秋きぬと

 朝6時過ぎに家を出ると涼しくなったなと思う.いつもこの時節になると,思い出す歌:

秋立つ日、よめる
 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
            藤原敏行   古今集百六十九番

 この歌のことは,2007_8_28「ハンミョウ」,2008_8_22「夏期講習終わる」,2009_9_17「秋の気配」,2011_8_24「人に会う(続)」などでも書いてきた.が,2011年に書いているように,3.11以降,自分にとってその意味が変わったと思う.

 さて,先日の7日,かつての教え子のクラス有志の会に招かれて行ってきた.彼らは50代半ば.仕事盛りである.それで急に出張が入ったとか等々で,参加者はそんなに多くなかったが,いろいろ飲んで話しての時間を過ごしてきた.
 昨年の9月は「還暦同窓会」に参加したが,今年会った彼らはその6歳下である.今回の彼らはよく集まっている.私も2004年の11月と2011年の11月と2013年の7月に参加しているので,6年ぶりであった.2011年のことは「クラス会」に書き,2013年のことは「格差拡大の30年」に書いている.会えばほんとうに懐かしい.話がきりなく続く.
 底辺校といわれた市芦であったが,あの時代はそれでも仕事があった.銀行員,大阪ガス,地元の電気工場,バスの運転手,生協職員,などなど,みな臨時ではない正規の雇用で働いている.いまはなあと,時代の変化も話題になった.
 私もしばしかつての教員時代の気分にひたっていた.この日来られなかった人が,LINEい「お元気そうで何よりです」と書き込んでくれているのもうれしいものだ.
 市芦は私の原点である.あそこで彼らに数学を教えたことが,その後の青空学園につながっている.また,解放運動のなかで聞いた人々の生き様,その人らとの交流の経験は,その後の生き方を後押ししている. 

  10日は京都で仕事であったので家を出ようとすると,郵便ポストに鹿砦社の「NO NUKES voice」の21号が入っていた.「NO NUKES voice」は鹿砦社の松岡さんが,献本として送ってくれる.同封されている献本と書かれた一枚には,「NO NUKES voice」が5周年になったことと今も赤字であることが書かれていた.それでも送ってくれるのはほんとうにありがたい.この「NO NUKES voice」は月刊誌「紙の爆弾」の増刊として出ているが,ほとんどの総合雑誌が堕落しきってる中で,これらの雑誌はたいへん貴重である.
 行きの電車の中で読む.上の鹿砦社のブログにあるように,《死者たちの福島第一原発事故訴訟》をテーマに編集されている.巻頭には精神科医の野田正彰さんによる長編報告「原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって 死ぬ前に見た景観」があり,その内容はたいへん重い.巻頭にあるこの夏に取材された写真はいずれも胸に来るものである.「秋きぬと」の言葉を,この福島の光景と重ねると,その意味はまったく変わってくる.

 何度も書いてきたように,日本の近代は根なし草近代である.根なし草のままに近隣諸国への侵略,植民地支配をおこない,そしてそれに敗北してもそれを総括せず,戦後はアメリカに隷属した中での経済拡大をすすめてきた.そのなれの果てがアベ政治である.
 いま安倍政治は韓国への差別意識を煽り政権維持に用いている.しかし,これは滑稽なほど愚かである.西欧の侵略と植民地支配への抵抗闘争とそして革命,またアメリカ傀儡政権との闘いとその打倒,これが日本を除く他の東アジアの近代である.その闘いを通して,韓国の人々は,日本のはるかに先を歩んでいる.
 日本人は自らの遅れさえ気づくことができない.これが現実である.それに対していただいた「NO NUKES voice」を読んで思うことは,次のようなことであった.
 ここには,事実をふまえて,それが正しく伝わる言葉がある.いずれの記事も,精緻で美しい言葉である.そして,すべてのことについてその根拠を示し,また問うている.文章を書いた人と読む人が,そういう人として繋がっている.
 このような言葉で営まれる世を生みだしたい.切実にそのように思った.

 写真は,今朝地蔵様の祠の扉を開けての帰りに,道の溝におちていたタマムシの羽根.これまでも何回かタマムシの羽根は見つけているが,例えば,2012070620130730にある.これを見つけると,いつも,このあたりにはまだ生息してるのだと思う.