二月の終わりに

 昨夜は定例の梅田解放区であった.梅田の北の中津の豊崎西公園に集まり,集会をする.こちらは少し遅れて参加.そして集会のあと梅田までデモをした.いつものように先頭で横断幕をもつのを手伝う.

f:id:nankai:20210228143616j:plain

 先に梅田にきて音楽を鳴らしやっていた人らと合流し,総勢20人ほどで7時過ぎまで東梅田の街頭で宣伝してきた.
 こうしてもう三年半ほどになるが,2週間ごとにこの行動を重ねてきた.こちらもそれに参加してきた.そして,この青空学園だよりにその報告を書きながら,いろいろ考える時間がもってきた.たいへんありがたい.

f:id:nankai:20210228143659j:plain

 さて,2月13日に福島県沖でマグニチュード7.33,最大震度6強の地震が起こった.
 福島第一原発の3号機に設置されていた地震計2台が故障していたことを東京電力が確認しながら,それを放置していたため,13日の地震のデータを取れていないことが22日になって判明したのだ.東電が地震計の故障によってデータが取れていないことを認めたのは,22日におこなわれた規制委員会であったが,故障したことぐらい分かりそうなものなのに,そのまま放置してきた.ここに原発事故に対する東電の,そして日本政府の態度が如実に現れている.
 この地震によって福島第一原発の処理水や浄化途中の汚染水が入ったタンクの位置にずれが生じ,14日の午後1時ごろにはその事実を把握しておきながら,18日になってようやく公表したのだ.
 そしてさらに深刻なのは,19日に公表された,1号機と3号機の格納容器で水位が低下している,という問題だ.その水はどこへ行ったのか.ところがこのことでも,何の根拠もなしに大丈夫だと言っている.この問題の深刻さを隠しているとしか考えられない.この問題を隠すのは,オリンピックをなんとしてもやろうとするからである.
 新型コロナでは,国民(住民)を守り経済を守るために他の国が当たり前にやっていることを日本政府は出来ないと言い,やろうともしない.反対に,現状から不可能としか思えないオリンピックは何が何でもやると言う.「国民の命や生活」より「利権と献金天下り」だからだとしか思えない.
 いま没落しつつある日本のの悲惨ともいうべき状況が,13日の地震を通して,再び可視化された.いつまでこのような政治を許しておくのか.われわれ自身が問われている.

 この地震列島に原発は置かない.このことを明確に政策として打ち出し,それを実行する政府をわれわれの手で生みだすしか,この日本列島に生きるものに途はない.
 あの阪神淡路の震災,そして3.11の震災を経て,これでもまだ今までと同じようにいくのか.13日の地震はそれを問う.

f:id:nankai:20210228193534j:plain

 満池谷の墓地から遠くに甲山を望む.この少女の銅像の横を通るときは,いつも挨拶する.24日,午後3時過ぎに犬との散歩で撮影.


没落するこのクニに生きる

 昨夜は定例の梅田解放区であった.何かの事故で電車が遅れ,梅田に着いたのは5時半過ぎ.急いで行くともう始まっていた.二〇名近くが集まり,いつものように道ゆく人らに語りかける.
 スガ政治を変えなければ明日はないと訴える.そして,森元首相の差別発言の背景とスガ政権の悪政への批判.また,都構想は否定されたにもかかわらず同じ内容を進める維新の府民騙しへの怒りの訴え.それから,慰安婦問題での韓国裁判とこの問題での日本政府の対応について語る.また,辺野古現地の闘いに参加している人からの訴えと続く.こうして次々に若い人らが訴える.
f:id:nankai:20210214073834j:plain

 また中年後半の反戦タイガースさんも,いつものようにドラムをたたき道ゆく人に呼びかける.そしてこちらは横断幕をもつのを手伝う.

 昨今の日本政治の状況を見ていると,これまでいろいろと書き置いてきたことごとが,現実の問題として立ち現れてきている.二年前,季刊『日本主義』の終刊号に「分水嶺にある近代日本」を寄稿し,そこで次のように書いた.

 二〇一九年にはじまる日本の分岐は、もはや何を選択するかという選択の内容や方向をめぐる分岐ではない。人民の内部について言えば,能動的に選択するのか、それとも無自覚に流されてゆくのかの分岐である。
 能動的に選択しようとする側にも、当然にさまざまの立場と意見の違いがある。しかしその内部では、思想信条の自由にもとづき、互いを認めあって議論を行い、そのうえで当面する政治課題においては行動を統一する。このことが、目的意識をもって追究される。アベ政治を終わらせるという課題で一致するものは、副次的な違いをひとまず横に置いて、行動で統一しなければならない。
 その意味で、この分岐は、選択しようとする民主主義か、流されゆく全体主義かの分岐である。政治的には、この全体主義を廃し民主主義を実現するのか、これをそのまま続けさせるのか、この分岐である。
 日本列島のこの国はいま歴史の分水嶺に立っている。

 これを書いてから二年,まさに今,現実の日本は,歴史の分水嶺を越えて崩れていっている.二年前には,ここまで酷い現実がこれほど早く露わになるとは考えなかった.
 しかし,コロナ渦は事態の進展をおしすすめ,日本の没落が可視化されてきた.この日本の没落の意味は大変に深い.最近次のような記事を見つけた.「日刊ゲンダイ」(2021/02/06 06:00号).この記事の最後に次のように書かれている.

 台湾高速鉄道商戦の敗北から垣間見えるのは政治の無為無策、いまだにジャパン・アズ・ナンバーワンを捨てられず自らの技術を過信する傲慢、そして輸出相手先・競合相手を理解しない独善……日出ずる国の黄昏は深まり。黄昏の先に待つ暗闇からは一条の曙光すら見えてこない。

  ここにあるのは技術の問題だけのことではない.まさに,この日本というところは,このままでは一条の光もない.私は,「根のある変革への試論」のPDF版 に次のように書いた.

 このアベ政治、スガ政治は安倍や菅個人の問題なのではなく、資本主義の終焉期という普遍的な場において、根なし草の近代日本百五十年の成れの果てとして現れたものである。
 このままでは、たとえ安倍や菅個人が除けられ別のもに変わっても同じことが繰り返される。アベ政治、スガ政治から日本近代を省みるとともに、その教訓の上にこれからの方向を考え、動かねばならない。

  根が浅く,抵抗の歴史もほとんどない,この近代日本がそのゆえに没落してゆく.根なし草近代の成れの果てとしてのアベ・スガ政治,そして森発言である.これは近代日本の世に,社会的な規範が基底の構造として機能していない、その結果である.そしてそれは,日本の近代が根なし草であることに起因する.
 根なし草近代のこのクニはかぎりなく没落する.具体的なことは省くが,没落を示す事例は,日々の報道の中に幾つも見出すことができる.

 没落するクニに生きることは,得がたい経験である.近代の世は発展を基調にしてきた.その行きついたところからの没落,これが今の日本であり,まだ他にはない.
 これもこれまでも言ってきたことだが,とことん没落したところからしか,その先の途は見えない.没落の果てにおいて,明治からの日本近代をとらえ直し,世のあり方を根底から変えてゆくこと,それが歴史の要求である.青空学園日本語科は,そのときのための基礎作業としてやってきた.
 それはまた,資本主義の終焉の果てに,次の時代を見通すことともつながる.この資本主義の後の世を「緑の社会主義」と言う.これについて,そしてそこに至る途についてはまだまだのべることはできていない.これからのべてゆくつもりで、今その構想を練っている.頭の働くうちに,これだけは仕上げて書き残したい.
 この問題の日本における現実が,アベスガ政治の果ての没落である.われわれは今,没落しつつある近代の世を生きているのだ.そのことをつくづくと思う.没落の過程での闘いは続く.この闘いのみが没落の果てからの途をひらく.

 オリンピックについても騒々しいが,これについてはすでに書いている.「1%による1%のための大会」.あれを書いてからもう七年半なのだ.時間の経つのははやい.そこにも書いたように,近代オリンピックはその歴史的役割を終えている.しかし,利権がらみであるがゆえに,利権をもつ側からオリンピックをやめるとは言わない.
 それでも現実に開催は不可能である.スガは責任をとらされ使い捨てられるだろう.しかし放置すればその後にはスガ以上のファシズムが現れる.
 そのときどれだけ人民が動くのか.全体主義に流されることにどれだけの抵抗ができるか.われわれもまた問われる一年となる.

行動しなければ変わらない

 昨夜は定例の梅田解放区であった.この日は東京でも官邸前で集会があった.第2第4土曜は東京と大阪でやることになっている.
 行動しなければ何も変えることはできない.これがこのように集まる人たちの共通した思いだろう.直接行動を積み重ねることが大切だ.
 小雨がふっていたが,大阪北の中津にある豊崎西公園にゆくとおよそ20人が集まり集会が始まっていた.それからいつものように東梅田までデモをする.デモでは,こちらは先頭で横断幕をもつのを手伝う.
f:id:nankai:20210124080304j:plain
 そして梅田でも雨が続いていたので,この日は高架下にあつまり,道ゆく人に呼びかける.

  あなたが変われば政治は変わる!
  自粛ではなく補償を!
  オリンピックを中止して医療体制の拡充を!
  菅政権打倒!

 梅田界隈はいつものように多くの若い人が,みな何ごともないかのように行き来する.人通りは少しも減ってはいない.こちらの呼びかけが彼らにどれほど届くのかはわからないが,心の片隅には残ってほしい.f:id:nankai:20210124080327j:plain
 新型コロナは,実際のところインフルエンザ流行のときと同じように冷静に対応するしかない.ところが,商業活動の縮小や都市の封鎖,そして緊急事態宣言云々と大騒ぎである.通勤時が一番感染しやすいのに,そこは対策を立てず,補償なしの営業の自粛要請ばかりである.
 コロナの蔓延そのものは、資本主義が地球を極限まで開発したために、これまでは野生動物の中や極地の氷の中にあったウイルスが人に移動して始まった.地球や人を金儲けの資源としてしかみない資本主義がもたらした地球環境変化の結果の一つである.
 資本の側はこれを機に,老人を削減し,零細企業を潰して大資本の下に再編しようとしているのではないか.だから放置しているのではないか.コロナ渦による農業危機を口実に遺伝子組換え作物を増産し,商業的農業をもっと世界大に拡げてゆこうとしている.こうして資本主義は疫病の蔓延をも世界の再編に使う.
 コロナ渦との闘い,気候変動との闘いは,資本主義との闘いである.ある意味,コロナ渦は,資本主義こそが問題の根本であるという,いまの世の有り様を可視化した.

 終わって帰途につく.道すがら,いま手を入れている「根のある変革のための試論」について,いろいろ考えがうかんできた.このような行動に加わり,街頭に出ることで,新たな視点が加わる.それをふまえてこの試論に加筆した.

 また,『人民新聞』の最近号で,「コロナ禍の世界 新年対談 エッセンシャルワーク・マイノリティ 労働を差別する資本主義をなくすために」と題して,社会学者の菊地夏野さんと酒井隆史さんの対談が2号に分けてのっている.前編後編 とここで読める.これにはいろいろと考えさせられた.

 いま,生産者と消費者が直接につながり共生する地道な取り組みが広がっている.わが家も野菜はほぼすべて有機栽培.山の方の農家が運んでくれるのと共同購入の会のと.このような営みを、資本主義からの転換の運動として横に繋いでゆくことができないものか。

 そして日本の没落が止まらない.政治や経済での没落,政治家の人としての没落.報道機関の崩壊,これを許してきた世の没落.行きつくところまでゆくしかないのかとも思うが,犠牲が大きすぎる.

  ここまで書いて,川口真由美さんの「このクニに生きて」を思い起こしもういちど聴いた.これはやはりすごい歌だ.去年の10月25日にこの梅田解放区でお会いしたが,またじかに聴きたいものだ.彼女のつながる世界,ここには希望がある.「人間の歌」,「星のした」もすばらしい.
 これらについてはここで書き足してゆきたい.

年のはじめに

 昨夜は,東京と大阪で土曜行動の日であった.こちらは東梅田の街頭で横断幕をもつのを手伝ってきた.寒かったが街頭行動に最後までつきあってきた.サックスをもつ人が3人、語りにあわせてそれを吹く.
 それにしても、スガを首相のままにしている現在の政治のこの酷さである.なぜ人々は立ちあがらないのか.大きなデモやさらにストがあらねばならない状況であるがそれはない.しかしそれを言っていてもしかたがない.できるところからはじめるしかない.ということで東梅田の街頭に立つ.

f:id:nankai:20210110145150j:plain

 この日語っていた人のなかで,たたかうあるみさんのブログには彼のあいさつ文がのっている.
 また,慰安婦問題に取り組んできた人も語る.韓国地裁が慰安婦訴訟で日本政府に賠償を命じる判決を下した.これは当然の判断であり,大いに歓迎する.それに対して日本政府は,菅首相を筆頭に,断じて受け入れられないと猛反発している.これを批判して報じる報道も,そもそも野党からの批判さえ何もない.
 「日本軍「慰安婦」被害者たちに賠償を命じたソウル地裁判決を支持する」とのアピール全文がここに紹介されている.元はここにある.
 実際,歴史に向きあわず,植民地支配を省みず,それをそのままに,ただアメリカに従属してきた戦後政治の成れの果てがアベスガ政治であり,この韓国地裁の判決は逆にこの戦後日本を照射する.それだけの意味をもつものだ.
 しかし日本の多くはその意味をつかめない.今や日本はこのアジアの中でも遅れた没落した国になりつつある.経済的にも,政治的にも,そして何より人の道において,2021年は日本の没落が誰の目にも明らかなこととなるだろう.
 また新型コロナの疫病対策におけるスガ政権の無策・無力は悲惨というべき段階に来ている.気候変動の問題,そして新型コロナウイルスという疫病の蔓延は野放図な資本主義の必然の結果である.資本主義の枠の中でこれを越えることはできない.それどころか,資本主義はこれをいわゆるショックドクトリンとして用い,新たなファシズム支配を進めている.

f:id:nankai:20210110145225j:plain

 スガ政権もこれにのって,緊急事態宣言を出しまくっている.福島の事故を受けた原子力緊急事態とコロナ緊急事態と,二つの緊急事態が日本列島を覆っている.
 先日3日は,コロナ生活補償を求める大阪行動にも少し参加してきた.年末年始ととりくまれてきたのだが,他の日はいけなかった.いくと多くの人が大阪市役所前で行動していた.

f:id:nankai:20210103125739j:plain

 2021年は,資本主義のままではもうどうすることもできないこともまた明らかになってゆく.いかなる道筋で資本主義を終わらせるのか.それは人民の下からの闘争の積みあげしかない.
 資本主義経済を越えて生産者と消費者が直接につながり共生する,そのような地道な取り組みの積みあげと,そして人民の闘争である.これが資本主義を転換してゆく土台である.しかし近代日本においては,人民闘争は弱いものでしかなかった.人民の闘争によって資本主義を終わらせ,次の時代を開くために今何を準備しなければならないのか.
 この問題は,世界中のそれぞれの地で言えることである.とすればそこには普遍性と固有性という問題が存在する.
 日本においては,根なし草近代という固有の問題が根底にある.これは奥の深い問題である。誰もが識っているとはいえないが,どこかでこの問題に向きあわなければならない.私としてはせめても,この日本近代固有の問題を考え,それを書き置きたい.
 こんなことを考えながら街頭に立つ.

緑の社会主義

 昨夜は今年最後の梅田解放区であった.中津の公園に集まり集会をもつ.幾人かがそれぞれに今考えることを訴える.私は後ろに立ってそれを聞く.集会が終わりデモにうつる.私は前にいって横断幕をもつのを代わる.

f:id:nankai:20201227221701j:plain
 ここから東梅田までデモをする.師走の東梅田は人が多い.横断幕をもってデモの先頭で歩く.およそ25人というところか.よくみると新しい若い人が増えた.横断幕も「スガやめろ!」の新しいものになっていた.
 こうして集まり行動することが世を動かす始まりである.私はそう考えるので,この日も皆と歩く.そして東梅田ではいつものように街頭からの呼びかけをする.京都から来たという若い人の訴えも心に響く.

f:id:nankai:20201227221756j:plain

 さてこの間,『地球が燃えている : 気候崩壊から人類を救うグリーン・ニューディールの提言』(ナオミ・クライン , 中野 真紀子他 | 2020/11/18)を読む.

 ナオミクラインは「ショックドクトリン」で知られているが,現代の問題に正面から取り組む人だ.
 本書は,気候危機が歴史的に要請している新しい社会のあり方を,提起するものである.気候変動,これはつまり,温暖化であるが,それに対してどうするかはもはや一刻の猶予もない!  化石燃料を使い尽くし、戦争と格差を生み出す資本主義から,脱炭素社会への大転換を可能にするのは,資本主義を終わらせるしかない.これを提起する.
 オミ・クラインのこの書はほんとうに衝撃的である.著者は,いま世界がどのようになっているのかについて,具体的な事実を挙げながら語る.これについては,雑誌「経済」(2021年1月号)は特集が「コロナ危機とグローバル資本主義」で同じ問題を特集している.
 まさに,地球は今かつてなかった問題に直面している.資本主義が無限の資源があるという全体で拡大してきたが,それは資本主義の本質から来る幻想であり,資源には限りがある.地球の有限性に規定された資本主義の有限性.いまそのことを考えろというのが,今回のコロナ危機の教訓である.
 では,ここからどのように転換してゆくのか.斉藤幸平氏は『人新世の「資本論」』においてこの問題を提起し,マルクスを再読している.

 資本主義のもっとも基本的なことは,地球を,そして人を金もうけの資源とするということである.それに対して,人を人として敬い,この地を生きる場として尊ぶ世を生みだしてゆかねば、地球に次はない.
 今年のコロナ危機もまたこの資本主義の野放図な地球改変の結果である.ここから教訓を引き出すことができるのか.それが問われている.来年はいろいろな面において大きく動くであろう.ものごとの本質が否応なく表に出るときとなるだろう.

  資本主義の次の段階は「民主的な環境社会主義」ともいわれるが,言葉としては,私は「緑の社会主義」が適切だと考えている.「根のある変革への試論」の中でこれを深め,試論の草稿を仕上げること,これが私自身の来年の第一の課題である.
 そして,この時代の歴史の要求に応える新しい運動を何とかこの日本で創り出したい.若い人らと試行錯誤し,この糸口を生みだすこと,これが第二の課題である.
 できるかぎりのことをしたいと考えている.

 今日27日と明日28日は地元の自治会の夜回りである.およそ10人ほどが集まって「戸締まり用心,火の用心」と声をあわせ,拍子木をたたきながら,町内をまわる.地域の年中行事になってきた.こうして今年も過ぎてゆく.

冬の神戸と梅田の街頭で

 12月6日(日)午前11時から「日本学術会議会員任命拒否の撤回を求める市民デモ第3弾」に参加してきた.集合場所は三宮東遊園地である.市民デモHYOGOと憲法共同センターの共催で200人ほどの参加であった.神戸大学名誉教授の森井俊行さん、神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんがそれぞれ話され,それからデモに移った.内田さんの話は上記YOU TUBEにある.
 三宮にある神戸市役所の南の歩道の紅葉が美しい.遊園地北入口付近からその歩道に出て北に上がり,三宮商店街を西に進んでJR元町駅東改札口手前までデモした.内田さんも言っていたが,集まってくるのはわれわれの世代ばかりである.若者はいない.

f:id:nankai:20201213133511j:plain

 12月12日(土)は定例の梅田解放区であった.冬の梅田であったが,若者が20人以上が参加し,街頭に立つ.こちらはいつものように横断幕をもつ.若い人らが,どんどん戦争をする国に変化している今の日本への危機を語る.また,非正規労働者として闘い一定の結果を勝ち取った人が,自らの経験をもとに,前をゆく若者に闘うことを呼びかける.みな自分の経験に即して語る.
 私にとっても大いに勉強になる.こうして梅田に来るようになってもう三年である.はじめて参加したときのことをここに書いた.街頭に立ち,若者の語りを聞き,そして考えることは自分にとってたいへん貴重なときである.
 この日はなかなか面白いこともあった.こちらは少し離れていて話しの中味がよくわからなかったのだが,それはたたかうあるみさんのブログを見てほしい.こういう右傾化した若者が逆に増えている.これはこれまでの教育の結果である.

f:id:nankai:20201213133647j:plain

 最近『人類は資本主義を本当にこのまま続けられるか~斎藤幸平と水野和夫が次の社会を構想する』と題する,大阪市立大学大学院経済学研究科准教授の斎藤幸平さんと,法政大学教授のと水野和夫さんの対談を読む.
 ここでは今日の世界の根本的な問題が,普遍的に語られている.それはまったくその通りであり,それが地についた日本語でこのように語られることは意義深い.
 しかし,現実にその構想を具体的に実践しようとすれば,それはそれぞれの地での固有性に立脚した実践でなければ根のあるものとはなり得ない.根のある言葉と実践という問題を考え続け,そのための礎となる作業を青空学園日本語科に置いてきた.

 今の世のあり様もまた,まことに酷いものである.それでもこの間,いくつかの新しい動きがあった.
 11月1日の大阪市廃止の是非を問う住民投票でその阻止が決まった.
 そして,12月4日の大阪地裁の大飯原発3,4号機の設置許可取り消しの判決が出た.これは8年半に及ぶ長い闘いであった.「原発の終わりが見え始め早く終わらせるための闘いへと段階が変わった」という言葉を見つけたが,その通りである.
 そのうえで言えば,現在の支配政治と原発は一体である.これを終わらせてゆくために,まさに今の政治を変えなければならない.
 上記のような形の街頭での運動が出てきたことは,一つの段階として新しい.しかしこの道は遠く,先は長い.こちらもできることはしようと街頭に立つ.

秋深きー安倍スガ政治を終わらせよう!

 昨夜は定例の梅田解放区であった.5時半に大阪北の中津にある豊崎西公園に集まり,小集会の後,多くの人がゆきかう週末の梅田までデモをする.そしていつもの東梅田の街頭に立って語り,道ゆく人々に呼びかける.20人超の参加であった.
 まったく今の日本政治はすべての規範が崩れてゆくという悲惨な状況にある.ここまでのことになって,なぜ日本では大衆的な怒りの直接行動が起こらないのか.多くの人はなぜ声をあげないのか.情報産業をすべてむこうがおさえているからなのか.それを破って立ちあがらなければならない.
 しかしこれは中央の政治の問題だけではない.今の世のそれぞれの場での現実の悲惨である.これをうち破るために行動せよ.

f:id:nankai:20201129092956j:plain

 安倍前首相の犯罪が,ようやく捜査されはじめたが,安倍を逮捕するかどうか,ここが分岐である.それは人民の怒りと行動が決める.今はまだまったく弱い.量の問題ではない.質の問題である.量はわれわれの運動の質が決める.アベ逮捕となるかどうかはわれわれの運動の力の問題である.
 少しでもできることはしなければならないし,声をあげなければならない.ということで,こちらも若い人らと一緒に梅田の街頭に立つ.

f:id:nankai:20201129095607j:plain

 最近多くの人が日本の没落を言うようになった.数年前から私は徹底して没落しきらなければ日本の再生はないと言ってきた.同時に,それは犠牲が大きすぎるとも言ってきた.現実に日本は没落している.ここからの反転の芽はあるのか.
 このままでは翼賛体制となりそのもとでの憲法の改変まで行きつく.それが世界軍需産業の狙うところである.十五年戦争を経てできた戦後の体制が根底から覆される.現在の日本の人々の置かれた状況から,それはありうる.没落とはそこまでゆくことになるのか.
 そのことを考えながらデモをし,若い人らの語るのを聞く.集会のあと若い人らはいつも交流会をしているのだが,私はそれには出ないで西宮に戻ってきた.

 この間いろいろ集まりがあった.20日は,地域アソシエーション研究所の総会であった.私も会員なので参加し,その後の交流会も出てきた.ThさんやTdさん,人民新聞の山田編集長,それぞれ長いつきあいだ.梅田解放区を主催している園君も来ていた.
 この研究所は,北大阪での戦後の長い運動,その中心におられたのが上田等さんだが,その流れのなかにある.考えてみれば私の二度目の中国旅行も北大阪商工組合の訪中団に加えてもらったのであり,この流れのなかでのことであった.

 休日の23日は,Uさん,Tmさん,Yさんと茨木市の故Hさん宅へうかがう.Hさんの夫人を交えて鍋を囲む.Hさんは入院闘病のなか,八月に自宅に戻り,十月下旬に亡くなった.私と同い年である.72年73年と「月刊たいまつ」の読者会をやっていてそこで知りあった.私は73年の秋に兵庫県に移動したので,Hさんとのつきあいはこの2年間だけであったが,UさんやTmさんはその後もつきあいがあった.また,こちらは思い出せないのだが,Yさんは高槻の市会議員や大阪府会議員もした人で,私とは京都ベ平連の時出会っているとのことである.この後Yさんとは郵送でたがいの本のやり取りもした.
 Uさん,Tmさんとは「月刊たいまつ」の読者会で知りあって以来,もう48年のつきあいだ.かつて働いていた市芦の仕事も京都の下宿でTmさんからまわってきたものだった.こういう知りあいに助けられてきたこの半世紀のことをいろいろと思う.

f:id:nankai:20201201162833j:plain

 『ショック・ドクトリン』などの著作で著名なカナダのナオミ・クラインは,新著『地球が燃えている』で,気候変動がこのまま進行すれば人類存続の危機が訪れると警鐘しているとのことを読んだ.実際その通りである.
 2030年までに,世界全体が脱炭素化に向けて抜本対策を講じるべきと言われている.しかし資本主義はその本性において生産を拡大しなければ存続しえない.気候変動を招いたのは資本主義そのものである.資本主義のまま気候変動の問題を超えることはできない.
 彼女は「グリーン・ニューディール」を提唱する.私がかつてより言ってきた「経済より人」である.そのためには人が今よりもはるかに大きくならねばならない.しかし今の日本の政治を許している人の有り様をみていると,やはり危機に直面しなければ変わらないのかとも思う.
 こちらはなすべきこと,できることをやりながら,考えてゆきたい.上の写真は12月1日の夕方,犬の散歩のときにとった甲山.満池谷墓地の一角から北への眺めである.