時節は春だが

 昨日は定例の梅田解放区の日であった.そこへ行く前に,まず梅田の西側のヨドバシカメラの前に行く.2013年の頃,関電前行動で知りあったTさんが,この3年余り毎週日曜日の午後,ここでプラカードを掲げている.梅田解放区が土曜日なので,今週は土曜にやるから会いたいとメールをもらった.それでまず彼に会いにゆく.しばらくヨドバシカメラ前のテーブルで話をする.
 Tさんは「OPEN」という技術計算のソフトを開発し,それを仕事にしてきた人で,私より四歳ほど年上である.しかしたいへん元気で,関電前の行動の頃は、終わってから地下鉄の淀屋橋駅まで歩き,そこででよく話しあった.

 しばし話した後,彼と一緒に梅田の東側に移動する.この日の参加者はいつもより少なかった.豊中で日頃の活動をやっている人らもこの梅田解放区には何人かきているのだが,豊中ではあの木村議員を支えている.市議選が日曜日に公示されたが,その出陣式の様子を田中龍作さんが「権力が総力を挙げて落としにかかる森友追及の議員 木村真・豊中市議「勝ちに行く」」と伝えている.豊中の人に聞いたが,「勝ちに行く」といわねばならないほど情勢は厳しい.
 ということで,告示前のビラ配布などの活動のために,早々に地元に戻っていった.そしてその後,若い人らがそれぞれ語る.それに交じってTさんもプラカードを掲げる.

 さて,「まったく懲りない「原子力ムラ」“開き直りサイト”が大炎上(日刊ゲンダイ)」にあるように,アベ政治のもたらした日本の現実は悲惨なものである.このサイトを作った制作会社は大金を受け取り言われるままに,それ以上のまさに忖度をしてこのサイトを作ったのだ.それがどのような結果になるかも予測できなかったのだ.ここにいまの日本の愚かさの側面が現れている.
 また,<めげ猫「タマ」の日記>さんが詳しくいっておられるように,世界貿易機関WTO)の紛争処理の「二審」に当たる上級委員会は11日、韓国による福島など8県産の水産物輸入禁止措置を不当とした「一審」の紛争処理小委員会の判断を破棄し,日本は逆転敗訴となった.しかし,それは当然である.

 私どもは,食品を買うときは必ず産地を確認し,千葉県以北青森以南のものは,農産物であれ水産物であれ,買わない.「風評被害だ,売れなくなる」との見解が上の方からは出てくるだろうが,本当は売ってはいけないのだ.福島の農業,東北沿岸の漁業はすべて停止し,その結果生まれは損害はすべて東電に保障させねばならないのだ.福島の地場産業はどうなるのかという意見が出るのは当然だ.しかしそれが壊滅するというのが,核汚染の現実,真実なのだ.小出さんが初めからいっておられたように,東電は解体して国有化し,すべての資産を福島の被害への補償としなければならない.
 アベ政治はそれとはまったく逆のことをやってきた.核惨事の現実を覆いかくし,オリンピックをやり,そして原発を再稼働してゆく.原発が事故を起こしても何もないということを一般化したい国際的な原発マフィアの手先として,その意のままに操られ動いているのがアベ政治である.しかし,太平洋を越えてアメリ東海岸まで汚染が広がり,もう国際的な機関ではごまかしきれなくなってきたのである.

 小出さんが「進まぬ原子炉解体作業 広がる汚染」で言っておられるように,

3月11日に大量の放射性物質が大気中に放出され始め、3月末まで激しい汚染が続きました。それらが風に乗って関東・東北の広大な地域を汚染しました。私の試算では、東北・関東地方の約1万4000平方キロメートルにおよぶ面積が放射線管理区域に指定されるべきレベルまで汚染されたと考えています。「放射線管理区域」とは、一般の人の立ち入りが禁止される区域ですし、私のような特別な放射線業務従事者でもその中では飲食が禁止され、トイレも造ってはいけないような場所です。
 これに対し政府は、3月11日に原子力緊急事態宣言を発して、これらの法律を反故にする措置をとりました。つまり、本来人が住んではいけない区域から避難させるのではなく、その地に人々を放置したのです。緊急事態宣言は、今も解除されていません。
 東京でも江戸川区葛飾区には、放射線管理区域に匹敵する汚染地域があります。そうした地域で住民が食事をし寝起きしているのですから、どんな健康障害が起こっても不思議ではありません。

が現実である.であるから,韓国の輸入禁止は当然なのである.私が千葉県以北青森以南のものは絶対買わないというのも当然なのである.

 これだけ悲惨なアベ政治と、それと同じ維新政治である.それでも大阪では維新が選挙では多数である.目先の利益を得ているものは投票所に足を運び維新に入れる.今の世のあまりの有様に心を閉ざすものは選挙に行かない.この結果,大阪では維新政治が,全国ではアベ政治が,まさにはびこってゆく.梅田解放区のようなところにきて,自分の思いを述べる若者はごく少数である.これが現実だ.私は『分水嶺にある近代日本』の「悲惨国家の現実」で,

こうして今日の日本は、国際資本の収奪に国家と国民を完全にゆだね、すべてをそこに捧げる政治体制となっている。これを「アベ政治」と言う。ここまで酷いことは、歴史上はじめてである。一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる。

と書いたが,1945年の広島・長崎の原爆とそれに続く敗戦のように,ゆくところまでゆかねば変わらないのではないか.そう思わざるを得ないほどの今の世の有様である.もっとも,あの敗戦でも近代日本の中枢部は本当は何も変わらなかったのだが.ある意味ではそのツケまで含めて今に至っているのだ.
 時節はいつの間にか春である.わが家の裏の片隅の射干の花が今年も咲いた.2009年の「時代の課題」以来,この花が咲けばここに書いてきた.このときはいわゆるリーマンショックの直後であった.もう10年になるのだ.このように自分でもすぐ読み返せる日記は重宝である.そして,これを読みかえすと「この先,本当に大きな教訓を得ることになる」と書いている.いよいよそのようなときになりつつあるのかも知れない.

春間近

 今日の昼前後は地元自治会のお花見.地域にある公園には桜の木も何本かあり,毎年ここで花見をしている.昨日まで雨模様だったが,何とか雨も上がり,気温は低かったが日差しは戻ってきていた.11時から寿司を配る.ビールの持ち込みは自由.ということで,フラダンスや紙芝居を鑑賞しながら昼のひとときを過ごして戻ってきた.桜は三分咲きというところか.自宅の花海棠もそれくらいである.

  昨日,雑誌『日本主義』の最終号となる第45号が15冊届いた.ここに私の一文「分水嶺にある近代日本」が載っている.まず杉村さんなど7人にこれを送った.この一文のなかで次のように書いた.いよいよこの日本は堕落の淵に向かっている.昨今の代替わりの騒ぎを見ていると,もういちどここで引用しておかねばと考える.

 平成とは、資本主義が終焉期をむかえる中で、バブルの崩壊に始まり、国民の犠牲のうえに資本にすべてを捧げる方向に進んだ時代であった。それがアベ政治を経て、もはやこのままでは先はないところにきて、平成が終わる。ここに、近代日本の分岐が平成の終わりにはじまる必然がある。

 であるから、この期に及んでもそれでも経済を拡大しようとする諸々の勢力が、代替わりをアベ政治の煙幕に使うことにまどわされてはならない。

また,

一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる。

とも書いているが,昨今の世上を見ていると,歴史としてはそれもありうると思われる.

 さて,私は,この雑誌の2016年秋の第35号に『言葉の力と「生きる」ことの意味 −−日本語の再定義を求めて』と題した一文を寄稿した.そのことは「ある雑誌への寄稿」にある.そしてその次の号冬の第36号に「いま『夜明け前』を読む 」という一文を寄稿した.そのことは「ある雑誌への寄稿(二)」にある.
 これらを一年かけて統合し,再定義を増やし,全体に加筆して2018年3月に『神道新論 』を作品社から出版した.2017年の夏はこれに集中していたのを思い出す.本書の目的は,日本語に根をもつ思想を生み出してゆくために,その基層となるべきところを拓き耕すということであった.根なし草の近代主義を克服し,日本語のことわりに根ざし考える土台をつくるために,できることをしようということであった.その過程で日本語のいう神と天皇制は両立しないことを明らかにし,竹内好の言う天皇制をのりこえてゆく途をも提示するものであり,その思想的な土台作りの試みでもあった.
 それはまた,日本が堕ちるところまで堕ちたそのところから再び立ちあがってゆくための土台でもある.いわばこれは私の後世に残す遺言である.この思いももって『神道新論』を出版してからもう1年である.時間の経つのははやいものだ.

 その雑誌「日本主義」が終刊するということで,一文の寄稿を求められた.それに応じた今回の一文で『神道新論』の今日の意味と位置づけを加えることができた.この3年間の一連の考察とそれを公にする営みは一段落である.いろいろとやってきたことをふり返るいい機会となった.原稿を依頼してくれた雑誌編集部に感謝する.

 青空学園を開設し,自らの思索の場としてもう二十年である.数学科では学問としての高校数学を,数学そのもののとして展開し,すべてを公開してきた.高校生のときの自分が今の自分に出会ったいたら,もっといろいろ学べただろうという思いで,「数学対話」などを作ってきた.毎日多くの人がここで勉強している.
 日本語科でやってきたことは,根のある思想を構築するための土台作りである.『日本語定義集』はそのためのまさに前提をなす作業であった.それがようやく一定の蓄積ができ,人に語ることができる段階になり,これらの一連の文章を雑誌寄稿や書籍として公にしてきた.字数の制限もあり十分に展開してきたとは言い難い.

 これからは杉村先生や人民新聞などの力も借りて,これを拡げ深め,できるならば多くの人と語りあいたいと思っている.地元の自治会の代表もしているし,問題づくりや授業の仕事も今年は昨年よりずいぶん多い.時間を大切にして,できるところまではやってゆきたいと思っている.

 これらを書いてつくづく思うのだが,すべてはあの二〇一三年秋の入院以降のことなのだ.私事のいろいろとも重なり,まことに感慨深い.

時節は春、世は悲惨

 昨夜は定例の梅田解放区の日.5時半には20人ほどが集まり,それぞれに歌い喋る.こちらはいつものように横断幕を持つのを手伝ってきた.
 大阪では,知事選挙と市長選挙で,維新対自民党の構図が確定している.21日が告示日だった大阪府知事選には地域政党大阪維新の会の吉村洋文・大阪市長(維新政調会長)と,自民党が擁立・推薦し公明党大阪府本が推薦する元副知事の小西禎一(ただかず)の2人が立候補している.そして,今日24日告示の大阪市長選では,松井一郎大阪府知事大阪維新の会代表)が維新から出て,一方,自民党公明党府本部が推薦する元大阪市議の柳本顕(あきら)が立候補する.
  維新政治とは結局のところいわゆる新自由主義のカネカネ政治であり,最後は大阪万博とカジノの誘致に行きついた.それはアベ政治に併行して進み,その先陣を努めてきたのだが,もう用済みということで,都構想に反対の立場から知事と市長のどちらも自民党系の候補が出馬,それを共産党までが支援するということになっている.維新を作った橋下徹も,やってみてしまったと思うところがあったのか,維新から離れた.
 この日の参加者は,大阪の地方政治では維新の掲げる都構想に反対であり,全国政治ではアベやめろで統一していた. 参加している一人が,4年前の同じ構図の選挙のときの横断幕を探し出して,破れを直して写真のように掲げていた.前は維新が勝った.今度はどうなるか.
 それにしても,アベ政治,である.辺野古沖のジュゴンの死への怒り,原発電力会社への補助制度を画策する経産省とアベ政府,年休も取れない今の日本社会の仕事の実態,そして働いても働いても住み難く生き難い日本,それぞれが自分の経験をふまえて語る.
 アベ政治はこの悲惨な現実を,「代替わり」の諸行事とそれに続くオリンピック騒ぎで塗り隠してゆく.賃金は下がり,原発は再稼働されてゆく.東洋の島国日本は,国際資本に国家と国民を捧げ,さらに核汚染にさらされ,人々は困窮してゆく.何ごともないかのように目の前を通り過ぎる土曜の夕方の若者は,それぞれに何を思っているのだろう.

 一昨日の金曜日の夜は,杉村さん,脇浜さんとで尼崎の山田編集長の家にうかがい,食事をともにした.脇浜さんは西宮の定時制でボクシング部の顧問をやりながらながく教員をしてきた.英語の先生で,今はたくさんの翻訳をし,人民新聞等にのせている.こんな本も出しておられる.「ボクシングに賭ける―アカンタレと夜学教師の日々 (今ここに生きる子ども)」.彼が顧問をしているときにボクシング部に来て,その後プロになり,女子ボクシングのチャンピオンである多田悦子さんのこれまでを振り返るテレビ放送「多田悦子~ボクシングにかけた人生~」が先日あった.山田さんがその録画をとってくれていて,見せてくれた.彼女のことは2009年に京都新聞にも載った.「愛のハートパンチャー」である.いろいろと教えられた.

 杉村さんは五月になったら拙著『神道新論』をたたき台に対談し,まとめてゆこうと提案してくれた.根のある地についた変革思想,これが拙著の基本的な問題意識である.この点をもっと訴える場ができればと思う.「分水嶺にある近代日本」が載る雑誌『日本主義』の第四十五号が出ればみなに送ろうと考えている.

 時節はもう春である.家のハクモクレンはもうほとんど散った.かわって花海棠の芽がふくらんでいる.来週の日曜日は地元自治会の花見である.この一,二日気温は低めだが,そのときは桜も咲いているだろう.しかし,誰かが書いていたが,アベ政治のこの数年,暗黒の時代からさらに漆黒の世になった.悲惨の世である.季節は移ろうが,しかし時代は放っておいては移ろわない.立ちあがらなければならない.

3.11から八年

 もう東北の地震と東電の事故から八年である.近代日本は,二度の愚かなことをした.第一はあの十五年戦争と広島・長崎の原爆,そして敗戦である.しかし,原爆と敗戦を総括することなく、そのまま戦後政治に移行し、東電の事故にいたる.これが,今日まで,そしてこれからも代を越えて続く核惨事である.これは近代日本の第二の敗北である.
 二度愚かなことをすれば,それはようやくに教訓として定着するというのが歴史である.しかしこの日本は,この二度の愚かな経験を経ても,それまでのやり方を変えられなかった.いまなお原子力災害非常事態宣言中であるにもかかわらず、為政者はそれを隠して復興を言う.大阪で年間1ミリシーベルト相当の放射能を他人に振りかければ犯罪である.福島では年間20ミリシーベルト相等をはるかに超える核汚染を引き起こした東電は裁かれないままである.
 そしてこの地震列島で再稼働をすすめている.少なくともドイツは,第一次大戦とそして第二次大戦と二度の愚かなことを経て,われわれはいかに愚かなことをするものなのかという教訓から,福島の事故を契機に原発はすべて廃炉にすることを決めた.なぜこの日本では,その逆をゆくのか.昨年も「3.11の日に」に書いたが,為政者は東電の核惨事を教訓とするどころか,逆にいわゆるショックドクトリンとしてもちい,当時の民主党政権を追放してアベが権力をにぎり,もういちど戦争への道を歩み今に至っている.

 土曜の9日は定例の梅田解放区であった.東京から一家で関西に避難している人が語っていた.東京では娘の調子が悪くなる.初めはそれが放射能が原因とは気づかなかった.関西に来れば元気になる.東京に戻るとまた悪くなる.とうとう4年前一家で神戸に来たと語っていた.
 また,この日に梅田解放区に参加していた若者のうち,東京から関西に避難している人が二人,岩手県出身で地震の日は福島にいたという人が一人,それぞれに自分の経験を語っていた.彼らは,「逃げよ 生きよ」と,さまざまに活動している.

 それにしてもアベ政治である.アベ政治の意味とそこからの転換の途という問題を,近代日本の問題として少し掘り下げて考えた一文が,近日中に出る雑誌『日本主義』の第四十五号に,「分水嶺にある近代日本」と題して載ることになっている.この一文は編集部からの依頼をうけて,題名をこのようなものにして書いたのであるが,おかげでこちらも考えてゆくべき課題をまとめることができた.書き置かねばならないことごともつかめてきた.依頼者に感謝する.
 そこにも書いたが,いまやこの日本は「悲惨国家」である.アベとそれを後ろであやつるものが,国家の総体を私物化している.そしてそのすべてを,滅びゆく帝国アメリカのしばしの延命に捧げている.
 彼らが国家を私物化した以上,われわれはこの国家の外に立つ.それを自分の考え方と生き方の基礎におく.そして,この国家の外に立つものは互いに手をつなぎ助けあい支えあい,繋がって新しい世を,その土台を作ってゆく.分水嶺にあるということは,国家のあり方であると同時にわれわれの生き方の問題でもある.
 梅田で横断幕をもち,若者の語りを聴きながら,そして何ごともないかのように道をゆく多くの若者を見つめながら,そんなことを考えた次第である.

 今日3.11は大阪でも神戸でも集会がある.どれかに行きたかったのだが,午前中は,いまの高校に行けなくなり別の高校の編入試験を目指している生徒の勉強の手伝い,夕方は今度の市議会選挙に出る人が訪ねてくる.市行政があまりに酷いと自らの経験で判断し,それなら自分でも改革してゆこうと市議選に出る.五十代の主婦である.無党派で議会に出ようとする人は応援する.ということで,出かける時間はとれなかった.昨日10日も地元自治会の会が午後と夜と2つあった.いろいろ準備もしてようやくそれも終えたのだが,またいろいろなすべきことも出てきた.

 少しゆっくりと考えるときを持たねばと思う.

春はまだか

 昨夜は定例の梅田解放区の行動日であった.書店に立ち寄ってから大阪駅の東側にゆくと,もう横断幕があがっている.五時半でもまだ明るい.ずいぶん日が長くなったものだ.それでも風は冷たい.この日の様子は,Yumiさんも写真をのせてくれている
 この時代に生きるものとして,みながそれぞれ自分の思いを語る.翌24日の,沖縄の県民投票のこと,そして天皇在位30周年の行事を政府がおこなうこと,それにあわせて語る人が多かった.

 私は日頃いわゆる元号による時代区分で考えることはない.それでも平成が終わるときに,日本のこれからについて,大きな分岐がはじまることは,歴史の偶然ではあるが,またそこには必然もある.
 平成と区切られる時代はどのような時代であったか.資本主義が終焉期をむかえる中で、平成になって3年目のバブルの崩壊に始まり、規制緩和という名で資本の自己規制をすべて解き,その結果,格差を極限まで拡大し,国民の犠牲のうえに資本にすべてを捧げる方向に進んだ時代であった.
 資本主義が地球の有限性のうえに外には拡大できない中で,これまでのようにゆこうとすれば自国民からの収奪を拡大するより他なく,政治もまたそれに奉仕してきた.
 それがアベ政治に行きついて,もはやこの先はないというところにきて,平成が終わる.この先どうするのか.
 またこの30年間には,阪神淡路大震災があった.その後,東北大地震が起こり,東京電力福島第一発電所の核惨事が引き起こされる.東電核惨事では企業の責任は問われず,いまなお原子力災害非常事態宣言中であるにもかかわらず,政府はそれを隠して復興だ帰還だと言う.いずれ南海トラフは動く.にもかかわらず原発は再稼働されてゆく.まだ分からないのかという声が聞こえる.
 これが平成と言われる時代のことごとである.
 なぜ人々は怒らないのか.この政治を変えるために立ちあがらないのか.日本の方がフランスよりずっとひどい状況なのに,フランス人は立ち上がり,日本人は黙って耐える.なぜか.そのわけをひと言でいえば、竹内好が「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」、講座『現代芸術』第二巻、所収)という天皇制である.近代の天皇制とは,根拠を問うこともなく自分で考えないようにしむけ,国民を統合するために,国家神道と一体に再編されたものである.
 そしてそれは,戦後の象徴天皇制に繋がる.天皇の名のもと,鬼畜米英を撃てとあれだけ国民を戦争にかりたてておきながら,その責任は一切問われることなく,戦後は一転,対米従属をおししすすめる.
 これが今日に続き,そのなれの果てとして,アベ政治に至るのである.ここに,近代日本の分岐が平成の終わりにはじまる必然がある.であるから,この期に及んで,それでも経済を拡大しようとする諸々の勢力が,代替わりをアベ政治の煙幕に使うことにまどわされてはならない.

  季節の春はもうすぐだ.政治の春はまだまだ遠い.

議会主義と直接行動

 昨日は,生活フォーラム関西自由党大阪府連の共済による「小沢一郎代表を囲む会」に参加してきた.このところの仕事の集中などで疲れがたまったせいか咳が出ていたが,後半の懇親会も申し込み参加費も振り込んでいたので,天満橋の会場まで行ってきた.
 2010年のころ,小沢さんへの政治弾圧に抗議するデモに出た.それは「御堂筋デモ」に書いている.これを読みかえすと当時もフランスの若者が年金改革に反対してデモをしたことも書いている.その後,生活の党と山本太郎のなかまたちの時代に,今は亡きHさんと一緒にいろいろ集会に出たり街宣を手伝った.「人が使う組織を」、「再びの国策捜査?」等にも書いている.その時代の知りあいが幾人か生活フォーラムからきていた.久しぶりと声を掛けあった.この人らとは大阪宣言の会が生活フォーラムに合流する少し前から,つきあいが途絶えていた.

 報道陣は入れず,動画も撮らないでほしいということであった.なので,詳しい内容はここでは書けないが,その分みな自由に小沢さんに質問していていた.小沢さんもざっくばらんに応えておられた.国民民主党との政策協議のことや橋本元大阪市長に関することなど,いちおうみなうなずく内容であった.

 ここに参加した人たちは,政治家を応援しそれを通して国のあり方を変えたいと思っている人である.それはまさに議会主義であり,代議制民主主義である.かつての知りあいも,地元の選挙や国政選挙では、自由党の候補者の選挙活動をいろいろ手伝っていると言っていた.
 それに対して,職場、地域からの直接行動を通して、この現状を変えてゆこうとすることが,沖縄辺野古の闘いをはじめ、さまざまの地域闘争として、積みあげられてきた.そして,街頭での行動である.これらがいわば直接民主主義である.
 日本の今日のまったく悲惨としかいいようのない現実を変えてゆくには,この二つの運動が一つに結びつかねばならない.この点における遅れが,いまアベ政治をのさばらせているわれわれの側の要因である.
 山本太郎さんのように,もっと代議士は街に出てくるべきだ.彼は年末の炊き出し活動などにも参加してこられたようだが,アベ政治を終わらせようとするのなら,他の代議士もこれにならえである.そして,代議士として直接行動を呼びかけ,デモの先頭に立つべきだ.
 一方,議会で民主勢力が力をもつためには,もっと街頭での多くの人の行動が必要だ。その後押しがなければ議員も力を持てない.議会主義と直接行動の結びつきの方向が出てくるか,これが今年の大きな課題である.

 懇親会では乾杯のあと,共産党の国会議員も挨拶していた.それから小沢さんは順にテーブルをまわってこられた.疲れをも感じていたので,小沢さんがこちらに来られたときに自著を謹呈し,それから中座して戻ってきた.
 いろいろ話を聞き、いまの日本の課題を逆に考えさせられる集会となった.いま準備している「平成後の日本の選択」の原稿にも書き加えるべきことが出てきた.得るところの少なくない集会参加であった.

節分も過ぎ

 もう節分も過ぎた.まったく一週間が早い.寒い季節であるが,それでも京都で夜仕事がある時のほかは,夕方一時間は犬を連れて歩いている.歩くと頭の中の状態が少し変わり,机の前にいるときとは違うことが思い浮かぶ.
 一月の後半からずっと忙しかった.二社から、それぞれ二種,合計四種の問題づくりの仕事を依頼され,起きているときも寝ているときも,問題づくりを考えているような状況だった.自分は,高校生の頃から問題オタクであったことは認めるが,それがこの歳になって一気に出てきた.高校のころも良い問題に出会えばノートとしていた.手元にその頃作った良問を集めたノートがある.
 この二〇年は,高校時代の自分と市芦で教えて身についた教える技術でやってきたのだが,ここに来て昔の自分がまた出てきている.この世界に閉じこもって集中してやっていると,何か忘れたという気分になる.もともと,せめて出会った生徒には学問としての数学を伝えたいと考えて、この業界でやってきた.問題づくりは,それだけでは人との出会いは乏しい.

 そんな気持ちもあって,問題づくりの合間をぬって,2月の6日には二つの裁判の傍聴に参加してきた.
 一つは人民新聞山田編集長の国賠訴訟である.13:30から大阪地裁へ.弁護士の陳述を聴く.そして,弁護士を交えた総括集会へ.いかに非道で法によらない弾圧であるかが弁護士から示されていた.サミット前に大阪では理由をこじつけた弾圧がありうるので警戒しようということであった.
 そのあと神戸へ移動して,16:30から,アスベスト裁判の結審の傍聴に神戸地裁へ.上田さんの最終陳述とそのあとの集会に参加する.
 このように権力や行政の不当に対して闘う人らの場にいるときがいちばん心が安まる.それを実感し,それから神戸で授業をしてきた.

 そして,昨夜,2月9日は定例の梅田解放区の日.二週間前は授業がありいけなかった.きょうも20人ほどの人が集まり道ゆく人に語りかけていた.
 最初の音楽で「美しき五月のパリ」を流していたので,本当に懐かしかった.昔京都で下宿していたとき,そこでこの歌を聴き,それに後押しされて京都を出たような記憶がある.1968年5月のパリにつながる歌である.山城さんが作った「沖縄をかえせ」もこの曲である.
 そして2019年のフランス.誰かが語っていたが,フランスでは今日明日,中学生や高校生が黄色いベストを着て街に出るとのこと.梅田の街ゆく若者とフランスの若者と.今の日本の若者は…,と言っても仕方がないし,この違いの根源に天皇制がある、と言っても,その通りであるとしても何も変わらない.
 まず自ら街頭にたち,そして人々に呼びかける.これなくしては何も変わらない.街頭に立つことは,歩くのとはまた違った心の動きになり,そこで学ぶことは多い.

 いまある雑誌から「平成後の日本の選択」で一文を書くように原稿依頼を受けて考えている.あらかたできたが,街頭に立つと,ここをもう少し書かねばと思い浮かぶ.
 ということで,あまりこの青空学園だよりも更新できないが,もともと自分で考える場としてやっているので,これはこれからも変えずに続けたい.