アベ・スガ政治を終わらせよう!

 昨夜は定例の梅田解放区であった.梅田解放区にもあるように,この日は東京や京都でも行動があった.あまりにも酷いスガ政治への危機感に若い人らが声をあげる.いま声をあげ続けることはほんとうに大切だ.
 こちらは,彼らががんばっているので,できることはしようと,一緒に梅田の街頭に立ち,ビラ配布を手伝う.

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 私は先日あるところに「そのアベ政治を菅は引き継ぐと言う。引き継ぐだけではない。さらに国民監視を強め、権力を公然と私物化して操る。菅政治の方向は現代のファシズムに至る」と書いたばかりであるが,すぐに「至」った.書いてすぐにスガは日本に新たな段階のファシズムそのものを現実化した.それが,日本学術会議への人事介入である.スガがこんなに早くその本性を現すとは思っていなかったが,それだけ向こうに余裕がないのかも知れない.
 しかしそれにしてもなぜ日本の研究者や日本学術会議につながる者は立ちあがらないのか.日本の大学はそんなものだと見切りをつけて研究者の世界から身を引いて45年の私であるが,それでもこれだけのことになれば人として立ちあがらねばならない.それもできないのか,という思いであった.
 そのなかで,私の読んだ『日本会議の研究』の著者である菅野さんはこのような今の知識人の現状にくさびを打ち込むべくハンストを続けている.その輪も広がっている.田中龍作さんが詳しく伝えてくれている.日本の社会運動も,ようやくに新しい段階を拓きつつある.こちらもできることを続けてゆきたい.

 この二週間,多くの本を読むことができた.読書録として書いておく.
 まず,『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 』(原田 伊織著,講談社文庫,2017)と『明治維新という過ち・完結編 虚像の西郷隆盛 虚構の明治150年 』(原田 伊織著,講談社文庫,2018)である.この二書は「明治維新とは、日本を近代に導いた正義なのか?」と問い,維新の本質を総括する.そして,この近代が人民の生活とかけはなれた政争の連続であったかを暴く.日本近代は根なし草近代であった,という当方の主張を立証するのものであった.
 そして,『慰安婦たちの太平洋戦争―秘められた女たちの戦記 』(山田盟子著,光人社NF文庫,1995)と『続・慰安婦たちの太平洋戦争―正史になき女たちの戦記』(山田盟子著,光人社NF文庫,1995)である.「その数二十万,陸軍は慰安婦,海軍では特要員と呼ばれ,その存在も,生死さえも闇の中に閉ざされた“軍機の女たち”―南方の地でからゆきの墓群を眺めて以来、その足跡を追いつづけてきた著者が現地取材を重ねた」と本書の紹介にあるように,これもまた近代日本の教科書では語られない闇を照らす書であった.
 さらに,『つぶやきの政治思想―求められるまなざし・かなしみへの、そして秘められたものへの 』(李静和著,岩波現代文庫,初出1998)である.これは読み切れないすごい書である.そして,この李さんへの応答も載せた同書の崎山多美の一文に惹かれた.
 それで,書棚にあった崎山多美の小説も入っている『現代沖縄文学作品集』を読みかえし,それから『月や,あらん』(崎山多美著,インパクト出版会,2020)を取り寄せ読んだ.14日『クジャ幻視行』(崎山多美著,花書院,2017)も届いた.
 これらは朝鮮,そして沖縄からの,戦後日本への問いかけである.圧倒されるものばかりであった.戦後の日本社会はこのような歴史に向きあうことを拒否してきた.アベ政治もまた慰安婦問題から逃げとおした.
 『人新世の「資本論』 (斎藤 幸平著,集英社新書,2020)も読んだ.現代は,地質学的には,人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代である.これを止めるためには資本主義の拡大と利潤追求を止めなければならない.危機の解決策を,晩期マルクスの思想の中に探るものである.

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 これらを読み,自分が青空学園日本語科でやってきた言葉の基層を掘り下げる基礎作業は,このような問題提起に対応できるのかと自問しなければならなかった.このような問い自体が,これまでの作業の上にはじめてうちからの問として出てきたものであり,そのことを踏まえたうえで,しかし,この問は重い.これは今まさに考えている途上であり,考えられたことをここにも書き足してゆきたい
 近代といわれるこの百五十年を経て,日本においてこのような問題が現実の歴史課題となってきたことは確認できる.現実の歴史過程も,思想的にも,転換が現実化する歴史の段階になってきたことを実感する.この歴史の要求に自らできるかぎり応えねばならない.
 アベ・スガ政治を終わらせるとは,この,歴史と向きあわずそこから逃げる政治を終わらせることでもある.梅田解放区のように,歴史に向きあい行動する若者は大切だ.これからもできるかぎり参加してゆこうと改めて思った次第である.

安倍を処罰!

 昨日は定例の梅田解放区があり,参加してきた.コロナ生活補償を求める大阪行動にも記事があるように,昨日の解放区は,現役の議員から学生までがいろいろ語る集会とデモ,そして梅田での街宣だった.
 まず大阪北にある大淀コミュニティセンターで「安倍を処罰!」を掲げて集会をした.50人ほど集まっていただろうか.2時に始まり,「アベ政治を終わられるために」と題して,森友学園問題を考える会/豊中市議会議員の木村真さんが語る.そして「私たちが変われば政治は変えられる」と題して,社民党全国連合の大椿ゆうこさんが語る.

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 それからSwing MASAさんたちのトランペットやギターなどの楽器の演奏である.人と人の結びつきが昔とは違ってきていることを思う.そして,辺野古の問題から,コロナ禍の下での生活保障の闘い,大阪都構想の問題まで多くの人が発言する.最後に「安倍,菅の労働者殺しや組合弾圧を許さない」と題して,連帯ユニオン関西生コン支部の西山直洋さんが報告して、集会を終えた.
 会場を片付けて東梅田のいつものところをめざしてデモにうつる.集会場が豊崎西公園より北東にあるので,倍近く歩いた.東梅田でもういちど道ゆく人に呼びかける.木村議員も大椿さんもさすがに喋るのがうまい.
 この日は東京でも広島でも,街頭の行動があった.田中龍作さんが 官邸前で「安倍スガ自民党にとどめを」と叫ぶ と伝える.これからも第2と第4土曜日にそれぞれの街で街頭に立とうと,広く呼びかけてゆく.
 私はこのなかでは最年長ではないかと思う.だれかにいくつですかと聞かれて答えると,親と3つ違うだけですね言われたりもした.いつものようにデモを一緒に歩いて着いてからは街宣を手伝う.若い人らが多くなってきたのはいいことだ.その中に年寄りが混じっているのもまた悪くないと参加している.この行動のときは日常から少し距離をおいて考えることができる.それもあって,若い人らがやっているところに出かけている.私にとっては,街頭に立つのはいろいろ考える場になるからだ.
 菅政権が発足した.アベ政治はコロナ禍に結局は何もできず,安倍は政権を投げ出した.同時にこれは,「戦争法」強行採決以降のこの五年間,新しい形で現れてきた市民の怒りを恐れた結果でもある.スガに代わっても近代国家の枠組の破壊はそのままであり,収賄公文書偽造の犯罪者・安倍晋三は逃げおおせている.それを裏で差配してきたのが菅である.
 日本のテレビや新聞はみなこの事実を隠し,菅の人柄をでっちあげて美談に仕立てて報道する.前にも書いたように,日本の大手のテレビや新聞は報道機関ではなく,洗脳機関である.

 なぜこんなことになったのか.資本主義の終焉期に,これまでのように民主主義を立て前とする余裕が資本の側になくなっている.ここに,トランプやマクロンや安倍ー菅が現れる一般的な土台がある.そのうえで,固有性の問題で言えば,それぞれの歴史をふまえた背景がある.
 そのなかでも日本の現実はとりわけ酷い.なぜこのようになったのか.日本についていえば,この現代日本の惨酷なあり様は,近代日本の成れの果てであり,近代日本の世が根なし草の世であったからである.

日本近代は人のうちの力で生まれたものではなく根なし草であった。
近代日本語は翻訳造語にはじまり言葉のしくみには根をもたない。
世界はいま拡大を旨とする資本主義から脱成長の協働主義への転換過程にある。
このなかで日本はかぎりなく没落してゆく。
根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない。
日本語に深く立ちかえりそこに伝えられた智慧に学び資本主義近代を越える礎としよう。

  これはいま,青空学園日本語科の扉に掲げている一文である.私はこのように考え,この二十一年,青空学園日本語科で,日本語そのもに立ちかえり,そこに伝えられた智慧をくみとるための基礎作業を続けてきた.
 どのようなときに,言葉に根があるかどうかを考えるのだろう.私の場合は,高校生の頃に何か日本語に違和感をもっていたのを,後に思い出し,言葉の根ということを考えた.そのことは『学園の初心』に書き、そして『再定義の試み』の旧版の中にある「再定義とは」に書いている.

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        28日撮影.近くの駐車場の端から甲山を望む

 このような基礎作業は,いずれ日本が没落し果てて,そこからもういちど世の中を立て直してゆくときに意味をもつ.それまでは,できるだけの作業を積み重ねておく.私にとっては,再生のために必要なこととして,目的意識をもって見るべきことが今の日本の没落である.
 当面する課題は,次の全国選挙で自公維新を倒し,野党統一政府のもとに指揮権を発動して安倍を逮捕することである.これは日本に民主主義を回復する第一歩である.
 いろいろ考えさせられた.このように集まる人々の中にいて,希望も見いだせる半日であった.

安倍=菅やめろ(続)

 昨夜は定例の梅田解放区であった.先週は安倍が辞めたので臨時であった.梅田に行って,未来を担うべき若者と一緒に声をあげる.
 それにしても安倍から菅と続くこの時代の国政の酷さ.それを暴かないどころか、まさにヨイショする大手報道機関の退廃.日本の大手新聞やテレビは報道機関ではない.洗脳機関である.テレビや新聞から世界に接していると,多くの人々は現状を追認する.ましてや,立ちあがることはない.
 それでもその現実をふまえて,なしうることはしなければならない.そう考えこちらも参加してきた.終わってからの反省会も出てきたので,遅くに戻ってきた.
 昨夜の行動はは東京でもあった.これからも官邸前で第2第4土曜に続けるそうだ.これが全国に拡がればいい.それぞれの地で,第2第4土曜日,街頭に立とう!

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 先日,鹿砦社の松岡さんから「NONUKES」voice 25号が送られてきた.いつもありがとうございます.読み応えのある記事が多そうだ.
 さて,アベノミクス継承で日本経済は沈没…12カ月連続の景気悪化と『日刊ゲンダイ』が言うように,経済も没落を続けている.この8年で株価は上がったというが,それは年金基金などを使って株を買い支えしてきただけである.公的年金は遠からず破綻する.アベ政治とは,新自由主義段階の資本主義の時代に,政治では完全にアメリカに隷属し,経済ではうわべだけを取り繕うものであった.
 赤旗は「新自由主義の暴走か、転換か――日本の政治の対決軸に 川崎で志位委員長が訴え」と報道しているが,まったくその通りである.
 そして,この対決軸は,思想の問題として掘り下げねばならない.

 私は日本の近代は根なし草であると言い続けてきた.これはなにも大きな政治や世の中全体のあり方での問題だけではない.日々の人と人のつながり方や,毎日の生活の場の中で根なし草であることを感じとる.
 実際のところ,日本の近代は根なし草であった.人民の内からの行動が生みだしたものではなかった.西洋帝国主義の支配を避けんとして,商人階級が主体となって封建幕府を倒した.日本の近代は,帝国主義の段階に至っていた西洋近代の移入として行われた.
 人びとにとって近代は勝ち取ったものではなく与えられたものであった.したがってまた,その近代がこのように一部の政治勢力に私物化されても,それを倒そうとするうねりも現れない.
 逆に言えば,われわれは今はじめて人民が行動して変えてゆかねばどうにもならない段階に至っているのだ.それ以外に,この没落をおしとどめることはできない.今のまま,人民の大きな抵抗もなく菅政権が続くなら,日本はかぎりなく没落してゆく.
 ここまではこれまでも書いてきた.そして,さらに,二つのことを思う.

 しかしこれは,非西洋にあって近代化する過程として一般的であるのではないか.そしてそれは逆に近代の西洋のあり方をも映し出す.根なし草近代という問題は,実は資本主義が世界に行きわたるこの時代の普遍的な問題なのではないかと考える.
 もう一つは,没落とは所詮は資本主義の価値観での没落である.人民へのしわ寄せが酷くなるが,それでも没落せざるを得ないのならとことん没落するしかない.そうしなければ,新しい価値観のもとでの再生もまた有り得ないということである.
 そういう歴史段階にあるのだ.

 今日は朝から入試問題三題の解答をつくり青空学園数学科にあげ,それから「青空学園だより」を上のところまで書いた.
 そして夕方は犬を連れて2時間ばかり,自宅から東の方へ散歩した.地蔵堂や小さな祠がいくつかある.愛宕山の上には小さな墓地がありそこにも地蔵様がおられる.順にまわってゆく.このあたりは江戸時代に拓かれたところである.
 いろいろ考えながら歩く.街頭に立つことと,この犬を連れての散歩が,書斎ではなかなか気づかないことを気づかせてくれる場となる. 数学であったり,こういう一文であったり,出てくるのはそのときそのときでいろいろなのだが,歩くことは大切だ.
 愛宕山から東に見える山は生駒山だろうか.下の写真では写っていないが、晴れているときにもう少しまわると,大阪平野の向こうの南東の方には金剛山も見える.

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  この愛宕神社は京都の愛宕山から勧請したものである.その横の坂を少し上がると上の写真のように愛宕山の頂に墓地がある.またすこし歩くと真言宗の寺もあり,ここが拓かれた江戸時代を経ての歴史を感じることができる.
 さて,今年は5年毎の国勢調査の年で,明日からは自分の担当しているところを一軒一軒歩かねばならない.
 一応下見はしているが,思わぬところに集合住宅があったりする.集合住宅まわるのはもなかなか面倒である.今の時代に国勢調査など必要なのかとも思うが,それはそれとして,きっちりやらねばならない.

安倍=菅やめろ

 

 昨夜5日の夕方は梅田解放区であった.定例は第二,第四土曜なのだが,首相が代わったのでこの日も集まった.雨が降りかけたので,いつもの場所の向かいの鉄橋の下でやる.東京でも同時刻にやっていて電話で繋いで「アベやめろ」を同時におこなった.来週もやり,これから,第二,第四土曜の集会は,東京だけではなく,各地でやることをめざす.
 例によってこちらは横断幕をもつのを手伝う.安倍,菅と続くこの政権を倒さなければ,われわれに未来はない.このことを道ゆく若者に呼びかける.ほとんどの若者は関心なさそうに通り過ぎるが,声は届いているだろう.彼らもまた,これからの人生で壁に出会ったとき,思い出してくれればよい.
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 そして今朝は朝の7時半から公園の掃除.小一時間掃除をして,終わってから同年代の男ばかりでいろいろ世間話しをして戻ってきた.そしてこれを書いている.

  それにしても日本の劣化が進む.前にも書いたが,一人当たりGDPの世界順位では,九〇年代は常に一桁で二〇〇〇年には二位だったのが,安倍政権になって,民主党政権時代の十位台から一気に下降,一八年は二十六位.アジア・中東では七位.一位マカオは日本の二倍,三位シンガポールは一・六倍である.
 先端百五十一分野の有力論文数の各分野一位は全て米国と中国で.日本は二位に入る分野さえなく五位以内もわずか十九分野.情報技術分野では,世界十位である.これらの指標において間違いなく日本は没落し続ける.
 さらに,いわゆる先進国の中で日本の教育予算は最低であり,日本の女性医師の割合も最下位であり,実質賃金はこの十年,日本だけマイナスである.
 この十年,非正規労働者の比率は激増し,さらに年収200万円以下の給与所得者が1100万人に達した.そして,労働者一人当たりの実質賃金は約6%も減少した.消費税の税率が5%から10%に引き上げられた.
 特定秘密保護法制定,集団的自衛権行使容認憲法解釈変更,戦争法制制定,TPP参加,共謀罪創設,種子法廃止,漁業法改定,水道法改定,スーパーシティ法制定と,戦争をする国に変え,すべて国際金融資本に売り尽くした.これらのその結果はこれから現実化してゆく.
 これがアベ政治の九年間の結末である.繰り返しになるが,今書いておかねばならない.そして,菅はこれを継承すると言っている!

 これはしかし安倍個人の問題ではない.問題を掘り下げると,日本の近代は内的発展から生まれたものではなく,帝国主義の段階に入り始めていた西欧諸国に対抗するため,急いで近代化したものであり,それは根なし草の近代であった.その根なし草近代日本の成れの果てがアベ政治である.
 根なし草近代は越えられるか.もとより菅政権には越えられない.そこでこの政権がゆきづまったとき出てくるのが,ファシズムである.いまわれわれは,資本主義の終焉期に起こる新たなファシズム,これを許すのか否かの岐路にある.菅政権を前にして,こう考えなければならない.
 かつてのファシズムは,経済にまだ発展の余地がありどの方向でこれを発展させるのかという段階における,社会主義ファシズムかの対立であった.今日のファシズムは資本主義の終焉期におけるファシズムであり,かつてのファシズムとは条件が異なっている.この段階における新たなファシズムとの闘い,これがいまの歴史の課題である.

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 写真は新池から六甲山系を見る.右手の方の丸い山が甲山.その右側の校舎が市立西宮高校.9月2日撮影である.こうして夏も終わり秋となる.夏から秋のこの時期,いつもいろいろ考える.これまでも,2007年「ハンミョウ」,2012年「秋来ぬと」,2018年「秋は未だ来ぬ」2019年「秋きぬと」と書いてきた.読みかえすとこの年はこんなだったと思い出す.書き置く意味はここにもあるように思う.
 私は今年の夏の終わり頃に,どれが自分の一番の仕事かを考え,青空学園数学科こそがそれであることに納得した.そして数学科の制作に時間をかけた.これが数学科の日常活動である.青空学園数学科は,数学を文明の基礎として根づかせるための日常活動である.
 では,日本語科の日常活動とは何であるのか.こうして言葉を綴ること自体が日常活動なのか.根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできないとして,ではこの近代を越えてゆくために何をしなければならないのか.近代造語もまた根をもたない.定義集はこれを越えるための基礎作業と位置付けてきた.
 まさに今,われわれは没落する国にあって何をなすべきかを考えねばならない歴史の段階を生きている.今年の秋,もう少し深めることができればと思う.

アベ政治一掃!

 安倍は辞めることになった.しかし,問題はすべてこれからである.安倍以降の時代をいかにひらいてゆくのか.一方で,自民党内の争いは没落途上国の政権争いである.いかに醜悪なものでるかよく見ておきたい.
 昨夜は臨時の梅田解放区であった.前から,安倍が辞めることになったら集まろうと決めていた.ゆくと横断幕は「自公やめろ!」になっていた.安倍が辞めてもそれでアベ政治が変わるわけではない.アベ政治を支えてきた「自公がやめろ!」ということだ.「菅などの取り巻きもやめろ!」ということだ.菅となれば安倍どころではない事態になってゆくだろう.
 この梅田解放区,私は2017年12月からの参加である.始まったのはその半年ほど前か.3年間「安倍やめろと」言ってきたのだ.
 安倍がしてきたことの大半は,森友・加計・桜疑惑をはじめとする犯罪である.収賄と便宜供応も巨大だがそれだけではない.まず森友・加計の収賄罪で逮捕し,そこから安倍の犯罪をすべて裁かなければならない.しかし,司法,行政,立法の三権分立は崩され,司法はそれをおこなわないばかりか,この8年間逆に安倍を支えてきた.
 人民の怒りの行動で安倍を逮捕させ,その犯罪を裁くことをしなければ,アベ政治をほんとうに終わらせることはできない.韓国ではそれがなされてきた.朴槿恵前大統領は今も獄中にある.安倍がしてきたことは朴の比ではない.にもかかわらずその罪は問われない.これが日本である.日本のような国家は没落する.
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 安倍はやめた理由に病気を言っているが、それは本当の理由を隠すためだ.安倍自身は国民の支持がないことを知っている.だが韓国とは違い日本ではアベ打倒の運動もまた弱かったので,財界や資本の要請で首相を続けてきた.しかしこのあたりで変えないと,人民の怒りが一線を越えかねないという彼らの判断が動いたのだろう.
 さらにアメリカの衰退と中国の台頭,そのなかで米中対立という条件がある.両方にいい顔をしてきたアベ政治はトランプの中国敵視で行き詰まった.そして,本人も,もうこれ以上やってられないとなったのだ.

 アベ政治の8年は後世歴史に次のように書かれるだろう.

 戦後日本は,十五年戦争の敗北を経て,それを教訓に,一定の社会規範や三権分立などの政治原則をもってやってきた.だが,アベ政治の8年間でそれらはすべて破壊され,政治の私物化が進み,政治犯罪も一切問われなかった.
 経済的にも,安倍以前にはいくつかの世界的な経済危機はあったが,それでも成長を続けてきた.それがアベ政治の8年間に,大きく没落の方向に向きを変えた.
 この政府を倒すための人民の行動は弱く,安倍政府は延命を続け,安倍は倒されるのではなく自ら投げ出して辞めた.
 こうして日本という国は,アジアの中でも世界の中でも,政治的にも経済的にも,没落国家となっていった.

 白井聡さんが「【1】安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である」と題して論座で書いておられる内容は正しい.一読に値する.ただ歴史の「汚点」というべきではなく,「安倍の犯罪」というべきだと指摘しておきたい.

 私は「アベ政治は根なし草近代の成れの果て」と言ってきた.日本近代の行きついた果てがアベ政治であった.「分水嶺にある近代日本」において

 こうして今日の日本は、国際資本の収奪に国家と国民を完全にゆだね、すべてをそこに捧げる政治体制となっている。これを「アベ政治」と言う。ここまで酷いことは、歴史上はじめてである。一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる。

と書いた.アベ政治からどのような教訓が世に根づくか.今は未だである.堕ちるところまで堕ちるのか,立ち止まれるのか.安倍以降は,そこが問われる時代である.
 今はまだアベ政治の教訓が社会的に共有されているわけではない.これからもアベ政治は,首相だけ変えて続いてゆく.9月からも,月2回の街頭行動は続く.すべてはこれからであるとの思いを強くして戻ってきた.

 昨日,大阪に出る前に「ラグランジュの試み」を上げることができた.3年ほど前に,ガロア理論の前段として書きはじめたものなのだが,ガロア理論そのものはもう少し時間をかけないとできないのと,この部分だけでも高校数学を拡げるという点で意味があるので,きりはなしてまとめた.
 どこまでいけるのかは分からないが,青空学園を続けてゆきたい.

夏の終わりに

 もう8月も終わりである.24日は地元のお地蔵様の地蔵盆であった.私も世話人会に入れてもらっているので,朝の7時半からテント張りなどの設営して,夜の6時に片付をした.世話人が交代で坐り,お参りに来た子供らにお菓子をあげる.この町内にただ一つあるお地蔵様である.5年前にも書いた.「夏の終わりに」,題名まで同じである.
 この祠はかつてはいまある水路の横にあったのだが,5年前より後に,この土地が開発業者に売られてそこにいられなくなり,市が認めてくれたので,横の水路の上に移った.阪急の駅にも近く住宅地としてすべて開発され,お地蔵様の居場所がここしかなくなったのだ.
 私ともう一人の世話人で手分けして,私は週に4日,朝6時半に犬を連れてこの地蔵様の祠の扉を開けにいく.お地蔵様のおかげで朝早く起きるようになった.
 今年のお地蔵様は赤いマスクをしておられた.今年は小学校校区の夏祭りもなく,近隣地域の夏の行事はこれ一つである.

 地蔵盆は京都で江戸時代から行われてきた.私の宇治の実家は,平等院から奈良に続く旧街道にあったが,そこから西30mに一つ,東50mに二つのお地蔵様があった.宇治のような古い街はあちこちにお地蔵様があるところである.近所の地蔵盆では,地元の洋裁学校の和室を借りて子供らが輪になって坐り,数珠廻しなどもしていた.小学生の頃,地蔵盆が終わると夏休みがもう終わりだと思ったのを覚えている.子どもの季節感にも大切な行事である.
 いま住んでいるところは戦後開発された住宅街で,このお地蔵様の先代は小川に寝ておられたそうである.それをいただいてきて,この新しい地蔵様を作り,坊さんに来てもらって魂をこちらに移してもらったそうである.もうずいぶん昔のことである.
 こういう行事は大切にして,次の世代にひきついでゆかねばと思う.次の写真は広大な満池谷墓地の東の方の夕焼けに染まる入道雲.28日午後6時15分頃撮影.

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 そんなこんなで夏も終わってゆく.
 この夏はいろいろと考えることができた.自分のやっている仕事の意味を見直し,やはり青空学園が自分のいちばん大切な場であることを確認した.青空学園数学科があることの意義についても確認と納得をし,日本語科の日常活動についてもいろいろ考えた.
 パソコンについてもいろいろ手を加えてた.所詮は道具なのだが,考えることと一体なので,手を加えた.

 これらを踏まえて,これからなしうることを積みあげてゆきたい.明日からは仕事である.仕事といっても,地元の仕事,青空学園の仕事,問題づくりの下準備,などなどいろいろある.しばらくそれらから離れていた.それがまたもとに戻ってゆくということだ.
 それにしても,近代日本がここまで没落するとはお地蔵様も思いもよらなかっただろう.これからどうしてゆけばよいのか,たずねてみたいものである.

 

没落を生きる

 私は日本の没落を指摘し続けてきた.東アジアにおける日本の没落,世界における日本の没落,それはまさに現前の歴史である.政治,経済,技術,社会規範,すべての分野で今日の日本はまさに悲惨な有様である.そしてこの現実をそれと知るものも少ない.
 いまの日本には,人であることを否定する国家と権力に対して闘うさまざまの運動がある.しかし,この腐敗した政権に対して,人々が怒りをもって立ちあがりこれを倒すために行動するということが起こらない.これは,アベ政治の悲惨さ以上に悲劇的な現実であり,没落の実相である.
 後世,歴史は,日本は戦後政治的にも経済的にも拡大してきたが,アベ政治の7年間で,大きく没落をはじめた,と記すだろう.いまわれわれは後にそのように言われる時代を生きているのである.

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 それでもできることはやろうと,定例の梅田解放区に参加してきた.この日は大阪北の中津の公園に集まり,梅田までデモである.そして東梅田でいつものようにトランペットをならしギターを弾いて,街頭で語る.道をはさんだ両側でやる.アベ政治を暴き,吉村・松井の維新の化けの皮を剥いで,道ゆく人に語りかける.
 この間自分のことで闘ってきた人が語っていた.行動しなければ何も変えることはできない.行動し闘えば必ず変えることができる.その通りだと思う.
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 この日も韓国KBSのいつもの人が取材していた.彼の取材で,この梅田での行動だけではなく,京都市役所前の座り込みやデモ,授業料無償化から排除されている朝鮮学校をめぐる闘い,大阪・釜ヶ崎の野宿者の闘いなどがすでに韓国で報道されている.
 いまの日本の現実が隣国に伝わることはいいことだ.
 私はいつものように一緒に立つ.若者からわれわれのような老人までが一緒にやることには意味があると思う.さまざまの運動の人が横に繋がることこそいちばん大切である.その裾野は広い.自分の生きている場からこの裾野の端にはいたいと思う.終わってから何人かと一緒に食事をして,戻ってきた.

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 われわれは今没落する日本において,その没落の実相を凝視し,それと向きあって生きている.このような行動も,没落する国のなかで,人としての矜持を失わないためのものであり,いまはまったく小さくても,いつか大きな炎となる.私はちょうど二年前あるところに次の一文を寄せた.

 これだけ現前の政治が腐敗しているのに、なぜこれを打破する直接の行動が広がらないのだ。議会政治でも、立憲民主党などは、国政では野党だが、地方では保守政治家と連携するところが多く、地方と国政を一体に、既成の政治を打破するという所からほど遠い。
 二年前、韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が、ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし、ついに大統領弾劾が成立して罷免した。その力が文在寅大統領を生み出した。今日の南北対話、米朝対話は、この「ろうそく革命」の結果である。
 韓国には、かつての民主化闘争があり、さかのぼれば日本の植民地支配への抵抗闘争の歴史がある。対して日本は、非西洋にあって最初に近代資本主義に入り、帝国主義侵略と支配を続け、敗戦後はそれを総括することなく一転して対米従属の下に経済拡大を続けてきた。アベ政治はそのなれの果てである。
 これに対抗する力はあまりにも弱い。しかしこれは歴史の産物である。絶望することなく、言うべきことを言い、街頭に出よう。一人一人の行動こそが歴史を創る。

  この思いは今も変わらない.近代という段階には二つの面がある.資本主義の経済拡大と,法による社会規範の実現である.アベ政治はこの社会的規範をすべて崩した.そして経済もまた拡大どころか縮小してきている.
 なぜこうなったのか.日本の近代は根なし草であった.根なし草近代の成れの果てがアベ政治であるということも繰り返し言ってきた.
 このとき,根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできないことを確認しなければならない.私はそう考え,青空学園日本語科を置いて言葉を軸に根なし草近代を越える基礎作業をおこなってきた.
 だが、日常活動としての基礎作業とは何か.そしてそれはできているのか.これを考えること自体が日常作業かも知れない.それを含めて考えねばならない.

 8月17日からの1週間,このようなことも考えてきた.いろいろ考えることができた.しかし,何ごともわかったとは言えない段階である.盆に書いたように,どれが自分の一番の仕事かを考え,青空学園数学科こそがそれであることに納得した.そしてこの数日,数学科の制作に時間をかけた.これが数学科の日常活動である.
 昨日,散歩しながら思った.では,日本語科の日常活動とは何であるのか.こうして言葉を綴ること自体が日常活動なのか.根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできないとして,ではこの近代を越えてゆくために何をしなければならないのか.
 いまわれわれは,資本主義の終焉期に起こる新たなファシズム,これを許すのか否かの岐路にある.このファシズムは,経済に発展の余地があった時代のどの方向でこれを発展させるのかという段階における,社会主義ファシズム化の対立とは,条件が異なっている.この段階におけるファシズムとの闘い,これがいまの歴史の課題である.
 街頭に立って,このことを考え続けていた.