数学文化 第38号

 拙文が載った数学文化第38号が届いた.今号の特集は「ICT時代の数学教育を考える」である.「社会の隅々までICT機器が行き渡っている時代において、数学教育や数学文化を育む活動はどうあるべきか―根本から問い直す特集」とある.
 編集部からの依頼を受けて,五月に一文を寄稿した.「誰もが数学を体系的に学べる場所―青空学園数学科の試み」である.その別刷りも30部送っていただいた.
  数学科管理人宛( nankaik@aozoragakuen.sakura.ne.jp )に送り先を連絡いただければ,この別刷りを送ります.時間が経過して可能になれば,青空学園でも公開したい.

 「管理人より」の「こころざし」にも書いているが,青空学園をはじめた頃,誰にも公開されていて,そして考え「そうか」とわかる喜びを経験することができる,そのような場を作りたいと考えた.
 そのことは「私の考え,私の願い」にも書いている.わかる喜び,これが文化の基礎である.
 本稿の中で

 日本の学校での数学は,明治以来,いわゆる西洋数学を移植したものであり,文化としては根なし草であることも確認しなければならない.

と書いている.実際,日本の学校における数学は150年の歴史しかない.これを少しでも根づかせてゆく,その一助にということも青空学園をはじめた思いであった.
 「数学文化」の編集者は,青空学園のことを,早くからネット上でやってきたところとして「しにせ」といってくれた.もう20数年になるのだから外から見ればそう言うことかも知れない.
 しかし自分としては,まさにこころざし半ばである.今の日本の教育の現状を見れば,いっそう酷くなってきていると言わざるをえない.

 ところで,この先時間が経って私がいなくなり,サイトの使用料も払えなくなるときが来る.そのとき,この青空学園はどうなるのか,そんなことも最近考えている.
 これまで300枚近いCDRを配布してきた.その所にはその時点のものがあるのだが,しかしネット上の問題としては,検索すれば出てくるのにサイトがない,ということも起こりうる.
 何かいい方法はないだろうか.これは切実な問題である.これからあちこちで起こりうる問題でもある.

安倍国葬やめろ

 一昨日の27日は定例の梅田解放区であった.こうして梅田に立つようになって四年以上になる.
 思いかえせば,2012年の6月「京都から福井へ」に書いたように福井へ行った.それからからは毎週金曜日に大阪の関電前に立ってきた.
 関電前集会が終わった頃,梅田解放区が始まった.その頃から欠かさず参加してきた.
 今日の報道では,その福井原発の再稼働が始まった.

 時代はいよいよ大きく動きはじめている.この動きがどのような方向に向かうのか,それぞれの地での運動がどのような理念で連帯してゆくのか,それはまだ見えてこない.街頭に立って考えようと,この日も参加してきた.

 ロシアのウクライナ侵略と安倍元首相の暗殺,これによってこれまで闇に隠されてきた多くのことが露わになった.
 日本の戦後は,統一教会自民党が癒着しているといわれてきたが,癒着どころか実態は一体であった.これが戦後政治を仕切ってきたのだ.戦後,我々はこのような体制のもとでやってきたのだ.

 その安倍の国葬に反対する.これを道ゆく人々に呼びかける.「安倍国葬やめろ」の横断幕も準備されていた.また「安倍国葬反対」の幟もあった.用意された人に感謝する.

 街頭に立っていろいろ考える.
   いま世界は大きく変わる
   地球はかぎりりあるもの
   資本主義はつねに拡がる
   限界に来ることは不可避

 しかし行動しなければ何も変わらない.
   新自由主義資本主義から
   人と緑を守る社会主義
   街頭を人で埋めつくそう
   主体が生まれ変革となる

 もういちど御堂筋をデモで埋めつくしたい.それを見とどけたい.

 こんなことを考え,これまでやってきた.前にも書いたが,この半世紀,毎月何度か街頭に立ってきた.それを続けてきた.しかし,まったく微力であり,まだ日本も世界も人の住む世からは遠い.
 ウクライナでは665万人が国外難民となっている.ウクライナのいまは田中龍作さんが現地から伝えてくれる.
 なぜロシアの侵略を止めることが出来ないのか.このような戦争の背後には,国際的な兵器産業がある.それがバイデンを背後から操り,アメリカとNATOウクライナを背後から動かしている.そして,兵器産業は巨大な利益を生み出している.NATOアメリカはこれからもウクライナに兵器を送るといっている.
 これがいまの世界だ.これを動かし変えてゆかねばならない.歴史の今がそういう段階であったと,後に言われるようにできるのか.
 人は皆,固有性をもって生きる.互いの固有性を尊重し,横に繋がる.
 そんな人のあり方に根ざした世を生みだすために,動けるうちは,出来ることはして起きたい.そんな気持ちである.

地蔵盆

 このところツクツクホーシの鳴き声がよく聞こえる.夏のはじめはニイニイゼミである.そしてアブラゼミクマゼミが夏の盛りである.ツクツクホーシが鳴きはじめると,ああ夏も終わりだなと思う.

 24日は地元の上人山地蔵様の地蔵盆があった.昨年はコロナ禍で取りやめたので,2年ぶりであった.朝7時の設営からはじまり,夕方6時の片付けまで手伝ってきた.

 一昨年の地蔵盆のことは「夏の終わりに」に書いた.そこにこの地蔵様のことも詳しく書いている.
 地域でこのような催しが続くことは大切だ.地蔵盆が終わると夏が終わり秋の気配を感じるようになる.

 私は,火曜から金曜まで毎朝六時半頃にこの地蔵様の祠の扉を開けに行く.その世話を引きうけている.おかげで早く起きるようになった.
 もう少し若い世代で,地蔵様の世話をする人が出てくればいいのだが,世話人は80代の方が多い.

『日本解体論』を読む

 19日に朝日新書の『日本解体論』(白井聡,望月衣塑子)を手に入れ,一気に読んだ.
 2008年に「『日本は没落する』を読む」を書いて以来,これまでもここで,日本の没落について幾度も書いてきた.
 没落する日本にあって,この現実と向きあおうと,白井聡さんと望月衣塑子さんが対談を重ねた書である.本のカバーには
  崩壊が加速するこの国に希望はあるのか
とある.そして第五章「劣化する日本社会」の「五輪で世界にさらした後進性」の節で,白井さんは

日本社会には国際社会の標準的感覚がないのですよ。そこで欠けているのは,公正性や正義に関わる規範や倫理です。そこにおいて日本社会が世界標準とどれだけずれているのかということを晒してしまったわけです。

と述べている.この書が現代日本の現実について指摘する内容に異議はない.白井さんは「あとがき」のなかで,

劣化しているのはさまざまな現場における個人であると考えない限り,われわれは何をなすべきか,指針が得られることはない。社会現象を構造的に把握することを生業とする学者としてこうした物言いをするのは本来あまり好ましくはないのだが,それでもなお,今日の状況に照らせば,劣化に抗する拠点は個人の覚悟にしかない,と言わざるを得ない。

と述べている.これにも異議はない.
 ぜひ読んでほしい.
 ここに書かれていることは,私が23年前の夏に「青空学園日本語科」や「青空学園だより」をはじめた問題意識と通底する.その内容が,こういう書籍の形で出てきたことは一歩の前進である.著者二人は問題提起をしたのだ.
 では,その覚悟をもった個人は何をしなければならないのか.この問いに対する著者の見解は開かれたままである.
 私が「青空学園数学科」を開設し,つづいて「青空学園日本語科」をはじめたのは,自分に出来ることはしなければという思いからであった.
 青空学園の視点から言えば,「分水嶺にある近代日本」で書いているのだが,非西洋にあってはじめて資本主義化した日本の近代を問う,という観点が,この書では提示されてはいない.
 日本の近代は,西欧帝国主義の外圧に対応しようと長州らの下級武士を担い手とする明治維新にはじまる.それは内からの人民の闘争で生まれたものではなく,その意味で根なし草であった.根なし草近代のなれの果てがアベ政治であり,その果ての暗殺であった.これが「崩壊が加速するこの国」の現実である.
 根なし草近代日本を内から批判する立場に立たなければ,これからの途は見えてこないのではないか.
 いろいろと考えさせられる一冊であった.

 そして世界はいま,大きな地殻変動とも言うべき段階に入りつつある.資本の側は「グレイト・リセット」といっている.これをテコにもういちど資本の側で世界を再編成しようとしている.しかしながら,拡大しなければ存続しえない資本は,いずれ終焉する.まして再編を主導することは出来ない.
  私が言ってきたように,根のある変革による緑の社会主義,これがわれわれの基本とするべき理念である.これを,まさに遺言としてもう少しは展開しなければならない.

国葬反対! 戦争反対!

 昨夕は第二土曜日で定例の梅田解放区であった.
 十数人が集まり声をあげる.発言した人はみな,10年近くのあいだにこれだけ格差を拡大し,最低賃金の国際的な順位を大きく落としてきたアベ政治を振り返る.実際,アベが政権の座にあった時代こそ,日本が大きく没落をはじめたときなのだ.
 だから,国葬などまったくとんでもないと,道ゆく人らに呼びかける.アベの国葬に利害が一致するものと,相反するものと,この日本は大きく二つに割れている. 
 そしてさらに言えば,アベの国葬に反対することこそが,戦争に反対することなのだ.

 アベ政治の果ての安倍暗殺によって,戦後の日本の政治の闇が白日の下にさらされた.統一教会自民党の癒着など,そうだったのかという声が大きくなりつつある.
 この声が,どこまで近代日本の政治を動かし,これを変えてゆくのか,それは今はまだ分からない.
 私自身は,近代日本を問うための基礎作業を青空学園で積みあげてきた.

 そのうえで,実際にこの政治を変えてゆくのは一人一人の行動だ.自分自身が出来る行動はしよう,その思いをもって梅田解放区に参加している.もう四年以上欠かさずに参加してきた.

 さて,『分水嶺にある近代日本』で,次のように書いた.

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 かつて造船疑獄があった。戦後日本の計画造船における利子軽減のための「外航船建造利子補給法」制定をめぐる贈収賄事件である。一九五四年一月に強制捜査が開始された。吉田茂法務大臣に対し指揮権発動を命じ、検察の捜査を止めさせようとした。これが大きく報道される。結局、政界・財界・官僚の被疑者多数が逮捕され、吉田茂内閣が倒れる発端となった。ここにはそれでも近代国家の基本原理である法治主義が働いていた。
 それに比して、安倍首相の収賄は首相そのものの犯罪であり、はるかに悪質で規模も大きい。また、公文書を偽造し、国家の基本的な統計も改ざん操作してきた安倍政府とその官僚の悪事は、造船疑獄の比ではない。しかし捜査すらなされない。
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 そしてその安倍は暗殺された.安倍と統一教会の事実としての密接な繋がりのゆえに,統一教会への怒りを安倍に向けたのだ.
 その安倍を国葬にすることが閣議で決定された.司法によって裁かれねばならなかった人間を国葬にするというのである.
 日本政府がいかに人民から乖離し,新自由主義資本主義とアメリカに隷属しているかをふたたび明確にした.
  これからの日本の没落の意味とそこからの途について,考えてゆく.

 もういちど言う.国葬反対!
 そして,国葬に反対することこそが,戦争に反対することなのだ.

夏まつり

 8月6日は地元の夏まつりであった.甲陽園小学校の運動場を会場に,5時からはじまり8時頃まで,近隣の二つの高校の吹奏楽と邦楽演奏,そしてフラダンスなどを交え,6時半からの盆踊りを中心におこなわれた.写真はその盆踊り.
 正面の人が中に入った人形はみやたん,西宮市キャラクター,ということである.

 社会福祉協議会やスポーツクラブなど地域の団体による屋台も出て,ほんとうに多くの人が集まってきていた.こちらは,盆踊りのあいだ参加してきた.
 私がはじめて参加したのは「夏祭り」に書いたように2013年ではないかと思う.2016年の夏祭りのことは「夏の盛りに」に書いている.
 こうして記録しておくことは,自分自身が振りかえるうえで役に立つ.
 2018年は台風で,2019年,2020年,2021年はコロナ禍で,それぞれ夏まつりができなかったので,5年ぶりであった.
 そして,今日日曜日は町内にある神園公園の掃除.朝の7時半に20人ほどが集まり,掃除をしてきた.そして一休みして,これを書きはじめている.

 このようにこちらで夏まつりをやっているあいだも,ロシアのウクライナ侵略は続き,イスラエルによるガザ爆撃はくりかえされる.
 そして,アベ・スガ・岸田と続くこの時代に,日本自体が大きく没落している.
 それだけにこういう祭りは大切にしたい.後世,こんなことをやっていた時代もあったのだよと言わねばならないときが来るかも知れない.
 いくつも書きたしたい.とりあえずこれで上げよう.

今がこの国の正念場

 昨夕は定例の梅田解放区であった.私はいつものように横断幕をもつ.たたかうあるみさんも報告してくれているが,十数人が集まり,声をあげ,道ゆく人らに呼びかける.

  戦争反対!
  国葬反対!
  維新反対!

 れいわ新選組参議院大阪府支部長の八幡愛さんが「今がこの国の正念場」と言っている.まったく同意する.
 2017年の暮れに東梅田でのこの街頭行動に参加してもう5年近くになる.一度,地元の年末夜回りと重なったとき以外は,この間欠かすことなく参加してきた.この5年,日本はまさにこの正念場に向って進んできたというべきかも知れない.

 2022年7月8日,安倍元首相が暗殺された.暗殺犯の母親が統一協会に入れ込み,家庭を破綻させた.その統一協会に対する恨みを,統一協会と深い繋がりのある安倍晋三に向けたのである.
 実際,自民党内の潮流の一つと統一協会との結びつきは,奥が深く闇もまた深い.それは,岸信介統一協会の創設者の文鮮明の結びつきにはじまる.

 「分水嶺にある近代日本」にも書いたように,戦後政治の流れのうえに,アベ政治が日本を悲惨国家としたのである.後世の歴史は「アベ政治の10年で日本は悲惨国家として限りない没落の過程に入った」と記されるだろう.すでに国連の FAO HUNGER MAP で日本は 第二水準範囲にある.
 今回の事件は,日本の戦後政治を根底から問う.日本の支配者は,戦前は「鬼畜米英を撃て」と国民を戦争に駆り立て,そのあげくに敗北しながら,戦後は一転して,敵であったはずのアメリカに隷属する.
 統一協会はそのような戦後日本のありようをつくってきた政治勢力のひとつである.アベを国葬にすることは,アベ政治をそのまま肯定することに繋がる.そしてそれは再び戦争への道である.

 日本の近代は、西欧が帝国主義の段階に入ったころ,その外圧に対応しようとして,長州らの下級武士を担い手とする明治維新にはじまる.明治維新フランス革命のようにその社会自体の内からの人民の闘争で生まれたものではなかった.その意味で,近代日本は深い闇のある根なし草であった.
 根なし草近代のなれの果てがアベ政治である.そしてアベ政治のこの十数年で,世の荒廃は大きく深く進んだ.この世の荒廃の果てに,安倍暗殺がある.つまり、日本近代一五〇年の果てに安倍暗殺がある.アベ政治がつくり出した荒廃の果てに安倍暗殺があるのだ.
 ロシアによるウクライナ侵略と日本における安倍暗殺.これらはそれぞれに深い歴史の上に起こったものであり,時代を画することとなった.

 いかに近代日本が根なし草であるとしても,それは非西洋における近代化,つまりは資本主義化の一つの経験である.そのようにとらえ,没落の底からのりこえることの模索こそが貴重な経験となる.
 根なし草近代をのりこえ,人民の力によって歴史を生み出してゆく,それを準備するための基礎作業のひとつとして,自らに課した課題のひとつが 青空学園日本語科 であった.とくに「根のある変革」で,この課題を掘り下げてきた.
 日本語科に書き置いてきたいくつかを読みなおす.日本近代と向きあい,そしてそれを越えてゆくこと,そのためにしなければならないと考えることを積み重ねてきた.

 のりこえてゆく営みそのものが緑の社会主義である.緑の社会主義を,次のような柱で改めてのべようと構想を立てている.しかしこれはまだ何も出来ていない.

 地球は有限、資本主義は終焉する
 近代日本は根なし草の規範なき世
 赤い社会主義から緑の社会主義
 新しい人のつながりが生みだす世

 安倍暗殺は,青空学園で自らに課した課題が,近代日本の避けては通れない課題であることを,改めて示した.根なし草の資本主義のもとではこのような事件はこれからも続く.日本の近代資本主義を根底から総括し,根のある変革の闘いのもとに,緑の社会主義を追究しなければならない.人新世段階の次を拓き耕してゆく道はここにしかない.安倍暗殺はそれを問うている.
 それがどこまでなされるのか.まさに今がこの国の正念場であり,それはまこの国に生きる人民にとっての正念場でもある.

 こうして街頭に立つことで,いろいろと考えることが出来る.それにしても,なすべきことの多いことよ.これからの時代を拓くためになすべきことのうち,私が出来ることは小さい.それでも根のある変革を提起し,私のなしうることをしてゆかねばならない.