,送り火にはなぜか心落ちつく.この日は結局一日,円順列の諸々にいろいろ手を入れ,ようやく十七日に一通りできる.明示的な円順列の個数を与えるこの等式は,意味の深い式である.七月の三十一日に今年の慶応大の問題を手に入れ,それを前から置いてあった課題と結びつけて,この等式を示した.八月の前半,数学の方はこればかりをやっていた.
十七日は,政府が辺野古に土砂の投入をするとしていた日であった.故翁長知事の承認取り消し表明とそして逝去となり,取りあえず延期であるが,これは向こうの選挙対策でしかない.こちらの意志を明確にする.夕方は「土砂の投入やめろ!」という大阪行動があった.しかし,こちらはこの日の夕方は地元の夏祭りの反省会があるので行けない.それで,午後二時からの近畿中部防衛局前(大阪合同庁舎第2号館)での「土砂の投入やめろ!抗議行動」に参加してきた.写真である.主催は,沖縄とつながる京都の会,米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会,若狭の原発を考える会等々,全国でのそれぞれの連携した行動であった.およそ五十人は来ていただろうか.
十八日は,朝から年に一度,仕事づくりの活動をしている知りあいのところから,庭の手入れに来てもらう.四人来てくれた.もう一軒おいた隣の庭とうちと二軒をやってもらった.それから午後は孫の誕生会をかねて,彼らの住んでいる所に集まる.
そして十九日は,朝の7時半から公園の掃除.この日の夕方は,大阪での梅田解放区だが,こちらは夕方四時から自治会の防災訓練である.消防車もやってきて五時過ぎまでやり,それから夕涼み会.フラダンスや紙芝居を楽しみながら懇親会をした.三年前からやっている.三年前の様子:暑い晩夏に.ここにもあるが,金曜は地蔵盆が朝から晩まである.これが地域に座っているわが日常である.
アベ政権は,反対派も含めた国民国家の政権という立憲主義政府という立て前すらも棄てている.様々の情報技術を駆使して自らの支持層をまとめ,議会選挙で多数を占める.資本主義が終焉にむかうなかで,彼らには立憲主義の余裕がない.これ以外に道がないのだ.そして,露骨に差別発言や差別行動そのものをとってアベ支持層だけを固める.選挙技術,情報操作にはたけている.まさに差別国家である.日本の歴史は、この差別国家そのものに対する人民による糾弾闘争が必要な段階に至っている.
突破口を開かねばならない.このときに一人一人はどうするのか.それを考える.

ある夏の日曜日

 今夕は梅田解放区の日.朝は七時半から市から委託されている神園公園の掃除をした.いつも二十数人でしている.それから夕方また出かけた.次回の梅田解放区の十九日は自治会の防災訓練と納涼会をこの公園で行うので,梅田にはでてゆけない.それで,少し疲れはあったが行ってきた.いつものように若い人らが語り歌うのを,横断幕をもって手伝ってきた.宮古島出身というわれわれの世代の人がやってきて,三線を弾きながら琉球の歌をうたい歴史を語ってくれたのがいちばん印象に残った.
 明日六日は広島原爆投下の日.梅田解放区を呼びかけてきた君は広島にいる.原爆は最も悪質な大量破壊兵器であり,原爆投下は戦争犯罪そのものである.しかしアメリカの戦争犯罪は議論にならない.日本の側から声をあげねばならないのに,それとは真逆の戦後七十年であった.また,歴史をふりかえると,二度愚かなことをしないと歴史の教訓としては根づかないのはそのようだ.しかし,たとえそうだとしても,広島・長崎の原爆と,そして福島原発が引き起こしいまも続く核惨事と,二度の経験を経ているではないか.なぜ再稼働なのだ.なぜ廃炉の方向を打ち出さないのか.それどころか日本は福島をテコにアベ政治をすすめてきた.ほんとうにわれわれはいま歴史の岐路にいると思う.
 もう一枚の祭りの写真は,昨日の土曜の夕方,犬の散歩で通りがかった六軒夏まつりの開始前の公民館前の公園である.同じ小学校の校区内で行われるもう一つの夏祭りである.「六軒」という地名は,江戸時代,六軒の家ががこの地に入植し田畑を拓いたという.それで六軒が地名となっている.この祭りと甲陽園夏祭りが七月末と八月はじめの土日に前後を入れ替えて夏祭りをやってきた.一方は先週の台風で中止となったが,こちらはできた.
 こういう手作りの年中行事と,そして歴史の岐路と,考えさせられる.その一方で,書斎にいるときは,この一週間『数論初歩』の増訂や今年の入試問題の解答づくりをやってきた.円順列を求める一般的方法については,前から整理したいと思っていたが,今年,慶応の入試に出たのを見つけ,やっておかねばと考え,整理した.結構面白かった.
 自分にとって,考えることの柱は『神道新論』の内容を深めることだ.これが自分のなすべきいちばんの仕事であり,いちばん難しい.いまわかってくれる人がどれだけいるかはわからない.それでも,根のある言葉で内から世を語れ.その言葉を育てよ.近代のなれの果てとしての現代を越えてゆくためには,この近代が覆いかくしたことをもう一度よみがえらせなければならない.それはまちがいない.夏祭りと歴史の岐路という問題と,ここでつながる.そんなことも考えて,青空学園日本語科と青空学園数学科で積みあげてきた.
 大きな歴史の趨勢を考えざるを得ない.いまは経済第一の時代から人が第一の時代への転換の時代である.それは数年のうちにやってくる,バブルの大崩壊によって,明確になるだろう.そして,非西洋で最初にこの西洋資本主義の世界に入った日本は,その果てに今日のアベ政治の段階を迎えている.資本主義の終焉という普遍的な問題が,日本においては,日本の固有の問題をとおして現れていることをおさえ,自分に準備できることとして,これらをやってきた.
 そして自分にとってもう一つの大事なことは,実際に高校生に数学を教えることだ.今年の夏期講習の三年生の授業はこちらにとっても面白かった.今の教育の置かれた状況の中で,それでも出会った生徒達には,少しでも学問としての数学を伝えたい.それが少しはできた.それと問題づくりもいろいろやっていて,これも面白い.実際に教えてきたこれまでの経験と青空学園での経験をもとに,教育数学について,これからの方向を提起したい.そのために,数理解析研究所の講究録の原稿を作っている.これはこの方面での遺言のようなものだ.
 そして,そういうことをやっている者として,この世の中の次の時代を開こうとする人々と力をあわせることだ.人民新聞を中心とする北摂や尼崎の人らの大きな流れのなかで,こちらができることをするということだ.二十年から二十五年前,この流れの源の一人である上田等さんにはほんとうに世話になった.そのお返しという思いもある.それで今夕も梅田に行ってきた.
そして最後が,地元の町内会や地域の様々の活動である.自治会長なので,地域の自治会連合での分担や,またいろいろと市や県との交渉ごとや,宅地開発業者とのやりとりや交渉などのつきあいもある.この二,三日は地元の諸々のことで役所に行ったりと出歩くことも多かった.この町内は新興の住宅街で神社や寺はなく氏子や檀家としてのつきあいはないが,一つだけ地蔵様があり,その世話人も引きうけている.それで私は週に四日は朝早く起きて七時には地蔵様の祠の扉を開けに行っている.今年も八月二十四日はその地蔵様の地蔵盆である.その準備もしてきた.
 こういう夏の日曜をはさんだ毎日である.時々やっていることを整理したくてこんなことを書いた次第.いささか論旨が入り組んでいる.こうやって書いて,それをまた見なおしてゆきたい.

杉田議員の差別発言

 7月も末となった.昨日28日は忙しかった.この日は地元の夏祭りの予定であった.これまでは大池公園の端の広場でやってきたが,人が増え狭くなって,今年からは小学校の運動場でやることになった.小学校での警備なども初めてのことで,いろんな人が力を出しあい,ようやく25日の朝には祭り太鼓のやぐら立ても終わっていた.
 そこへ台風12号である.朝の8時から会場設営がはじまるのでそれまでに結論を出す,ということで朝の7時に実行委員長や副委員長が集まり協議,中止を決めた.1日順延も難しいと結論した.28日の朝にはまだ警報は出ていなかったが,午後4時前に暴風警報.29日は昼頃には日も出たが,突然の通り大雨が2度あり,何とか開催したいという思いもあったが,やはり中止の結論はそれでよかった.これまでのことは,2013年:夏祭り,2014年:梅干しと夏祭り,2015年:8月の初め,2116年:夏の盛りにに書いてきた.去年はドイツにいて手伝えなかった.
 今年中止にしたのは,残念だが台風は仕方がない.昨日はそれから,やぐらの片付けを終え,昼前ににいったん解散.夕方5時からの打ち上げ会までの間,梅田に出た.電気店に用があったのだが,午後3時からの杉田水脈議員の辞職を求める大阪緊急街宣にも参加しようと思った.もとは午後5時からの予定であったが,台風を考慮,3時からに変更されたのである.急なことではあったが,およそ200人が,梅田北のヨドバシカメラの向かいに集まっていた.
 28日は東京でもあった.杉田議員の辞職求め、自民党本部前に5千人 「私には自由に生きる権利がある」特別な1日さんの27日に詳しい.大阪でも多くの当事者が訴えていた.それにしてもあの杉田議員の差別発言である.生産性という経済概念を第一とすることで,人が人であることの尊厳を踏みにじり,そのことに気づくこともできない.いや,わかっていてあえてあの差別発言をしているのだ.この発言はアベ政治そのものであり,自民党憲法改定の方向そのものである.国会議員という公の立場にあるもののこのような発言は,まさに差別糾弾闘争の対象そのものである.差別国家に対する人民の糾弾闘争,その段階に至っている.
 1970年代,役所や議員の差別発言に対しては,必要なら役所に座り込んだり当事者のところに押しかけたりして,差別発言を生み出した組織の責任者に対して,発言がいかに差別であるかを当事者が己を語って訴え,そうだったとわかり自己批判し,組織が変わってゆくまで続けた.こうして阪神間の行政はいくらかは変わったが,そのなかで西宮市は昔のままの古い役所の体質である.そして杉田議員はこの西宮市の職員の出である.
 そういう糾弾闘争のいくつかの末席にいたものとして,政治が国家権力もうごかし差別発言を逆に利用して支持者を集めるような今の状況を何とかうち破りたい.差別発言を生み出した組織は今のアベ政府そのものである.田中龍作さんが,「杉田水脈が選挙応援に呼ばれる理由 自民党の高等ネット戦略」で書いておられるように,情報技術が変われば,それに対応して,闘い方も変えてゆかねばならない.その点で言えば,これまでのところ,向こうの方がはるかに上手である.しかしこれは必ず行き詰まる.根底には資本主義の閉塞という客観的条件がある.その終焉を少し遅らせても,限りがある.終焉を少しでも先に延ばすために,杉田発言も逆に利用する.しかし,それはながくはもたない.
 それでも,新しい時代を生み出してゆくために,こちらにも戦略がいる.かつて,時代の背景はあったが,部落の親の子の教育にかける思いや,在日の朝鮮の人らの怒りが,一気に噴き出して,北摂阪神間のあの時代をつくり,それを受けとめたものらが次の時代をひらいていった.大きく言えば豊中市の木村議員もそんな流れのなかの人である.教育分野では,自分自身の教育理念の問題として受けとめた教員らの運動が解放教育運動であり,私の場合,それが結局は自分の生き方を定めてきた.その一端は『A高校における障害者解放教育』に書いている.そういう時代の智慧に学び,今日の条件の下でどうしてゆくのか.いろいろ考えるべきことは多い.

宵山の日の参禅

 追伸:七月十七日.今日は祇園祭山鉾巡行の日であった.京都で授業があり夕方京都へ.山鉾巡行は朝の九時からで,終わっている.京都の祇園祭から大阪の天神祭へのこの時期は,はもの落としがいちばんうまいときである.活はもでないと作れない.見た目にも涼やかな夏のはも料理である.骨の唐揚げもうまい.それで,帰りに行きつけの店で食べてきた次第.梅肉で食べるのが私の好みで,これはほんとうに季節感のある料理である.
 昨十五日は京都で,智勝会OB会の参禅の日であった.智勝会は相国寺の活動にもあるように,在家居士の参禅会である.昭和の初め頃でき,戦後も昔は京大の学生が中心であった.こちらは大学のサークルのような感じで参加した.が,最近は現役学生は2,3人とのことである.そのOB会であった.
 京都の夏は暑い.しかも今年は特別である.39度というなかを地下鉄で烏丸今出川まで行き,タイ料理の店で昼飯.しばらくそこにいた.タイ料理が辛く,辛いのは好きなのだが,この日は後で喉が渇いた.それから京都御所の緑地を少し歩いて池の端でしばらく休んでそれから,同志社大学の横を通り,相国寺の境内に入る.
 また歩いて,東側の僧堂のある一角を入る.ここは一般には公開されていない.雲水の修行道場である.そこの座敷でしばし時間が来るのをまち,2時から,老師の導きで読経と焼香をする.それを終え,僧堂に移って,拍子木の合図で,それぞれが坐を組む.僧堂の写真などはここにも載せている.僧堂の中は暗いが格子の向こうの緑が鮮やかである.それから老師の臨済録の提唱.それを聴き終えて,座敷に戻り精進料理を皆でいただく.
 自分のなかでは年一回の貴重な時間として定着してきている.自分はいつからいっているのかとこのブログを見返すと,2012年の7月14日からなので,今年で7回目である.もうそんなに時間が経過したのかと感慨もあるが,すべて東北地震の後のことであり,個人としては長い時間であるが,事故の行く末としてはまだまったく短い時間である.
 自分のために,これまでの経過をあげておく.そもそもこのOB会を知ったいきさつは,智勝会の人からの手紙人に会う(続)にある.そして参禅の記録は,2012 相国寺僧堂2013 夏の京都の一日2014 京都の夏2015 夏のはじめの金曜土曜2016 京都相国寺2017 今年も相国僧堂である.
会食の合間、順に話した近況報告の中で,こちらは『神道新論』を出版したことも伝えた.老師に一冊,いつも世話をしてくれるFさんに一冊渡し,他の人にはぜひ買ってくれるようにお願いした.神仏習合は,この日本列島弧の人々の考え方として自然であることも話した.
 実際,僧堂の向かいにある鐘楼の横には鳥居があって稲荷神社がある.また,来歴のよくわからない小さな祠などもある.この相国寺も,明治維新の後の廃仏毀釈の時代には多くの困難があったようだ.帰りに一休みしていると,昔のことをよく知っている先輩がいろいろ話してくれた.これだけの広い境内であるが,昔はもっと広く,戦後間もなくまでは境内から竹藪が鴨川縁まであったそうだ.
 それから地下鉄に乗ったが,烏丸四条駅は身動きがとれないほどの人出と言うことで,烏丸御池で地下鉄を降り,タクシーで四条河原町にでる.七月十五日前後は祇園会の宵山である.四条通は車も止めて,人出がすごかった.暗くなると山鉾の提灯に明かりも入るのだが,それまではいないで阪急で戻ってきた.
 長い歴史のある参禅会がこうして今も続いている.雲水の中からこれからの時代に応じて伝統も守りつつこれを継承してゆく師家が出てきてほしいし,かつての西田哲学ではないが,こういう伝統をふまえ,時代の求めに応じようとする思想が生まれてほしい.人ごとで言うべきではない.課題の大きさに比べて力およばずであるが,こちらが『神道新論』で目指したのもそういうことである.
 14日は梅田解放区の取り組みであった.国会の動きを見て14〜17日は毎晩やるとのことである.こちらは16,17日もゆけないので,せめてとこの日も横断幕をもっていた.
 前にも書いたが,これだけ現前の政治が腐敗しているのに,なぜこれを打破する直接の行動が広がらないのか.二年前,韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が,ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし,大統領弾劾が成立して罷免した.その力が文在寅大統領を生み出した.今日の南北対話,米朝対話は,この「ろうそく革命」の結果である.韓国には,かつての民主化闘争があり,さかのぼれば日本の植民地支配への抵抗闘争の歴史がある.対してこの日本は,非西洋にあって最初に近代資本主義に入り,帝国主義侵略と支配を続け,敗戦後はそれを総括することなく一転して対米従属の下に経済拡大を続けてきた.アベ政治はそのなれの果ての腐りきった残骸である.
 韓国のろうそく革命のように,梅田の前の道をデモで埋めつくすときは,必ず来るよ.この取り組みの中心にいるS君とそんな話をしながら9時までやった.そして翌日15日は朝7時半から公園の掃除を皆で済ませ,その後一休みして,京都に行ったのである.体が動くうちは動いてゆこうという思いであった.