時節は春、世は悲惨

 昨夜は定例の梅田解放区の日.5時半には20人ほどが集まり,それぞれに歌い喋る.こちらはいつものように横断幕を持つのを手伝ってきた.
 大阪では,知事選挙と市長選挙で,維新対自民党の構図が確定している.21日が告示日だった大阪府知事選には地域政党大阪維新の会の吉村洋文・大阪市長(維新政調会長)と,自民党が擁立・推薦し公明党大阪府本が推薦する元副知事の小西禎一(ただかず)の2人が立候補している.そして,今日24日告示の大阪市長選では,松井一郎大阪府知事大阪維新の会代表)が維新から出て,一方,自民党公明党府本部が推薦する元大阪市議の柳本顕(あきら)が立候補する.
  維新政治とは結局のところいわゆる新自由主義のカネカネ政治であり,最後は大阪万博とカジノの誘致に行きついた.それはアベ政治に併行して進み,その先陣を努めてきたのだが,もう用済みということで,都構想に反対の立場から知事と市長のどちらも自民党系の候補が出馬,それを共産党までが支援するということになっている.維新を作った橋下徹も,やってみてしまったと思うところがあったのか,維新から離れた.
 この日の参加者は,大阪の地方政治では維新の掲げる都構想に反対であり,全国政治ではアベやめろで統一していた. 参加している一人が,4年前の同じ構図の選挙のときの横断幕を探し出して,破れを直して写真のように掲げていた.前は維新が勝った.今度はどうなるか.
 それにしても,アベ政治,である.辺野古沖のジュゴンの死への怒り,原発電力会社への補助制度を画策する経産省とアベ政府,年休も取れない今の日本社会の仕事の実態,そして働いても働いても住み難く生き難い日本,それぞれが自分の経験をふまえて語る.
 アベ政治はこの悲惨な現実を,「代替わり」の諸行事とそれに続くオリンピック騒ぎで塗り隠してゆく.賃金は下がり,原発は再稼働されてゆく.東洋の島国日本は,国際資本に国家と国民を捧げ,さらに核汚染にさらされ,人々は困窮してゆく.何ごともないかのように目の前を通り過ぎる土曜の夕方の若者は,それぞれに何を思っているのだろう.

 一昨日の金曜日の夜は,杉村さん,脇浜さんとで尼崎の山田編集長の家にうかがい,食事をともにした.脇浜さんは西宮の定時制でボクシング部の顧問をやりながらながく教員をしてきた.英語の先生で,今はたくさんの翻訳をし,人民新聞等にのせている.こんな本も出しておられる.「ボクシングに賭ける―アカンタレと夜学教師の日々 (今ここに生きる子ども)」.彼が顧問をしているときにボクシング部に来て,その後プロになり,女子ボクシングのチャンピオンである多田悦子さんのこれまでを振り返るテレビ放送「多田悦子~ボクシングにかけた人生~」が先日あった.山田さんがその録画をとってくれていて,見せてくれた.彼女のことは2009年に京都新聞にも載った.「愛のハートパンチャー」である.いろいろと教えられた.

 杉村さんは五月になったら拙著『神道新論』をたたき台に対談し,まとめてゆこうと提案してくれた.根のある地についた変革思想,これが拙著の基本的な問題意識である.この点をもっと訴える場ができればと思う.「分水嶺にある近代日本」が載る雑誌『日本主義』の第四十五号が出ればみなに送ろうと考えている.

 時節はもう春である.家のハクモクレンはもうほとんど散った.かわって花海棠の芽がふくらんでいる.来週の日曜日は地元自治会の花見である.この一,二日気温は低めだが,そのときは桜も咲いているだろう.しかし,誰かが書いていたが,アベ政治のこの数年,暗黒の時代からさらに漆黒の世になった.悲惨の世である.季節は移ろうが,しかし時代は放っておいては移ろわない.立ちあがらなければならない.

3.11から八年

 もう東北の地震と東電の事故から八年である.近代日本は,二度の愚かなことをした.第一はあの十五年戦争と広島・長崎の原爆,そして敗戦である.しかし,原爆と敗戦を総括することなく、そのまま戦後政治に移行し、東電の事故にいたる.これが,今日まで,そしてこれからも代を越えて続く核惨事である.これは近代日本の第二の敗北である.
 二度愚かなことをすれば,それはようやくに教訓として定着するというのが歴史である.しかしこの日本は,この二度の愚かな経験を経ても,それまでのやり方を変えられなかった.いまなお原子力災害非常事態宣言中であるにもかかわらず、為政者はそれを隠して復興を言う.大阪で年間1ミリシーベルト相当の放射能を他人に振りかければ犯罪である.福島では年間20ミリシーベルト相等をはるかに超える核汚染を引き起こした東電は裁かれないままである.
 そしてこの地震列島で再稼働をすすめている.少なくともドイツは,第一次大戦とそして第二次大戦と二度の愚かなことを経て,われわれはいかに愚かなことをするものなのかという教訓から,福島の事故を契機に原発はすべて廃炉にすることを決めた.なぜこの日本では,その逆をゆくのか.昨年も「3.11の日に」に書いたが,為政者は東電の核惨事を教訓とするどころか,逆にいわゆるショックドクトリンとしてもちい,当時の民主党政権を追放してアベが権力をにぎり,もういちど戦争への道を歩み今に至っている.

 土曜の9日は定例の梅田解放区であった.東京から一家で関西に避難している人が語っていた.東京では娘の調子が悪くなる.初めはそれが放射能が原因とは気づかなかった.関西に来れば元気になる.東京に戻るとまた悪くなる.とうとう4年前一家で神戸に来たと語っていた.
 また,この日に梅田解放区に参加していた若者のうち,東京から関西に避難している人が二人,岩手県出身で地震の日は福島にいたという人が一人,それぞれに自分の経験を語っていた.彼らは,「逃げよ 生きよ」と,さまざまに活動している.

 それにしてもアベ政治である.アベ政治の意味とそこからの転換の途という問題を,近代日本の問題として少し掘り下げて考えた一文が,近日中に出る雑誌『日本主義』の第四十五号に,「分水嶺にある近代日本」と題して載ることになっている.この一文は編集部からの依頼をうけて,題名をこのようなものにして書いたのであるが,おかげでこちらも考えてゆくべき課題をまとめることができた.書き置かねばならないことごともつかめてきた.依頼者に感謝する.
 そこにも書いたが,いまやこの日本は「悲惨国家」である.アベとそれを後ろであやつるものが,国家の総体を私物化している.そしてそのすべてを,滅びゆく帝国アメリカのしばしの延命に捧げている.
 彼らが国家を私物化した以上,われわれはこの国家の外に立つ.それを自分の考え方と生き方の基礎におく.そして,この国家の外に立つものは互いに手をつなぎ助けあい支えあい,繋がって新しい世を,その土台を作ってゆく.分水嶺にあるということは,国家のあり方であると同時にわれわれの生き方の問題でもある.
 梅田で横断幕をもち,若者の語りを聴きながら,そして何ごともないかのように道をゆく多くの若者を見つめながら,そんなことを考えた次第である.

 今日3.11は大阪でも神戸でも集会がある.どれかに行きたかったのだが,午前中は,いまの高校に行けなくなり別の高校の編入試験を目指している生徒の勉強の手伝い,夕方は今度の市議会選挙に出る人が訪ねてくる.市行政があまりに酷いと自らの経験で判断し,それなら自分でも改革してゆこうと市議選に出る.五十代の主婦である.無党派で議会に出ようとする人は応援する.ということで,出かける時間はとれなかった.昨日10日も地元自治会の会が午後と夜と2つあった.いろいろ準備もしてようやくそれも終えたのだが,またいろいろなすべきことも出てきた.

 少しゆっくりと考えるときを持たねばと思う.

春はまだか

 昨夜は定例の梅田解放区の行動日であった.書店に立ち寄ってから大阪駅の東側にゆくと,もう横断幕があがっている.五時半でもまだ明るい.ずいぶん日が長くなったものだ.それでも風は冷たい.この日の様子は,Yumiさんも写真をのせてくれている
 この時代に生きるものとして,みながそれぞれ自分の思いを語る.翌24日の,沖縄の県民投票のこと,そして天皇在位30周年の行事を政府がおこなうこと,それにあわせて語る人が多かった.

 私は日頃いわゆる元号による時代区分で考えることはない.それでも平成が終わるときに,日本のこれからについて,大きな分岐がはじまることは,歴史の偶然ではあるが,またそこには必然もある.
 平成と区切られる時代はどのような時代であったか.資本主義が終焉期をむかえる中で、平成になって3年目のバブルの崩壊に始まり、規制緩和という名で資本の自己規制をすべて解き,その結果,格差を極限まで拡大し,国民の犠牲のうえに資本にすべてを捧げる方向に進んだ時代であった.
 資本主義が地球の有限性のうえに外には拡大できない中で,これまでのようにゆこうとすれば自国民からの収奪を拡大するより他なく,政治もまたそれに奉仕してきた.
 それがアベ政治に行きついて,もはやこの先はないというところにきて,平成が終わる.この先どうするのか.
 またこの30年間には,阪神淡路大震災があった.その後,東北大地震が起こり,東京電力福島第一発電所の核惨事が引き起こされる.東電核惨事では企業の責任は問われず,いまなお原子力災害非常事態宣言中であるにもかかわらず,政府はそれを隠して復興だ帰還だと言う.いずれ南海トラフは動く.にもかかわらず原発は再稼働されてゆく.まだ分からないのかという声が聞こえる.
 これが平成と言われる時代のことごとである.
 なぜ人々は怒らないのか.この政治を変えるために立ちあがらないのか.日本の方がフランスよりずっとひどい状況なのに,フランス人は立ち上がり,日本人は黙って耐える.なぜか.そのわけをひと言でいえば、竹内好が「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」、講座『現代芸術』第二巻、所収)という天皇制である.近代の天皇制とは,根拠を問うこともなく自分で考えないようにしむけ,国民を統合するために,国家神道と一体に再編されたものである.
 そしてそれは,戦後の象徴天皇制に繋がる.天皇の名のもと,鬼畜米英を撃てとあれだけ国民を戦争にかりたてておきながら,その責任は一切問われることなく,戦後は一転,対米従属をおししすすめる.
 これが今日に続き,そのなれの果てとして,アベ政治に至るのである.ここに,近代日本の分岐が平成の終わりにはじまる必然がある.であるから,この期に及んで,それでも経済を拡大しようとする諸々の勢力が,代替わりをアベ政治の煙幕に使うことにまどわされてはならない.

  季節の春はもうすぐだ.政治の春はまだまだ遠い.

議会主義と直接行動

 昨日は,生活フォーラム関西自由党大阪府連の共済による「小沢一郎代表を囲む会」に参加してきた.このところの仕事の集中などで疲れがたまったせいか咳が出ていたが,後半の懇親会も申し込み参加費も振り込んでいたので,天満橋の会場まで行ってきた.
 2010年のころ,小沢さんへの政治弾圧に抗議するデモに出た.それは「御堂筋デモ」に書いている.これを読みかえすと当時もフランスの若者が年金改革に反対してデモをしたことも書いている.その後,生活の党と山本太郎のなかまたちの時代に,今は亡きHさんと一緒にいろいろ集会に出たり街宣を手伝った.「人が使う組織を」、「再びの国策捜査?」等にも書いている.その時代の知りあいが幾人か生活フォーラムからきていた.久しぶりと声を掛けあった.この人らとは大阪宣言の会が生活フォーラムに合流する少し前から,つきあいが途絶えていた.

 報道陣は入れず,動画も撮らないでほしいということであった.なので,詳しい内容はここでは書けないが,その分みな自由に小沢さんに質問していていた.小沢さんもざっくばらんに応えておられた.国民民主党との政策協議のことや橋本元大阪市長に関することなど,いちおうみなうなずく内容であった.

 ここに参加した人たちは,政治家を応援しそれを通して国のあり方を変えたいと思っている人である.それはまさに議会主義であり,代議制民主主義である.かつての知りあいも,地元の選挙や国政選挙では、自由党の候補者の選挙活動をいろいろ手伝っていると言っていた.
 それに対して,職場、地域からの直接行動を通して、この現状を変えてゆこうとすることが,沖縄辺野古の闘いをはじめ、さまざまの地域闘争として、積みあげられてきた.そして,街頭での行動である.これらがいわば直接民主主義である.
 日本の今日のまったく悲惨としかいいようのない現実を変えてゆくには,この二つの運動が一つに結びつかねばならない.この点における遅れが,いまアベ政治をのさばらせているわれわれの側の要因である.
 山本太郎さんのように,もっと代議士は街に出てくるべきだ.彼は年末の炊き出し活動などにも参加してこられたようだが,アベ政治を終わらせようとするのなら,他の代議士もこれにならえである.そして,代議士として直接行動を呼びかけ,デモの先頭に立つべきだ.
 一方,議会で民主勢力が力をもつためには,もっと街頭での多くの人の行動が必要だ。その後押しがなければ議員も力を持てない.議会主義と直接行動の結びつきの方向が出てくるか,これが今年の大きな課題である.

 懇親会では乾杯のあと,共産党の国会議員も挨拶していた.それから小沢さんは順にテーブルをまわってこられた.疲れをも感じていたので,小沢さんがこちらに来られたときに自著を謹呈し,それから中座して戻ってきた.
 いろいろ話を聞き、いまの日本の課題を逆に考えさせられる集会となった.いま準備している「平成後の日本の選択」の原稿にも書き加えるべきことが出てきた.得るところの少なくない集会参加であった.

節分も過ぎ

 もう節分も過ぎた.まったく一週間が早い.寒い季節であるが,それでも京都で夜仕事がある時のほかは,夕方一時間は犬を連れて歩いている.歩くと頭の中の状態が少し変わり,机の前にいるときとは違うことが思い浮かぶ.
 一月の後半からずっと忙しかった.二社から、それぞれ二種,合計四種の問題づくりの仕事を依頼され,起きているときも寝ているときも,問題づくりを考えているような状況だった.自分は,高校生の頃から問題オタクであったことは認めるが,それがこの歳になって一気に出てきた.高校のころも良い問題に出会えばノートとしていた.手元にその頃作った良問を集めたノートがある.
 この二〇年は,高校時代の自分と市芦で教えて身についた教える技術でやってきたのだが,ここに来て昔の自分がまた出てきている.この世界に閉じこもって集中してやっていると,何か忘れたという気分になる.もともと,せめて出会った生徒には学問としての数学を伝えたいと考えて、この業界でやってきた.問題づくりは,それだけでは人との出会いは乏しい.

 そんな気持ちもあって,問題づくりの合間をぬって,2月の6日には二つの裁判の傍聴に参加してきた.
 一つは人民新聞山田編集長の国賠訴訟である.13:30から大阪地裁へ.弁護士の陳述を聴く.そして,弁護士を交えた総括集会へ.いかに非道で法によらない弾圧であるかが弁護士から示されていた.サミット前に大阪では理由をこじつけた弾圧がありうるので警戒しようということであった.
 そのあと神戸へ移動して,16:30から,アスベスト裁判の結審の傍聴に神戸地裁へ.上田さんの最終陳述とそのあとの集会に参加する.
 このように権力や行政の不当に対して闘う人らの場にいるときがいちばん心が安まる.それを実感し,それから神戸で授業をしてきた.

 そして,昨夜,2月9日は定例の梅田解放区の日.二週間前は授業がありいけなかった.きょうも20人ほどの人が集まり道ゆく人に語りかけていた.
 最初の音楽で「美しき五月のパリ」を流していたので,本当に懐かしかった.昔京都で下宿していたとき,そこでこの歌を聴き,それに後押しされて京都を出たような記憶がある.1968年5月のパリにつながる歌である.山城さんが作った「沖縄をかえせ」もこの曲である.
 そして2019年のフランス.誰かが語っていたが,フランスでは今日明日,中学生や高校生が黄色いベストを着て街に出るとのこと.梅田の街ゆく若者とフランスの若者と.今の日本の若者は…,と言っても仕方がないし,この違いの根源に天皇制がある、と言っても,その通りであるとしても何も変わらない.
 まず自ら街頭にたち,そして人々に呼びかける.これなくしては何も変わらない.街頭に立つことは,歩くのとはまた違った心の動きになり,そこで学ぶことは多い.

 いまある雑誌から「平成後の日本の選択」で一文を書くように原稿依頼を受けて考えている.あらかたできたが,街頭に立つと,ここをもう少し書かねばと思い浮かぶ.
 ということで,あまりこの青空学園だよりも更新できないが,もともと自分で考える場としてやっているので,これはこれからも変えずに続けたい.

とんと祭

追伸17日:今日は阪神淡路の震災から二十四年.合掌,黙祷.

 時間の経つのははやい.関西では松の内は十五日まで.それで午前八時前に門松などをもって自転車で越木岩神社までいって,燃やしてきた.越木岩神社ブログもある.昔,小学校の頃は運動場に門松や習字などを持ちよって燃やしていた.子供のころは「どんど焼き」といっていたが,上のブログでは「とんと祭」という.地元の言い方にならう.朝から幾人もの人が門松などをもってやってくる.もう元旦から二週間が過ぎたのだ.
 越木岩神社の奥には甑岩がある.これは『神道新論』の表紙にも使わせてもらった.ここの森は原生林である.このような磐座を古くから守り祈り,そしてその周りの原生林が守られてきた.これは大切なことだ.

  十二日は今年最初の梅田解放区の日であった.寒かったが,参加して横断幕をもつのを手伝ってきた.二十六日は授業があってゆけないが,今年も行けるときは行って手伝うことにしている.年のはじめの梅田は人が本当に多い.道ゆく人々をながめながら,いろいろなことが思い浮かぶ.

 日本というこの非西洋にあって最初に近代化,つまりは資本主義の世になったところが,没落してゆく.いくつものいくつもの教訓を残しながら.「沈没する日本」と特別な1日さんが書いておられるが,今日の趨勢から取り残され,アメリカにはすべて吸い尽くされ,理念なく人の間もつながり断たれ,賃金においても教育条件においても社会福祉においても,この国はもう十分に貧しくなっている.
 どうしてこうなったのか.世は変わり時代が変化しても,その土台は継承され展開しなければならない.日本では,江戸時代までの世のありかたを覆いかくすように,近代をつないだ.根なし草であり,人と人の関係の土台までが崩れたままであった.
 そこでうまくやれたのは,資本家だけであった.その近代資本主義が終焉を迎えたという条件の下,このような根なし草近代の醜い現実が露わになってきている.そのなれの果てがアベ政治に代表される今の世の政治経済の大勢である.

 参加した若い人らが叫んでいたことの一つは,東京五輪は要らないと言うことであった.東京五輪については2013年の「1%による1%のための大会」にその意味を書いている.実際オリンピックの歴史的意味はもう終わっている.大阪では,カジノと万博である.この意味もまたオリンピックと同じであり,人々を愚民化しながら資本主義を世界に拡大してゆく両輪であった.
 この意味で2020年の五輪が不可能となり,これをもって五輪の歴史が終わるというのは,まさに歴史の要求である.しかしそれ以上に現実的な問題は,あの核汚染まみれの東京でオリンピック等やってはならないということである.東京からの避難者である園君ツイッター)のことを考えれば,実際,そうなのだと思う.

 私が年末「年の瀬」中で「しかしこの天皇制の克服ということは,近代主義的な反天皇論とその運動では不可能である.天皇制という根深い大きな木を倒そうとして,地表に出ているところをたたいているだけだ」と書いたが,この内容に関して,ではどうしてゆけばよいのかという質問があった.当日は立ち話しかできなかった.
 日本というこの列島における天皇制は,階級支配とともにあった.これを忘れてはならない.であるから,階級支配をそのままに天皇制だけをなくそうとしてもそれはありえない.そしていまは資本主義の終焉期である.資本主義はマルクスが明らかにしたように最後の階級社会である.
 それが終焉期をむかえているからこそ,天皇制の終焉もまた現実問題なのである.これを一体に捉える視点と理念が必要だ.「どうしてゆけばいいのか」という問いに答えることはまだできない.大きなそして長い過程と,その過程を生きる理念が必要である.『神道新論』はその思想的な土台作りの試みの一つであった.やはり,もっと深めねばと思った次第である.

年のはじめ

 三日から授業もあり,仕事は始まっている.そしてこの間,問題づくりに気持ちの多くがいっていた.たくさんの問題づくりの仕事をかかえていて,まだまだとっかかりしかできていない.
 そして地元自治会の諸々もやってゆかねばならない.昨日火曜日は午前中市役所で市民局の人に会う用事があった.夜は京都で仕事なので,いちど戻って出直すのも面倒だと,そのまま京都に向かった.
 そして,南区吉祥院吉祥院天満宮と東寺に参ってきた.吉祥院は母の実家のあったところ.その昔風の農家は,今はもう工場になっていてなくなっているが,従兄弟が同じ吉祥院,近くに住んでもいる.南区のこのあたりは京都の近郊の住宅街であるが,昔は京野菜や米を作る農家が多く,いまも畑はあちこちに残っていて,時節に通ると九条ネギもなっている.八条より北の市街地とはまた違った趣が残っている.それで時々訪れる.
 2013年の夏,吉祥院六斎念仏を観にいったのも懐かしい.あの夏は忙しく,秋から調子が悪くなり,結局秋から暮れにかけて五週間入院した.今となってはそれも懐かしい.JR東海道線の京都の一つ西の西大路駅で降りて,西大路を南に九条通十条通りへと下る.天満宮十条通りと交差するところの西側にある.菅原道真はこの地で八四五年(承和十二年)に誕生し,十八歳まで過ごしたとされる.祖父の菅原清公が遣唐使として唐と往復するとき,嵐に遭遇しながらも吉祥天女の霊験により難を逃れ,以降菅原家では吉祥天が信仰されるようになったといわれている.
 天満宮の境内には地蔵様の祠もある.神宮に地蔵菩薩神仏習合である.自然である.ながく,神と仏は共存してきた.私は『神道新論』で,自分自身の経験をふまえて

 生まれれば神社に参り、死ねば葬儀は仏式に執りおこなう。この日本列島に暮らすものは、神の道と仏の道をたがいに基底で通じあうものとして受けとめ、補うあうものとしてきた。これは大きな智慧である。そして、学び、祈ってきたのである。このように神仏習合は自然なことである。

と書いたが,やはりそうだと思う.
 この日は近くの老人の家からも初参りに来ていた.ほとんどの人が車椅子で,看護師さんに連れられて参っていた.皆に交じって,この日は赤いろうそくをあげ,手をあわせてきた.

 それから十条通りを東に国道1号線まで歩き,そこでバスに乗って二駅.東寺の南門に着く.寺を囲むまわりの掘りにサギがいて,逃げもしない.人に慣れている.なかなかかわいいものである.
 東寺の中は広い.ここもまた神仏習合である.写真のように塔の西側に鳥居がある.八島神社である.空海がこの神と夢の中で出会い,そのことでこの地に伽藍を立てたと言われている.土地の守り神と寺は互いを認めあって来たのである.それが明治政府のもとで大きく損なわれた.私は『神道新論』で

 さてこうして、明治政府は神社の国家統制を強め、明治三十九年(一九〇六)には神社合祀令により地域の神社を国家のもとに整理しようとした。南方熊楠らの民俗学者がこれに反対し、それぞれの地方でも反対の運動がなされた。その結果、大正九年(一九二〇)、貴族院は合祀令の廃止を議決する。それまでの十数年間、全国二十万社の中の七万社が破壊され、多くの鎮守の森が失われた。南方熊楠の『神社合祀に関する意見』を読むと、ここで失われたものはほんとうに大きい。
 仏教についてもまた、全国の寺院で仏像や経巻の破壊が行われ、多くの寺院が廃寺された。奈良興福寺も一時期廃寺同然であった。富山藩では千六百以上あった寺院が六カ所になり、廃仏毀釈が徹底された薩摩藩では、寺院千六百十六寺が廃され、還俗した僧侶は二千九百六十六人にのぼったという。

と書いたが,やはり明治以来の近代百五十年の歴史をもういちど顧み,そこで失われたものを確認してゆくことが,これからのために必要だと思われる.
 東寺の境内をいろいろ歩き,それから門前町をゆっくりと東に歩いて,西洞院通りに出て左に曲がり,北にある京都駅を抜けて教室にいった次第である.

 今年は世界中で経済も政治も矛盾が深まり世が大きく動くだろう.日本のように中央銀行が株価を支えているところは,他にはスイスくらいなものである.アベノミクスのごまかしを維持するために,経済原則としてなしてはならないことを続けてきた.早晩これは破綻する.
 その一方で,今年は天皇代替わりの諸行事がある.アベ政治はこれを利用し,支配体制の揺らぎを天皇制礼賛で覆いかくそうとするだろう.前にも書いたが,日本の方がずっとひどい状況なのに,フランス人は立ち上がり,日本人は黙って耐える.そのわけをひと言でいえば,竹内好が「一木一草に天皇制がある」という天皇制である.
 『神道新論』に天皇制の起源について書いたことだが,要約すると 

 天皇家の祖先は千数百年前大陸からやってきた.その支配権が確立したころ,古代日本の各地の王権の歴史を簒奪し「日本書紀」を書き出し,日本列島に内発した王権であるとの虚構をうち立てた.そしてそれと矛盾する多くの文書を焚書にした.彼らは,農業協働体がおこなってきたさまざまの習俗を取り込み,天皇家がそれを代表するかのように振舞うことで支配の権威を打ち立てた.大嘗祭も,もととなる祭は収穫の感謝の祭であった.

 天皇制とは虚構の上にあるものなのだ.そしてそれが,ひとり一人が自分で考えることを抑えつけてきた.その歴史のうえにわれわれの側にある草木にもやどる天皇制,その内からの克服,これが課題である.個々の天皇についてここで言うことはない.
 資本主義が終焉期をむかえた中での代替わりである.この期に及んでもそれでも経済を拡大しようとする諸々の勢力が,天皇制を煙幕に使うことにまどわされてはならない.資本主義の次の時代を見すえたわれわれの理念と運動が問われる一年となる.そのように受けとめて,できることはしたいと思う.
 昨年出した『神道新論』をもっと展開したい.いろいろ考える.非西洋で最初に近代化し,そして百五十年を経て資本主義の終焉期に至ったこのところに生きてきたものとして,もっと耳を傾け聴きとったことを述べたい.多くの人の助力で『神道新論』を出したものの責任でもある.年のはじめ,京都の社寺仏閣に参っての私なりの思いである.