老朽原発うごかすな

 昨日は,朝から町内にある公園に30人ほどが集まり,掃除をした.落葉が多かったが,片付けた.
 このように皆が集まる公園があるのはありがたい.公園の周りに住んでいる人は,若いお母さんらが7時頃まで皆で喋っているよというが,それも良いではないかと思う.

 そして午後は,大阪うつぼ公園であった老朽原発このまま廃炉!大集会に参加し,難波までデモをしてきた.梅田解放区の街頭行動で顔見知りの人にも幾人か出会ったし,こちらの地元の人にも出会った.

 1600人ほどの参加であった.
 この日の様子は,梅田でで会うたたかうあるみさんのところにも詳しい.また,ここに録画もある.
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 福島の事故から10年経って,国や東電は原発を再稼働しようとしているが,大飯原発3,4号機は先日設置許可が取り消された.このまま廃炉にするしかない.f:id:nankai:20211206083208j:plain
 なぜ政府は廃炉を決定できないのか.再稼働すれば,いずれはおこる大地震のときに甚大な結果をもたらす.そのことがわかっているのに,なぜドイツのように廃炉にできないのか.
 廃炉を決められないところに,今の政治の劣化が象徴的に現れている.
 今の日本はほんとうに大きな分水嶺にある.先日も書いたが,分水嶺にある近代日本で考えたことが,今現実の政治の問題となりつつある.
 いま日本はかぎりない没落の過程にある.没落の底から立ちあがることはできるのか.そのとき,ここに来た人らの闘いは希望である.
 そしてこれは,日本だけの問題ではなく,世界大の問題であり,人類の歴史そのものが今大きな曲がり角にある.発言を聞いていて,そのことがいっそう明確になった.

 集会のあと,銀杏の美しい御堂筋を難波まで歩く.道ゆく人に呼びかけながら,難波の北西側にある公園で流れ解散となった.

 このように街頭に出て歩くことは,私にとって考えごとをする場でもあり,考えていることを見直す場でもある.

 思えば,1972年,1973年,ベ平連京都で毎週土曜日に河原町をデモしていた.それから仕事について芦屋に来て,教員組合のデモもよくやった.
 2003年のイラク戦争のときから,また一市民として街頭に出始めたのだ.ずーっとこうしてやってきたように思う.
 歩けるうちは続けてゆきたい.

晩秋の梅田解放区

 きのう土曜日の夕方は定例の梅田解放区であった.第4土曜日は西崎公園から梅田までデモをすることになっていると思い込んで,西崎西公園に行くと誰もいない.急ぎ足で梅田まで歩くと,もう街宣が始まっていた.デモをするときは,その前の回のときに終わってからの打ち合わせで確認するとのことで,前回すぐに帰ったこちらのミスだった.
 さて,この日も20人ほどが集まり,声をあげる.

 岸田やめろ!
 辺野古埋め立て不承認を支持!
 最低賃金1500円を実現しろ!
 北陸新幹反対!

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 岸田政権になって,これまで以上の対米従属が,隠すことなく行われている.選挙がすんだら,いきなり改憲をいいだした.これは日本が攻撃兵器を持つことを求めているアメリ軍需産業に奉仕するものであり,いわゆる思いやり予算の増加もそうである.
 京都から来られた人が,北陸新幹線がいかに危険であるかを訴える.リニア新幹線もこの北陸新幹線も,社会生活や経済活動の必要性から計画されたものではない.そこに群がるさまざまの利権が絡まって,冷静に必要性を検討することなど,もはやできなくなっている.

 戦後日本の経済的な拡大は、このようないわゆる箱ものを作ることでなされてきた.しかし,もはやこのような方向での発展は不可能になっている.
 岸田政権も,新しい資本主義などどいいながら,やっていることはこれまでの経済拡大路線である.アベ,スガ,そして岸田と続いた新自由主義政権のもとで,この日本はほんとうに没落を加速した.
 今は,この没落の現実が途方もない格差の拡大として現れている.その根底にあるのは,人の尊厳を認めないアベ・スガ政治とその後継の岸田政治である.そうではないだろうか.
 非西洋にあって最初に資本主義化し近代に入り,それから150年を経たいま,この日本の世は大きな分水嶺に来ている.2年前に「分水嶺にある近代日本」を書いたが,いよいよそれが政治と世の現実となりつつある.
 このようなことも考えながら,しばし街頭に立ち皆と声をあわせてきた.

 今日,日曜日の午前中は地元のスポーツクラブ21甲陽園の主催するペタンク大会があった.鉄の玉を転がして,目印の近くに寄せる競技である.これに参加してきた.晩秋の小学校の運動場ですこし体を動かしてきた.戻って昼を食べてから,これを書きはじめている.

 また藤井牧人さんがネパールでの生活などを綴ったブログを印刷したものをいろいろおくってくれた.これからもおくってくれるという.それで,こちらからは『神道新論』を一冊発送した.意見交換の機会ができればと思う.

 この没落からの反転はそもそもありうるのか.ありうるとしてもいかなる形をとるのか.それはわからない.没落し尽くさねばならないのかも知れない.先日の選挙の結果などを見るとその方向である.だがそれは犠牲が大きすぎる.
 もっと人々が繋がりあい,新しい時代の礎を築いてゆく道はないのか.その意味において,この日の集まりには希望がある.私もできることはしてゆきたい.

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秋深き,友に会う

 秋が深まってきた.

 19日の金曜日は,地域・アソシエーション研究所の総会であった.自分も会員なので,総会とその後の交流会に参加してきた.北大阪商工協同組合,そして人民新聞.大阪の北摂地域を拠点とする,これら三つの組織とその事業は、上田等さんの大きな遺産である.
 この日の総会には,藤井牧人さんも参加されていた.彼は,ネーパールで生活しながら,その暮らしを研究所の会報にいつも報告してくれていた.
 藤井さんのネーパール人の連れ合いがこの五月にコロナで亡くなられた.そのことを「もういちどティルさんに会いたい」に書いておられる.最初にこれを読んだときには,まったく言葉もなかった.
 交流会では,藤井さんにお悔やみの気持ちを伝え,名刺を渡し,少しお話しすることができた.

 21日の日曜日の夕方は,昨年九月に亡くなった昔の知りあいであるHさんの茨木のご自宅に,Tmさんとうかがった.遺影に手をあわせ,夫人としばし話してきた.去年一緒に行ったUさんは,今年は一周忌となる九月にうかがわれたので,今年はTmさんと二人で行った.
 昨年のことは「秋深きーアベスガ政治を終わらせよう」のなかで書いているので,重なるところは書き控える.

 Hさん宅に小一時間いて,それからTmさんと梅田に出て,行きつけの沖縄料理の店に入り,たくさん泡盛をいただいた.
 Tmさんの実家は広島市北部にある神社である.まだ大学院生だった頃,一度うかがっている.いま,彼はそこの宮司である.『神道新論』も読んでくれている.食事をしながらいろいろ意見を交換してきた.
 Tmさんは,広島で大学を出てから京都に来て,そしてながく大阪で働き,北大阪合同労組や全港湾港合同労組傘下の診療所の組合で労働運動に取り組んできた.
 Tmさんのような,もう49年前からの友人がいることは,ほんとうにありがたいことだ.そう言ったら彼もうなずいていた.彼が広島から京都に出てきて,私がベ平連の仲間と京阪電車三条駅前広場でビラまきをしているところに現れたときのことは今も覚えてる.
 Hさんの三回忌となる二年後にまた会おう,それまでに大阪に出てきたら連絡する,また広島にも来てくれ.と言うことで別れた.

 ここに書き残すのは,後で自分で読みかえして,あのときこうしたんだと思い起こす助けになる.また,書くことで心のなかが少し軽くなる.それで,こうして書いておく.

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 新池の銀杏(いちょう)も葉を落としはじめている.右手の校舎は市立西宮高校.中央は甲山.24日午後3時,犬の散歩で歩いて撮影した.

生きるとは行動すること II

 瀬戸内寂聴さんが亡くなられた.実際にお姿をみたのは,2011年の秋であった.「生きるとは行動すること」に書いているように,京都の円山音楽堂でお話をされたときである.長いあいだいろいろ読ませていただきありがとうございます.合掌.
 東京新聞この記事も読み応えがある.

 日本はこの10年,瀬戸内さんの願いとは真逆の酷い世が続いてきた.そして今,政治面でも経済面でもかぎりない没落の過程にある.遠くないうちに東アジアでもいろんな諸表で没落したところとなるだろう.
 それでも行動し,声をあげ続けねばならない.瀬戸内さんの言うように,まさに生きるとは行動することなのだ.

 昨日の夕方は総選挙が終わってから二週間目の梅田解放区だった.いつものように二〇人ほどが東梅田に集まり,声をあげる.写真のように久しぶりに反戦タイガースさんも来られた.この日の報告は園さんのところにも,たたかうあるみさんのところにもある.

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 さて,今回の選挙では,維新が議席を大きくのばし,れいわは山本太郎や大石あき子らで三議席を得た.自民党から共産党まで議席を維新に奪われ減らし,野党の共闘にも光の見えないなかで,このれいわの闘いは,今回の選挙でただ一つの光であった.

 議会における対決の構図が変わってきた.
 戦後七十年,日本の経済が拡大してゆく段階では自民党社会党共産党が,いわゆる保守と革新として対峙した.自民党政治が行きづまり,それに対して,従来からの社会党共産党もまた,働くものの支持を得られない.その背景には,日本の経済拡大がゆきづまってきたことがあった.

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 小泉内閣のときにさまざまの規制を撤廃し,新自由主義という野放図な資本主義に舵をきったが,それもまたゆきづまる.そして今日,岸田は,新自由主義の次の資本主義をいうが,前にも書いたようにそんな資本主義はない.
 もうこれ以上の経済拡大の余地がない段階での今回の選挙では,維新とれいわが対峙する.
 れいわ・山本太郎代表 維新のお膝元で宣戦布告「積極的に斬り合いをしなければいけない」にあるように,山本太郎自身がそれを言っている.
 新自由主義の段階における維新とれいわの対峙は,日本だけではなく,フランスやスペインなどでもあるようだ.維新とは何か,れいわとは何か,これは今日の普遍的な問題かも知れない.

 先日の金曜日には杉村さんと大阪北の十三で食事をした.そして,彼が訳して出たばかりの『資本はすべての人間を嫌悪する』を受けとった.昨日の昼間はこの本に集中していた.まだ読み終えられていないが,深く考えさせられる本だ.
 後書き部分の原稿は前に頂いて読んでいたので「日本では,このように現代を思想的に深くとらえた本がないね」と言ったら,「お前が書け」と言われた.確かに他人ごとではない.私自身の課題である.

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選挙にいこう

 追伸(11月1日):今回の選挙で,「入管法改悪反対!」のところで紹介した 大石あきこ さんが大阪5区で当選した.橋本・維新政治と現場から闘った人だ.入管法改悪反対の集会に参加し,彼女自身がみなの前で語ってくれた.比例順位で大石さんが当選したが,八幡愛さんの力も大きい。皆さんの行動が今回の比例での当選の原動力だ.

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 昨夜は緊急の梅田解放区であった.投票日前日なので、街行く若者に投票を呼びかけようと,緊急に梅田解放区をもった.時間がとれたのでこちらも参加してきた.いつものように横断幕をもつのを手伝う.
 10人超の人が集まり,選挙に行こう、投票しよう! と呼びかける.
 通りがかった若者二人と中年の人一人がそれぞれ喋りたいことがあると,マイクをもって投票に行くことを呼びかけてくれた.
 もとより選挙で世が変わることはない.それでも選挙はいまある一つの方法として,生かさなければならない.選挙をふまえての,次の手立てが大切なのだ.

 くりかえし書いてきたのだが,岸田首相は就任するや,すぐに「新自由主義からの転換」と「新しい資本主義」を主張 した.そして自分自身を本部長とする「新しい資本主義実現本部」を政府に設置した.だが,何をするのかと記者に問われても,岸田は「成長と分配の好循環を『これから検討』」とか言うのみで,政策の転換の具体的な中身は何もない.
 この「実現本部」は選挙に向けて何かやっていると思わせるための芝居であったが,それは人々に見ぬかれていた.
 この「実現本部」の有識者の一人に,日本労働組合総連合会会長の芳野友子が入っているのだ.岸田のごまかしに加担している.

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 資本主義は拡大しなければ存続しえない.新自由主義は資本主義が極限まで拡大したものであり,その次の資本主義はありえない.ところが岸田は「成長と分配の好循環」の資本主義に転換するなどとごまかす.
 これまでも指摘してきたように,新自由主義の次に資本主義はない.

 7時頃,れいわの街宣車もやってきた.われわれの横断幕,「自公やめろ!」をみて彼らも連帯の手を振る.そして,近畿比例ブロックから出ている 八幡 愛 さんが演説していた.

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 さて,では,資本主義の次とは何なのか.それは社会主義である.
 かつての社会主義は,経済がまだ拡大する余地があるときに,その拡大を資本の儲けよりも労働者の生活を第一にすることを主張した.これを赤い社会主義という.
 それに対して,経済拡大の余地のない段階で目指すべきは,自然世界と共存しうる世のあり方であり,緑の社会主義 というべきだ.緑の社会主義を掲げて世を動かす.歴史はそれを求めている.日本において社会主義を掲げる運動は,この緑の社会主義しかない.
 さてここまで書いて,こちらもこれから投票所に行こう.

新自由主義の次に資本主義はない -2-

 昨夜は定例の梅田解放区だった.
 いつものように20人ほどが集まり,声をあげる.31日が総選挙なので,道ゆく若者に
 自公はやめろ! 維新もいらん!
 あなたが変われば世界は変わる!
 選挙に行こう! 
とよびかける.
 夕方になると少し肌寒いほどであったが,声をあげていると寒さは感じない.
 このようにやってきて,もう4年になる.それを思うと,よく継続してきたということともに,まだ何も変わってはいないこという思いも,また深くなる.
 それどころか,日本の没落ともいうべき事態はいよいよ深まり,このままでは後世の歴史書に,日本の近代は失敗国家に帰結した,と書き残される.
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 この日は通りがかり立ちどまって聞いていた青年が,自分も話させてほしいと言ってきた.そしていっとき,今の政治について考えることを語っていった.
 少しずつこのような若い人が増えてきた.それだけ今の政治が酷いことになっているのであるが,またここにはいささかの希望がある.この希望が現実の力として育ってゆくことを願う.

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 10月10日に「新自由主義の次に資本主義はない」と書いた.そうしたら岸田首相が「新自由主義からの転換」と「新しい資本主義」を主張しはじめた.そして,自身を本部長とする「新しい資本主義実現本部」を政府に設置した.
 しかし,岸田は「成長と分配の好循環を『これから検討』」とか言うのみで,現実の政策の転換をどのように進めるのか,その中身は何もない.
 この「実現本部」は総選挙に向けて何かやっていると思わせるための芝居でしかない.
 これまでもここでも書いてきたが,資本主義は拡大しなければ存続しえない.それが資本主義の本質だ.新自由主義は資本主義がすでに極限まで拡大したものであり,その次の段階の資本主義などはありえない.
 ところが岸田は「成長と分配の好循環」の資本主義に転換するなどと言う.これはごまかしでしかない.
 注目すべきは,この「実現本部」の有識者の一人に,連合:日本労働組合総連合会会長の芳野友子が入っていることだ.岸田のごまかしに加担している.連合がどのような位置にあるのかを明確に表に表した.

 では資本主義の次とは何なのか.これもここで書いてきたことであるが,それは社会主義である.かつての社会主義は,経済がまだ拡大する余地があるときに,その拡大の方向を,資本の儲けより労働者の生活を第一にすることを主張したものだ.これを赤い社会主義とい欧う.階級闘争が歴史を進めた.
 しかし,今は,もはや経済拡大の余地のない段階である.ここでわれわれが目指す社会主義を私は,緑の社会主義とおさえてきた.
 緑の社会主義の内容とその道筋について,掘り下げることはまだできていない.もっと深めなければならない.
 緑の社会主義を現代史の問題として普遍的にとらえることと,それぞれの地における固有性を取り出すこと.この両面を,これまで考え書き置いてきたことをふまえて,の掘り下げなければならない.
 また、大いに議論したい.そしてできるところから行動しよう.革命だ.日本列島弧ではじめての革命が不可避である.ならばこれに正面から向きあい,それぞれの場で立ちあがろう.それしかない.
  下の写真の右の山は24日撮影の甲山.西宮の山手に住んでもう40年近く経った.甲山を見ながら生きてきたのだ.

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新自由主義の次に資本主義はない -1-

 昨日は定例の梅田解放区であった.いつもの横断幕が,預かった人に用事ができてこられなかったので,この日はなかった.それで皆で並んで道ゆく人に呼びかける.ピカピカの「月曜日が嫌い」な労働組合員さんのところにもこの日の報告がある.

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 二〇一二年,アベが民主党から政権を奪ってからスガへと九年続いた自民党の政権は,日本における新自由主義政権そのものであった.貧困と格差は拡大し,戦争法や共謀罪法も成立した.
 コロナ渦のもとで五輪をやるのか? 世論は反対が多数であったが,五輪利権のために猛暑の中で強行した.そしてコロナを全国に拡げた.これらに対する,貧困と格差にあえぐ人民の怒りがスガ政権を倒したのだ.
 新自由主義はゆきづまり,経済や社会の歴史的な転換は避けられない.日本においては,明治維新以来の近代化,つまりは資本主義化が限界にきている.岸田政権も当然資本主義の枠のなかにある.これはいずれ行きづまる.

 岸田は新自由主義からの転換を言うが,新自由主義資本主義は資本主義の必然の結末であり,資本主義政党である自民党では資本主義を転換することはできない.新自由主義の向こうに資本主義はあり得ない.
 このゆきづまった資本主義のその次は,ファシズムにゆくのか,資本主義を転換し社会主義にむかうのか,いずれかしかあり得ない.いま歴史はそういう分岐点に来ている.岸田政権が行きづまったとき支配層のあるものはファシズムに道をひらこうとするだろう.それは,資本主義の終焉期における新しいファシズムである.

 それに対抗して,社会主義への道をどのようにきり拓くのか.ファシズム社会主義か,それが世界各地の闘いの基軸になる.私が言う緑の社会主義,これが次の時代の社会主義である.思想を生みだし, なしうるところから行動し、手をつないで前に進もう.それを歴史は求めている.

 最近『大阪ミナミの貧困女子』(村上薫、川澄恵子著/宝島社新書)を読む.『日刊ゲンダイ』に書評がある.著者となっている村上さんは,いつも梅田解放区で一緒に行動する人であり,昨日も来ていた.彼女自身が大阪ミナミで働いている.また人民新聞の編集もやっている.
 集会が終わって『大阪ミナミの貧困女子』を読んだよ,と声をかけたら,宝島社を提訴しているとのこと.詳しくは聞けなかったが,もとの原稿と本になった文章に違いがあり,編集部の方が変えたらしい.
 いろいろ課題をもつ本ではあるが,それでもこの本は多くのことを考えさせられる.私は高校が大阪ミナミの天王寺にある大阪教育大附属の天王寺校舎だったので,高校の3年間,阿倍野のあたりをよく歩いた.阿倍野から南西に飛田の方まで歩いたこともある.
 少しはミナミに土地勘があるだけに,一気に読んだ.こういう世界が文章化されたこと自体新しい動きである.コロナ渦の下で出てきたものだ.これもまた,日本での新しい動きを作りだしてゆくかも知れない.

 日本は今,世の底が抜けたような状態にある.そうではないだろうか.日本近代はうちからの力で生まれたものではなく根なし草であり,そのゆえに,江戸の世にはあった人と人を結びつけるさまざまの規範が,明治維新になって,なくなる.
 そして,明治以降の日本は東アジアの近隣を遅れたところと蔑視し,差別と侵略をくりかえす.中国大陸と朝鮮半島東北アジア,南太平洋から東南アジア,そして琉球弧と,日本列島に住むものの祖先の地のすべてに兵を進め,非道のかぎりをつくし,そして敗北した.
 鬼畜米英を撃てと扇動しておきながら,戦後は一転アメリカに隷属する.アメリカの核戦略のもと地震列島に原発をいくつも作り,ついに福島原発の核惨事に至る.
 それは何ら総括されることなくアベ・スガ政治と続き、そのスガが政権を投げ出し,岸田に代わった.そして日本の原発利権を代表するものが,自民党の幹事長である.
 こうして日本の世は大きく分裂し,深い没落の過程にある. これは根なし草近代の成れの果てである.この歴史に向きあえ.そして没落の底からこれを越えよ. このように自分自身に問いかけてきた.青空学園の制作もその一環である.

 そしてこれは行動を伴わなければ前には進めない.かつてもそのように考え1973年からベ平連京都のデモで毎週土曜日河原町を歩いた.そして,2003年のイラク戦争反対行動の頃からまた街頭に出て,それから関電前の定例行動とできるかぎり街頭に出てきた.そして今は梅田解放区へ参加している.
 街頭に立ってともに行動し,そして考える.これが私の思索における生涯かわらない方法になっている.ゆけるところまで続けるつもりだ.