とんと祭

追伸17日:今日は阪神淡路の震災から二十四年.合掌,黙祷.

 時間の経つのははやい.関西では松の内は十五日まで.それで午前八時前に門松などをもって自転車で越木岩神社までいって,燃やしてきた.越木岩神社ブログもある.昔,小学校の頃は運動場に門松や習字などを持ちよって燃やしていた.子供のころは「どんど焼き」といっていたが,上のブログでは「とんと祭」という.地元の言い方にならう.朝から幾人もの人が門松などをもってやってくる.もう元旦から二週間が過ぎたのだ.
 越木岩神社の奥には甑岩がある.これは『神道新論』の表紙にも使わせてもらった.ここの森は原生林である.このような磐座を古くから守り祈り,そしてその周りの原生林が守られてきた.これは大切なことだ.

  十二日は今年最初の梅田解放区の日であった.寒かったが,参加して横断幕をもつのを手伝ってきた.二十六日は授業があってゆけないが,今年も行けるときは行って手伝うことにしている.年のはじめの梅田は人が本当に多い.道ゆく人々をながめながら,いろいろなことが思い浮かぶ.

 日本というこの非西洋にあって最初に近代化,つまりは資本主義の世になったところが,没落してゆく.いくつものいくつもの教訓を残しながら.「沈没する日本」と特別な1日さんが書いておられるが,今日の趨勢から取り残され,アメリカにはすべて吸い尽くされ,理念なく人の間もつながり断たれ,賃金においても教育条件においても社会福祉においても,この国はもう十分に貧しくなっている.
 どうしてこうなったのか.世は変わり時代が変化しても,その土台は継承され展開しなければならない.日本では,江戸時代までの世のありかたを覆いかくすように,近代をつないだ.根なし草であり,人と人の関係の土台までが崩れたままであった.
 そこでうまくやれたのは,資本家だけであった.その近代資本主義が終焉を迎えたという条件の下,このような根なし草近代の醜い現実が露わになってきている.そのなれの果てがアベ政治に代表される今の世の政治経済の大勢である.

 参加した若い人らが叫んでいたことの一つは,東京五輪は要らないと言うことであった.東京五輪については2013年の「1%による1%のための大会」にその意味を書いている.実際オリンピックの歴史的意味はもう終わっている.大阪では,カジノと万博である.この意味もまたオリンピックと同じであり,人々を愚民化しながら資本主義を世界に拡大してゆく両輪であった.
 この意味で2020年の五輪が不可能となり,これをもって五輪の歴史が終わるというのは,まさに歴史の要求である.しかしそれ以上に現実的な問題は,あの核汚染まみれの東京でオリンピック等やってはならないということである.東京からの避難者である園君ツイッター)のことを考えれば,実際,そうなのだと思う.

 私が年末「年の瀬」中で「しかしこの天皇制の克服ということは,近代主義的な反天皇論とその運動では不可能である.天皇制という根深い大きな木を倒そうとして,地表に出ているところをたたいているだけだ」と書いたが,この内容に関して,ではどうしてゆけばよいのかという質問があった.当日は立ち話しかできなかった.
 日本というこの列島における天皇制は,階級支配とともにあった.これを忘れてはならない.であるから,階級支配をそのままに天皇制だけをなくそうとしてもそれはありえない.そしていまは資本主義の終焉期である.資本主義はマルクスが明らかにしたように最後の階級社会である.
 それが終焉期をむかえているからこそ,天皇制の終焉もまた現実問題なのである.これを一体に捉える視点と理念が必要だ.「どうしてゆけばいいのか」という問いに答えることはまだできない.大きなそして長い過程と,その過程を生きる理念が必要である.『神道新論』はその思想的な土台作りの試みの一つであった.やはり,もっと深めねばと思った次第である.

年のはじめ

 三日から授業もあり,仕事は始まっている.そしてこの間,問題づくりに気持ちの多くがいっていた.たくさんの問題づくりの仕事をかかえていて,まだまだとっかかりしかできていない.
 そして地元自治会の諸々もやってゆかねばならない.昨日火曜日は午前中市役所で市民局の人に会う用事があった.夜は京都で仕事なので,いちど戻って出直すのも面倒だと,そのまま京都に向かった.
 そして,南区吉祥院吉祥院天満宮と東寺に参ってきた.吉祥院は母の実家のあったところ.その昔風の農家は,今はもう工場になっていてなくなっているが,従兄弟が同じ吉祥院,近くに住んでもいる.南区のこのあたりは京都の近郊の住宅街であるが,昔は京野菜や米を作る農家が多く,いまも畑はあちこちに残っていて,時節に通ると九条ネギもなっている.八条より北の市街地とはまた違った趣が残っている.それで時々訪れる.
 2013年の夏,吉祥院六斎念仏を観にいったのも懐かしい.あの夏は忙しく,秋から調子が悪くなり,結局秋から暮れにかけて五週間入院した.今となってはそれも懐かしい.JR東海道線の京都の一つ西の西大路駅で降りて,西大路を南に九条通十条通りへと下る.天満宮十条通りと交差するところの西側にある.菅原道真はこの地で八四五年(承和十二年)に誕生し,十八歳まで過ごしたとされる.祖父の菅原清公が遣唐使として唐と往復するとき,嵐に遭遇しながらも吉祥天女の霊験により難を逃れ,以降菅原家では吉祥天が信仰されるようになったといわれている.
 天満宮の境内には地蔵様の祠もある.神宮に地蔵菩薩神仏習合である.自然である.ながく,神と仏は共存してきた.私は『神道新論』で,自分自身の経験をふまえて

 生まれれば神社に参り、死ねば葬儀は仏式に執りおこなう。この日本列島に暮らすものは、神の道と仏の道をたがいに基底で通じあうものとして受けとめ、補うあうものとしてきた。これは大きな智慧である。そして、学び、祈ってきたのである。このように神仏習合は自然なことである。

と書いたが,やはりそうだと思う.
 この日は近くの老人の家からも初参りに来ていた.ほとんどの人が車椅子で,看護師さんに連れられて参っていた.皆に交じって,この日は赤いろうそくをあげ,手をあわせてきた.

 それから十条通りを東に国道1号線まで歩き,そこでバスに乗って二駅.東寺の南門に着く.寺を囲むまわりの掘りにサギがいて,逃げもしない.人に慣れている.なかなかかわいいものである.
 東寺の中は広い.ここもまた神仏習合である.写真のように塔の西側に鳥居がある.八島神社である.空海がこの神と夢の中で出会い,そのことでこの地に伽藍を立てたと言われている.土地の守り神と寺は互いを認めあって来たのである.それが明治政府のもとで大きく損なわれた.私は『神道新論』で

 さてこうして、明治政府は神社の国家統制を強め、明治三十九年(一九〇六)には神社合祀令により地域の神社を国家のもとに整理しようとした。南方熊楠らの民俗学者がこれに反対し、それぞれの地方でも反対の運動がなされた。その結果、大正九年(一九二〇)、貴族院は合祀令の廃止を議決する。それまでの十数年間、全国二十万社の中の七万社が破壊され、多くの鎮守の森が失われた。南方熊楠の『神社合祀に関する意見』を読むと、ここで失われたものはほんとうに大きい。
 仏教についてもまた、全国の寺院で仏像や経巻の破壊が行われ、多くの寺院が廃寺された。奈良興福寺も一時期廃寺同然であった。富山藩では千六百以上あった寺院が六カ所になり、廃仏毀釈が徹底された薩摩藩では、寺院千六百十六寺が廃され、還俗した僧侶は二千九百六十六人にのぼったという。

と書いたが,やはり明治以来の近代百五十年の歴史をもういちど顧み,そこで失われたものを確認してゆくことが,これからのために必要だと思われる.
 東寺の境内をいろいろ歩き,それから門前町をゆっくりと東に歩いて,西洞院通りに出て左に曲がり,北にある京都駅を抜けて教室にいった次第である.

 今年は世界中で経済も政治も矛盾が深まり世が大きく動くだろう.日本のように中央銀行が株価を支えているところは,他にはスイスくらいなものである.アベノミクスのごまかしを維持するために,経済原則としてなしてはならないことを続けてきた.早晩これは破綻する.
 その一方で,今年は天皇代替わりの諸行事がある.アベ政治はこれを利用し,支配体制の揺らぎを天皇制礼賛で覆いかくそうとするだろう.前にも書いたが,日本の方がずっとひどい状況なのに,フランス人は立ち上がり,日本人は黙って耐える.そのわけをひと言でいえば,竹内好が「一木一草に天皇制がある」という天皇制である.
 『神道新論』に天皇制の起源について書いたことだが,要約すると 

 天皇家の祖先は千数百年前大陸からやってきた.その支配権が確立したころ,古代日本の各地の王権の歴史を簒奪し「日本書紀」を書き出し,日本列島に内発した王権であるとの虚構をうち立てた.そしてそれと矛盾する多くの文書を焚書にした.彼らは,農業協働体がおこなってきたさまざまの習俗を取り込み,天皇家がそれを代表するかのように振舞うことで支配の権威を打ち立てた.大嘗祭も,もととなる祭は収穫の感謝の祭であった.

 天皇制とは虚構の上にあるものなのだ.そしてそれが,ひとり一人が自分で考えることを抑えつけてきた.その歴史のうえにわれわれの側にある草木にもやどる天皇制,その内からの克服,これが課題である.個々の天皇についてここで言うことはない.
 資本主義が終焉期をむかえた中での代替わりである.この期に及んでもそれでも経済を拡大しようとする諸々の勢力が,天皇制を煙幕に使うことにまどわされてはならない.資本主義の次の時代を見すえたわれわれの理念と運動が問われる一年となる.そのように受けとめて,できることはしたいと思う.
 昨年出した『神道新論』をもっと展開したい.いろいろ考える.非西洋で最初に近代化し,そして百五十年を経て資本主義の終焉期に至ったこのところに生きてきたものとして,もっと耳を傾け聴きとったことを述べたい.多くの人の助力で『神道新論』を出したものの責任でもある.年のはじめ,京都の社寺仏閣に参っての私なりの思いである.

年の瀬


追伸:30日
 時間のあるときには,夕方犬を連れて1時間から1時間半歩くようにしている.今日は,甲山の麓まで行ってきた.甲山は西宮市南部地域の市街地の北にあり(西宮は北部地域,つまり六甲山系の北側にも広がっている),その山中にみなが「甲山大師」という神呪寺がある.左の写真には山と寺の全景が写っている.時々鐘の音も聞こえる.神の寺という文字通り神仏習合真言宗の寺である。家の北に広がる目神山の高台の住宅地を抜けて,これを撮したところまで,家からおよそ25分で行ける.
 甲山の南向かいのこの丘には,西国八十八ヵ所にちなんだ石仏があちこちに置かれている.江戸時代に八十八ヵ所のそれぞれから砂をとり寄せ,それを敷きつめて,そしてこのような石仏が作られていったようだ.右の写真の向こうの方は北摂の山々である.
 このあたりを歩いて,それから甲山の麓のバス道に出てそこから坂道を下って歩いた.途中の森林公園の入り口をへて甲陽園に戻り,自宅まで行き帰りあわせて1時間20分ほど歩いた.
 人はこのように歩くものだったのだろうと思う.江戸時代は大阪から歩いて神呪寺に参拝した.あちこちに「右大師道」のような石造りの道案内がある.江戸時代のものだ.関西学院が,この地の東の方に神戸から移転してきて,かつての参詣道は一部大学の中を通っているようだが,その時代の面影はしのべる.ここは小一時間の散歩にはいいところだ(追伸以上).

 今年もはや年の暮れである.25日は京都で今年最後の仕事.少し家を早く出て,終い天神に京都北野天満宮まで参ってきた.阪急の西院で降りてバスに乗り,今出川西大路の近くの停留所まで乗る.
 この日は境内をあちこち歩いた.梅はまだ芽もふくらんでいない.これが咲いたらきれいだろう.梅の季節にまた来たくなった.
 この北野のあたりは懐かしい.亡き母の姉さんが天満宮の境内から東に三軒目にあった西陣織の織屋に嫁いでいたので,よく来た.型紙が天井辺りまでまわって,縦糸が上下し横糸を入れてゆく.それを今も覚えているが,その古い町家の工場は今はなく,低層の集合住宅になっている.
 私が撮した夕日の社もきれいだったが,今日29日の京都は雪が降ったようだ.KYOTO路地裏散歩道さんが写真をあげてくれている.雪の北野はしみじみとして美しい.
 この日はそれから京の街を今出川烏丸まで歩き,地下鉄で京都駅前の教室に行った.

 26日から28日まで三日間,地元の自治会で恒例の年末夜回りをした.広い地域なので,三つに分け,三日間順におこなう.それぞれにある公園に集合する.私を含め四人の役員は三日とも一緒に歩き,その他に毎日数人の人が集まって,一緒に地域を回る.マイクで「戸締まり用心火の用心!」を呼びかけ,皆でそれに声をあわせ拍子木をたたく.これが済まないと年越しの気にならないなあと話す人もいたが,これは皆の気持ちだ.
 子供も少し来てくれた.大きくなったとき,拍子木をたたいて夜回りしたことは懐かしい思い出になる.私もそうだ.昔はさらに「マッチ一本火事のもと」もいったものだ.こういう思い出となる行事を途切れさせないことも大切だと考えている.

 さて,前に「フランスよりも,日本の方がずっとひどい状況なのに,なぜ日本の若者はまだ立ちあがらないのか.日本の働くものは立ちあがらないのか.なぜなのだ.」と書いたが,そのわけをひと言でいえば,竹内好が「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」,講座『現代芸術』第二巻,所収)という天皇制である.田中龍作さんが「同様の惨状にありながら、フランス人は立ち上がり、日本人は黙って耐える」と言われるのも,その根は同じである.
 しかしこの天皇制の克服ということは,近代主義的な反天皇論とその運動では不可能である.天皇制という根深い大きな木を倒そうとして,地表に出ているところをたたいているだけだ.それは自己満足に過ぎない.ここがなかなか闘うもののなかでも理解されていない.深い根まで掘り下げねばならない.そこから天皇制が大きな虚構のうえにあるものであることをつかみ,日本語のいう神と天皇は両立しないことを,明らかにしなければならない.
 私の『神道新論』は,根なし草の近代主義ではなく,日本語のことわりに根ざして,竹内好の言う天皇制をのりこえてゆく途をも提示するものだ.今年はこの本を出すことができた.これに集中していた二年が過ぎた.
 そして来年は,世界的には資本主義の矛盾がこれまで以上にあからさまになる.大きな激しい時代になる.それは避けがたい.東京新聞が「ETF 6.5兆円過去最高 日銀の株式買い、歯止めなく」と報じているが,これは戦後蓄えられた国民の年金資産や金融資産を投げ込んだということである.中央銀行がこのようなことをすると,法的にも経済原則からいっても,必ず行き詰まる.そして数年のうちに株価が暴落したとき,つまりこの資産が投げ売りした金融資本家にわたったとき,中央銀行が破産する.あの敗戦で,超インフレになったのと同じことが起こる.来年か再来年かもう少し後かはわからない.しかしそのときは確実にくる.
 アベ政治の最大のそして最悪の結果である.まさにこのとき,日本では,天皇の代替わりの行事が,これに併行する.アベ政治はこれを最大限に利用しようとする.経済的そして政治的矛盾が激しくなる中で,天皇制はどのように機能するか.敗戦時の天皇制の再編とその機能を思い起こす.そしてわれわれはいま,このアベ政治を結局は支えるように機能することを許すのか.これが問われる.
 あの敗戦を総括することなく戦後政治をやってきた.東電の核惨事でもやはりそれまででのやり方を変えられなかった.すべて,日本近代の基本的な欠陥の結果である.これが来年は具体的に現れる.日本近代のなれのはて,それが来年から具体化する.
 年賀状を準備しながら,このようなことごとを考えた次第である.
 皆様,よい年をお迎えください.

冬の梅田


 一昨日の土曜日は定例の梅田解放区の日であり,いつものように参加してきた.寒い日で,素手で竿を持っていると手が思うように動かない.幾人かがそれぞれに語る.そしてそれぞれに「アベやめろ」で締めくくる.私はここでは,横断幕をもつことに徹して,喋らないことにしている.道ゆく人を眺めながら,いろいろ考える.暮れの土曜の梅田である.ほんとうに多くの若者が通り過ぎる.この日は,共感の姿勢を示し一緒に声をあげるものもいた.それでも多くは見ぬふりをして通り過ぎる.

 フランスではあのように,地方から,そして下からのデモと闘争が続く.フランスのことは現地から田中龍作さんが伝えてくれる.「【パリ発】3千人拘束、「最賃上げる」もウソ 第5波デモ封じ込めたマクロンの冷酷」が最新である.長い取材になりそうである.どうか気をつけて,今後も現地の動きを伝えて下さい.

 フランスよりも,日本の方がずっとひどい状況なのに,なぜ日本の若者はまだ立ちあがらないのか.日本の働くものは立ちあがらないのか.なぜなのだ.それはこの日の梅田解放区に参加したみなの思いでもある.それでもこのままでは,いずれは米騒動のようなことが起こる.そう,日本の人民には米騒動の経験がある.そして,沖縄の闘いが今日の希望である.現地の闘いを伝える語りもあった.そして,来年も毎月第二と第四土曜に,ここで続けてゆくことを確認して今年の行動は終えた.
 この行動は一年半以上続いている.私は,昨年の暮れから参加している.私も,もう一年が経過した,はやいものだという気持ちであった.その前の数年間は毎週金曜日に関電前集会に参加してきた.
 そのときから思うことだが,街頭に立ち考えるということは,自分にとってたいへん大切なことだ.そういえば実はもっと昔,1972~3年の頃,ベ平連京都で毎月定例のデモをしていたが,河原町四条通を歩きながら,同じことを考えていたのを思い出す.

 そして昨日の日曜日の午後,ATTAC関西グループが主催した,ATTAC結成20年★講演とパネル・ディスカッション〜ポピュリズムの台頭 - 私たちの未来はどこに?に行ってきた.杉村さんが「新自由主義グローバル化の20年、今何が始まっているのか?」と題して講演し,梅田解放区をはじめた園君も第二部の討論会に出るとのことで,参加した次第である.ATTACの歴史は,ATTACなどにもあるが,フランスなどの運動に比しても,日本での活動は弱い.それは日本だけではなく,ATTACが何を目指すのかについての理念が必ずしも統一されておらず,また共有されていないからではないか.この日の討議などを聞いてもそう思われた.この日の講演や討論の内容はいずれ公開されるだろうからここでは略する.

 問題の基本的な枠組は次のようなことだ.

 資本主義は地球の有限性に規定されて,もはやこれまでのような拡大が不可能である.資本主義はその本性として拡大しなければ存続し得ないゆえに,それは終焉する.どのようにして? かつてのように計画経済がそれに代わるのか.いや違う.それは最早ありえない.
 では資本主義の終焉はどのように歴史の現実となるのか.今日の討論でも浮かびあがっていたと思うが,普遍の問題は,資本主義がもはや拡大の余地がなく終焉をむかえているが,次の時代が見えない,その途が見えない,ということである.新自由主義に反対し抵抗する運動が,次の時代への見通しをもっているかと言えば,まだそうではない.大域資本主義が終焉するのはいかなる形においてであるのか.人々のどのような闘いによってであるのか.それが見えていない.
 この問題に関して,私は,資本主義生産関係そのものを変えるかどうかは問題ではなく,資本に人が使われるのか,人が資本を使いこなすのかの問題である,と考える.使いこなす政治を実現する.かつて,社会主義陣営が存在して時代には,その圧力の下,資本主義陣営においても資本の放縦な動きを規制する様々の仕組みがあった.社会主義が崩壊して以降,その規制はほとんど取り除かれた.日本では小泉政府の規制緩和,そしてアベ政治の規制の岩盤を壊す政策であった.

 これに対して,もういちど規制をもっと強力に総体的に行わう政治をうち立てなければならない.それはしかし,人々の闘いをとおしてしか生み出されることはない.人民の権力によって,資本の放縦な動きを規制せよ.ここにはじまる.この立場にATTACは立て.これを明確にしなければならない.
 フランスの黄色いベスト運動はどのようになってゆくのか.マクロン政権側は運動の押さえ込みと分断を仕掛けてくるだろう.それでも,資本主義の数百年が終わろうとしている時代に,さまざまの激動は不可避である.そこから次の時代を作る運動を生み出し,その国際的な連帯を築いてゆく,これが課題だ.いろいろ考える二日であった.

師走のはじめに


 はや師走である.今朝は町内にある公園の掃除.それを終えて一休みして,これを書きはじめている.昨夜は,梅田解放区の集まりであった.ここに来るようになって,ちょうど一年である.昨年末はじめて参加したときのことは「沖縄今こそ立ちあがろう」の歌に書いた.今日も,この歌をうたってきた.五年前の十二月一日は入院中であった.それを思うと感慨深い.そして,二〇一八年のこの一年は,自分にとってはいろいろ思い,動き,考える一年であった.同時に今年は明治維新から百五十年の節目の年であり,日本のいわゆるアベ政治がゆきつくところまでゆきついたときでもあった.

 この百五十年とはまさに日本の資本主義時代である.明治維新は,当時すでに帝国主義の段階に入っていた西洋世界からの圧力のもと,急いで近代化,つまり資本主義化を行ったものである.そして,西洋帝国主義を真似てアジア・太平洋地域への侵略をすすめた.しかしそれは十五年戦争の敗北に帰結した.
 戦後体制はその敗北を総括することなく,戦前からの官僚制を残したまま作られ,対米従属の下での経済発展を推し進めた.そして終にはあの東京電力福島発電所の核惨事に行きつく.これは十五年戦争の敗北につぐ二度目の敗北であった.だがここから教訓を引き出すこともまたなされなかった.日本の近代は,取り返しのつかないことごとをなしながら,何ごともなかったかのように繕う欺瞞の近代であった.
 省みるどころか逆に,自民党公明党は東電核惨事をテコとして民主党から政権を再奪し,そして生まれたのがアベ政治である.アベ政治とは安倍晋三個人のことではない.資本主義近代のなれの果として現れたものがアベ政治である.資本主義が終焉にむかうなかで,排外主義や偏狭な民族主義が世界のあちこちに現れてきている.日本ではそれがアベ政治となって現れた.そしていま,日本は,アベ政治に連なり,これをあやつる人でなし達がこの世を差配し,アメリカと大域企業に貢ぐために,膨大な軍備費,一貫したハコもの行政をおこない,その一方で,社会保障費,教育保障費,そして何より労働対価を,大きく削減してきた.
 移民法,水道民営化,種子法,そしてTPP.移民法は日本核内の資本のため,日産の8000人派遣切り,パソナの違法派遣切り,シャープの外国人1000人使い捨てなどの実態をさらに拡大してゆく.最低賃金すらたいへん低いのに,その半分で働かす.水道民営化は,ヴェオリア社などのため.種子法はいうまでもなくドイツ企業の吸収されたがモンサントなどのため.そしていわずとしれたTPP.さらに,機雷対処能力を持つ新型護衛艦を順次22隻買い,最新鋭ステルス戦闘機「F35」を米国からさらに最大100機追加取得しようとしている.

 地球は有限である.拡大しなければ存続し得ないのが資本主義である.もうこれまでのようなあり方はできない.軍需産業を柱に世界大に拡大してきた大域資本主義は,アメリカ本国ではもう儲からない.最後のあがきとして,日本をできるところまで食い尽くそうとしている.アベ政治とは,それに奉仕する体制なのだ.さらに昨日,経済産業省が新たな小型原発の開発を進めようとしていることが報じられた.これもまた,大域資本主義に奉仕することでしかない.
 近代日本や西欧の帝国主義に苦しめられ,それに対して闘い,戦後はまたアメリカを後ろ盾とする独裁政権とも闘ってきたところが,今日の歴史でははるかに先を行き,帝国アメリカの衰退を見越して次の段階の準備をしている.中国やロシアそして欧州もまた,アメリカ後の世界の準備をはじめている.トランプのアメリカ自体が,覇権国家から脱却しようとしている.

 これに対して,日本列島弧の政治は古い体制のもとでの延命を図るばかりで,歴史の現在からはるかに遅れている.東洋の島国日本は,大域資本主義に食い尽くされ,さらに核汚染にさらされ,人々は困窮し,空しく落ちぶれてゆく.非西洋で最初に近代化,つまりは資本主義化した日本が,百五十年を経て大きく変わろうとしている.世を支え働く人々は,ものも心もまったく貧しいところに追いやられている.これは資本主義日本の世の衰退そのものであり,行きつくところ,つまりは失敗国家となってゆくことが避けがたい.

 先日もフランスではガソリン代の値上げに反対して多くの人が立ちあがり,凱旋門も占拠された.「黄色いベスト運動」などに詳しい.1日にもあった.ここにも詳しい.日本のアベ政治は,フランスのマクロン政治よりはるかに悪質である.森加計疑獄は受託収賄罪という首相の犯罪である.これをないことにするのか.「 モリカケは忘れ去られたのか 鳴りを潜めた報道」を見てほしい.

 だがそれを許しているのは,われわれである.なぜ日本人は怒らないのか,立ちあがらないのか.昨夜,ここで語っていた人らの思いである.私は,たとえ今はまだ街頭に出て語る人らが少数であっても,世がゆきつくところまでゆきついたときに,そこから立ちあがる契機となるし,このような火はともし続けねばと考えている.私にとって,路上は本当にいろいろ考えるところだ.

 最後の写真は十日ほど前の夕方に撮った京都三条上がる祇園白川とその堤の緑に写る私自身の影である.京都という街はほんとうに自分の体の一部のようだ.京都で仕事があるときは,時間があれば少し早めに出て,京都の街中やその近郊,吉祥院,山崎,北白川などあちこち歩く.

 これからの自分の仕事として,『高校数学の方法』の第8版の制作や改訂と『解析基礎』の複素関数の増補,そして『日本語定義集』の第4版を深め改訂すること、この三つはやりおきたい.一日いろいろ考えて,それを確認した.改訂したものをいつ公開できるかはわからない.が,準備も入れれば二〇年,公開してからでも十二年以上やってきたことの仕上げなので,じっくりやりたい.実はもう一つ,青空学園数学科の英語版を作りたかった.十年以上前,準備もはじめたのだが,こればかりは力不足というか、訳してゆく時間がなかった.訳の価値ありと認めてくれる次の世代に託すしかない.

晩秋の週末

 この二,三日は忙しかったが,充実もしていた.16日金曜日は,地域アソシエション研究所の総会があった.私は個人会員になって久しいが,総会に出るのははじめてであった.総会の後は交流会.昔から知っている人が過半であるが,知らない人も少なくない.この人々らの集まりは,上田等さんなどがやってきた,自分たちで仕事も作りながら,いろいろな活動もしてゆくという人の輪が中心である.ここに,私の上田さんの追悼文がある.彼は本当に戦後の運動を関西で作ってきた人だ.そして,この交流会で,大阪哲学学校世話人などもされている田畑稔さんに出会い,自著『神道新論』を手渡すことができた.読んでいただいてどこかでまた意見交換ができればと思う.

 17日土曜日は,午後の後半に授業があり,それが終わって梅田に出る.この日も梅田解放区をやっている.しばらくそこに参加して声をあわせる.そして,遅れていったのに,また早めに別れてそこを出る.
 ある予備校の模試の問題を作っている人ら数人の懇談会にゆくためである.東京から担当の人も来ていて,来年度の話しになる.そこで提案されたのが,私とM先生で年4回のある模試を作れないかということだった.すでに,私は年2回ある模試を作り,M先生も年2回ある模試を作ってきた.それに加えて,2人共同で年4回の模試作成ができないかということであった.私の青空学園をみて連絡されたのが,福島の地震の翌年.ここには,それからいろいろ世話になったし,基本的に依頼のあった仕事は断らないを原則にしてきたので,看板模試なので責任もあるが,引きうけることにした.来年は毎日問題を作り続けなければならない.

 18日日曜日は法事であった.妻の従姉妹の,歳も大分上の人が亡くなり,葬儀には行けなかったのだが,満中陰の法要をするということでいってきた.前に,姫路の病院に見舞いにもいってきた.そのときは元気だったのに,思いもよらず早く亡くなった.法要の前に,妻の実家の方に立ち寄り,墓参りをしてきた.大阪から高速バスに乗り,山崎の次のバス停・葛根で降り,妻の妹の運転する車で,峠道を一つ越えていってきた.
 ここは兵庫県の西部,西播州の中国自動車道より北の方である.家の裏は赤穂に流れてゆく千種川がゆっくり流れている.ほんとうに懐かしいところだ.五年前に戻ったときの写真が「根拠を問う(二)」にある.親が亡くなってもう久しいが,妻の兄が大阪で仕事を少ししながら,週の大半はこちらにきて,米も作ってくれている.
 このあたりは,過疎である.地元の中学が廃校になって山崎町の中学校に統合された.これからどのようになってゆくのかわからないが,この風土は大切にしなければと実感する.
 それから皆でもういちど峠を一つ山崎の方に戻って法要に出た.親の葬儀や法事のときにしか顔をあわさない人らがほとんどである.それでもどこか覚えている.法要の後,そこで食事をいただいて,それから再び高速バスの停留所まで送ってもらい三宮まわりで戻ってきた.

 このような三日を過ごした.いろいろと思うこと,考えることがあった.実に貴重な時間であった.

誇りを持って(?)自己責任

 昨日は定例の梅田解放区の日で,参加してきた.皆で声をあげながら,交代で語る.道の向かい側にもプラカードを掲げて並ぶ.反戦タイガースの人も語り歌も歌う.阪神タイガースの応援歌を替え歌にして語り,最後は「ハーンセン・ターガース」と締めるのである.うまいものである.
 また若い人が,一つの調子で歌いながら語る.トランペットが2つ,その語りにあわせる.なるほど街頭でこういうふうにやるのかと,感心しながら,こちらは横断幕をもつことに徹する.

 幾人かが,日本では安田純平さんへをたたく言葉にあふれていることをアベ政治への批判とあわせて語っていた.たたく言説の根拠は「自己責任論」である.それに対して安田さん自身が「紛争地のような場所に行く以上は自己責任であると考えている」「自分の身に起きたことは、はっきり言って自業自得だと考えている」と言っている.
 この言葉をどのように受けとめるか.私は,戦場ジャーナリストを自らの仕事としたことに対する確信と誇りからの言葉であると思う.自分への「自己責任論」にもとずくさまざまの批判を逆手にとって,自らの信念を語り,そして,アベ政治に煽られた批判を笑い飛ばしているように思った.違うかも知れないが,私の受け止め方である.

 ではなぜ今のアベ政治は,「自己責任論」を振りかざすのか.そしてまたその方向に世論を誘導しようとするのか.なぜこの間,さまざまのところで「自己責任論」がまき散らかされるようになったのか.

 「自己責任論」はそれ以前からもあったが,東電核惨事以降それがひどくまた大きくなった.福島はいまも原子力災害非常事態宣言が発令されたままである.それを根拠として,年間20ミリシーベルトまでが容認されている.放射能から子どもを守る企業と市民のネットワークにもあるように,先日,国連人権理事会 子どもや出産年齢の女性は、年間1ミリシーベルトを超える地域への帰還停止を日本政府に要請した.

 これに対して日本政府は,ここにもあるように,「子どもたちに限らず、避難指示が解除されても帰還が強制されることはなく」と反論している.
 言いかえると,日本政府は,「避難は自由であるが、国は何の保障も補助もしない.すべて自己責任でやれ.」ということである.
 それどころか,年間1ミリシーベルトを超える地域に住み続けることさえ,自己責任だということになる.実際は,ここにもあるように, 「20ミリシーベルト以下は安全」という「国家による殺人」そのものである

 なぜ日本政府は安田さんたたきを煽るのか.大手の報道機関もそれに同調するのか.その理由がここにある.福島のこの核汚染問題について,国民を保護する責任が国家や政府にあることに,目が向けられることを,恐れているからである.

 これが日本の現在である.今年は明治維新から百五十年の節目の年であるが,このときに,アベ政治もまたゆきつくところまでゆきついた.アベ政治とは安倍晋三個人の問題ではない.日本の近代は,うわべのだけの根なし草の近代であった.その行きついたなれの果として現れたものがアベ政治である.
 そして,今の日本は,アベ政治に連なる人でなし達が,あらゆることを差配し,ものもこころもまったく貧しい状況にある.私自身、日本がここまで来るとは思いもしなかった.

 しかしまた,今年は,人々がアベ政治を終わらせるために立ちあがったときでもある.梅田でやっていると,「壊憲をゆるさない」というカードをもった数人が通りかかった.いま集会をやってきたと手を振っていた.
 そして,このような街頭での歌と踊りと語りは,少しは道ゆく若者の心にも届いたかも知れない.こんなことを考え,『神道新論』での自著についての言葉を書き加えた.私にとって,路上は本当にいろいろ考えるところだ.