台風の日に

 昨夜は定例の梅田解放区の日.台風が通っているが,雨ならガード下でやれるのでいつも通りと出ていた.それで,梅田に向かう.

 阪急の神戸線の駅まで行くと神戸線は特急などが止まっていて各停だけしか動いていないとわかる.それに乗る.
 車内放送で台風のため各停だけであることを説明した後「ご迷惑をおかけしますことを深くお詫びします」という.安全のため特急などを運休している,つまりはするべきことをしているだけなのに,なぜ詫びるのだ,ほんとうに詫びるのなら運賃まけろ,と思うが阪急にその気はない.この口だけのお詫びの言葉は,何かあるといつも車内放送でいうのだが,偽善もいいところである.日本中この口だけの偽善言葉がまかり通っている.
 何度かドイツに行ったが,ドイツのスーパーで感心するのは,レジ係の無愛想なことである.黙々と商品の値段を機械に取りこみ,表示された金を払うと,それだけ.愛想笑いのもなければ会釈もしない.店内放送もない.偽善の日本から行くと,実に気持ちがいい.
 日本のスーパーは,例えば近所の阪急系列の店内放送は,店内放送の最後にで必ず「買い物をお楽しみください」という.買うものがあるから店にいっているのであって,別に楽しむためではない.なぜこんなことを言うのか.買い物を楽しむというこの言葉の軽薄と空しさに阪急は気づかない.
 この偽善の言葉の蔓延は,今の日本を象徴してる.なぜそんなことが言えるのかと,その根拠を問うことをせず,偽善の言葉で飾られたことをそのまま受け入れる.戦争責任は問いつめないし,「原発は安全だ」と言われればそのまま受け入れる.

 それに対して,ここ梅田に集まり言いたいことを語りかける彼らの言葉は,内からのものだ.先の台風における政府の対応,徴用工問題の意味,ここに現れたアベ政治を暴き語る.また,汚染水を大阪湾に流すという松井大阪市長への批判.その署名活動も同時になされていた.汚染水を政府や松井市長は「処理水」という.これもまた偽善の言葉である.
 台風であったがそれでも10人以上集まっていた.この取り組みは梅田に定着してきたし,これからも続けたい.

 自分のための記録.
 その前日,11日はかつて友だちだった故Nさんの三回忌が過ぎたということで,Uさん,Tさん,Yさんと4人でNさんの夫人が一人で住んでいる守口の家まで行ってきた.Yさんとは45年ぶり,他の人は何度かあってきたが最近では2年前Nさんが亡くなって少しのころに,ここで会っている.
 45年くらい前「月刊たいまつ」という雑誌が出ていた.むのたけじさんの新聞「たいまつ」の流れをくむ人が出していた.その雑誌の読者会を大阪でやっていた.彼女も入れて皆そこで知りあった仲である.Tさんはさらにその前,ベ平連京都のときからの知りあいだ.UさんTさんは,私が京都の下宿を引き払い兵庫県に移ったとき,そのレンタルしたトラックにのって,Uさんが運転してくれたようなあいだである.
 みなYさんとは45年ぶりだったので,まず彼にあの時代からこれまでの歩みを聞かせてもらい,それから各自のこれまでを語った.私は拙著をもって行って皆に渡し,Nさんの仏壇にも供えさせてもらった.Nさんはいちばん読んでもらいたかった一人だ.また,誰かに遺言かと言われたが,まったくそうである.
 Tさんの実家は広島の神社であり,私も一度いったことがる.彼が後を継いでいる.この日は広島から来てくれたのだ.彼は自分は古神道だという.私ともっと対話できるかも知れない.またいちどいってみたい.
 先日の中学の同窓会のときは,自分が昔の友だちと違うところを歩いてきたことをつくづく思ったが,逆にこの集まりは同じ仲間であることを実感する.Tさんが昔の「たいまつ読者会通信」などを持ってきてくれたが,ガリ版刷りのそれらも懐かしい.ガリ版は字体も残るので,これは誰が作ったとかも話題にできる.私が書いたのもいくつかあった.今のようなパソコン印刷よりもある意味では優れている.
 昼に寿司などを買い,それら皆で食べ,彼女が用意してくれた酒を飲みながら,いろいろ話していると,もう5時半かということになった.再会を約して家を出て,それから男4人で駅前でラーメンを食べて引き上げてきた.自分自身をふりかえる貴重な時であった.

アベやめろ!(続)

 昨夜は定例の梅田解放区の日.世のあり様がいちだんと酷くなるなかで,この日はこれまで以上に多くの参加者があった.語るべきことも多く,いろいろな人が立ち替わり入れ替わり話す.5時半~7時のところが5時半~7時半と2時間やり,それでもまだまだ終わらなかったが,定例の行動は時間どおりにやることも大切で,7時半に片付けをはじめた.この熱気を拡げてゆきたい.f:id:nankai:20190929165232j:plain

 いくと,もうTさんがきていた.彼は自分のポスターなどを立てて置き,自分でももって立っている.その4月の様子.それから横断幕やポールもきてそれを組み立て,こちらはポールを持つのを手伝ってきた.若い人らがばんばっているので,こちらはポールを持つのに徹している.まもなく,西宮の地元で知りあいのKさんもやってきてプラカードを持つ.彼は終わりのころにはマイクをもって喋ることもしていた.あんな風に喋る人なんだと見直した次第.
 この日の様子は梅田解放区にある.ここにはじめて参加した人が「私はプラカードをずっと持っていましたが、消費税や原発問題等自由に発言できる場作りができていて素晴らしいと感じました。」と書いているように,皆この場に出てきてそれぞれに手伝い,自由に思いの丈を語る.このような場を作ってきた園君らに礼をいいたい.
 先日の東電旧経営陣の無罪への怒り,大阪湾に汚染水をという維新の市長への怒りを語る人が多かった.福島原発の問題では『神道新論』のなかで,

 地震列島に核力発電所を作ることの危険性は従来からも指摘されてきた。にもかかわらず、東京電力は経済を優先し、万一の場合のためのできうる対策さえしていなかった。福島第一発電所の事故はそのうえで起こったことであり、自然災害を引き金にしたとはいえ、それはまさに人災であり、予測されたことに対する対策さえ怠ったという意味において、犯罪である。
 しかし、さらにそれが惨事であるのは、日本政府や東京電力が核汚染の現実を公にすることなく隠し、本来なら放射線管理区域として厳格な管理のもとにおかれねばならない汚染地域に、人をそのまま住わせていることである。また、避難のために移住する権利さえも保障されていない。このような情報隠し、情報操作によって、避けうる被曝が逆に拡大する。これがまさにいま広がっている。この意味でこれは三重の人災二重の犯罪である。

と書いたが,今回司法も動かし無罪を出させたことで,三重の犯罪となった.この判決の日の朝,大谷直人最高裁長官が官邸を訪問し安倍と会っている.無罪言いわたしの前に報告に行ったのだろう.これは,アベ政治の犯罪行為そのものである.

 さて自分の記録のために記しておく.自分にとっては大切な意味のあることごとであった。

 先週の日曜日22日は私自身の中学校の同窓会があった.拙著を三冊鞄に入れてもっていった.そして,京大理学部の教授をおえて私大で教員もしていたUemさん,宇治の小学校でも一緒だった人で,関西の大手企業の副社長(社長だったか?)で仕事を終えたUedさん,いまも歯科医師をやっているTさんにわたした.それから話をしていると,今もある大手の会社の社長をしているというNさんが『夜明け前』を2回読んだというので,拙著のことを話した.一昨日の26日,さっそく買ったとメールが来ていた.これに対して,

Nさんは覚えておられますか。昔学校から丹波橋へ一緒に歩いているとき,兄さんが手に入れられたとかで,ガモフの『1.2.3無限大』のことを言われました。それでさっそく手に入れた1960年発行のこの本が今も本棚にあります。あの本は難しかったですが,印象深い本でした。
中学のとき,ほんとうにNさんからいろいろ刺激を受けました。
この年になって,お返しできるほどのものではありませんが,また感想などお聞かせいただければ嬉しいです。

と返信した.中学のときはみな友達だった.私だけが彼らの世界から落ちこぼれたのである.そういうものが,かつての左翼言葉で語っても彼らの内に届くことはないだろう.そのような問題意識ももって書いた拙著はどうだろうか.届くだろうか.

 26日は杉村さんと大阪北の十三で会食をした.人民新聞に出す拙著の書評を書いてくれることになり,2日後さっそく原案がメールできていた.会ったとき杉村さんが訳されたイタリア現代思想の本『フューチャビリティー』をいただいたが,その扉に「不能の時代と可能性の地平」という言葉がある.まだ少し読んだだけだが,実はこの本の問題提起と拙著は深く関係している.この可能性はそれぞれの固有性に根を待たねばならず,拙著もまたこの可能性の扉を開ける試みなのだ.杉村さんはそこを評価してくれたのだろう.書評も記事なればここに紹介したい.
 欧州の現代思想に対し,それと同じ水準で非西洋からの問題提起と対話が必要な段階に来ている.いささかでもこの歴史の求めに応えてゆきたい.

アベやめろ!


 14日は第2土曜日.定例の梅田解放区であった.前回8月24日は地蔵盆の日で,こちらは地元にいた.それで5週ぶりに参加してきた.いけば知りあいのTさんもきている.2012年の関電前集会のところで知りあった.そしていつものように「安倍やめろ!」の横断幕をもつのを手伝う.

f:id:nankai:20190915112139j:plain

 参加した人らがそれぞれの思いを語る.千葉の台風災害の対応が遅れたことは,昨年の岡山での大雨災害のとき,安倍たちが宴会していたのと同じ構図である.今回は組閣に夢中だった.こんなアベ政治をいつまで続けさせるのか.この日の様子は園さんのところにある.
 また,韓国との関係についても,語りかける.ドイツの大統領はポーランドに許しを請う.「第2次大戦開戦から80年、ドイツ大統領がポーランドに許し請う」にある.それに対してアベはどうだ,日本のマスコミまで動員して嫌韓を煽っている.しかしながら,今や政治的にも経済的にも韓国や東アジアの諸国の方が,日本よりずっと先を行っている.そのことが分からず嫌韓を煽ることが,いかにも滑稽である.こうして日本はますます没落してゆく.
 千葉県の災害は人災である.もっと早く必死に対応すれば老人が熱中症で死ぬことはなかった.さらにまた,ここにはもっと基本的な問題がある.70年代に建設された送電線などが老朽化してる.しかし,それを建て替える金がないという.戦後作ってきたいろんな社会基盤が老朽化しているのだ.これは国家の責任で改善してゆかねばならない.ところがアベ政治アメリカに言われれば不要な戦闘機などを爆買いする.それでいて社会基盤の改善には予算を割かない.こうして日本の社会基盤はいろいろなところで崩れてゆく.
 前を通る若者に語りかける.君らの時給はどうなっているのだ.アメリカもドイツもこの20年,賃金は大きく増えた.日本は減った.企業の内部留保は逆にふえた.おかしいではないか.日本は戦争責任を謝罪していると言えるのか.事実言えない.アベ政治は手下の知事と一緒に千葉県の老人や弱者を見殺しにしている.それでいいのか.
 「アベ内閣を許すな! 韓国敵視をやめろ! 連帯して公平で平和な社会を目指そう」と語るのを,立ち止まって聞いていた,韓国からきたという女子学生が,喋らせてくれと話し始めた.英語で話す.それを長くイギリスにいたというYumiさんが訳してくれる.韓国の若者や労働者も今の政権のすすめる政策に対して闘っている.日韓の連帯を呼びかけるものであった.

 16日は,「韓国への経済制裁反対! 自衛隊イラン派兵反対! 緊急デモ」があり,集会に参加してきた.急に決まり参加者は多くはなかったが,数の問題ではない.梅田で会う人らが半ばであった.この日の様子も園さんのところにある.
 土曜日にも出会ったTさんもきていた.Tさんは足をくじいたとかで,デモは最初だけ出て,その後2人でお茶を飲みながらいろいろ話した.Tさんは2012年の頃から数年,毎週金曜日の関電前集会に来ていた.そしていまは毎週日曜日か土曜日に,梅田のヨドバシ前で一人で立っている.その姿は「時節は春だが」にある.おいくつですかと聞いたら75歳.元気である.

 なぜ日本はこんなことになってきたのか.私は,アベ政治は近代日本のなれの果て,と言ってきたが,近代の教育は,根拠を問うことを教えず言われたことをそのまま受け入れるようにしむけてゆくことを根幹においていた.「原発は安全だ」と言われればそのまま受け入れる.基礎教育をこのようなところに置いて,そしてテレビや新聞ではどうでもいいことばかり報道し,アベ政治への批判などまったくしない.そのなかにいる多くの人は「アベやめろ? なに言ってんだ」となる.
 相手の主張の根拠を問い,議論する.これを教育の基本においているのはドイツである.ドイツはヒトラーに牛耳られた経験から,戦後の教育の基礎にこれをおいてきた.彼らはつねに議論する.その上に,先日の大統領がポーランドに許しを請うということがある.
 青空学園で言ってきた,学問としての高校数学=根拠を問う数学,これは,この近代日本の教育を省みて,それを先人の数学と照らしあわせて,そこから生まれた考え方だ.少しでも理解が広がることを願っている.
 東アジアからも世界の趨勢からも孤立し取り残され,経済的にも追いつめられ,困窮が広がる.為政者はそれを排外主義とそして戦争でのりこえようとする.しかし,それはいっそうの没落になる.そこまでゆかないと反転しないのかも知れない.それでもなすべき準備は重ねてゆこうと思う.
 継続は力である.梅田解放区も長くやっているといろいろ人の輪も広がりはじめてきた.こちらもまた街頭に出て考えることで,いろいろ深まる.

秋きぬと

 朝6時過ぎに家を出ると涼しくなったなと思う.いつもこの時節になると,思い出す歌:

秋立つ日、よめる
 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
            藤原敏行   古今集百六十九番

 この歌のことは,2007_8_28「ハンミョウ」,2008_8_22「夏期講習終わる」,2009_9_17「秋の気配」,2011_8_24「人に会う(続)」などでも書いてきた.が,2011年に書いているように,3.11以降,自分にとってその意味が変わったと思う.

 さて,先日の7日,かつての教え子のクラス有志の会に招かれて行ってきた.彼らは50代半ば.仕事盛りである.それで急に出張が入ったとか等々で,参加者はそんなに多くなかったが,いろいろ飲んで話しての時間を過ごしてきた.
 昨年の9月は「還暦同窓会」に参加したが,今年会った彼らはその6歳下である.今回の彼らはよく集まっている.私も2004年の11月と2011年の11月と2013年の7月に参加しているので,6年ぶりであった.2011年のことは「クラス会」に書き,2013年のことは「格差拡大の30年」に書いている.会えばほんとうに懐かしい.話がきりなく続く.
 底辺校といわれた市芦であったが,あの時代はそれでも仕事があった.銀行員,大阪ガス,地元の電気工場,バスの運転手,生協職員,などなど,みな臨時ではない正規の雇用で働いている.いまはなあと,時代の変化も話題になった.
 私もしばしかつての教員時代の気分にひたっていた.この日来られなかった人が,LINEい「お元気そうで何よりです」と書き込んでくれているのもうれしいものだ.
 市芦は私の原点である.あそこで彼らに数学を教えたことが,その後の青空学園につながっている.また,解放運動のなかで聞いた人々の生き様,その人らとの交流の経験は,その後の生き方を後押ししている. 

  10日は京都で仕事であったので家を出ようとすると,郵便ポストに鹿砦社の「NO NUKES voice」の21号が入っていた.「NO NUKES voice」は鹿砦社の松岡さんが,献本として送ってくれる.同封されている献本と書かれた一枚には,「NO NUKES voice」が5周年になったことと今も赤字であることが書かれていた.それでも送ってくれるのはほんとうにありがたい.この「NO NUKES voice」は月刊誌「紙の爆弾」の増刊として出ているが,ほとんどの総合雑誌が堕落しきってる中で,これらの雑誌はたいへん貴重である.
 行きの電車の中で読む.上の鹿砦社のブログにあるように,《死者たちの福島第一原発事故訴訟》をテーマに編集されている.巻頭には精神科医の野田正彰さんによる長編報告「原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって 死ぬ前に見た景観」があり,その内容はたいへん重い.巻頭にあるこの夏に取材された写真はいずれも胸に来るものである.「秋きぬと」の言葉を,この福島の光景と重ねると,その意味はまったく変わってくる.

 何度も書いてきたように,日本の近代は根なし草近代である.根なし草のままに近隣諸国への侵略,植民地支配をおこない,そしてそれに敗北してもそれを総括せず,戦後はアメリカに隷属した中での経済拡大をすすめてきた.そのなれの果てがアベ政治である.
 いま安倍政治は韓国への差別意識を煽り政権維持に用いている.しかし,これは滑稽なほど愚かである.西欧の侵略と植民地支配への抵抗闘争とそして革命,またアメリカ傀儡政権との闘いとその打倒,これが日本を除く他の東アジアの近代である.その闘いを通して,韓国の人々は,日本のはるかに先を歩んでいる.
 日本人は自らの遅れさえ気づくことができない.これが現実である.それに対していただいた「NO NUKES voice」を読んで思うことは,次のようなことであった.
 ここには,事実をふまえて,それが正しく伝わる言葉がある.いずれの記事も,精緻で美しい言葉である.そして,すべてのことについてその根拠を示し,また問うている.文章を書いた人と読む人が,そういう人として繋がっている.
 このような言葉で営まれる世を生みだしたい.切実にそのように思った.

 写真は,今朝地蔵様の祠の扉を開けての帰りに,道の溝におちていたタマムシの羽根.これまでも何回かタマムシの羽根は見つけているが,例えば,2012070620130730にある.これを見つけると,いつも,このあたりにはまだ生息してるのだと思う.

晩夏に思う

 夏の終わりの時節となった.夕方はツクツクホウシの鳴き声を聞く.「ツクツクホウシ」というけれど,鳴き声は「ホーシ・ツクツク」である.この声を聞くと夏の終わりをしみじみ感じる.そして今年の夏をいろいろとふり返る.まだ秋の初めのを告げるヒグラシの声は聞かないが,夜,仕事の帰りには近くの竹藪から虫の鳴き声がまさに響いてくる.秋が近いのだ.

 この24日は地元自治会の地域内に一つだけあるお地蔵様の地蔵盆であった.この地蔵様には世話人会があって私もその中に入れてもらっている.私は日頃,火曜日から金曜日まで,毎朝六時半頃にこの地蔵様の祠の扉を開けるのを引きうけている.歩いて七,八分,犬を連れて行く.
 年に一度のこの日は男衆四人ばかりで,朝早くから提灯やテントを用意して,それから世話人が皆やってきて交代で座る.私より少し年上の、私を含めて爺さん婆さんである.子供らがお参りに来れば,お菓子をわたす.夜の九時に片付け終わるまで,一日がかりであった.この日は梅田解放区の定例の日であったが,大阪に出る時間はなかった.
 そして25日は私が代表をしている地元自治会の防災訓練と納涼会.夕方四時前に消防車が一台,消防士が四人来てくれて,消火器の使い方,応急担架の作り方,AEDの使い方などの練習をする.市が届けてくれた非常用のアルファ化米の試食を兼ねて,フラダンスの会の踊りを見ながら,夕涼み会をした.
 このような取り組みは2016年の夏からはじめた.そのときのことは「暑い晩夏に」にある.地域の集まりにやってくるのはやはり老人が多く,若い人らの地域作りへの参加を促してゆくのは,これからの課題である.これで今年の夏の行事は終わりである.それらを報告する回覧板も作って庶務の人に渡した.
 この夏は,もう一月前だけれど,奄美大島に小旅行をした.実際にその風土に入ってみると,何とも懐かしい感じがした.沖縄はやはり違うという感覚が先にくるが,奄美は違いもするしまた畿内と同じものも感じる.この感覚は今も残っていて,そうすると黒糖焼酎がうまい.そして,奄美の風土の中で三日ほどいて,自分はいろいろしてきたと考えているが,小さなことだとしみじみ思った.

 さて,地域でのこうしたことをやりながら世を見れば,今まさに世界は分水嶺にあることを思う.雑誌『日本主義』最終号への寄稿「分水嶺にある近代日本」の締めに,「日本主義」を再定義し次のように書いた.

 私は、日本主義とは、里のことわりにもとづく世を生み出し生きんとすることであると考える。根のある変革思想とそれにもとづく行動である。日本主義を再び人民の手にとりもどし、次の時代をひらくために、なし得ることをすることが、いま歴史が求めることである。
 それはまた、帝国アメリカの崩壊に備え、その後の世界をどのように構成してゆくのかという課題と重なる。今日の日本では、このような議論はあまりなされてはいない。が、非西洋で最初に資本主義の世となった日本には、その経験をふまえて提言しうることが多々ある。その歴史的責任がある。それをなし得る政治をうち立てねばならない。

 その日本であるが,この夏の暑さから,もう来夏のオリンピックは無理である.中止する理性は今の政治にはない.このままいけば,多くの重篤熱中症の選手や観客が出るだろう.
 「1%による1%のための大会」にも書いたが,オリンピックは,西洋の没落が言われた十九世紀末に,もういちど西洋に自信を取り戻させようとはじまった.西洋世界のなかで行われてきたが,1964年,はじめて非西洋の東京で行われた.そして,1968年のメキシコ,1980年のモスクワ,1988年のソウル,2008年の北京,2016年のリオデジャネイロとなっていった.これは西洋の価値観を非西洋に拡げる役割を果たした.同時に1984年のロス五輪のころから商業主義,金儲けの五輪となってゆき,今回の東京もその立場からいちばん競技会が少ない夏の時期に開催されることになった.
 福島原発は管理できているというアベの嘘と,この時期は温暖な気候であるという招致の文の嘘とによって,開催が決まったのである.しかし,来年のオリンピックは,「さまざまの混乱のなかで,中断せざるを得なくなり,これ以降再びオリンピックが開かれることはなかった」と,後世歴史に書かれるかも知れない.実際,オリンピックの客観的な歴史的役割終わっている.いずれにせよ,嘘とごまかしで誘致したアベ政治の責任が問われる.
 アベ政治はトランプに言われるままにトウモロコシを大量に輸入する.遺伝子組み換えのトウモロコシである.それを国内の牛などのエサとする.私はこれまでアメリカ産の輸入肉は絶対に買わないようにしてきたが,これからは国内産の肉牛ももう食べないほうがいい.
 アベ政治とは,その祖父の岸を含め長州の地縁で結ばれた集団の権力であり,これが明治維新以来の日本を牛耳ってきた.したがって,私が言ってきた「近代百五十年のなれの果てとしてのアベ政治」は,現実的な根拠があるのである.
 それぞれの地で,この分水嶺の現れ方は歴史をふまえて異なる.日本の場合はここに書いたように,近代百五十年のこれまでの道をそのままゆくのか,ふりかえり立ち止まり,もういちど根のあるところに立ち返り足を地に着けて歩むのかの分岐である.
 今のままでは,これからいろいろな段階で生まれてゆく東アジアの共同体をめざす政治から,完全に取り残され,悲惨政治のもと近代日本は没落してゆく.
 一昨日,ソフトバンクの孫さんが「日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう」と言う.その通りである.実際,世界競争力ランキングは30位、平均賃金はOECD35カ国中18位、相対的貧困率は38カ国中27位、教育の公的支出は43カ国中40位、年金の所得代替率は50カ国中41位,障害者への公的支出のGDP費は37カ国中32位、失業に対する公的支出のGDP比は34カ国中31位である.また今日の東京新聞は「日本、続く賃金低迷 97年比 先進国で唯一減」と伝えている.しかしこの新聞記事は正確でない.日本は最早先進国ではないということを見落としている.いずれにせよ,この20年,日本は沈み続けてきたのである. 
 しかし,考えてみれば1950年代,60年代の方がいまよりもずっとよかった.経済的に沈むところまで沈み,そこから,一人一人が互いを敬い人そのものが尊重される世をもういちど作ってゆく,歴史がそうしろと言っているということではないか.
 一方,ここには普遍的な問題が土台にある.資本主義の拡大がもはやありえないという段階にいたって,このように排外主義がいろいろな形をとって現れてくるのだ.
 アメリカにおける白人至上主義,日本の嫌韓主義,欧州の反移民主義.これらはすべて,現実の中で困難を強いられた人々がそのゆえにもつ感情と,それを煽りそれを支持基盤とする権力が一体となって生み出されている. 白人至上主義については人民新聞の「白人至上主義との闘いの歴史から何を学ぶか」には教えられた.アメリカの中からの新しい動きに,励まされる.

 イギリスのEU離脱も同じところから出てきている.かつての大英帝国が忘れられない人々の数の力でEU離脱を決めたが,離脱しても大英帝国に戻るわけはない.イギリスの没落をはやめるだけである.ユーラシア大陸の東の海にある島国日本と西の海にある島国イギリスと,同じように大陸の東西の地における共同体から離脱し,そして没落してゆくのかも知れない.
 そして香港である.中国はもうとうの昔から社会主義ではない.官僚の支配する資本主義である.一方,香港がかつて属していたイギリスは,すでに没落の過程に入っている.何れかへの帰属では何も解決しない.ではどうするのか.これについては人民新聞の「香港はブルジョア的解放以外の道を模索すべき」にも考えさせられた.これらを訳された脇浜先生に感謝である.
 香港市民の闘いに敬服する.田中龍作さんが,<「(デモに)出なければもっと悪くなる」は合言葉のように聞>と伝えるように,日常の生活の場からの闘いである.

 そして,アメリカと中国の対立も,その土台にあるのは,資本主義の終焉という問題である.アメリカの中国も現政権は従来の資本主義的拡大の政治の中にあり,一方,経済の拡大はもはやありえないという土台があって,その結果このような米中対立に至る.そして今の香港の運動のなかから,このような経済拡大の枠組をのりこえる新しい人のつながりと,それを自覚した政治運動が生まれるかを,期待しそして注目している.

 没落しつつあるこの日本から,どのように立ちあがってゆくのか.その基礎におくべきことごとを『神道新論』に書いたが,まだまだそれは一般的にはなっていない.同じ仕事をしている三人で食事をしたときにこの本を渡した.どこまで読んでくれるだろうか.
 さて,どたばたしているということではまったくないが,いろいろやることは多い.そのなかで,今の世に対してできることは多くないが,それでもできることはやってゆこうと思う.

夏の盛りに

 先日,ニイニイゼミはもうこのあたりにはいないのかと書いたが,ニイニイゼミの死骸を家の前の道で見つけた.この夏鳴き声は聞けなかったが,まだいるのだ.写真を撮ってから土に還した.

 それにしても暑い.この暑さのなかでのオリンピックなど不可能である.「1%による1%のための大会」に書いたが,いまのオリンピックはまさに 1%による1%のための大会 となっている.この1%にはいわゆる原子力マフィアも入る.原発事故は収拾できるという虚構を演出するために2020年のオリンピックは開催される.この夏の時期を選んだのも1%の側である.しかしこれは大きな失敗だった.このまま開催すれば,選手,ボランティア,観衆の中で熱中症重篤な事態に陥るものが続出する.中断せざるを得ない事態さえ起こるかも知れない.そして日本政府の責任が国際的に問われる.

 この暑さの中ではあるが,日が陰った5時半からは第2第4土曜が定例の梅田解放区であった.参加者も増え,20人を超えていた.徴用工問題や従軍慰安婦問題、辺野古基地問題などを語る.
 ここはほんとうに人通りの多いところだ.道ゆく人のなかにも,こちらの言うことに耳を傾ける人がいる.それでも多くの若者は関わりないように通り過ぎてゆく.彼らのほとんど選挙にも行かなかったのではないか.むしろ,中国人の旅行者が立ち止まってゆく.誰かが訳して説明している.ほう,こんな日本人もいることはいるのだ,というところかも知れない.日本に住む韓国人もまたたちどまる.写真を撮らせてください、と言って撮っていった二人組がいた.また,最後まで向かいに立って聞いていてくれた女性と,もう一人通りがかった男性が,それぞれカンパをくれた.

f:id:nankai:20190810183218j:plain

 さて昨日,<佐川元国税庁長官ら再び不起訴 大阪地検特捜部、一連の捜査終結 森友学園問題>と報じられた.しかし,森友・加計問題は,佐川元国税庁長官が主役ではない.「分水嶺にある近代日本」に次のように書いたが,安倍首相の収賄こそが問題の本質である.

 今年にいたるこの数年の世のあり様をひと言でいえば、近代国家の枠組とそれを支える柱の崩壊である。
 安倍首相の収賄は首相そのものの犯罪であり、(造船疑獄に比して)はるかに悪質で規模も大きい。また、公文書を偽造し、国家の基本的な統計も改ざん操作してきた安倍政府とその官僚の悪事は、造船疑獄の比ではない。しかし捜査すらなされない。

 首相自身が事実として賄賂を受け取り,そして,森友疑獄では8億円の便宜供応.加計学園疑獄では,?億円の供応.すべてアベの収賄の見返りである.加計疑獄は鮮明である.しかしこのことを指摘する新聞やテレビは皆無である.日本の大手新聞やテレビは報道機関ではない.アベ政治に都合のいいように国民を洗脳する洗脳機関である.それはおさえておきたい.

 そして,収賄首相の居直りは,悲惨国家日本の現実である.それを経済の面から見て,世界的投資家ジム・ロジャーズが次のように言う.

「私は日本関連資産を全て手放した」
~日本の凋落ぶりには、めまいがする

 将来のことを考えれば、日本政府がただちにやるべきことは、財政支出を大幅に削減し、同時に減税を進めることです。この2つを断行すれば、状況は劇的に改善したはずです。
 安倍首相がやったのはすべてこれとは真逆のことでした。彼が借金に目をつぶっているのは、最終的に借金を返さなくてはならない局面になったときには、自分はすでにこの世にいないからなのでしょう。
 これから20~30年後に歴史を振り返ったとき、安倍首相は、日本の経済に致命傷を与えアジア最貧国へ転落させた人物として、その名を刻んでいるはずです。

 彼は投資家なので経済面からいうが,しかしこれは経済だけの問題ではない.近代国家の枠組とそれを支える柱の崩壊は,政治においても,それをとおして世のあり方そのもにおいて,そして国家としての対外関係において,すべての面で起こっている.
 つくずく,愚かなことは二度くりかえさないと,教訓とはならないのか,と思う.
 「再びドイツまで」にも書いたが,ドイツはまさにその愚かなことを二度くりかえした.ごく普通に生活してきた人が,状況によってヒトラーを賛美するようになることを大きな痛みとともに教訓とし,それが教育を通して若い人らにも伝えられている.
 「【特集】ドイツの若者は慰安婦問題を扱った映画「主戦場」をどう見たか
「歴史を知る」。それは「問い続ける」ということ
」を読むと,そのことがよくわかる.
 それに対して,日本もまたあの戦争の敗北とそして福島の核惨事と二度の愚かなことをしながら,そこから教訓を引き出せていないことをつくづくと思い知る.それどころか,福島の核惨事を逆手にとって,近代国家の枠組とそれを支える柱を崩壊させ,アベ政治が生まれたのだ.ロジャーズは経済面から「最貧国」といったが,このままでは人そのものが大きく崩れ,人でなし国家となる.
 「韓国存亡の危機。日米中ロ北の四面楚歌状態」などという論調が大手を振って語られるが,存亡の危機にあるのはこの日本である.日本の植民地支配への抵抗,戦後のアメリカ傀儡の李承晩や朴政権との闘いなどを通して,韓国の人々はずっと先を行っている.我々ははるかにおくれている.アベ政治は韓国への差別意識を煽りそれを政権維持に利用しているが,まったくこれは哀れなことなのだ.
 あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」展示中止事件で脅迫FAX送付の男が逮捕されたが,少女像展示を認めた大村秀章・愛知県知事を「辞職相当だと思う」と批判した吉村洋文・大阪府知事に対し,大村知事は「はっきり言って哀れだ」と逆に批判している.まったくその通りであり,大阪府民は,その愚かさを哀れみをもって指摘されるほどの者を知事にしている.このことに気づかねばならない.

 哀れな首相,哀れな知事,である.やはり我々は二度目の愚かな破局に向かっているのかも知れない.しかしそれでは犠牲が大きすぎる.それでも,非西洋で最初に近代化=資本主義化した日本の,人類史的な経験としてそれもありうるという立場から,そこからもういちど立ち上がるそのためのささやかな準備として書いたのが『神道新論』であった.われわれの世代は見とどけることができなかも知れない.誰かこれを見とどけてほしいとつくづく思う.
 奄美大島に行き,青空学園を20年をふりかえり,そういう者としてアベやめろと梅田に立つ.小さなことしかできないが,それでいいではないか.

青空学園二十年

 セミの鳴き声が続いている.昔は,7月にニイニイゼミが鳴きはじめ,それからアブラゼミになってゆくのだったが,近年はニイニイゼミの声を聞かず,代わりに始めからクマゼミアブラゼミである.それだけ暑くなったのだろうか.
 小旅行のあと,いろいろ来し方をふりかえるときがある.ちょうどそのおり,青空学園をはじめて20年目の夏となった.今後のために少しふりかえっておく.サイトの玄関下には「1999.8.27~」としているが,初期のファイルを見ると1999年の4月~8月というのがいくつかある.この頃いろいろ作り始めていたのだ.26歳で働きはじめて昼夜のない生活をしていたのに,それから四半世紀たった1999年の春に専任講師になり,普段は一日4時間夜に授業をすればよいということになった.それで,昼間に,いろいろ勉強をはじめたのだ.そして「専任をおりる」まで13年続いた.こういう時間が得られたことを感謝している.
 昔,高校のとき数学同好会を友人と2人で作って,問題を立てて考えたり,数学教師と群論の入門書の輪読したりしていた.しかし実際の数学的現象を掘り下げ探究するということはできなかった.高校生のときの自分が今の自分に出会ったいたら,もっといろいろ学べただろうという思いがある.今の自分が時空を越えて高校生の自分にいろいろ教えたい気持ちだ.『数学対話』はそういう気持ちから,今の自分が昔の高校時代の自分と対話しながら書いてきた.青空学園数学科の原点は高校時代の数学同好会にある.

 受験生に数学を教えるにあたって,たとえ受験数学の場であったも,それでも出会った子らには根拠を問う数学を伝えたかったし,また数学をほんとうに教えるためには,それぞれの問題の背景や一般化をつかんでいなければならなかった.そのように考え,勉強した.そして高校数学といえば受験数学でしかない現実に対して,少しでも学問としての高校数学を事実として展開してゆきたいと考えた.同時に,高校生の現実としての受験数学から離れないように,実際の問題を掘り下げることを出発とした.
 『数学対話』のなかの「スツルムの定理」,「原始多項式」,「チェビシェフの多項式」,「カタラン数」,「ムーアヘッドの不等式とその応用」,「単位分数のエジプト分数による下からの近似」,「シュタイナー楕円」,「ポンスレの定理」,「生成関数の方法」などはみな,入試問題からはじめている.
 かつて私は「大学解体」が言われた68年の時代に学生生活を送った.もっともそれで大学院をやめたということではない.院をやめ高校教員になったのはもっと内的な理由からであったが,当時の大学の現実にこれではだめだと思ったことも間違いはない.そして,高校生に数学を教えることをいろいろな立場から続けることで,改めて確認したのは,やはり20歳前後の人を対象とする教育機関は必要だということであった.しかし,それに応えうるものは現実には存在しないし,今はまだ存在しえない.そこで電脳空間に仮想の学園を作り置こう,それが青空学園をはじめたもう一つの動機であった.

 現場の教員がこれらを自分で勉強するには時間がないだろうと思い,古典にも当たって勉強し,それを書いて公にしてきたのだ.先日も書いたのだが,青空学園数学科では,現在 A4版のPDFで3200枚になるものを,HTMLで公開し,PDFも自由にとれるようにしている.数学が少しでも根づくようにと願って無償で公開してきた.これは私の信条にもとづくものである.これができるようになったのは情報技術の発展の結果であり,その意味で青空学園は必然であった.
 青空学園のサイトを見て,もう少し今風に見栄えのする形にしてはという意見も聞く.しかし,もともと自分が考える場として作ったものであるし,HTMLファイルで内容を確認したら,PDFファイルを入手してそれを印刷して,手を動かして勉強してほしい.その点からいえば,HTMLファイルはあくまでその導入のためにある.
 教科書風の受験対策の数学参考書は多くある.その一方で,おもしろく書いた読み物もある.しかし,高校から大学範囲の数学を,学問としての立場からそれなりに探究し書き表したものはほとんどない.そのような文化は日本ではまだ育っていない.そこで,そのような試みの跡を残しておこうと,これをやってきた.
 青空学園数学科の訪問者数は一日で100人前後ある.検索で来るのが半分くらいはありそうであるが,いずれにせよそれだけの人がここに来て,何かを考えている.また,元原稿を含めてDVDRに焼いて実費で配布している.2002年からはじめて,270枚超の申し込みがあった.こんなことからも,逆にまた責任も大きいことを思う.

 青空学園数学科でまだやり残しているのが,『解析基礎』のなかの「複素解析」である.書棚の本をいろいろみて一松信先生の『函数論入門』を再読することにした.これは高校2年の頃に買って,しかしこの本の通読はできていないままであった.大学に入ってから買った吉田洋一先生の『函数論第2版』とあわせて,勉強する.そして,やり残しているところを,自分の理解にもとづいて仕上げたい.この課題を再確認したのも,この数日の成果である.
 ついでに書いておけば,仕事の方も当面忙しい.2つの問題づくりとその解答解説の原稿作成である.盆まで,9月はじめまで,等々締め切りもいろいろあることを念頭においておこう.そうしないと後回しになってしまう.

 青空学園では同時に,日本語科も開設してきた.日本語科でやってきたことは,根のある思想を構築するための土台作りである.『日本語定義集』はそのためのまさに前提をなす作業であった.それがようやく一定の蓄積ができ,人に語ることができる段階になり,一連の文章を雑誌に寄稿し,それらをまとめて加筆し『神道新論』として公にしてきた.
 これもまた,近代の翻訳日本語に大きな違和感をもった高校時代の自分の気持ちが出発点である.ラッセルの『西洋哲学史要』,確かみすず書房だったと思うが,これを図書館で借りてくりかえし読んだ.しかしあのとき「思考」とはどのように頭を働かせることなのか分からなかった.今はこれを「根なし草近代の言葉」としてとらえているが,当時は違和感だけが残った.

 だから,私が青空学園をはじめたのは,このような自分の高校時代の数学と日本語における疑問などに応えうる教育組織を,とりあえずは電脳空間に作りおこうということであった.
 しかし,まったく道は遠い.この日本は非西洋にあって最初に西洋化し、そして150年、いままさに没落の瀬戸際にある.近代の果てとしてのアベ政治は,同時に資本主義の閉塞の中でいっそう悲惨なものとして現れている.没落し,かつてこのような非西洋の国があったと後世の世界史の中の一幕となるのも致し方なしと考えて来た.日本というところは,いったんはそこまでいかねばならないのかも知れない.
 そしてそこで,それでもそこに生き残る人らがそこから立ちあがるときに,よるべき言葉がいる.根のある変革思想の礎として,それを言い残し置かんと『神道新論』を書いたのだ.力およばずであるが問題の提起にはなっていると確信する.
 それはまた,自分が高校生に教えて,今の高校生の考える力の衰えを実感し,その根源が根なし草の近代日本語にあることに思い至ったことがはじまりであったが,そのような近代の行きつく果てに直面して,考えてきたことはやはり必要なことであったと思う.
 闇夜のなかの破壊の瓦礫の中から,新たにたちあがってゆくとき,生きた言葉とそれにもとづいて根拠を問う学問が,不可欠である.非力かつささやかではあるが,できるところからその準備をしてゆこう,それが,これをはじめたときに考えたことである.そしてまた私の考えは,まだ全くの少数である.日本語科の一日の訪問者は数人である.しかし,いずれ,多くの人がそうだと考える時がくると信じている.

 私は,理系人間でも文系人間でもなかった.理系,文系という高校から大学での分け方は,近代日本の教育が手っ取り早く官僚と技術者を作るために作り出したものである.官僚は,数学に時間を使う必要はない,技術者は歴史や古典は知らなくてもよい,というわけである.
 私は高校時代,数学も哲学もおもしろかった.また大学生になったころは道元の『正法眼蔵』を,分からないままに,いつも持ち歩いて読んでいた.それで結局大学院を中退し,高校教員からはじめていろいろなことをやり,青空学園で考えて,そして『神道新論』などを表した.これは,理系文系という近代日本の底の浅い枠組を自力で乗りこえるということでもあった.道はもとより途上であるが,それは確かだ.

 写真は,奄美の海でひろってきた珊瑚のかけらを水瓶においたところ.写っている青色は空の色.そして,2008年に沖縄に連れってもらときに買った素焼きのキジムナーと,それをおいたガジュマル.二鉢ある.ガジュマルは近くの店で一つの小さい鉢植を買ったのだが,大きくなり株分けしたのだ.もう一つ分けたのがあったのだが,外に置いたままにしたとき霜にあたって枯れた.ガジュマルは霜には弱い.以来,鉢に植えて真冬は家の中に入れている.奄美から戻って以来,ようやくに夏空が続いている.